春名幹男氏が、朝鮮半島有事の際に「事前協議」抜きに米軍が日本の基地から出撃することを認めた日米密約そのものを見つけた、というニュースは、以前に紹介したとおり。
『文藝春秋』7月号に載った春名氏の論文(「日米密約 岸・佐藤の裏切り」)に、その密約全文が紹介されている。
「朝鮮有事」密約の全文(春名氏の翻訳による。原文は英文)は以下のとおり。
議事録
本日の日米安保協議委員会準備会合で、マッカーサー大使は同委員会のために委任事項案を提案した。
朝鮮半島情勢も論議され、マッカーサー大使と藤山外相によって、それぞれ次のような声明が述べられた。マッカーサー大使:
幸いなことに、停戦合意が達成されて以来、在韓国連軍部隊に対する武力攻撃は再開されていない。国連の諸決議に沿った朝鮮半島の平和的再統一に関する最終的解決が、戦闘行為なしに、達成され得ることがわれわれの期待である。しかしながら、武装攻撃再開の可能性を排除することができない。このような事態においては、侵略に対する韓国の保全は、国連の実効性を継続するうえで不可欠であるだけでなく、こうした侵略によって危機にさらされる極東の日本およびその他の諸国にとって特段の重要性を持つ。大規模な武装攻撃の事前準備を事前に探知することは可能であるかもしれないが、攻撃により生じる緊急事態の可能性は排除することができない。かくして、米国の軍隊がただちに日本から軍事戦闘作戦に着手しなければ、国連軍部隊は停戦協定に違反した武力攻撃を撃退できない事態が起き得る。それゆえ私はここで、上記に示したような異例の緊急事態に直面した際の在日米軍基地の作戦使用に関する日本政府の見解を求める。藤山外相:
日本政府は、朝鮮半島に関して戦闘行為の再開なしに国連の諸決議に沿って最終的な解決がもたらされる、との期待を米国政府とともに共有する。
私は岸首相から権限を与えられて、在韓国連軍部隊に対する攻撃によって生じる緊急事態における例外的措置として、在韓国連軍部隊が停戦協定に違反した武力攻撃を撃退できるよう、こうした武力攻撃に対して在日米軍部隊が国連軍司令部の下で直ちに着手することが必要とされているような軍事戦闘作戦のために、日本における施設および地域を使用してもよい、ということが日本政府の見解であると表明する。署名/藤山愛一郎
署名/ダグラス・マッカーサー東京、1960年6月23日
〔『文藝春秋』2008年7月号、213ページ〕
春名氏が指摘しているとおり、日米間には3つの密約が存在する。
- 核兵器搭載艦船の寄港を認めた密約
- 朝鮮半島有事の際「事前協議」なしに在日米軍基地から出撃できると認めた密約
- 沖縄返還後、極東有事の際に核兵器の再持ち込みを認める密約
1と2は、1960年の日米安保条約改定時に結ばれたもので、3は、1969年11月の沖縄返還交渉のときに交わされたもの。
今回公表されたのは、このうちの2の密約本文だ。今年2月に、春名氏が、米ミシガン大学のジェラルド・フォード大統領図書館で発見した。
春名氏は、この文書の日付に注目して、次のように述べている。
この密約は…「核持ち込み」密約と同時に、新条約の最終案が決着したこの年の1月6日に交わされたとみられていた。
しかし、密約文書に示された日付は1960年6月23日。新安保条約の批准書交換を行った日であった。
……6月19日に新安保条約は自然承認され、その4日後の23日午前10時過ぎ、東京・芝白金の外相公邸で、批准書が藤山外相とマッカーサー2世大使の間で交換された。
その間、わずか10分。批准書の交換とともにこの密約文書も交わされたとみられる。藤山外相は「岸首相から権限を与えられて」密約に署名したと明記しているが、ちょうどそのころ岸首相は臨時閣議で「総理大臣を辞する決意をいたしました」と表明していた。
岸政権は安保条約批准を終え、辞意表明直前の最後の段階で密約を結んでいたのである。まさに駆け込みであった。〔『文藝春秋』2008年7月号、220ページ〕
このような密約の存在を日本の外務省は否定するが、これまでの「傍証」とは違って、今回は、密約本文が発見されたのだ。国民主権のもとで、秘密外交は許されない以上、外務省は、その存在を明らかにして、密約破棄の手続きをおこなわなければならない。