日刊ゲンダイが、「日本で確実に進行中 階級社会の恐怖」という記事を載せています。
その中で紹介されている経済開発協力機構(OECD)のリポートは、これ。→“Income Distribution and Poverty in OECD Countries in the Second Half of the 1990s”(Michael Förster and Marco Mira d’Ercole, 18-Feb-2005)(pdfファイルがひらきます)
このリポートでは、国際比較でよく使われる基準、つまり可処分所得の中央値の50%以下の所得しかない人の割合を「貧困率」として、OECD27カ国の数値を計算。OECD平均は10.4%で、日本は15.3%。メキシコ(20.3%)、アメリカ(17.1%)、トルコ(15.9%)、アイルランド(15.4%)に次ぐ第5位。反対に、最も低いのはデンマーク4.3%、チェコ4.3%、スウェーデン5.3%、ルクセンブルク5.5%など。(数値は、1999年もしくは2000年、国によっては2001年などの値の場合もある) 日本は、90年代後半に、貧困率が1.6ポイント拡大したとも指摘されています。OECD全体では平均で0.5ポイント拡大だから、日本は、貧困率が高いだけでなく、貧困率拡大の割合も大きいということです。
OECD資料で興味深いのは、年齢別の貧困率も出しているところ。 それを見ると、日本は若年層と高齢者で貧困率がぐっと高くなっています。
ちなみに日刊ゲンダイの記事は、落ちこぼれたくなかったら、親は無理やりでも子どもを勉強させるべきだという結論になっています。教育に熱を入れること自体は悪いことではありませんが、ネオ階級社会をもたらしている小泉「構造改革」そのものをやめさせ、日本の政治の方向を大もとから切り替えることが一番大事だと思います。
日本で確実に進行中 階級社会の恐怖
ひとたび貧乏になったら、その子供はもちろん子々孫々まで貧乏から抜け出せない――日本は今、そんな「階級社会」に突入しようとしている。本屋に行けば「不平等社会日本」「日本の不平等」「しのびよるネオ階級社会」といったタイトルの本が並んでいる。「昔から貧富の差はあったし、オレはそこそこの収入がある“中流”だから大丈夫」なんてタカをくくっていると大変なことになるぞ。
前述の「しのびよるネオ階級社会」の著者で、階級社会が今も続く英国で長くジャーナリストをしていた作家の林信吾氏がこう言う。
「日本でも成果主義の導入で親世代の収入格差が拡大し、それが子供世代の教育格差につながり、その格差が世代を超えて固定化しつつある。言い換えれば、特定の階層が“おいしい仕事”を世襲的に独占する社会になりつつあるのです」
かつて士農工商や自作農・小作農といった“階級”があったが、平等とされてきたサラリーマンの間で「ネオ階級社会」が形成されつつあるというのだ。
確かにそれを裏付ける統計がある。昨年末に発表された経済開発協力機構のリポートによると、日本では1世帯あたりの平均所得(476万円)の半分以下しか稼げない貧困世帯が15%を超え、この10年で2倍近くに膨らんだという。日本の貧困率はメキシコ、アメリカ、トルコ、アイルランドに次いで5位。
一方、国税庁の調査では年収2000万円以上のサラリーマンは10年間で2万人も増えた。所得格差は確実に広がっているのだ。
こうした所得格差を世代を超えて固定化させるのが「教育格差」だ。
「これからの日本企業が求める人材は(1)経済のグローバル化に対応できる少数エリート(2)専門分野に通じたスペシャリスト(3)低賃金で雇える多くの労働者の3種類です。文部科学省が打ち出した公立学校の“ゆとり教育”を見ると、国はそんな企業のニーズに応えるために少数の“優秀な人材”と大勢の“元気のいいバカ”を作り出そうとしているとしか思えません」(林信吾氏=前出)
公立学校でトップクラスの生徒が受験のために予備校や塾に行くと、偏差値は30台、40台でしかない現実がある。
「都会の金持ち層の子供は有名大学進学に有利な中高一貫校を目指す傾向にあります。社会に出て高収入を稼げる有名大出身者の多くは富裕層の子供が占めることになる。実際、東大合格者の7?8割の親が年収1000万円以上というデータもあります」(大手予備校関係者)
かつてはたとえ貧乏人の子供でも、公立学校で刻苦勉励すればいい大学に進んで立身出世も望めた。だが、これからの日本では、私立に通える裕福な家庭の子供でなければロクな大学に入れないというのだ。
だとすると、親としていま何をすべきなのか。
「私立に通わせるカネがなければ、子供の尻をたたいてでもシッカリ勉強させることです。特にコンピューターと語学はエリート階級に入るのに必須です」(林信吾氏=前出)
奥さんをパートに出してでも塾に通わせるか、あなたが平日の夜や土日に勉強を見てやるか。子供の自主性に任せるなんてのんびり構えている場合ではない。子供がフリーターやニートになったら、即おしまいだ。【2005年8月30日掲載記事】[gendai.net 2005年9月2日10時0分 ]
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はじめまして。CYBER FRENCH CAFE というブログの管理人です。このエントリーにリンクを張らせていただきました。TBも試みたのですがうまくいきませんでした。よろしくお願いします。
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私の印象では日本には貧困は存在しないと思っていました。日本の貧困率がそこまで高いとは知りませんでした。私が見た中ではアメリカのようなゲットーというのは日本にはありませんでしたから。ロサンゼルスに住んでいますと貧困は至る所で目にします。見た目からぼろぼろのグラフィティーに塗れたアパートに住んでいたりとどこが貧困地区かそうでないのか一目で分かります。本当に悲惨な生活を送っています。
アメリカの教育システムはひどいですね。金持ちを除いてマジョリティーは公立のゆとり教育しか受けられませんし。ゆとり教育の中でも高校生の30%が卒業できないと言う状況です。たとえバークレーのようなエリート大学を卒業していても低賃金で生活している友人もいますし、未来がまったく保障されてないわけですから。それに社長の給料は私たち正社員の百倍以上ももらっていますし、不公平過ぎます。国民健康保険すらアメリカにはないですし、貧困の人は医療が受けられない状態です。新しくドイツの首相になったメルケルも小泉もこのような不公平な社会をモデルにして改革を断行しょうとしているのですから、困ってしまいます。所得格差をできるだけ小さくすることが最善の経済政策ではないかと私は思っています。
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Well, you can blame Koizumi for anything. But can you come up with any better ideas than the economic policy of Koizumi government? Moreover, I think you have refered to the powerty proportion to the population collected by OECD. The link is here. http://ratio.sakura.ne.jp/images/2005/09/02111956.php
I would recommend you to look at the date that the data is collected. So many anti-koizumists refer to that OECD data to blame Koizumi, but again, please refer to the date that the data is collected. The data is collected in 2000….when Koizumi just became the Prime Minister of Japam…. Does this data reflect the effect of Koizumi’s economic policy? Dose it?? I do not think so. In addition, the person who wrote the blog in this link refers to Nikkan Gendai, which is renowned for its bullshit. Since when Nikkan Gendai is trustworthy media??? See Nikkan Gendai intentionally hide the date of the data of OECD. Nikkan Gendai’s publication can not be academically trusted. Well, here is my opinion. And I hope knowledgeable person like you is not going be instigated by some blogs who may be up to “something.”
toshさんへ
私は、OECDのデータが、小泉政権の時期に日本の所得格差が拡大したことを示しているとは、書いていない。OECDのデータが対象とする時期が90年代後半であることは、記事の本文にも書いてある。しかしだからといって、そのことは、小泉首相の「改革」路線が正しかったことを証明しない、小泉氏が首相になってからの時代に社会的格差が拡大しなかった、という証拠にもならない。
また、「日刊ゲンダイ」は確かにいわゆる「赤新聞」であるが、だからといって、「小泉改革によって日本の景気は良くなった」という無責任なエコノミストの迎合的発言が正しいということにもならない。「日刊ゲンダイ」が書こうがどうしようが、小泉「改革」が日本社会のなかで格差を拡大していることは、明白な事実である。それが否定できないからといって、「日刊ゲンダイ」を非難してみせるのは、卑劣なやり方である。
※だれか英訳して。(^^;)
英語しか使えないパソコン使ってたので、そのまま英語で書いただけです。日本語は読めます。Gakuさんの論調からすると、おそらく小泉首相の政策が間違っていた証拠もないと思います。実際、何を持って小泉首相の政策が間違っているのか正しいのか判断するのは、どの基準を選ぶかによって変わってきます。Gakuさんによれば格差が拡大してるから、小泉首相の政策は間違っている、との印象を受けます。そしてエコノミストはおそらくGDPや失業率等を使って経済的には小泉首相の政策は正しかったと証明したのだとおもいます。しかし、このOECDのデータが示してる当時、もし小泉首相の政策が起こっていなかったら、今のようなある程度持ち直した失業率になっていたでしょうか?今のように海外から投資が着たでしょうか?また日本の企業も日本に投資をしたでしょうか?今のように証券市場の活況があったでしょうか?あの当時は何もかもが悪化していた。そして、あの当時の状況が今の続いていたら、今のような改善もないまま、格差も広がっていたでしょう。(高い失業率ということは、仕事を持つ人と持たない人の格差が広がるということ)今のような投資もなかったでしょう。最後に、今のような一定レベルのGDP成長率もありえないかったでしょう。
そして、Gakuさんの格差についてです。私は日本の中で格差が広がって「いる」とおもいます。私は格差が広がっていないとはいってもいないし、思ってもいません。そして、私は格差が広がる、もっと正確に言うと極端すぎる日本の平等がなくなることは良いことだと思います。一時、Niigataの湯沢に仕事で行きましたが、たった50人足らずの村に一億円程度を使った豪華な郵便局はいらないと思います。そして、Gakuさんにとって社会的格差というのは何ですか?収入ですか?それとも成功へのチャンスですか?収入の格差がいやなら共産主義になればいい。そしてGakuさんもお分かりのとおり共産主義は失敗します。最低でも経済的な側面の共産主義は失敗します。また成功へのチャンスの格差・・・・たとえば新しい仕事を手に入れるための再教育のチャンス等のことですか?確かに国立の大学の授業費はあがっています。しかし、多額の上昇でもありません。しかも、今でも日本の国立の授業費(日本国民の場合)は、世界でも有数の福祉国家のカナダの(カナダ国民の場合)とどうレベルです。しかも日本のほうが所得税、消費税ははるかに安い。このような「チャンス(機会)の平等」への格差というのは小泉首相の政策だけが原因ですか?よく、年配でもまた大学に入って教育を受けられると、日本の方にいうと、「実際はそんなんじゃない」といってきます。でも、それは社会的な束縛であって、政策とはあまり関係ないのではないですか?これは日本人の「年配が大学に行くのはおかしい」という偏見等が問題なのではないですか?カナダでは、高校でも大学でもよく年配の方を見受けます。高校のときは、友人の母親が高校に通っていました。
それと、日刊げんだいに関してですが、彼らが批判する小泉首相の政策が格差を広げているの言う主題とまったく関係ないデータをだして、あるいみ、読者を扇動してるような印象を受けたので書いたまでです。卑劣だともまったく思いませんが、日刊げんだいを批判します。小泉首相の政策にたいして、学術的な批判でもあければ、代替案のある批判でもない。ただの感情的な批判です。社会的格差の拡大と政策の関連性のデータを何も示さないで、ほぼ無関係の資料で批判するのは、無価値です。感情的な批判だけで経済は回復しません。
また、無責任なエコノミストの件ですが、なぜ、どうエコノミストが無責任なのかは文面からは読み取れませんでした。ただ、ひとついえることは多数のエコノミストが現内閣の経済政策が結果的に日本の経済の回復に寄与しているとの意見を出しているのは確かです。また、日本の経済が良くなっているのかはかるなら、経済的なものさしで図るものです。つまり、エコノミストが経済政策が良い方向に働いてるといっている以上、小泉首相の政策は「経済」的に成功しているほうであると追う言うことです。付け加えると、経済のすべての側面を図るなんてことは無理です。家庭内で生産されているものの値打ちを図るなんて無理です。現在エコノミストが使ってる経済的物差しが現在存在する最高の「経済状況を図るものさし」なのです
toshさんへ
>英語しか使えないパソコン使ってたので、そのまま英語で書いただけです。日本語は読めます。
それは失礼いたしました。日本語が読めるのであれば、ぜひ私のブログの「コメントとトラックバックのルールについて」をご参照ください。そこに書いているとおり、コメント欄は私のコストによって維持されています。コメント欄での長文にわたる自説の開陳はご遠慮願っています。
私は、小泉改革のようなデフレ政策をとらなければ、日本はもっと早く景気回復したと思っています。ちまたには、この問題に関する文献はたくさん出ているし、私は、このブログで、そうした文献を紹介してきました。それらを見ていただければ、私の意見に賛成していただけるかどうかは別にしても、「感情的な批判だけ」でないことは理解していただけると思います。また、小泉改革に迎合するエコノミストの論評をなぜ私が無責任というのかも、理解していただけると思います。
もちろん、それでもなお、あなたがそうした意見は正しくないと思われるのは自由です。しかし、それを主張されるのであれば、それはぜひ、あなたが自分でコストを負担しておこなってください。そこにおいて、どのように自説を開陳されようとも、もちろんそれはあなたの自由です。
最後に、日刊ゲンダイの記事について一言。上の記事には、OECDのデータを小泉政権と結びつけて、小泉改革によって格差が拡大したとは書かれていません。日本は「階級社会」に突入しつつあるといっているだけです。小泉首相の名前はどこにも出てきません。日刊ゲンダイの記事が書いていないことを日刊ゲンダイの主張のように書いて、日刊ゲンダイを「主題とまったく関係ないデータをだして、あるいみ、読者を扇動してる」と批判される前に、まず日刊ゲンダイの記事を良く読まれることをお薦めします。
Toshさんがどういう方か存じませんが、どうやら海外事情に詳しい方のようなので、お伺いしますが、先進国で、サービス残業(すなわち、不払い賃金)を強いられたり、過労死するまで働かされたり、正規採用でなく派遣労働が30%を越したり、一生かかって自分の住む家も買えなかったり、60平米などというところに一家で住まざるを得なかったりする国があるでしょうか。あるとすればアメリカのゲットーだけではありませんか。このような人間らしい生活を営めなくなる傾向は、これからもますますひどくなって行きそうです(税金、医療費、教育費、などなど)。これが小泉や竹中の政策でなくてなんでしょうか。過去5年間にどこか改善したところがあったらぜひ教えてください。
ようさん、初めまして。
えっと、お気持ちは分かるのですが、私のブログのコメント欄で、コメントをつけた人と論争をするのはご勘弁ください。あくまで私のブログですので…。m(_’_)m
Gakuさま、サイト運用のルールの理解不十分でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。「勝ち組」の勝手な言い分にあまりに腹が立ってつい反論してしまいましたが、お許しください。
日本は資源もなく、人材だけが取り柄なので、資本家層は労働力の選り好みをします。すなわち、若年層で低賃金を好み、結果、能力給になるのでしょう。もともと、中流という幻想は、会社利益優先の社会主義的気風であっただけで、昔から厳然たる格差はありました。でも、松下さんや、石橋、本田さんは70%の所得税に文句も言わず、国民は、享受していたのを忘れていただけです。LDの堀江が、格差賛成と、NHKで言っていたのが、余程、保守層の検察を惑わせたのでしょう。これからも、winner take all,外資グローバル化こそが、格差の元凶です。
ピンバック: 脱下流日本! こちら自由労働組合です
「日本、貧困層の割合が最も高い国の1つ」OECD報告
相対的貧困率は米国に次ぐ2番目の高さになったそうです。
ピンバック: 原野辰三の斬り捨て御免
日本の貧困化がこれほど進んでいるとは。。。。
日本人社会は、アメリカのような多民族社会と違い、単一民族ですから、どこか日本人=家族、同族という意識があると思います。その単一民族社会で起きる格差社会というのははっきりとした形では現れないようです。南米、東南アジアように、スラムが形成されるわけではなく、ごく身近な、普通の街の一角で、ひっそりと貧困が広がり始めている。隠されているように感じます。例えば、海外では貧民街に住む子供と裕福な住宅地の子供とが一緒の学校、一緒の教室で勉強する、ということはありえません(日本でも私立学校に行かせる親が増えているので、そういう傾向も出てきているかもしれませんが、まだまだ一部でしょう)。しかし、確実に起こっている、という恐ろしさ、悲しさ、焦りを感じます。餓死、孤独死のような事件があると、特にそう思わざるを得ません。
日本には「優しさ」がだんだんなくなっていく社会になってきたような。。。安倍総理の「美しい国にっぽん」というのも何か空疎なむなしさを覚えます。人々の心がすさんでいく中で美しい国といわれてもピンと来ません。当方の少ない経験から言いますが、海外の貧困街に住む貧しい人々も悲惨ですが、何か開き直っているというか、精神的タフネスがあるように感じます。
しかし、日本での貧困というのは、表に出てこない分、非常に寂しさ、悲しさ、絶望さがひとしおのように思われてなりません。
ピンバック: 東京日和@元勤務医の日々