兵庫県の近現代史をふり返ってみた

『兵庫県の百年』(山川出版社)

唐突だけれども、幕末から戦後までの兵庫県の歴史について、本を読んでみた。いろいろ知っていたこともあるけれども、まとまった形で勉強するのは初めて。

戦前でいえば、明治4年の播但一揆や賀川豊彦米騒動と川崎造船の大争議(1921年)あたりは知っていたが、自由民権の動きや東播地域を中心とした日本農民組合の活動などは初めて知った。金融恐慌の引き金になった鈴木商店の本拠地は神戸である。

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手書き資料をコンピュータで検索する

今日の「日経新聞」夕刊に載っていた記事。京大の林晋教授が開発したSMART-GSというプログラムで、手書き資料を画像データとして読み込み、必要な文字列を検索できるというものです。

記事によれば、林教授が数学者ヒルベルトが残した「数学手帳」の解読作業を効率的にやろうとして開発してしまった、というのは、いかにも数学研究者らしい発想。70ページにおよぶ手帳の中から「Kronecker」という人名をすべて探し出すのに数分しかかからなかったそうです。

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救助開始は14分後

衝突1分後に救助を開始したという話が、事件直後に一部で伝えられたが、実際には「総員配置」の指示を出したのであって、実際にボートを下ろして救助活動を開始したのは14分後だった。これが時間がかかったものなのかどうか、私には分からないが、通報はもっと早くできたことだけは間違いない。

イージス艦事故 救助開始14分後、通報16分後  『あたご』対応遅れる(東京新聞)

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当直士官は漁船団を把握していた

イージス艦衝突事故。事故当時、操船の責任者であった当直士官が漁船団に気づいていたことが判明。いよいよ、衝突回避のために何もしなかった自衛艦に事故の責任があることが明瞭に。

また、防衛省の調査で12分前に漁船の赤色灯を確認したとされる乗組員が、海上保安庁の事情聴取にたいして「はっきり覚えていない」と証言していたことも判明。それなら、12分前にという証言は何だったのか? 「はっきり覚えていない」という証言を、防衛省が特定の筋書きに合わせて歪めたのか。それとも、当初の証言を海保庁にたいしては翻そうとしているのか、なかなか深刻な問題かも知れない。

イージス艦 当直責任者も船団把握、回避指示せず(朝日新聞)
見張り役 はっきり覚えてない(NHKニュース)
漁船団突入は常識外 海自内部からも「あたご」批判(中日新聞)

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