『資本論』第13章「機械と大工業」のなかで、「綿繰り機」の話が出てきます。
「綿を繰(く)る」というのは、摘み取った棉 ((植物のワタのことを漢字では「棉」と書きます。))(ワタ)の実から種子を取り除いて、綿の繊維 ((棉の実から種子をとった繊維を「綿花」といいます。綿花というのは、棉の花のことではないのでご注意を。))を分離する工程のことです。そもそも綿というのは、棉の種子に生えている毛のようなものなので、糸にする場合には、まず種子をとらなければなりません ((ちなみに、その種子からは油がとれ、「綿実油」(めんじつゆ)と呼ばれます。ちょっと高品質な食用油として市販されています。で、油を搾った種子の残りかすは「綿実粕」として肥料や飼料になります。))。
それを、たとえば新日本出版社の『資本論』では次のように書かれています。
綿紡績業における変革は綿実から綿の繊維を分離するための“綿繰り機”の発明を呼び起こした……(上製版『資本論』、新日本出版社、Ib、661ページ)
しかし、昔、日本近世史のゼミで綿作の話を勉強したときには、摘み取ったままの棉の実は「実綿」(「じつめん」または「みわた」と読む)と言ったはず…。はて、「実綿」なのか「綿実」(「めんじつ」と読む)なのか? 手元にある国語辞典を引いても、「実綿」も「綿実」も出てきません。いったい、どっちが正しいんでしょうか。
最初に紹介したのは、第13章第1節の注103のあとのパラグラフ、ヴェルケ版ページで404ページの終わりの方です。「綿実」は、あと2カ所で出てきます。第2節に入ったところ。ヴェルケ版ページで413ページ、注114のすぐ後の文章です。
イーライ・ホイットニーが、1793年に“綿繰り機”を発明する以前には、一ポンドの綿花を綿実から分離するのに一平均労働日かかった。……インドでは、綿実から綿繊維を分離するためにチュルカという半機械的用具が使われている……。(同前、674ページ)
いずれも「綿実」のドイツ語は Samen です。Samen は英語のseed、要するに植物の種子のことです。それぞれ、ドイツ語原文は以下の通り。
So rief andrerseits die Revolution in der Baumwollspinnerei die Erfindung des gin zur Trennung der Baumwollfaser vom Samen hervor, … (Werke, B.23, S.404)
Bevor Eli Whitney 1793 den cottongin erfand, kostete die Trennung eines Pfundes Baumwolle vom Samen einen Durchschnittsarbeitstag. … In Indien wendet man zur Trennung der Faser vom Samen ein halbmaschinenartiges Instrument an, die Churka, … (S.413)
新日本版だけでなく、ほかの翻訳も調べてみましたが、いずれも「綿実」から分離する、と訳されています。
大月書店版(岡崎次郎訳)
5冊本、第1分冊、500ページ「綿実から綿繊維を分離する」。510ページ「綿を綿実から分離する」、同インドの部分は「繊維を実から分離する」。
岩波書店版(向坂逸郎訳)
岩波文庫第2分冊、344ページ「綿実から綿繊維を分離する」。356ページ「綿を綿実から分離する」、357ページのインドの部分は「繊維を実から分離する」。
長谷部文雄訳(青木書店)
5冊本、第2分冊、627ページ「綿繊維を綿実から綿実する」。638ページ「棉花を綿実から分離する」、同インドの部分も「綿繊維を綿実から分離する」。
宮川実訳(あゆみ出版『学習版資本論』)
第2分冊(I2)、103ページ「綿繊維を綿実から分離する」。113ページ「綿を綿実から分離する」、インドの部分は「綿繊維を綿実から分離する」。
そこでまず、「実綿」という言葉が本当に存在しているかどうか、それを調べてみました。
前にも書いたとおり、国語辞典には「実綿」は出てきません ((仕事帰りに本屋で三省堂『大辞林』第3版を引いてみると、「実綿」は載っていました。))。「綿実」も出てきませんが、代わりに「綿実油」という言葉が載っていて、「ワタの種子を圧搾して得る半乾性油。……わたのみあぶら」(『デジタル大辞泉』)と説明されています。だから、「綿実」が棉の種子を指していることはわかりますが、種子だけを指すのかどうかはわかりません。
次に、Wikipedia 日本語版を調べてみました。「実綿」「綿実」という項目はありませんが、「木綿」の項目に次のように書かれていました。
綿花は開花後、成熟したさくが開裂し、綿毛に覆われた種子(実綿,seed)が出てくる。綿毛には長く伸びた繊維と短い地毛(fuzz)がある。繰綿機で実綿から分離された長繊維をリント(lint)または繰綿 (ginned cotton)と呼び、次いで地毛除去機を用いて分離した地毛主体の短繊維をリンター(linter)または繰屑綿と呼ぶ。 リントは紡績し綿糸・紐・綿織物製品や装飾品、または不織布あるいはそのままの形で医療・衛生用品、ぬいぐるみ等の充填物(中綿)として広く使用される。 リンターは繊維が短く紡績原料とはならないが、リンターパルプ、レーヨン、セルロース誘導体調整の原料として重要である。(Wikipedia日本語版 「木綿」2009年12月24日現在)
また、「実綿」でGoogle検索してみると、いろいろ出てきます。実綿という名前のついた会社まで出てきます。
渡辺寝具というお店のホームページ↓では、「実綿」から種を取り去ったものが「繰り綿」であると説明されています。
また、一橋大学図書館が2006年に行なった企画展示では、「綿毛で覆われた種実」を「実綿」と呼び、それを乾燥させて、綿繰り機をつかって種を取ったものが「繰綿」であると説明されています。
八尾市立歴史民俗資料館のホームページ(「河内木綿の部屋」)でも、「摘み取った綿には種がはいっています。種のはいった綿を『実綿(みわた)』といいます。」と説明されています。
河内木綿の部屋3?1江戸時代の綿作3 : 八尾市立歴史民俗資料館
日本中世史研究の泰斗・故永原慶二先生の遺著『苧麻・絹・木綿の社会史』(吉川弘文館、2004年)でも、「繰綿」にする工程が次のように説明されています。
この実綿を繰綿にする工程は、綿繰機にかけて種子を除去する作業である。(同書、312ページ)
「実綿」というカテゴリーは、貿易統計の品目にも登場します。
逆に、岡村製油株式会社のホームページでは、「綿実」の説明として、「コットンボールから綿毛を刈り取ったのが綿実です」と書かれています。
このように調べてくると、ワタの実=「実綿」=綿花+種子、「綿実」=種子のみ、ということはほぼ間違いないようです。
そうなると、いよいよ問題は、先ほどのドイツ語。「綿実」は種子だけなのですから、「綿実」から綿の繊維を分離する、というのは不可能な話。ここは「綿実」ではなく「実綿」と訳すべきところだ、ということになります。
ただし、ドイツ語で、A(4格) von B(3格) trennen と言ったとき、<1>「全体Bから部分Aを分離する」という意味なのか、<2>「部分Aを部分Bと分離する」という意味なのか、僕にはよくわかりません。
<1>の意味なら、Samen は「実綿」と訳さなくては意味が通りません。<2>の意味なら、「綿実」が正しいということになりますが、その場合は「綿実から綿の繊維を分離する」ではなく、「綿の繊維を綿実と分離する」もしくは「綿の繊維と綿実とを分離する」と訳さなくてはなりません。
あるいは、そもそもドイツ語で Samen 、あるいは英語で seed と言ったときは、「綿実」だけを指すとか、「実綿」だけを指すとか、そういうことも考えられます。もし Samen が「綿実」しか指さないのであれば、<2>の意味に解するしかありません。Samen が「実綿」を意味するのであれば、<1>の意味にしかとれません。
「綿実」と「実綿」。どっちでもいいような話ですが、正確なところがよくわかりません。木綿業界関係者の方やドイツ語に詳しい方、ぜひともご教授ください。m(_’_)m
???
http://www.ichieya.jp/tdiary/?date=20061212
これではダメでしょうか?
私は「一粒の綿の実から : 岡村製油株式会社」の《「わたの種子」をご応募頂きました皆様にプレゼントしています。(日本国内のみ)》の方が気になります。(^^;
winter-cosmonさん、こんばんは。
おもしろいブログですね。
大学院時代に江戸時代の大阪のある村の綿作の史料を読んでいたとはいえ、実際の棉作りや、綿紡績のやり方などはさっぱりわからないままでした。(^_^;)
あっちこっちインターネットを調べたり、何冊か本を読んだりして、ようやく作業が少しわかってきたところですが、手で撚りをかけながら糸に紡いでいく、というのは実際にはどうやったのか、いまだにさっぱりわかりません。
こういうのは、やっぱり一度、実際にやってるところを見てみないとだめですね。
ところで、ワタの栽培の仕方は、こちら↓をご覧ください。(^_^;)
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/dpgwg309/sz-mome/mome04b.htm