(2005年12月)
新書一冊で、戦後60年をふりかえろうという意欲作。歴史学に限らず膨大な研究蓄積のある分野だが、戦後の基本的枠組みの成立(〜60年)、定着(〜73年)、「ゆらぎ」(〜90年)、「終焉」(90年〜)の四時期に分け、政治・経済だけでなく文化・思想も視野に入れて、それぞれの時期の特徴を浮かび上がらせている。著者の体験を織り込みながら叙述を進める方法が成功している。
最終章で、9・11事件いらい「新しい戦争」の時代との認識にたち、自衛隊海外派兵、憲法改正への動きを対米従属を深めるものと批判。本当の意味で「戦後が終わる」ためには、日本の対米従属的な位置の転換と、アジアにたいする過去の清算が不可欠であると指摘する。「貫戦史」として戦後史をとらえるという意味が、そこに生かされていると思った。
(岩波新書、本体882円)
(2005年11月)
本書は、沖縄返還までのアメリカの沖縄占領政策の展開を、<1>アメリカのアジア政策の転換と対沖縄占領政策の確立(1945〜51年)、<2>冷戦体制の確立と対沖縄政策への波及(52〜57年)、<3>冷戦戦略の修正にともなう沖縄占領政策の軌道修正(58〜64年)、<4>沖縄「返還」政策の確定と住民闘争の高揚と祖国復帰(65〜72年)の4時期に分けて考察したものです。
そのなかで、アメリカの労働運動への介入などにも目を向けながら、50年代の軍用地接収に反対する「島ぐるみ」の闘争や、60年代の祖国復帰運動など沖縄住民の主体的な運動が、アメリカの沖縄占領政策にどのように影響を与えていったかを追究したところに本書の特色があります。
(みずのわ出版、本体2200円)
(2005年11月)
本書は、昨年1月に亡くなった著者が最後まで完成をめざしていた遺著である。第一部は、教科書を執筆したことのある著者が義務教育でこれぐらいは身につけてほしいと願った江戸時代の歴史を通史的に叙述。それを前提に、第二部では、なぜ日本の幕末には、中国の太平天国の乱や朝鮮の東学・甲午農民戦争のような、大規模な農民反乱が起こらなかったのか、幕末の騒動や一揆の体制変革的な闘争への発展がなぜ「可能性」にとどまったのかが、「兵農分離」にさかのぼって検討されている。第三部においても、家族史、技術史、国家史など多様な側面から「江戸時代」の体制的な特徴が検討される。
平易な文章のなかから、大きな視野で、戦後の日本近世史研究をリードしてきた著者ならではの「時代論」としての江戸時代像が浮かび上がってくる。
(吉川弘文館 本体3000円)
(2005年11月)
1931年、「満州事変」の年に生まれた著者が、自分を軍国少国民に育てたものは何かを知りたいと、長年にわたって当時の文献や資料を集め、それを通して、あの戦争が何であったのか、なぜ日本という国が戦争を開始したのか、なぜ中国やアメリカ、イギリスと戦争をするにいたったのかを考えた一冊です。
満州事変や盧溝橋事件など、歴史の節目となる重大な事件のところでは、1943年の国民学校教科書『初等科国史』を引いて、当時、それがどう描かれていたかを紹介。それと対比するように、実際の歴史がどうなっていたかが明らかにされています。辛亥革命と中華民国統一の経過、中国の幣制改革などの経済の動きも詳しく取り上げられ、日本が中国、イギリス、アメリカなどとの国際関係のなかで、「なぜ紛争を平和的に解決できなかったのか」が浮き彫りになります。
600ページを超える大著ですが、資料も豊富に紹介されており、侵略戦争の歴史をこれから勉強したいという人にはお薦めの一冊です。
(岩波書店 本体4000円)
(2005年10月)
第2次世界大戦後、東京裁判(「極東国際軍事裁判」)とは別に、「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」を裁いた戦犯裁判が米、英、オランダ、フランス、オーストラリア、中国、フィリピンによっておこなわれ、約5700人が裁かれました。これが「BC級戦犯裁判」です。
本書は、各国の裁判資料から、これら裁判がどのように準備され、どのようにすすめられたかを具体的に検証したものです。死刑判決が再審で減刑されたケースもあったこと、起訴された者の2割近くが無罪となったこと、起訴された下級の兵の割合は低く、2等兵で死刑となった者はいないことなどを明らかにし、いろいろ問題があったものの、一方的な報復裁判でなかったことを実証しています。
著者は、戦争犯罪を裁判によって裁いたことの意義を強調するとともに、裁かれなかった戦争犯罪も多数あったことを忘れてはならないと指摘します。
侵略戦争の歴史にむきあい、加害の事実をどう受け止めるのか、あらためて深く考えさせてくれます。
(岩波新書 本体740円)
(2005年9月)
本書は、戦後の靖国神社の「平和主義」の可能性を探ったものである。戦後、靖国神社は、非軍国主義化と民主化(政教分離)という2つの制度変革を迫られる。それは、戦前の靖国神社を支えた軍国主義的な国民意識や国家神道的な伝統の変化と重なって、ある時期、靖国独自の「平和主義」を摸索する動きを生み出す。しかし、その可能性は、靖国神社が国家主義の伝統から脱け出せなかったために実現せず、A級戦犯の合祀によって最終的に放棄される。
本書は、社報『靖国』を丹念に読み込むことによって、このような靖国神社の「平和主義」をめぐる動きを初めて明らかにした貴重な成果である。さらに著者は、靖国の「平和主義」をめぐる対抗は戦争犠牲者の「追悼」か「顕彰」かという対立でもあることを指摘し、日本国民の戦争観・平和観の問題に新たな角度から迫っている。
(2005年7月)
「主権者として」憲法を学ぶという立場から、改憲論の問題点を指摘しながら、9条をはじめとした日本国憲法の先駆的な内容を分かりやすく説き明かしています。
世界と日本の歴史的な流れをおさえながらすすむので、日本国憲法の意義がよく分かるのが特徴です。近代的憲法とは何かから始まり、社会権を含めた人権と平和の保障をめぐる世界的な憲法状況をふまえて、日本国憲法がどのように生まれ、育ってきたかを解明。また、国民主権の角度から、国民代表と選挙制度、議会制民主主義と議院内閣制、象徴天皇、司法制度、地方自治などをとりあげてゆきます。
9条について、政府解釈の変遷から、2項の戦力保持禁止と交戦権否定が自衛隊海外派兵の「歯止め」の役割を果たしてきたことを跡づけ、だからこそ90年代以降の改憲動向が、そこに焦点を当ててきたことが解明されています。
日本国憲法の精神を深いところから学びたい人にお薦めの一冊です。
(大月書店 本体1800円)
(2005年6月)
最近、女性天皇を認めるかどうかがクローズアップされていますが、本書は憲法学の第一人者による皇位継承問題の本格的研究です。
そもそも明治期に「男系男子」に決められたとき、それは庶出(妾腹の出生)の容認と一体のものでした。ところが、戦後、それを嫡出(正妻の出生)に限定したところに制度的な矛盾があったというのです。もちろん、庶出を容認せよというのではありません。「男子に限るのは女性差別だ」というだけでは憲法論として不十分であり、象徴天皇という制度そのものの不平等さを問題にすべきと言います。その上で、天皇の自発的な退位を認めないのは「致命的な違憲性」をもつとも指摘。
「伝統」か「皇位の安定的な継承」かの二者択一でなく、象徴天皇への憲法学的な問いかけとして貴重な研究です。
(2005年6月)
今年〔2005年〕2月の衆院予算委員会で、日本共産党の志位委員長は、企業利益が伸びても家計は苦しくなるばかりだという日本経済の現状を指摘して、小泉首相の負担増路線を厳しく批判しました。著者の関心も、同じところにあります。
著者は、97年の橋本内閣「9兆円負担増」によって、本当は景気の上昇期だったにもかかわらず、“意図せざる景気後退”がおこったと指摘。そして、それ以来「家計部門の需要が一度として低迷を脱しえなかった」こと、そこに「景気構造の変化」があることを明らかにします。小泉「構造改革」によって、企業収益が増加しても家計所得は増加しなくなり、景気の自律的拡張のメカニズムが破壊されたというのです。
第3章までの前半では、景気とは何か、景気変動がなぜ起こるかなどをふりかえっています。理論的な話も登場して少し難しいかも知れませんが、この部分が、あとで、日本の景気の動き方が変わったのではないか、という問題にせまるとき、私たちの理解を助けてくれます。
(岩波新書 定価735円)
(2005年3月)
日米地位協定は、安保条約にもとづいて、米軍の日本駐留にかんする法的関係を取り決めたもの。1960年、現行安保条約と同時に結ばれました。米軍には日本の法律の適用せず、基地にたいする「排他的管理権」を認めるなど、さまざまな「特権」を定めています。
2004年1月、沖縄の「琉球新報」は、地位協定にかんする外務省の機密文書『日米地位協定の考え方』を入手。基地被害の実態と照らし合わせながら、日本国民の安全や権利より米軍の便宜をはかるために汲々とする外務省の姿勢を、半年間にわたって検証しました。本書は、その連載をまとめたものですが、米軍が有害物質を垂れ流しても調査に立ち入ることさえできない、超低空での飛行訓練はやり放題など、「異常な国家的な対米従属」の実態が浮かび上がってきます。なお機密文書の全文は、同じ出版社から『外務省機密文書 日米地位協定の考え方・増補版』として刊行されています。
(高文研 本体1800円)
(2005年2月)
著者は、国連大使やOECD事務次長を務めた元外交官。ASEANを中心とした地域統合の動きをふまえ、東アジア共同体の必要性と可能性を展望しています。注目されるのは、そのなかで、日本のもたらしている障害として、「過去の侵略戦争と、それに纏わる歴史認識の相違」と、「いっかんしたアジア重視政策がなかった」日本外交を指摘。日中関係についても、反発の原因は「日本の政治家、とくに小泉首相の靖国神社参拝問題にある」「首相はなぜアジア太平洋戦争による日本の犠牲者のみならず、1000万人に及ぶアジアの犠牲者、他国の犠牲者に思いをいたさないのであろうか」とずばり批判しています。
終章では、「21世紀の日本を取り巻く国際環境は大きく変化しており、日本が日米安保体制に無批判にしがみついていることが、真の国益につながるのかは疑問である」とも。農業「自由化」など、議論を深めるべき論点もありますが、元外交官の指摘として傾聴に値する一冊です。
(岩波新書 本体780円)
1993年に24〜34歳だった女性1500人、97年に24〜27歳の女性500人を毎年追跡調査した結果から、長期不況のもとで、女性たちの働き方や暮らしがどうなったのかを分析しています。バブル崩壊後、正社員が減り非正規社員が増加している、正社員の中でも結婚・出産などで辞める比率が増加、貧困世帯が増えているなど、深刻な状況が明らかにされています。
片方の手は腰にあて、足は肩幅ぐらい開き、肩の力を抜いて、目線の角度は上60度に向けて、コブシをギュッと握ってまっすぐ上へ、天高く突き上げよう!
いまこんなポーズのイラストが描かれた本が書店に並んでいます。上大岡トメ『キッパリ! たった5分で自分を変える方法』(幻燈社)です。7月発売で、すでに55万部以上売れています。
あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけない、でもやる気がしない…。そんなとき、この「テンコブポーズ」(著者による命名)をやると、あら不思議、むらむらとやる気が出てきます。
紹介されているのは、身近なところから「自分を変える」60の方法。といっても「脱いだ靴は、そろえる」「今日出したものは、今日中にしまう」など、簡単なことばかり。「人と比べない」「一日10回『ありがとう』と言う」「『遅い』『今さら』『どうせ』は禁句にする」「自分からあいさつする」といった項目は、考え方や生き方を前向き≠ノ変える第一歩になりそうです。
考えてみたら、この「テンコブポーズ」、集会などでおなじみの団結ガンバロー!≠ニ同じポーズ。みんなの「テンコブポーズ」で、アメリカべったり、国民いじめの小泉政治を「キッパリ」変えようではありませんか。
(2004年6月)
ドイツというと、みなさんはどんなイメージをもつでしょうか。ナチスの侵略と残虐な戦争犯罪、それにたいする戦後の反省と謝罪。そこに日本との対比を見る人も多いでしょう。
第1次大戦末の革命によって帝政が倒され、ドイツでは、ワイマール憲法という当時もっとも先進的な憲法がつくられました。しかし、わずか14年でナチスの独裁と侵略にとってかわられました。なぜ人びとは、ナチスに1000万票を超える支持を与えてしまったのでしょうか。第2次大戦後も、ドイツは、主権回復後、ただちにNATOに加入し再軍備をすすめ、徴兵制を導入。他方で、戦争責任と戦争犯罪への反省と謝罪もすすめました。イラク戦争にたいしては、日本政府とは非常に対照的な態度をとりました。
著者は、ワイマール時代から戦後までをふり返りながら、歴史の恐ろしさとそれと真剣に向き合う大切さを明らかにしています。日本の過去・現在・未来にたいする著者の真摯な問いかけが伝わってきます。
(新日本出版社 本体2300円)
本書は、経済改革の動向を中心に中国の現状と発展方向を大きな視野で明らかにしています。著者は中国社会科学院・日本研究所の教授。日本語での書き下ろしです。
著者は、13億の人口をかかえる中国で経済発展は「譲れない最優先課題」としながら、いまや改革は「第2段階」にすすみつつあると指摘。経済改革にともなう貧富の格差の拡大や都市部で深刻化する失業問題、農業の立ち遅れなどにどう立ち向かうのかに論を進めています。その一部は、すでに昨年の党大会や今年の全人代から具体化されつつあります。末章「『平和台頭』を目指す」では、中国の外交政策の基本となる考え方が興味深く読めます。
中国の取り組みが、「市場経済を通じて社会主義へ」という新しい探求の1つとして注目されています。中国「脅威」論や「崩壊」論などにたいして、中国社会の発展方向を大きくとらえるうえで参考になると思います。
(2003年7月28日)
直木賞作家の桐野夏生が、1997年に渋谷でおきたOL殺人事件に取材して、小説を書いた――こう聞いたら、読まずにはいられません。でも、『グロテスク』(文藝春秋・1905円)は、事件の謎解きや真犯人を推理する訳ではありません。なぜ一流企業の総合職であった女性が夜の街でみずからの性を売るようになったのか――そのゆがみ≠解き明かそうと、作者がつくりあげたまがまがしいフィクションの世界です。
その虚構の世界は、殺されたOL佐藤和恵の同級生である「わたし」の語りや、和恵自身の日記など、それぞれの主観的な世界を重ね合わせることによって描かれています。冷たく淡々と事件を語る「わたし」にしても、実は、美形の妹に強いコンプレックスをもち、ようやく入学した名門女子高で、家柄などの厳然とした差別を体験し、他人の「悪意」をエネルギーに生きるようになった人物。和恵の日記からは、街娼へと身を落としながら、性を売ることによって自分を確かめようとする虚ろな心理が記されています。
作者自身、人物設定を思い切りエグくしたというとおり、「グロテスク」なストーリーでありながら、どこにでもありそうだと思わせる不気味さ。そこから、現代社会の“歪み”が浮かび上がってきます。
(2003年7月)
朝鮮総督府は、1910年に設立された日本の植民地支配の機構である。それが、日本帝国主義が敗北した1945年8月15日以降も存続した事実を、最近、李景a著『増補 朝鮮現代史の岐路』(平凡社、2003年)を読んではじめて知った(注)。
ソ連参戦とポツダム宣言受諾を知った総督府は、ソ連軍による占領を恐れ、敗戦の前日である8月14日に独立運動家・呂運亨(ヨ・ウニョン)に連絡をとっている。呂は、それをうけて、翌15日、「朝鮮建国準備委員会」(建準)を発足させた。建準は、たちまち朝鮮全土に広がり、治安や食糧の調達・流通など行政機関の役割を果たしていった。さらに、9月6日には全国人民代表者大会をひらき、「朝鮮人民共和国」樹立を決めている。8・15直後の朝鮮では、独立国家の実現をめざす自主的な動きが急速にすすんでいた。
ところが、8月22日、総督府は、38度線以南への米軍進駐を知り、態度を一変させ、支配維持をはかった。9月8日、仁川に上陸した米軍も、旧総督府の機構を通じた軍政の実施を宣言した。
姜尚中氏は、近著『日朝関係の克服』(集英社新書)を、この歴史をふり返るところから書き始め、南北分断と内戦による悲劇を経験した朝鮮と、朝鮮戦争の「特需」で復興した日本という「敗戦国と解放国との明暗」の「逆転」を指摘する。姜氏は、こうした歴史を忘れた(あるいは無視した)まま、北朝鮮バッシングに走る日本の一部論調に厳しい批判を向けている。
(補注) 日本の歴史学界では、90年代半ばからこのことは知られていた。たとえば角川書店『日本史辞典』新版(1996年)には、すでに「日本の敗戦にもかかわらず、'45(昭和20)10月まで総督府はその機構を維持した」と書かれている。また、中塚明『近代日本と朝鮮〈第3版〉』(三省堂、1994年)にも、そのことは書かれている。最近になって知ったのは、あくまで私の不勉強のせいであることを記しておきたい。
また、ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』(邦訳1989年)は、朝鮮戦争の起源を、この解放直後の動きから書き起こしている。
本書は、1995年の「戦後50年国会決議」をめぐる動きを論じた第1部をふまえながら、「三光作戦」(1937〜45年)における日本軍の戦争犯罪、とくに性犯罪の実態を研究した第2部と、南京大虐殺事件(1937年)をめぐる国際シンポジウムとそのやり取りなどを紹介した第3部からなっています。
三光作戦は、1957年に刊行された元兵士の手記『三光』(光文社)などでその名前は早くから知られてきましたが、第2部では、その実態と全体像が、中国側の最近の研究と従軍した日本兵の証言とを突き合わせることによって、より詳細に明らかにされています。また第3部は、南京事件が国際的にどのように研究されてきたか、また事件そのものがどのように受け止められているかがわかる貴重な紹介ですが、それだけでなく、自民党などの一部議員や「新しい歴史教科書をつくる会」など右翼的勢力による南京事件「否定」論がいかに国際的に通用しないものであるかがいっそう鮮明になっています。
とかく政治的な取り上げられ方をする日本の戦争犯罪と戦争責任について、平和な21世紀を築く人類の共通課題として受け止めようという筆者の主張が伝わってきます。
(大月書店 本体3200円)
「新しい歴史教科書をつくる会」教科書の検定合格で、あらためて侵略戦争の歴史にたいする日本政府の姿勢が問われている。同会は、あたかも、南京大虐殺(1937年)が実際に起こったかどうか、いまだに論争が続いているかのように主張しているが、本書の前書きで、編集協力者の吉田裕氏(一橋大学)が紹介しているように、すでに事件にかんする広範囲な資料が発掘され、実態や背景が詳しく解明されている。最近でも、南京安全区国際委員会の責任者ジョン・ラーベやミニー・ヴォートリンの日記が刊行され、事件の最中に南京にとどまって被害をつぶさに実見し、難民の救済にあたった“同時的”な記録が大きな衝撃をよんだ。
本書は、南京にとどまったドイツ大使館員らが、本国や上海、漢口の大使館・参事官宛に送った公式記録の翻訳資料集である。当時、ドイツはすでにヒトラー政権下であり、日独防共協定も締結(1936年11月)されていたが、ドイツは中国(中華民国)に軍事顧問団を送るなど、中国とも親密な関係を保っていた。いずれにせよ、本書におさめられた資料は、公式の外交資料であり、そこには見聞し、確実とみなされた事実にもとづき、控えめな表現ながら、南京城内とその周辺地域における日本軍の暴虐、略奪、殺戮のさまが明らかにされている。事件の当初から、日本の軍と政府が、諸外国にむけて事件を隠蔽しようとする姑息な宣伝工作をおこなっていたことまで記録されている。南京城内での略奪・放火・強姦などの被害が、日本軍の入城後に起こったことがはっきりと記録されている(一部は、翌年3月ごろになってふたたび起こっている)。
本書には、南京事件の研究者として知られる笠原十九司氏のていねいな資料解説と、ドイツ外交史研究者の田嶋信雄氏による1930年代の独中関係についての解説が付されており、本書資料を読み解くのに役立つものとなっている。
日本企業の本格的な多国籍企業化とともに、「リストラ」による雇用不安と「規制緩和」の名による労働者の権利への攻撃が強められている。本書は、そうした動きを「企業社会の再編成」と位置づけ、そのもとで生みだされる新たな矛盾を明らかにしようとしている。
第1部は、「規制緩和」と「雇用流動化」が労働者の標準的な生活スタイルを動揺させ、「企業社会体制」への「統合の危機」をもたらすと指摘する。第2部は、財界がねらう「年功賃金」など「日本的労使関係」の再編を検討。第3部は、日本の階級構成と労働者の状態変化を統計的に解明、第4部は「企業社会」のもとでの学歴競争の激化と教育再編の動きをとりあげている。
しかしながら、鍵となる「コア労働者」という概念の使われ方が必ずしも明確でない。また、問題を主として「企業社会への統合」の面からとりあげているため、それとのたたかいの側面が十分見えてこない。そうしたことを含め、本書の論点についていっそうの議論の発展を期待したい。(大月書店、2800円)