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資本主義的蓄積の敵対的性格と「調整」――「レギュラシオン理論」とはなにか

(1989年9月)

はじめに

最近、「レギュラシオン学派」とよばれる研究者の著書が何冊か翻訳され、『経済評論』『思想』『エコノミスト』などの雑誌や新聞の書評欄でも紹介がおこなわれている。

それらをみると、この学派は、「マルクス的直観の再活性化」として自分たちをマルクス経済理論のなかに位置づけている。また、「危機に挑む経済学」といって革新的立場を強調しており、日本への紹介者もまたそのようにあつかっている。しかし、はたしてそうであろうか。

「レギュラシオン理論」といっても、まだなじみのない人も多いであろうから、はじめにその概要を紹介しておこう。

レギュラシオン学派は、一九七〇年代後半にフランスで生まれた。当時、世界の資本主義は、一九七一年の金・ドル交換停止をきっかけとして戦後の資本主義世界経済をささえてきたIMF(国際通貨基金)通貨体制が深刻な動揺におちいり、さらに一九七三年の第一次石油危機に端を発したインフレと不況の同時進行という第二次世界大戦後最大の経済困難にみまわれていた。そのなかで、国家独占資本主義の体制と経済への政府の介入を体系化してきたケインズの経済理論は、破産を認めざるをえない状況になっていった。そうしたとき、フランスの学者、研究者や官庁で「経済計画」にたずさわっていた人たちのあいだで生まれたのがレギュラシオン理論である。

「レギュラシオン」とは、フランス語で「調整」を意味する。レギュラシオン学派は、資本主義の経済変動を「蓄積体制」と「調整(レギュラシオン)様式」の組み合わせによって説明する。簡単にいえば、「蓄積体制」とは資本主義の一定長期間にわたる安定的な成長をもたらしている社会諸関係の総体を意味し、それを可能にしている制度などの総体を「調整様式」とよび、資本主義は、各々の「蓄積体制」に適合的な「調整様式」に媒介されなければ維持されない、と主張する。レギュラシオン学派の「新しさ」の一つは、この「調整様式」を法律や規則など国家による規制や政府の経済介入だけにかぎらず、諸勢力の闘争、競争、交渉の結果としての「妥協」や「協定」、さらに一定の社会的な価値体系、表象体系までふくんだものと、幅広く理解しているところにある。

そして彼らは、自由競争段階と独占段階という、レーニンが「帝国主義論』で明らかにした科学的社会主義理論にもとづく資本主義の段階規定を否定して、これまでの資本主義を「外延的蓄積体制」と「内包的蓄積体制」(「フォード主義的蓄積体制」ともいう)との二つに区分して、つぎのように説明する。

彼らの説明によれば、「外延的蓄積体制」とは、一九二〇年代までの資本主義のことである。そこでは、機械制大工業はすでに成立しているが、熟練労働は解体されず、労働者の自律性がのこっている。賃金は最低水準で、労働者の生活過程(消費)には資本主義的商品はそれほどはいりこんでいない(彼らは、これを資本による労働の「形式的包摂」とよぶ)。そのため、第2部門(消費手段生産部門)はあまり発展せず、第1部門(生産手段生産部門)が一方的に発展する。これが「外延的蓄積」である。そこでの「調整」は、もっぱら市場における競争をつうじておこなわれるので、「競争的調整様式」と呼ばれる。

これにたいし、第二次世界大戦後の現代資本主義は、「内包的蓄積体制」あるいは「フォード主義的蓄積体制」とされる。彼らは、現代資本主義の生産様式を「フォード主義」と呼んでいるが、それは、アメリカで一九二〇年代の産業「合理化」運動から一般化したフォード・システムのことである。テーラーが考案した「科学的管理法」(「標準作業」と「作業方法」を定めて、管理者の命令どおり労働者を働かせる方法)とベルト・コンベアーをもちいた流れ作業とを結合したフォード・システムは、大量生産を実現するとともに、コンベアーの運転速度を管理することなどによって資本家が労働規律を掌握し、労働の密度をつよめ、搾取強化を実現することを可能にした。

同時に、レギュラシオン学派は、「フォード主義」を、資本による労働者の生活管理、あるいはそのためのさまざまな社会制度までふくむものとしている。

「フォード主義」は、熟練労働や労働者の伝統的生活様式を解体し、労働者の生活は資本主義的商品を消費するものになる(彼らはこれを、資本による労働の「実質的包摂」とよぶ)。そして、労働者のあいだに大量消費の「ノルム(規準)」が確立される。「調整」の中心は、労働組合の公認と団体交渉による賃金の決定、および社会保障制度による「間接賃金」の発展で、これによって労働者に一定の高賃金が保障され、大量消費が可能になった、と彼らは説明する。他にも、寡占的な競争体制、管理通貨制度や信用制度の発展、政府による経済介入などがあげられている。これらは、市場の外部で決定される「調整」なので「独占的調整様式」と呼ばれる。「独占的調整」の結果、第2部門も第1部門と並行して発展する。これが、彼らのいう「内包的蓄積」である。

このような前提にたって彼らは、今日の資本主義経済の「危機」は循環性の経済恐慌ではなく、「フォード主義的蓄積体制」そのものが限界にたっしたことによる「蓄積体制」そのものの「危機」である、と主張する。すなわち、「フォード主義的蓄積体制」がつづくなかで、生産性上昇率そのものが低下し、同時にそれを上まわるような労働者の賃金要求や、産業化、都市化にともなうさまざまな社会的コストの増加が生じたことが「危機」の原因とされているのである。

以上がレギュラシオン理論のあらましである。一部の人びとは、「経済成長」をとげた第二次世界大戦後の現代資本主義を「フォード主義的蓄積体制」として特徴づけたことや、また労働者の「消費過程」を視野におさめようとしたことなどを、レギュラシオン学派の「新しさ」として注目している。したがってわれわれも、まずその点の検討からはじめたい。

また、レギュラシオン学派は、みずからマルクスの継承をうたい、みずからの理論を「蓄積」とか資本による「形式的包摂」「実質的包摂」など、マルクスの言葉で説明している。そこに、この理論のもう一つの学問的「新しさ」があるということができる。同時に彼らは「正統派マルクス主義」の批判も強調している。彼らが「正統派マルクス主義」と呼んでいるのは、直接にはフランス共産党やボッカラなどそれに近い研究者のことであるが、はたしてレギュラシオン学派は、マルクスを継承しているのか、またなにを批判しているのか。その点も、ぜひ明らかにしなければならない。

彼らはまた、国家を階級支配の機構とする科学的社会主義の基本的見地を積極的に否定して、「ネオ・マルクス主義者」の代表者格であるプーランザスの国家論の継承をうたい、国家は諸階級間の妥協をあらわす諸制度の総体だとも主張しているので、その誤りも指摘しておきたい。

以下、代表的論者でもあるボワイエ『レギュラシオン理論――危機に挑む経済学』(新評論、一九八九年、以下『理論』と略)とリピエッツ『奇跡と幻影――世界的危機とNICS』(新評論、一九八七年、以下『奇跡』と略)を中心に、その理論の基本点の検討をすすめることにする。なお引用では、一部訳文を変えた箇所があることをことわっておく。

(注) レギュラシオン学派の著書の翻訳には、ほかに、ボワイエ編著『世紀末資本主義』日本評論社、一九八八年)、アグリエッタ『基軸通貨の終焉――国際通貨体制へのレギュラシオン的接近』(新評論、一九八九年)がある。
 論文の翻訳としては、コリア「レギュラシオン理論」(平田清明他編著『現代市民社会の旋回』昭和堂、一九八七年、所収)、リピエッツ「世界危機を乗り越える経済学の形成を――レギュラシオン学派の経済観」(『エコノミスト』一九八八年十一月七日付臨時増刊号)、リピエッツ、ルボルニュ(共著)「新たなテクノロジーと新たな調整様式」(『クライシス』第三五号、一九八八年)、ボワイエ「アメリカの危機――ラディカルズとわれわれ」(『経済評論』一九八九年三月号)、ボワイエ、コリア(共著)「マルクス――蓄積の長期的動態と技術」(同前)などがある。
 日本人による紹介は多数あるが、主なものはつぎのとおり。水島茂樹「労働者の生活様式と資本蓄積の体制」(『経済評論』一九八三年四、五月号)、平田清明「社会的制御調整の政治経済学」(『思想』一九八八年九月号)、同「レギュラシオン・アプローチのプロブレマティーク」(『経済評論」一九八九年ヒ月サ)、伊藤誠『世界経済の中の日本――ポスト・フォーディズムの時代』(社会評論社、一九八八年)。そのほか前掲の各訳書には訳者のくわしい解説がつけられている。
 レギュラシオン理論を批判的に検討したものには、金田重喜「レギュラシオン理論とは何か」(東北大学経済学会「研究年報経済学』第一七三号、一九八九年)がある。

一 「フォード主義的蓄積体制」

1 「高度経済成長」の一面的モデル化

「フォード主義的蓄積体制」は、「『栄光の三〇年間』〔戦後の経済成長のこと――引用者〕は、生産ノルムと消費ノルムがほとんど同時的かつ急速に発展した最初のケース」(『理論』、一三六ページ)、「生産性上昇に応じた大量=大衆消費をたえず調節することによって、フォード主義の十全な発展が可能になった」(『奇跡』、五五ページ)などと説明されている。

そしてこの「生産ノルムと消費ノルム」の同時的発展、「大量=大衆消費」を実現したのは、一つには、労働組合が公認され、賃金が個別契約によってではなく、団体交渉による労働協約によって決定されるようになり、「外延的蓄積体制」のときのような最低水準から引き上げられ、その後も生産性上昇率や物価上昇率に連動して賃金が引き上げられてきたこと、二つには、国家の社会保障制度によって、失業者や退職者、あるいは高賃金から排除されている中小企業労働者への生活保障がおこなわれ、購買力が保障されたこと、などにあると説明されている(『理論』一五八ページ、『奇跡』五六〜五七ページ)。

しかし、このような見方は、戦後の「経済成長」をもっぱら労働者の消費支出の拡大によって説明する点において、きわめて一面的な議論といわなければならない。

あとでみるように、レギュラシオン学派は、日本を、「フォード主義的蓄積体制」の「危機」からの脱出の先頭をいくものとして描いている。そこで、日本の一九六〇年代の「高度経済成長」を「フォード主義的蓄積体制」モデルによってとらえることができるのかどうか、検討してみよう。

たしかに「高度経済成長」の過程で、国民の消費支出が大きく伸び、いわゆる耐久消費財なども普及したことは事実である。しかし、そこから、「生産ノルムと消費ノルム」の同時的発展によって「高度経済成長」が実現したと解釈することはできない。

日本の場合、池田内閣がきめた「所得倍増計画」の一〇年間(一九六一年から一九七〇年)に、GNP(国民総生産)は年一一・一%で上昇したが、大企業の設備投資はそれを上まわる一五・二%の伸び率をしめしており、急速な資本蓄積がおこなわれていたことがわかる。実際、「高度経済成長」の過程では、政府によって道路、港湾、工場用地の造成など、大規模な産業基盤整備がおこなわれ、大企業も大量に設備投資をおこなっている。これは、消費資料のための支出ではなく、生産手段のための支出である。レギュラシオン学派は、このように生産手段生産部門が「高度経済成長」の原動力となったことをまったくみていない。

日本の「高度経済成長」を実現した条件は、つぎのようなものであった。国内的には、第一には、労働者の低賃金と低福祉政策である。第二には、技術革新および「合理化」とむすびついて大幅に労働生産性が上昇したことである。そのなかでは、アメリカを主とする外国技術を大量に輸入したことをはじめ、独占資本が搾取強化をねらって推進した「生産性向上運動」や「合理化」などが大きな役割をはたした。第三には、国家独占資本主義のもとでの「産業構造高度化」政策や財政・金融政策をつうじた独占資本への特別の助成、援助である。また、国際的条件としては、アメリカの技術と資本、市場に依存したこと、とくに米系メジャーの支配する安い石油エネルギーに依存したこと、ドル支配下のIMF体制のもとでの固定レートが日本に有利に作用したことなどがあげられる。

こうした条件のもとで、日本の独占資本は、労働者から搾取する剰余価値の量そのものを増大させ、高度の資本蓄積を実現したのである。

そして、戦後発展した国家独占資本主義の機構や、IMFなど国際的機構によって、さまざまな「調整」がおこなわれた。その結果、自由競争段階の資本主義のように、資本主義の諸矛盾が恐慌、信用の崩壊、価格の暴落、企業の倒産と失業者の激増というはげしいかたちで周期的に爆発することは回避されるようになった。しかし、それによって、資本主義の諸矛盾が解決されたわけではなく、諸矛盾は先送りされ、迂回的なかたちをとってあらわれざるをえない。そして事実、一九七一年の金・ドル交換停止と国際通貨危機、一九七四〜七五年の世界的な過剰生産恐慌となってあらわれたのである(注)

(注) 日本の「高度経済成長」の諸条件、およびその過程における資本主義的諸矛盾の蓄積とその迂回的爆発については、工藤晃『日本経済と環境問題』(大月書店、一九七五年)第一部を参照。

レギュラシオン学派は、「現在の危機の原因は、大量消費中心の内包的蓄積のもとでこのシステムが収益性の低下にぶつかる傾向を有しているのであって、もはや総需要の不足にぶつかるのではない、という事実にあろう」(『理論』、四〇ページ)として、「フォード主義的蓄積体制」の「危機」が「総需要の不足」すなわち過剰生産恐慌のかたちをとることを否定する。しかし、実際には、一九七四〜七五年には主要五ヵ国(日、米、英、西独、仏)の鉱工業生産は、対前年比マイナスになっており、これが過剰生産恐慌であったことは明白な歴史的事実である。

消費手段生産部門の拡大についていえば、「高度経済成長」のなかで農村の階級分解が大きくすすんだことが、都市の住宅建設や基盤整備などとともに、耐久消費財の大きな市場を新たに生みだしたことはまちがいない。また、資本主義の発展にともなって、一般に、労働者や住民の生活水準が上昇することは、レーニンも指摘しているとおりである(「いわゆる市場問題について」、全集第一巻、一〇三ページ)。しかし、そうした消費財市場の拡大が「高度経済成長」を可能にした唯一の要因でなかったことは明白である。生産手段の市場も大きくひろがったのであり、さらに日本の場合、海外市場への進出も無視することもできない。

また同時に、「高度経済成長」の過程で、「古い形の貧困」だけでなく、公害、はげしい物価上昇、重税、住宅不足、生活環境の悪化など「新しい形の貧困」が生まれていることもみなければならない。

日本共産党第十一回党大会は、「新しい形の貧困」にたいする国民のたたかいが、社会変革の「あらたなエネルギーを蓄積するもの」であることを明らかにした。そして、国民の多数を苦しめている新しい現代的貧困が多様な形をとってあらわれ、国民の要求も多面的なものになっていること、同時にそれら多面的な国民の要求は根本において国民と独占資本との矛盾に基礎をおいている点で共通しており、「国民を日本の政治の変革にみちびく、新しい多面的な通路をつくりだしつつある」こと、などを指摘した(『前衛』第十一回党大会特集号、六〇〜六一ページ)。

労働者や国民の消費過程、生活を科学的に把握しようとする場合、資本主義経済の発展がたんなる「経済成長」ではなく、資本主義的諸矛盾の蓄積であること、一部の独占資本には莫大な利潤をもたらすが、国民生活のさまざまな面に新たなかたちで苦しみや不安を生みだし、それとともに国民のなかに「深部の力」が生まれることをみて、それを全面的に明らかにする立場にたつことが重要である。

ところが、レギュラシオン理論からは、このような国民と日米支配層のあいだの諸矛盾や国民の要求の高まりを解明することはできないのである。

彼らは、労働者の生活を視野におさめたといわれているが、実際には、「蓄積体制」をあらわす関数の一つとして労働者の「消費」を組み込んだにすぎない。ボワイエは、「フォード主義的蓄積体制」を、生産性上昇率、生産増加率、投資額、消費増加率、雇用水準、実質賃金、生産性上昇の分配係数、需要増加率の関数式の組み合わせであらわしている(『理論』、付録VII)。そこでは、実質賃金は生産性上昇率の関数、生産増加率は消費増加率と投資額の関数、消費増加率は実質賃金の関数とされ、雇用水準も生産増加率と生産性上昇率との関数とされており、したがって「蓄積体制」は生産性上昇率と投資額によって決定されることになっている。これは、「フォード主義的蓄積体制」の「危機」がもっぱら生産性上昇率の低下によって説明されていることとも一致する。つまり、レギュラシオン理論においては、労働者は、生産性上昇率や投資額によって決定される受動的な存在とみなされているのである。

このように、レギュラシオン学派のいう「フォード主義的蓄積体制」は、現実の資本主義のもつさまざまな問題、一言でいえば、資本主義的発展そのものの内的諸矛盾を見ずに、労働者の名目賃金の上昇と消費手段生産部門の拡大という一面的な「事実」をもとにして仕上げられた、きわめて観念的、恣意的なモデルというべきものである。

2 「ポスト・フォード主義」とME「合理化」

ところで、今日の資本主義の諸矛盾の深まりを「フォード主義的蓄積体制」の「危機」と主張するレギュラシオン学派は、そのあとどのような「蓄積体制」を期待しているのだろうか。彼らのあいだでもこの点は論争になっているようであるが、この点も検討しておきたい。

レギュラシオン理論の「創始者」とされるアグリエッタは、アメリカ資本主義の「景気回復」を可能にする方向についてつぎのようにのべている。

「問題はつぎのことにある。大量生産期にすばらしい効果をあげた、がっちりとした職階性の企業組織(ライン・アンド・スタッフ原則)から、不確実で変転めまぐるしい市場を支配するための高い協調性と柔軟性をそなえた組織へと移行すること、これである。企業が最大の収益を上げるためには、個人のイニシアティヴと作業班の自律性とを結びつけねばならないが、それは当然のごとく賃労働関係の転換を前提としており、これを実現するのはきわめてむずかしい」(ボワイエ編著『世紀末資本主義』、六〇ページ)。

ここでアグリエッタが展望している「不確実で変転めまぐるしい市場を支配するための高い協調性と柔軟性をそなえた組織」とは、要するに、独占資本が今日すすめているME(マイクロエレクトロニクス)化、ロボット化による「多品種少量生産」のことであり、そのための「個人のイニシアティヴと作業班の自律性」とは、日本の独占資本がさかんにおこなっているQC(品質管理)サークルなどのことである。彼が「これを実現するのはきわめてむずかしい」とのべているのは、ME「合理化」、労働者の搾取強化に反対しているのではなく、逆に、そうした方向へすすむしかないという立場から、その実現の困難さを指摘しているものにほかならない。

日本の場合でも、独占資本は、二度の石油危機以後、「減量経営」と称して労働者の解雇、出向など徹底した「合理化」「人員削減」をすすめ、さらにそれをME化ともむすびつけて、長時間、超過密労働をおこなわせ、莫大な利益をあげてきた。また、「カンバン方式」や下請け価格の切り下げなどによって中小企業に負担をしわ寄せして、猛烈なコスト削減をおこなっている。

ところが、レギュラシオン学派は、それを、「フォード主義的蓄積体制」の「危機」克服の最先端をいくものとして描きだしている。このことは、日本の労働者階級にとって見過ごすことができない問題である。リピエッツはつぎのようにいっている(「世界危機を乗り越える経済学の形成を」、『エコノミスト』臨時増刊号所収)。

「エレクトロニクス革命とテーラー主義と問い直しとを組み合わせることができた国々があった。これらの国は、(雇用、昇進に関する)さまざまな保障と引き換えに、労働組織のなかで働く人びとの参加(QCサークル、カンバン方式)を交渉したのだった。これが、むしろ日本や北ヨーロッパのケースであった。一九八○年代に入り、これら第二グループの国々がもっとも競争力のある途を選んだことが判明した」(四七ページ)

「『供給の危機』に対するよりすぐれた解決策が存在する。すなわち、働く人びとの創造的な参加に基礎をおくとともに、国家、研究機関、産業の間の協同によって支えられ、資本と労働との新たな妥協が、それである。日本はおそらくこのことをいちばん早く理解した」(四八ページ)

ボワイエも、経済「危機」への対応として「テーラー式労働編成原理を上手に切りぬけた諸国(日本および西ドイツ)こそが不利な国際経済情勢を最大限に活用している」とのべている(『理論』、一六三ページ)。

このように、レギュラシオン学派の主張は、ME「合理化」や「産官学協同」など、独占資本が現在すすめている方向を基本的に追認するものといわざるをえない。QCサークルを「働く人びとの参加」としてみるにいたっては、独占資本の主張と変わりない。

しかも、彼らがこのような結論におちいるのは、彼らがたまたま日本の現実を知らなかったからではない。

次章で指摘するように、そもそも彼らにとって「危機」は、はじめから独占資本主義の枠内での「経済成長」の「危機」を意味し、独占資本主義の「経済成長」の停滞を「危機」とみているにすぎない。したがって、「危機」の克服もまず「経済成長」の回復にならざるをえない。そこから、「危機」脱出の方向の二つの道、すわなち、国民本位の道か、大企業本位の道かという問題は提起されず、独占資本のすすめている方向を確認し、これを唯一のものとして取り上げざるをえなくなるのである。

たしかにレギュラシオン学派は、労働者の生活、「賃労働関係」を重視するといっている。それにもかかわらず、彼らは、もっぱらそれを消費過程からのみ狭くみているため、独占資本がME「合理化」や、「希望退職」、出向、派遣労働など労働力の「流動化」をつうじて、労働者にその犠牲を押しつけ、生産過程でいっそうの「合理化」、労働強化をはかっていることの階級的意味を理解することができない。したがって、彼らには、あたかもME「合理化」が超階級的に、「フォード主義」の行き詰まりを解決する新たな発展方向であるかのようにみえるのである。

このような経済学が「マルクス主義の伝統」を引くものでなく、また「危機に挑む経済学」でもないことは、労働者階級や多くの国民の立場からみれば、まったく明白なことであろう。

二 マルクスの蓄積論と「蓄積体制」

これまで、彼らの「フォード主義的蓄積体制」なるものが現実のきわめて一面的なモデル化にすぎないことを明らかにしてきた。その原因は、そもそも彼らの「蓄積体制」という考え方にある。以下、彼らの「蓄積体制」のとらえ方を検討し、その点を明らかにしたい。

1 資本主義の「成長モデル」

彼らの説明によれば、「蓄積体制」は、通貨制度、賃労働関係、競争形態、さらに国際体制への組み込まれ方や国家の経済への介入の仕方という、一定の規則性を生みだすいくつかの「制度形態」から構成されており、それら「制度形態」の組み合わせによって、特徴づけられる(『理論』、七八〜八六ページ)。そしてその「制度形態」は、法律にもとづいた制度だけでなく、交渉をつうじて「妥協」にいたった結果成立するさまざまな「協定」や、さらに社会的に共通の「価値体系」までふくめたレベルで作用する(同八九〜九〇ページ)。こうした、法律や「協定」「価値体系」をふくめて、「蓄積体制」の「総体としての再生産にむけて協力する諸メカニズムの結合関係」が「調整様式」である(同四九ページ)。

したがって「蓄積体制」とは、こうした「制度形態」「調整様式」をつうじて「資本蓄積の進行が広範かつ相当程度一貫した形で保証されるような、つまり過程それ自身から不断に生ずる歪みやアンバランスを吸収したり時間的にずらしたりしうるような、そのような規則性の総体」(『理論』、七六ページ)、あるいは「社会的生産物の消費と蓄積への配分がかなり長期にわたって安定すること」(『奇跡』、二六ページ)をあらわすもの、と定義される。

つまり、レギュラシオン学派のいう「蓄積体制」とは、「消費と蓄積」への配分論、あるいは生産手段生産部門(第1部門)と消費手段生産部門(第2部門)とのあいだの配分論であって、直接的な搾取過程である生産過程における資本蓄積のことではない。そして、一定期間にわたる資本主義経済の安定的、均衡的発展をあらわす「規則性」をとりだして組み合わせた、一種のモデルのことである。

たしかに彼らは、資本主義の均衡的安定的発展を主張する新古典派理論を批判して、「蓄積体制」が「歪み」「アンバランス」をふくんでいることをくりかえし指摘している。しかし、それは、現実の資本主義経済がモデルのようにはいかないという意味で、「歪み」や「アンバランス」を認めているにすぎない。それら「歪み」「アンバランス」は「循環性の危機」とされ、「蓄積体制と結びついた調節過程の構成部分」(『理論』、七六〜七七ページ)として前提されているが、モデルそのものは「歪み」や「アンバランス」をふくんでいないのである。

また彼らは、長期的にみれば「蓄積体制」が「危機」におちいると指摘しているが、その「危機」を生みだす原因は、やはり「蓄積体制」の「発展様式」のモデルのなかにふくまれていない。

ボワイエは、「調整様式」が「蓄積体制」に適合せず、それを不安定にしている「調整システムそれ自身の危機」と、「蓄積体制」の「発展様式」そのものの「危機」とを、二つの「構造的危機」として説明している。今日の独占資本主義の「危機」は、「フォード主義的蓄積体制」の「発展様式」そのものが「危機」におちいったためだと説明されている。

しかし、彼らの「構造的危機」が意味するのは、資本主義の「経済成長」の「危機」である。そのことは、「フォード主義的蓄積体制」の「危機」が、結局は、生産性上昇率そのものが低下するとともに、それを上まわるような賃金要求がだされたり、あるいは産業化、都市化にともないさまざまな社会的コストが増加したため、利潤率が低下したためと説明されていることからも明白である(『理論』、一〇五ページ)。

また、彼らのいう「構造的危機」は、はじめから独占資本主義の枠内で解決されうる「危機」に限定されている。経済的諸矛盾の激化だけから短絡的に資本主義体制の崩壊をみちびくことはできないが、ボワイエは、資本主義的生産様式そのものの崩壊を意味する「支配的生産様式の最終的危機」を「読者が見当ちがいと考えるのは疑いない」(『理論』、一一三ページ)とのべている。また彼らの諸概念の関連を図解した「付録IV」でも、「支配的生産様式の最終的危機」(「第五タイプの危機」)は表にふくまれていない。このように、レギュラシオン理論においては、資本主義から社会主義への移行の問題は、はじめから排除されているのである。

したがって、彼らが「危機脱出にむけての経済政策」という場合も、その「問われている点は、……適切なる調整様式が出現するよう調節する点にある」(『理論』、三九ページ)とみずから告白している。このように、レギュラシオン理論の課題は、「危機脱出」のための新たな「適切なる調整様式」のもとでの資本主義的経済成長を実現すること、事実上、独占資本主義の立場からの「危機」の救済策にあるのであって、今日の資本主義経済の矛盾を生みだしている独占資本の横暴を民主的に規制し、さらに将来的には社会主義社会を実現して資本主義的搾取を根本的に廃絶するという科学的社会主義の方向とは無縁のものである。

この点からも、レギュラシオン学派のいう「蓄積体制」が資本主義経済の一種の成長モデルであり、資本主義はある「蓄積体制」から別の「蓄積体制」へ移るだけで、均衡→不均衡→均衡を繰り返すものとみなされていることがわかる。

2 資本主義の基本矛盾と資本の蓄積

しかし、われわれが今日の資本主義の諸矛盾を明らかにするのは、彼らのように、資本主義の安定的均衡的発展のモデルを取り上げて、それがうまくいっているかどうかを確かめることではない。マルクスは、『資本論』において「近代社会の経済的運動法則を暴露すること」(「『資本論』初版への序言」、社会科学研究所監修『資本論』、新日本出版社新書版第1分冊一二ページ)を目的としたが、そのとき「現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含」むという基本的見地(「『資本論』第二版へのあと書き」、同二九ページ)からその運動法則を明らかにしていることが重要である。

そのような基本的見地にたってマルクスは、資本主義的蓄積の特徴としてつぎのようなことを明らかにした。

そもそも資本の蓄積とは、資本家が労働者から搾取した剰余価値の一部を資本にくりいれて生産の規模を拡大することである。資本主義的生産の目的は剰余価値の生産であるので、それぞれの資本家はたがいにより多くの剰余価値を手にいれようと、新しい機械を導入したり生産の規模を拡大したりして、競争をおこなう。そのために、資本の蓄積が至上命令となる。また、資本主義的生産は、たんに商品や剰余価値を生産するのでなく、資本家階級と労働者階級の搾取関係、階級関係そのものを再生産する。したがって、資本の蓄積にともなって、資本家階級と労働者階級との搾取関係そのものも拡大再生産される。そのことをマルクスは、一方の極、資本家階級の側における「富の蓄積」と、他の極、労働者階級の側における「貧困の蓄積」とを指摘し、これが「資本主義的蓄積の一般的法則」であることを明らかにした(『資本論』、新書版第4分冊一一〇八ページ)。ここでいう「貧困の蓄積」は、資本主義の発展とともにたかまる全社会の需要や欲望の水準にたいして労働者階級や勤労国民の生活水準が立ち遅れるという、社会的な意味での「貧困化」をふくんでいる。

さらに、資本主義的蓄積は、社会主義の物質的条件とともに、社会主義をめざす革命の主体的勢力をも準備して、社会主義への必然的な移行をもたらすのである。マルクスは、その社会主義への必然的移行が「資本主義的蓄積の歴史的傾向」であることを明らかにして、つぎのようにのべている。

「〔資本の集中につれて〕貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取の総量は増大するが、しかしまた、絶えず膨脹するところの、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する。資本独占は、それとともにまたそれのもとで開花したこの生産様式の栓桔となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外被とは調和しえなくなる一点に到達する。この外被は粉砕される。資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る。収奪者が収奪される」(同一三〇六ページ、〔〕内は引用者)

このように、マルクスは、資本主義的蓄積が、生産手段の集中と労働の社会化をおしすすめ、社会的生産と私的資本主義的取得という資本主義の基本矛盾をいっそう発展させることを明らかにしている。

レーニンは、『帝国主義論』において、資本主義の自由競争が生産の集積を生みだし、この集積がその発展の一定の段階で独占にみちびくことを指摘し、独占資本の抑圧、収奪がいかに激化するかを明らかにしているが、その場合も、社会的生産と私的資本主義的取得という資本主義の基本矛盾をあきらかにする見地をいっかんしてつらぬいていることを見逃してはならない。

「競争は独占に転化する。その結果、生産の社会化が著しく前進する。……生産は社会的になるが、取得は依然として私的である。社会的生産手段は、依然として少数の人々の私的所有である。形式的にはみとめられた自由競争の一般的なわくは依然としてのこっている。そして、少数 の独占者のその他の住民にたいする抑圧は、いままでより、百倍も重く、苦しく、耐えがたいものとなる」(全集第二〇巻二三五〜二三六ページ)

「独占資本主義が資本主義のあらゆる矛盾をどれほど激化させたかは、周知のところである。ここでは、物価騰貴とカルテルの圧迫を指摘すれば十分である。矛盾のこの激化こそ、世界金融資本が最後的に勝利したときからはじまった歴史的過渡期の、もっとも強力な推進力である」(同三四七ページ)

このように、レーニンは、独占のもとで資本主義の基本矛盾が質的にいっそう激化することを明らかにして、独占資本主義を、社会主義社会の物質的条件を準備し労働者階級と資本家階級、広範な人民と独占資本との対立を激化させる経済的基礎として明確に位置づけている。ここから、レーニンは、独占資本主義を「過渡的な資本主義」「死滅しつつある資本主義」として段階規定したのである。以上が、資本主義的蓄積の歴史的傾向についての、科学的社会主義の経済理論である。

ところが、すでに指摘したように、レギュラシオン学派は、自由競争段階から独占段階へという資本主義の発展段階を否定して、これまでの資本主義を「外延的蓄積体制」と「内包的蓄積体制」(「フォード主義的蓄積体制」)とに区分する。それは、彼らにとって「ある蓄積体制から他のそれへの移行にとって、競争上の諸変化がいかなる貢献をはたすか、それを説明することこそ大事」だからである。彼らは「集積や集中の現象にはあまり重きをおかない」のであり、自由競争と独占は「競争形態」のちがいでしかない(『理論』、八一ページ)。これは、レーニンが『帝国主義論』の分析を「生産の集積」からはじめ、生産の集積にともない、社会的生産と私的資本主義的取得という基本矛盾がいっそうするどい形をとってあらわれざるをえなくなることを明らかにしたのと対照的である。ここからも、資本主義の基本矛盾を明らかにする見地が彼らにまったくないことがわかる。

われわれが、今日の資本主義を分析し、その内部に社会的変革を必然的なものとする矛盾がどれだけ深刻に進行しているかを明らかにしようとする場合、やはり、マルクスやレーニンとおなじ見地にたって、一見、資本主義が安定的、均衡的に発展しているようにみえる状況においても、また今日のように資本主義経済が国内的にも国際的にも矛盾と混乱をふかめている状況においても、この資本主義の基本矛盾がつらぬき、今日の歴史的状況のもとで、それがどのようにあらわれているかを分析しなければならないのである。

レギュラシオン学派はさらに、レーニンの『帝国主義論』をまったく歪曲し、否定していることを指摘しなければならない。リピエッツは、「より発展した資本主義諸国の資本蓄積に有利に作用した国際関係を、強制ないし再生産する傾向にたいして、帝国主義の名が付与された」(『奇跡』、三〇ページ)というように、帝国主義を一つの「傾向」に解消する。しかも彼は、「外国の販路を見つける必要性として理解された帝国主義」(同八四ページ)と、帝国主義を“外国への販路の拡大”としてしか理解していない。それにたいし、「大量消費に中心をおいた調整良好な蓄横体制のなかで、資本主義は国内的基礎のうえで販路問題を肯定的に解決することになる」(同)と、「フォード主義的蓄積体制」のもとでは、「生活水準」が上昇し(同八六ページ)、“外国への販路”問題は消滅する、したがって、「レーニンが帝国主義を資本主義の『最高の段階』として規定できると信じた三〇年後」には、「外国の販路を見つける必要性として理解された帝国主義」は「そのような要因であることをやめるのである」(同八四ページ)とさえのべている。

しかし、帝国主義にとって典型的なものは、“外国への販路”すなわち商品の輸出ではなく、国内で資本が過剰となり、より多くの利益をえられる投資先がないためにおこなわれる資本の輸出である(『帝国主義論』、全集第二〇巻二七七ページ)。実際にどうかといえば、商品輸出にかぎってみても、第二次世界大戦後、解決されるどころか、今日でも貿易摩擦というかたちではげしい輸出競争がおこなわれている。また、資本輸出はいっそう大規模におこなわれ、アメリカを中心に海外への直接投資がおこなわれ、多国籍企業化がすすみ、最近では日本の大企業も海外進出をすすめるようになっている。これらの事実は、レーニンの『帝国主義論』の分析の基本的な正しさをしめすものであり、レーニンが明らかにした帝国主義の経済的諸特徴を一面的に歪曲するレギュラシオン理論の誤りを浮き彫りにするものである。

レーニンが『帝国主義論』で明らかにした列強による領土の再分割にかんしていえば、第二次世界大戦後は、かつての植民地、従属諸国の大多数が政治的に独立をとげ、植民地体制が崩壊したため、帝国主義諸国が世界を植民地として分割し合い、植民地再分割をめぐってたがいに戦争をおこなうということはなくなった。しかし、帝国主義、独占資本主義諸国は、戦後圧倒的な地位を占めるようになったアメリカ帝国主義を中心として帝国主義的同盟をむすび、世界各国の進歩勢力に対抗するとともに、ベトナムのように民族解放運動にたいする直接的侵略戦争をおこなってきた。アメリカ帝国主義は、自己の政治的地位と経済的権益をまもるために、膨大な基地と軍隊を海外に配置し、ニカラグアなど民族解放運動に干渉している。海外の権益の保護と軍国主義とは不可分である。

レギュラシオン学派のなかには、アグリエッタのように、事実としてはアメリカにおける軍事支出の増人を指摘するものもいる(注)。しかし、彼らの「フォード主義的蓄積体制」のモデルは、大量生産、大量消費として特徴づけられることから、とくにアメリカに典型的にみられる膨大な軍事支出の問題を正しく位置づけることはできない。そこにも、レギュラシオン理論の一面性があらわれている。

(注)Aglietta,M.,“A Theory of Capitalist Regulation----The US Experience”,Verso,1987.〔アグリエッタ『資本主義的調整の理論――アメリカの経験』英訳版、ベルソ社、一九八七年〕二三九〜二四〇ページ。

3 「実質的包摂」と「内包的蓄積」

以上で、レギュラシオン学派のいう「蓄積体制」が資本主義経済の「成長モデル」であって、マルクスの資本蓄積論と無縁であることが明白になった。しかしなお、彼らが「蓄積体制」と関連して、資本による労働の「形式的包摂」と「実質的包摂」というマルクスのことばを使った説明をしたり、「外延的蓄積」と「内包的蓄積」という規定をおこなったりしているので、ここでそれらの点を検討しておく。

「形式的包摂」と「実質的包摂」について、マルクスはつぎのようにいっている。

「したがって、相対的剰余価値の生産は、一つの特殊な資本主義的な生産様式を想定するのであって、この生産様式は、その方法、手段、および条件そのものとともに、最初は、資本のもとへの労働の形式的包摂を基礎として、自然発生的に成立し、発展させられる。形式的包摂に代わって、資本のもとへの労働の実質的包摂が現われる」(『資本論』、新書版第3分冊八七四ページ)

「絶対的剰余価値生産のためには、資本のもとへの労働の単なる形式的包摂だけで――たとえば以前には自分自身のために、あるいはまた同職組合親方の職人として、労働していた手工業者が、いまでは賃労働者として資本家の直接的管理のもとにはいるということで――十分である」(同前)

相対的剰余価値は、労働日を一定としても、労働の生産力を増大させ、それによって労働力の価値を低下させて、この価値の再生産に必要な必要労働時間を短縮させることから生みだされる剰余価値である。したがって、相対的剰余価値の生産は、資本による労働過程の技術的、社会的条件、生産方法そのものの変革をつうじておこなわれる。そして、相対的剰余価値の生産とともに資本のもとへの労働の実質的包摂があらわれる、というのがマルクスの考えである。つまり、マニュファクチュア段階においては資本のもとへの形式的包摂であったのにたいし、機械制大工業の段階においては、それを基礎に資本のもとへの労働の実質的包摂が成立するのである。これにたいし、レギュラシオン学派のいうとおりだとすると、資本主義は、機械制大工業が成立したあとも、一九二〇年代まで、相対的剰余価値生産はおこなわれず、絶対的剰余価値生産だけであったということになる。それがマルクスの理論にも事実にも合わないことは明白であろう。

つぎに、「外延的蓄積」「内包的蓄積」についてであるが、すでにレーニンは、そのような資本蓄積の対立的なとらえ方がまったく形式的なものであることを指摘している。

「いわゆる市場問題について」において、レーニンは、ロシアにおける資本主義の発展の可能性と必然性を否定するナロードニキを批判した。ナロードニキが、農村の現物経済のもとで外国市場の存在しないロシアでは資本主義的発展は不可能だと主張したのにたいして、レーニンは、ロシアにおいても自然経済から商品経済へ、さらに資本主義経済へという発展は不可避であること、市場の範囲は社会的分業の細分化の度合いに比例し、それには限界のないことを指摘して、その誤りを批判した。そのなかで、レーニンは、「資本主義の発展を横への発展と奥への発展とに分けること」は「誤りである」、「全発展は一様に分業によっておこなわれる」のであって、「これらの契機のあいだに、『本質的』な差異はない」と指摘している(全集第一巻一〇二ページ)。ここで批判されている資本主義の「横への発展」と「奥への発展」というとらえ方は、まさにレギュラシオン学派の「外延的発展」と「内包的発展」と同じものである。

さらにレーニンは、「横への発展」と「奥への発展」の区別は「技術の進歩の種々の段階の差異に帰結する」(同前)とのべている。すなわち、資本主義的生産のもとでは、生産手段生産部門(第1部門)が消費手段生産部門(第2部門)をしのいで発展するから、資本主義のための国内市場も第2部門にかんしてよりも、第1部門にかんしていっそう多く発展するというのである。したがって、単純協業やマニュファクチュア段階とちがって、機械制大工業の段階では「生産手段のための生産手段の生産」が「消費資料の生産」を凌駕しておこなわれるようになり、それが資本主義の「巨大な発展」を実現するのである。これが、まさに機械制大工業の成立とともに資本主義の「奥への発展」が進行するというレーニンの指摘の意味である。この点でも、レギュラシオン学派がいうように、一九二〇年代まで「外延的発展」だったとすることは理論的にも事実のうえからも誤りであることがわかる。

レーニンはまた、自由競争から独占段階への移行の時期を「およそ二十世紀の初頭」としている(「党綱領の改正によせて」全集第二〇巻一五九ページ)。ところが、「生産の集積と独占」に「あまり重きをおかない」レギュラシオン学派は、二〇世紀の二〇年代まで「外延的蓄積体制」「競争的調整様式」の時代としている(『理論』、付録V)。それは、レーニンの見地とくらべて段階区分の内容が異なるだけでなく、時期においても二〇年近くちがっていることも指摘しておきたい。

三 レギュラシオン理論の国家論の誤り

1 「ネオ・マルクス主義」の国家論を継承するレギュラシオン学派

レギュラシオン理論の誤りは、経済理論の誤りにとどまらない。もう一つ、彼らの国家論の誤りがある。

エンゲルスは、『家族、私有財産および国家の起源』において、原始共同体(氏族制社会)が経済的発展の一定の段階で、経済的に搾取する階級と搾取される階級とに分裂したことの結果として国家が生まれることを明らかにしたあと、つぎのようにのべている。

「これらの対立物が、すなわち相争う経済的利害をもつ諸階級が、無益な闘争によって自分自身と社会を消耗させることのないようにするため、外見上社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』の枠内に引きとめておく権力が必要になった。そして、社会から生まれながら社会のうえに立ち、社会にたいしてみずからをますます疎外していくこの権力が、国家である」(全集第二一巻一六九ページ)

また、こうして生まれた国家は、「階級対立を抑制しておく必要から生まれたものであるから、だが同時にこれらの階級の衝突のただなかで生まれたものであるから、それは、通例、最も勢力のある、経済的に支配する階級の国家である」(同一七〇ページ)と指摘している。

レーニンは、このエンゲルスの指摘を引用して、ここに科学的社会主義の国家論の「基本的思想が表現されている」ことを強調しながら、このエンゲルスの「外見上社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』の枠内に引きとめておく」という指摘を歪曲して、国家を諸階級の「和解」として描きだそうとする小ブルジョア的理論をつぎのように批判している(『国家と革命』、新日本文庫一六〜一七ページ)。

「マルクスによれば、国家は階級支配の機関、一階級が他の階級を抑圧する機関であり、この抑圧を法制化し、諸階級の衝突を緩和しながら、この抑圧を強固なものにする『秩序』を創出することである。小ブルジョア政治家の意見によれば、秩序は諸階級のまさに和解であって、一階級の他の階級にたいする抑圧ではない。すなわち衝突を緩和することは、和解させることであって、抑圧者を打倒するためのたたかいの一定の手段と方法を被抑圧者から奪いとることではないのである。……国家は一定の階級の支配の機関であり、その階級は自分の敵対者(その階級に対立する階級)と和解することはできないということを小ブルジョア民主主義派はどうしても理解することができない」

ところが、レギュラシオン理論の国家論は、マルクスの名を使いながらこの「小ブルジョア的理論」の誤りを繰り返すものになっている。

ボワイエは、みずからの国家論についてつぎのようにいっている。

「実際レギュラシオン派は、レーニンや現代の正統派マルクス主義の理論よりも、ずっとプーランザスの理論と合致する見解をとっている。国家というものはたんに独占の力の集中的表現にすぎない、などといって済ますことなどできないのだ。というのも国家は、もっともっと広範な妥協の総体――産業資本主義と農民世界の妥協、近代主義的な資本分派と大多数の賃労働者の妥協、等々――を包括しているからである。……結局、国家とはつねに矛盾した要請に従っているのであり、つまりは一面で蓄積維持の要請に、他面で現存社会諸関係の正統化の要請に、服しているのである」(『理論』、一六八〜一六九ページ)

このようにボワイエは、科学的社会主義の階級国家論を積極的に否定し、「ネオ・マルクス主義者」であるプーランザスの国家論の継承をうたっている。プーランザスが国家を階級的力関係の「妥協による不安定な均衡に基礎をおく」(『資本主義国家の構造』)ものとみなしたように、ボワイエも、国家を「広範な妥協の総体」とするのである。

リピエッツも、「実際、国家は、あらゆるレギュラシオン形態のアルケティープ〔原型〕である。階級闘争が調整されるのは、国家のレベルにおいてである。国家は妥協を凝縮する制度的形態である」(『奇跡』、三二ページ)とのべている。

このように、レギュラシオン学派は、国家を「妥協の総体」「妥協を凝縮する制度的形態」とし、国家を階級闘争の調停者とみているのである。これは、レギュラシオン理論の立場から必然的な帰結である。

レギュラシオン学派は、「調整」を実現する社会関係を「制度諸形態」と呼んでいる。ボワイエはそれを、法律、「協定」、「価値体系」(もしくは「表象体系」)という三つのレベルにわけて説明している。それを読むと、彼が、それら「制度諸形態」をいずれも「妥協」の結果生まれるものと理解していることがわかる。「協定」は、ボワイエ自身「交渉をつみかさねた結果ある妥協に到達する」と説明しているように、まさに「妥協」の産物である。また「価値体系」も伝統的な慣習をあらわしており、現実の妥協をささえ、さらに暗黙の同意、協調をしめしている。さらに、法律も「現存の権力関係と衝突するようになると、あるいはそれが(とくに経済的な)私的諸利害の論理とあまりにも矛盾するようになると、法律はゆがめられ、意味を抜きとられ、こうして個人や集団が離反していくために廃止される」とされており、やはり「現存の権力関係」や利害にもとづく「妥協」の産物と理解されていることがわかる(『理論』、八九〜九〇ページ)。

そして、こうした「集団レベルで一番重要な妥協の仲介者」(『理論』、一九六ページ)の役割をはたしているのが国家なのである。したがって、国家が直接関与しないさまざなま協定(ボワイエは、代表的な例として賃金協定、労働協定をあげている)も、国家が「仲介」するものであり、国家のレベルでの「調整」なのである。

レギュラシオン理論の誤った国家論は、「ネオ・マルクス主義」の誤った国家論を受け継いだものであるが、最近では「ネオ・マルクス主義」のなかに逆輸入されていることもあわせて指摘しておかなければならない。

西独の「ネオ・マルクス主義」政治学者であるヒルシュは、レギュラシオン学派から「フォード主義」というカテゴリーを国家論の分野へもちこんで、現代国家は「フォード主義的保障国家」(the fordist security state)であると、主張している(注)。すなわち、「フォード主義」に基礎をおく現代国家は、国民の物質的な生存を保障する「福祉国家」であるとともに、国民を社会的に条件づけ、監視することで労働力の再生産を調整、管理、保障する「監督国家」でもあるとして、二重の意味での「保障国家」になった、という。そして、そのような「保障国家」は社会のあらゆる部門に浸透し、社会生活の「土台」になっているので、労働者階級の権力を樹立して国家機構を根本的に変革するという「古い考えは修正されなければならない」と結論づけている。ヒルシュのこの主張は、国家は階級対立を「調整」し、調停する機関であるとみる点において、レギュラシオン学派とまったく同じである。

(注) Hirsch,J.,“The Fordist Security State and New Social Movement”〔ヒルシュ「フォード主義的保障国家と新しい社会運動」、『カピタリステート』第一〇・一一号、一九八三年〕

2 資本−賃労働関係の根本的敵対性をみないレギュラシオン学派

ごうした彼らの国家論の背景には、彼らが資本−賃労働関係そのものを「妥協」の産物とみて、根本的に敵対する階級関係としてとらえていないことがある。

「賃労働関係」は、ボワイエによれば、その変化が「発展様式の長期的変化における主要決定因の一つ」(『理論』、一三六ページ)とされる基本的な関係であるが、その「賃労働関係の形態は、事実上の妥協であれ制度化された妥協であれ、ある妥協から生ずる」(同八二ページ)とされているのである。

たしかに、労働組合が賃上げなどを要求して闘争する場合、いつでも要求が全面的にとおるわけでもないし、また、要求が全面的にとおるまで無期限に闘争をつづけるというわけでもない。実際には、一定の要求を実現した段階で「妥結」しなければならないことが多い。また、かりに要求が全面的に実現した場合であっても、労働者は資本家による搾取を前提として「妥結」しているのである。ここから、レギュラシオン学派は、労働協約などを「妥協」と考え、さらに「賃労働関係」全体を「妥協」とみなすのである。

しかし、多少賃金が上昇したとしても、労働者が資本家に剰余価値を搾取されていることには変わりがない。そうであるから、労働者階級は搾取制度を根本的になくすため、民主主義革命など社会発展の当面する諸課題を実現しながら、労働者階級の権力を樹立し、社会主義社会の実現をめざすのである。もちろん、資本主義の枠内で賃上げやその他の要求をかちとることは、それ自体労働者や勤労国民の要求であり、また大きな階級闘争、国民的な運動なしには実現されないことである。しかし、そこにとどまらず、そうした要求実現のたたかいをつうじて労働者、国民の多数の政治的自覚をたかめ、大衆組織を強化し、大多数の国民を結集するならば、統一戦線に基礎をおく勢力が積極的に国会に議席を占め、国会を反動勢力の機関から国民に奉仕する機関に変え、反動勢力の支配を打ち破ることができる。それによって、労働者や国民の要求を根本的に実現させることが可能になる。労働者階級や国民多数の要求実現のたたかいも、このような社会変革の展望とむすびつけられてこそ、はじめて真の民主的改良の推進者としての役割を発揮することができるのである。

ところが、レギュラシオン学派は、搾取を前提にして賃金協定がむすばれていることから、資本による労働者の搾取をも、資本家と労働者の「妥協」であるとみなすのである。これでは、資本主義の搾取関係をとらえることはできないし、「労働者あっての資本家、資本家あっての労働者」という労資協調を説く独占資本のイデオロギーとなんら変わらないことにならざるをえない。国家を「妥協の総体」とみる彼らの立場も、ここに由来しているのである。

四 科学的社会主義の原則を否定する「理論」

これまで、レギュラシオン学派が資本家階級と労働者階級との階級的な敵対関係を理解せず、したがって資本主義的蓄積の歴史的傾向もみることができなかったこと、またその当然の帰結として国家は階級対立を「調停」する機関であるという誤った見解におちいっていることを明らかにしてきた。

それにもかかわらず彼らは、「根本的にマルクス主義的伝統に由来する理論的着想に基づいている」(『理論』、三五ページ)と自称している。そこで、最後に彼らが史的唯物論やマルクスの価値埋論をどのようにとらえているかを検討しておきたい。

1 史的唯物論の否定

第一に、レギュラシオン学派は史的唯物論をどのようにとらえているのであろうか。

マルクスが「『経済学批判』序言」において、史的唯物論の一般的結論」として明らかにしたのはつぎのようなことである(全集第一三巻六ー七ページ)。

まずマルクスは、人間は、社会的生産において、「一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係」すなわち「物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係」にはいること、そしてその生産諸関係の総体が社会の実在的土台をなし、それが法律的政治的上部構造および社会的意識の諸形態を制約していることを明らかにする。そのうえで、マルクスは、「社会の物質的生産諸力」が「その発展のある段階で」「既存の生産諸関係」と矛盾するようになり、それとともに「社会革命の時期が始まる」こと、そして政治的およびその他の階級対立を「その時期の意識」から判断するのではなく「物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係のあいだに現存する衝突から説明しなければならない」ことを指摘している。

レーニンは、この史的唯物論の基本的見地こそが、「社会関係を生産関係に還元し、そして、この生産関係を生産力の水準に還元する」ことによって、はじめて「社会構成体の発展を自然史的過程として考えるための強固な基礎をあたえた」と指摘している(「『人民の友』とはなにか」、全集第一巻一三三ページ)。

このような史的唯物論の立場は、「一連の事実の必然性を論証」するだけで、階級闘争の役割を理解しないブルジョア客観主義とはまったく異なっている。史的唯物論は、「所与の経済的社会構成体と、それによって生みだされる敵対的関係とを精密に確認」し、所与の経済制度が生みだす諸階級の「抵抗形態」をも明らかにして、「階級的矛盾を暴露するとともに、そのことによって自分の見地を確定」し、公然と労働者階級の立場にたつものである(レーニン「ナロードニキ主義の経済学的内容」、同四三一〜四三二ページ)。

ところがボワイエは、この「マルクスの有名な定式から出発するのは、無益ではあるまい」といいながら、その直後に、「生産諸関係は生産諸力の一定の段階と厳密に照応する」というのは「誤り」であり、「経済的構造と法的・政治的上部構造とに二分する」ことは、経済的諸関係にとらわれないで社会を分析するのを「阻害」するので、これら「二つの主張は採用しない」といっている(『理論』、六九〜七〇ページ)。これが史的唯物論の根本的命題の否定であることは、さきのレーニンの指摘からも明らかであろう。レギュラシオン学派が、資本の「集積や集中の現象にあまり重きをおかない」といい、資本主義の基本矛盾を明らかにする視点に立たない理由もここにある。

ボワイエはまた、「正統派マルクス主義は生産諸力の発展を、社会諸関係変革の主要決定因にしてしまった」(『理論』、一八七ページ)と主張している。リピエッツも、第二インタナショナルと第三インタナショナルとの区別を抹殺して、科学的社会主義を「機械論的、経済主義的、生産力主義的」と歪曲したうえで、科学的社会主義が、生産力の発展をただ必然的な「歴史の進歩」とだけみて、「悲惨な現世がやがて到達する未来の楽園の名のもとに、生身の同時代の人びとを、《進歩という神》の犠牲になる単なる燃料として考える」(『奇跡』、二六五ページ)と非難している。

しかし、生産力が発展すれば自動的に革命が起こると主張するのは史的唯物論の立場ではない。すでにレーニンの命題にそくして明らかにしたように、革命は客観的な条件とともに、労働者階級と人民の主体的な努力なしにはおこりえない。科学的社会主義と史的唯物論は、その労働者階級と人民のたたかいに理論的基礎をあたえ、その客観的な発展の方向を明らかにするものである。これにたいし、生産力による規定を否定するレギュラシオン学派の立場は、結局、客観的な社会発展の方向を明らかにすることを不可能にするものだといわざるをえない。

2 マルクスの価値理論の放棄

つぎに、レギュラシオン学派がマルクスの価値理論をどうみているか、検討したい。

ボワイエは、「レギュラシオニストが扱う諸問題に対して、価値論の問題はどうかかわるのか、あまり判然としない」ことにたいして、「資本主義においては、商品関係と賃労働関係の結合が、……生産価格に相当するものを市場価格動向のレギュレーター〔調節器〕とするということを認めれば、それで十分なのである。いくつかの仮定をおけば、客観的価値論・主観的価値論・対称的価値論は同一の結論に到達する」(『理論』、六〇ページ)と答えている。これは、どういうことであろうか。

マルクスの生産価格論の根本は、それが市場における需給関係で決定される「市場価格動向のレギュレーター」であるかどうか、という問題にとどまるものではない。

マルクスは、商品の価値は抽象的人間労働の対象化されたもので、その大きさはその商品に投下された社会的必要労働時間によってきまることを明らかにした。そして労働者の労働は、生産過程において、労働者とその家族の生活などに必要な費用として賃金のかたちで支払われる労働力の価値と、これをこえる新たな価値を生産物につけくわえる。この労働力の価値をこえる価値が剰余価値であり、不払い労働として資本家の利潤の源泉となる。これによって、はじめて資本家の搾取の秘密が明らかにされたのである。

ところが、現実の商品の価格(生産価格)は、資本家にとっての費用価格に一定の利潤をくわえたもののようにみえて、かならずしも、社会的必要労働時間によって決定されているようにみえない。これにたいし、マルクスは、生産価格をいっかんして価値法則から説明し、社会全体をとってみれば商品の生産価格の総額とその価値の総量とは一致するというところに価値法則がつらぬいていることを明らかにした。すなわち、各生産部門の資本家たちは、自分自身の生産部門で生産された剰余価値をそのまま受け取るのではなく、すべての生産部門の全労働者から搾取した総剰余価値から、各部門の資本家が投下した資本額の大きさにおうじて一定の比率で分配される利潤(平均利潤)をうけとる。これが生産価格である。そしてマルクスは、生産価格が、階級としての資本家全体が階級としての労働者全体を搾取している関係をしめすものであることを指摘した。

このように、マルクスは、生産価格を分析して、分配の場面では覆い隠されている資本家階級の搾取関係を明らかにしたのである。

これにたいして、「主観的価値論」とは、商品の価値はその消費者があらたにその商品一単位を消費するばあいに主観的にもつ欲望充足の度合い(効用)によってきまるとする理論である。しかし、社会的な現象である商品の価値を個人の主観的評価から説明することはできないことは明白である。

したがって、結局、主観的価値論は、価値がなんであるかは問題にできず、現実の研究では価値論を切り捨ててしまい、たんに「価格」は需要と供給によってきまるというだけにとどまる。すなわち、諸商品の量的関係だけを問題にして、経済現象の動きを記述するだけである。

この「主観的価値論」とマルクスの生産価格論が同一だというのは、結局、ボワイエ自身が、価格という表面的現象をあたえられたものとして受け取って、それを分析することなく、そのうわべだけをあれこれ問題にしていることをしめしている。レギュラシオン学派が、資本主義的搾取をとらえられないのも、そのためである。

また、マルクスは、貨幣がたんなる流通の便宜のための媒介手段ではなく、それ自体価値をもつ特殊な商品であること、商品交換のなかから諸商品の価値尺度のはたらきをする特別な商品、一般的等価物としての貨幣が必然的に生じることを明らかにした。ところが、レギュラシオン学派は、貨幣を「取引主体を関係づける一形態」、たんなる流通の媒介手段とだけみなして、「貨幣はある特殊な商品なのではな」いとしている(『理論』、七八〜七九ページ)。ここにも、彼らが経済現象の表面にとどまっていて、その本質を分析しない非科学的態度が反映している。

マルクスは、労働価値論、貨幣論の正しい分析を前提として剰余価値の理論を発見し、資本主義的搾取の秘密を明らかにした。エンゲルスは、「等しい価値がつねに等しい価値と交換されることを前提してさえ、つねに買いいれたよりも高く売るということが、どうして可能なのだろうか? この問題を解決したことが、マルクスの著作の最も画期的な功績である」と指摘している(『反デューリング論』、全集第二〇巻二一〇ページ)。しかし、マルクスの労働価値論、貨幣論を歪曲するレギュラシオン学派が、剰余価値を正しく理解することが不可能なのはいうまでもない。彼らは、マルクスにしたがって「剰余価値」という言葉は使っているが、剰余価値とはなにかという根本問題をまったくあいまいにしているのである。

このようにレギュラシオン学派は、「生産様式」や「生産関係」、「剰余価値」など、マルクスの言葉を使っていても、その内容はまったくマルクスとは異なっており、科学的社会主義理論の基本を否定している。彼らが資本主義の基本矛盾をみることができず、また資本−賃労働関係の敵対性を理解しなかったのも、じつは、根本において彼らが科学的社会主義理論を否定しているからにほかならないのである。

3 客観的科学的認識を否定する方法論上の誤り

これまで明らかにしたような誤りにおちいる背景をさらに検討するならば、およそ社会発展の法則一般を認めず、社会の合法則的客観的認識そのものを不可能とみなすレギュラシオン学派の方法論上の誤った立場があることがわかる。

リピエッツは、資本主義は「現実の潜在因に照応するもの」ではなく、「こうした名称は概念でしかないのであって、ちょうど洞窟のなかで懐中電灯を利用するように、現実の一定の側面を研究するのに役立つにすぎない」とのべ、さらに「概念を指す名称の選択について極言すれば、それは趣味の問題です」とまで言い切っている。そして、「フォード主義」という概念も、ある国の「経済的現実の全体を示している」のではなく、それを「部分的に把握できるようになる」だけだと説明している(『奇跡』、「日本語版への序文」v〜xページ)。

リピエッツは、さらに、「蓄積体制とレギュラシオン様式はともに、人間の闘争の歴史における思わざる発見である」(『奇跡』、二七ページ)と指摘して、「『資本主義がうまく機能するとすれば、それはそのように設計されていたからである』とか、あるいはレギュラシオン様式の機能は蓄積体制を円滑に作用させることだとか、さらに社会保障制度は大量生産の規則的な進展の『ために』創設された、などと考える」のは「機能主義」「目的至上主義」であるとくりかえし批判している(同二八ページ)。ボワイエも、「『体制がその延命をはかるために、ケインズ国家やフォード主義的賃労働関係を必要としたのだ、云々』といった式の、あらゆる目的論的解釈を警戒しなければならない」と、いっている(『理論』、九四ページ)。さらに、科学的社会主義理論そのものを「目的論」であるとして批判している(同一八七ページ)。

これらは、要するに、現実は必然的、合法則的に生まれたものではない、したがってそれを客観的、合法則的に認識することはできない、という主張にいきつくものである。そこから、現実の一部を取り出してこれをモデル化した「概念」をつくり、それを比較することによってしか現実は把握できない、という彼らの考え方がでてくる。

しかし、このような「モデル化」によっては、現実のどのような側面をとりだすのか、なぜこちらの側面や要素をとりだして、別の側面や要素をとりださないのかは、科学的に根拠づけられない。

科学的な概念は、あたえられた現実のなかから、その非本質的な要素、副次的な側面を捨象することによって、本質的な要素、基本的な側面をとりだして認識に反映させたものである。したがって、そうやって得られた概念はいくら抽象的なものであっても、やはり客観的実在の反映にほかならない。また現実の資本主義には、マルクスの明らかにした資本主義の普遍的法則が、さまざまな特殊性をまといながらつらぬいているのであり、だからこそ、われわれはそれを合法則的に認識しうるのである。

レギュラシオン理論の「機能主義」「目的至上主義」批判は、その非科学的立場を科学的にみせかけながら、現実の客観的合法則的認識を否定する議論にほかならない。

一般に、「機能主義」とは、事物の実体を明らかにせず、諸現象のあいだの関係だけをみる考え方のことで、とくに社会学では「社会的諸部分の活動ないし作用を、より上位の社会的全体の目的を達成しもしくはその必要性をみたすはたらきという視角からとらえ、社会的全体とのかかわりにおいて評価し解釈する方法論的アプローチ」をいう(『平凡社大百科事典』)が、その場合、「社会的全体の目的、必要性」は観察者が一定の意図のもとに現実にもちこむものである。したがって、どちらの意味においても客観的実在を否定する主観的観念論の一種にほかならない(注)。また「目的至上主義」、あるいは一般に「目的論」とは、自然や社会がなにか特定の目的を実現するために生じたとする考え方のことで、人間の目的意識的な行動の仕方を自然や社会にあてはめるところから生まれた観念論である。

(注) 河村望「構造・機能分析と弁証法」(河村望・宇津栄祐著『現代社会学と社会的現実』、青木書店、一九七一年、第五章)参照。

たしかに、あらゆる社会諸関係が諸個人の合目的的行為によって形成されたとすることは誤りである。なぜなら、経済的土台は個々の人間の意思から独立して成立する社会関係であるし、そうした経済的土台に規定されて成立する上部構造的諸制度は、人びとの意識を媒介とした社会関係ではあるが、だからといってだれかの手によって自由につくりだされるものではないからである。しかし同時に、大局的にみるならば、資本主義的生産関係に規定されて、それに適合的な法律的政治的上部構造が生みだされることは法則的なものである。だからこそ、個人の行為を特定の階級の行動に還元することが可能なのである。また、資本主義が生産の社会化をおしすすめて社会主義の物質的条件を生みだすとともに、革命の主体的条件も準備して、社会主義へ移行することも、資本主義の内在的法則にもとづいたものである。

このような社会発展の客観的法則や、資本主義から社会主義への移行の必然性を明らかにすることは、「機能主義」でも「目的論的解釈」でもない。ところが、レギュラシオン学派は「機能主義」「目的論的解釈」を否定することで、社会発展の客観的法則そのもの、資本主義から社会主義への移行の必然性そのものを否定してしまったのである。ここから、あらゆる制度を「妥協」の産物、「思わざる発見」とみて、資本主義の階級的敵対性を否定するレギュラシオン学派の基本的な誤りも生まれているのである。

以上、レギュラシオン理論の基本的な内容を紹介して、その誤りを批判してきた。彼らは、マルクス経済理論の伝統に立つものと自称している。しかし、同時にブルジョア経済学のなかのカレツキーや制度学派などの潮流との親近性も認めている(『理論』、四〇、一五四ページ)ことからもわかるように、レギュラシオン理論は、むしろブルジョア経済学の理論的系譜に属するものといわなければならない。そして、そのブルジョア的性格は、彼ら自身がみずからの研究の目的を「正統派マルクス主義の批判から出発し、この批判をケインズ的マクロ経済学の伝統と結びつけつつ、……ある場合には、現在の難局を克服する諸方策についての助言を提供する」(『理論』、一三ページ)とのべているところからも明白である。

今日、日本と世界の独占資本主義諸国は、一方で、その「資本主義の維持と延命、西側軍事同盟の体制強化をはかる措置をたくみにこうじつつある」(日本共産党第十七回大会決議)が、同時に、アメリカの「双子の赤字」と債務国への転落、日米欧など経済「摩擦」の拡大、発展途上諸国の累積債務の深刻化など、資本主義経済の諸矛盾がさまざまな形をとってあらわれている。

こうした諸矛盾の深まりそのものが、マルクスの言葉を使っていることとあいまって、資本主義の「危機」を前面にかかげるレギュラシオン理論を革新的な立場にたつ経済理論であるかのように受け止めさせているといえる。しかし、レギュラシオン学派の立場からは、結局、資本主義の諸矛盾の真の原因を分析して、その打開をめざす労働者と国民のたたかいの方向をさししめすことは不可能である。

(おわり)

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