加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』

加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)吉田裕氏の『アジア・太平洋戦争』を先に読み終えて順序が逆になりましたが、岩波新書の「シリーズ日本近現代史<5>」の加藤陽子さんの『満州事変から日中戦争へ』を読み終えました。加藤さんは1960年生まれ、ということで僕より年下ですが、最近活躍の研究者です。

加藤さんが本書で追究したテーマの1つは、戦前の日本では中国が不法行為を働くから報償・復仇として武力を行使したのだと考えられていたとして、なぜ日本はそんなふうに考えるようになったのか、という問題。その中心は、いわゆる「満蒙の権益」なるもので、これが「国際的に認められたもの」であったにもかかわらず、中国がボイコットなど「不当に」侵害した、日本はそれを守るために仕方なく武力に及んだのだ、という議論です。

しかし、加藤さんは、日本の「満蒙特殊権益」がイギリスやアメリカから認められたことはなく、そのことは当時の日本の外交担当者、支配勢力も自覚していたことを明らかにされています。つまり、「満蒙特殊権益は国際法上認められていた」という主張は、実は、日本が戦争に向かうなかで「改変」された「記憶」だったということです。

旧ロシアから譲り受けたとする満鉄沿線への駐兵権なるものについても、旧ロシアが持っていたのは、中国側の警察権を排除する権利であって、駐兵権を持っていた訳ではなかったことも明らかにされています。当時の外務省では、不戦条約との関係で、「満蒙権益の擁護は、自衛権の学説上から無条件に正当だと説明できない」、「満蒙権益のために治安維持に当たる」という主張も「自衛権に関する通常の解釈では正当化できない」と理解していたことも指摘されています。これぐらい、「満蒙の権益」なるものの実態は怪しかったのです。

僕がこれまで勉強してきた歴史研究では、「満蒙権益」を主張したこと自体が日本の侵略の証拠だと考えられていましたが、どうやらそれにとどまらず、国際法上認められたものとは言いがたい「権益」を主張して「満州事変」にのめり込んでいった、というのが真実のようです。

他にも、本書を読んで初めて知ったことはたくさんあります。日本が中国東北部侵略に向かっていくときに、初めは利用しようとしていた張作霖を爆殺することになったのか。このあたりのねじれ具合は、いままでよく分からなかったのですが、本書ではその背景も詳しく明らかにされています。爆殺への関東軍関与をごまかそうとして辞職に追い込まれた田中義一首相が、実は、満鉄と張作霖を通じた権益確保をはかっていたのにたいし、それに不満を持った軍部が張作霖排除をはかったというのは、まさにへえ?です。

国際連盟脱退で有名な松岡洋右が、実は脱退反対論者だったというのも意外でした。もちろん、脱退反対論者というのは、「脱退しなくてもすむ」「脱退しなくてもすませる方法がある」という意味ですが。ほかにも、土肥原・秦徳順「協定」や梅津・何応欽「協定」(いずれも1935年)が、「協定」と言いつつも、実際は中国側が、日本側の要求をすべて受諾した旨を書いただけの文章を差し出しただけのもので、具体的な「協定文」など存在しない、というのも驚きです。そういう乱暴なやり方で、中国侵略を続けていたのです。

さらに、30年代の日本と中国の間でいろいろな外交交渉があったこと、その交渉を中国側で担った人たちが、必ずしも「漢奸」といったものではなく、それなりのリアルな外交的判断があったというのも、興味深い歴史です。

その意味で、加藤さんのこの本は、1930年代の「満州事変」から日中戦争へという歴史が、一路日本の帝国主義的侵略という単調な、一直線の過程ではなく、いろんな可能性、ふくらみをもった歴史だったことが具体的に描き出されていると思います。同時に、そうした可能性を実際に潰してきたのが、錦州爆撃や第一次上海事変という日本軍の軍事行動であったことが指摘されています。そういう風に読むと、日中全面戦争にたいする日本軍の責任が大きいということが、さらによく分かります。

このように、最近の研究の広がりと深まりを知ることができた本書ですが、しかし、30年代の歴史過程が含んでいたさまざまな可能性を示すことに分量が割かれた分、それらを突き破って侵略戦争にすすんでいった軍部の動き、立場、論理といったものの描き方が不十分になってしまったという印象を持ちました。とくに最後の第5章「日中戦争へ」で、1935年の中国の幣制改革を受けて、日本にとっても中国の経済的統一のメリットがあったと考えられたこと、さらに1937年4月の陸軍・海軍・外務・大蔵4大臣決定「対支実行策」が華北分離工作をいったん停止する措置だったとする評価を明らかにされていて、それは私にとって新鮮な指摘なのですが、ではなぜ、そこから、1937年7月の盧溝橋事件を経て、一転して日中全面戦争に突入していったのか、そこが解明されなければ、せっかくの歴史の可能性の解明も、ほんとうの意味で生きてこないように思います。

【書誌情報】
著者:加藤陽子/書名:満州事変から日中戦争へ シリーズ日本近現代史<5>/出版社:岩波書店(岩波新書 新赤版1046)/発行:2007年6月/定価:本体780円+税/ISBN978-4-00-431046-4

加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』」への2件のフィードバック

  1.  黒羽清隆『日中15年戦争』(教育社新書)は、もう古本屋で見つけるしかない本ですが、この本を読んでいて、満州事変における関東軍、そして朝鮮駐留日本軍の越境が、当時の陸軍刑法に照らしても「死刑相当」であったことを知りました。
     しかし、結果オーライとなり、果ては軍の暴走へと続きます。
     瀬島龍三は、満州までは良かった,みたいな事を言っていたそうですが、まさに「無反省」の人生でしたね。
     日中関係は本当に様々な可能性を含む過程であったと思います。
     上記の黒羽さんの本、『日中十五年戦争史』(大杉一雄 中公新書)は、その事を教えてくれます。
     張作霖爆殺はソ連の仕業と『マオ』の数行を担ぎまわっている桜井良子の醜態とは偉い違いです。
     あと、『日中開戦』北博昭 中公新書 は、「戦争」と呼称せず「事変」と称したためにどんなことが起こったかについてとりあげているちょっと変わった視角の本です。
     もしもお読みになっていればお節介ですが、参考までに。

  2. まろさん、こんばんは。

    黒羽先生の本は、いろいろと読みました。教育社新書のものは絶版ですが、講談社学術文庫『太平洋戦争の歴史』は現在も入手可能です(親本は、講談社現代新書の『太平洋戦争の歴史』上下、1985年刊)。

    しかし、あとの2冊は読んでいません。要チェック文献のリストに載せておくことにします。ありがとうございました。

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