これは凄い論文だ!! 『経済』11月号

『経済』2010年11月号(新日本出版社)

新日本出版社発行の雑誌『経済』11月号が届いたので、早速読んでいます。その中でも、これは素晴らしい論文だと思ったのは、貧困問題や非正規雇用の問題を取り上げた2本の論文。

 唐鎌直義「なぜ資本主義は貧困を広げるのか」
 関野秀明「非正規労働は『自己責任』なのか」

いずれも、貧困問題、非正規雇用の問題に、マルクス『資本論』の「相対的過剰人口(産業予備軍)」論の立場からきわめて鋭く、戦闘的にせまって、資本主義のもとでの貧困とはいったい何か? 「非正規雇用」問題の本質は何か? ずばり真正面から解明されています。

マルクスの「相対的過剰人口」論、あるいは「資本主義的蓄積の一般的法則」(『資本論』第23章)は、私も何度も読んだことがあるし、それなりに理解を深めてきたつもりでしたが、ここまで戦闘的に読まなければいけないんだと、あらためて痛感させられました。

アットランダムに、なるほどと思ったところを抜き書きします。

まず、唐鎌論文から。

――貧困は必ず具体的な個人に発現するものである。個人を通してしか貧困を見ることはできない。しかしそうであるからと言って、貧困問題への政策的対応が貧困者個々人への自立支援や就労支援などの対人援助活動(いわゆるケースワーク)で済まされてよいはずはない。個々人を襲う貧困を、点から線へ、線から面へとつなげ、法則的に理解し、敵の所在を明らかにして、貧困をなくす闘いの共通の土俵を作り上げるためには、『資本論』の指摘を「導きの糸」としなければならない。(31ページ)

――働く人々を経済的困窮に陥らせる原因には、昔から老齢、障がい、疾病、離死別、失業など、いくつもの要因がある。なかでも最も判断が難しく、歴史的に見て政策的対応に大きな振幅を見せてきたのが失業による貧困である。なぜならば失業は稼働能力を持つ人々の貧困だからである。働く能力があるにも拘わらず働けない状態に陥った人々のことを、現に仕事に従事している人々は「意欲の低下」や「怠惰」と理解してしまいがちである。……また、どれほど厳しい不況が訪れても、失職という事態は全ての人に均等に発生する訳ではない。必ず失業する人と失業しない人を二分しながら進行する。しかも、常に失業する人は少数派である。失業という事態に陥った原因を「心がけの悪さ」や「努力の不足」のせいに帰することは至極容易なことなのである。(同前)

――この救済のハードルを克服するには、失業とは何かという根源的な問いかけが不可欠であり、そこから得られた失業の正しい理解を社会の構成員(その大部分は労働者)が広く共有することが必要となる。(32ページ)

――景気循環の不況局面では労働力の需要(求人)が供給(求職)を大きく下回る事態が発生する。こうして起きた失業が労働者を貧困に陥れる原因となることは、よほど「自立・自助」原則に凝り固まった人物でない限り、理解することは容易である。しかしマルクスのすごいところは、こうした労働力の需要供給関係という「俗流的解釈」から一切説明しなかった点にある。
 マルクスは、何と労働力の需給関係が逼迫化している好況局面でも(むしろ好況局面だからこそ)、企業が採用する生産合理化(機械化)の推進によって投下資本中の固定資本比率が上昇し続け、可変資本(賃金)比率が相対的に低下し続けることを指摘した。……その結果、資本主義社会では資本の蓄積欲求にとって都合よく吸収されたり反発されたりする「相対的過剰人口」が「労働力のプール」として常に、いかなる場合にも準備されており、それが資本主義的生産様式の1つの重要な存在条件になっているととらえた。労働者は生身の人間であるから、機械や原材料のように倉庫にプールしておくことはできない。資本の蓄積欲求にとって過剰とされた労働者は、「半失業」の状態で「貧民」(貧困者)としてプールされるしかない。その実態をとらえたのがマルクスの「相対的過剰人口」の諸形態に他ならない。このように、資本主義社会の発生は不況期に見られるだけの一過性の問題ではないことを指摘した点にマルクスの特徴がある。これほどリアルな失業論を展開した社会科学者は空前絶後、ほかに誰もいない。(同前)

さらに唐鎌氏は、故・江口英一氏の研究に触れて、「貧困の根底に半失業(不安定就業)問題がある」ことを強調されています。つまり、「働く貧困層」、今日のワーキングプアの問題というのは、実は、マルクスが『資本論』で力を入れて解明し、その実態を厳しく告発した「相対的過剰人口」に他ならない。そういうふうに捉えないといけない、ということです。

唐鎌氏は、注で、こんなふうにも指摘されています。

――労働者が完全に失業した状態というのは失業の理念型であって現実型ではない。全く仕事に就いていない状態は、失業保険制度が創設されてはじめて世に登場することができた。だから失業の基本型は常に半失業である。

さらに、フランスの労働者には「失業する権利」がある、という話を紹介されています。「失業する権利」といわれて、僕もびっくりしましたが、それは「不適切な条件での就労」をしなくてもよいように「失業保険、失業扶助」を要求する権利のことです。なんとすばらしい権利でしょう!! 日本では、「労働する権利」も保障されていませんが、「失業する権利」もありません。世界水準からみたら、なんて遅れているんでしょう!!

関野秀明氏の論文は、ずばり「非正規労働は『自己責任』なのか」がテーマ。「派遣村」の取り組みなので、労働の規制緩和に待ったをかける動きが強まった一方で、規制緩和推進派の巻き返しも強まっていますが、関野論文では、そうした論調の代表者として、八代尚宏氏と大竹文雄氏が取り上げられて批判されています。

八代氏については、このブログで何度か揶揄したことがありますが、要するに、派遣労働者の失業という問題は「構造改革の行き過ぎ」のせいではなくて、「正社員保護」が「規制緩和」されずにそのままになっているからだ、という議論です(関野氏はこれを「正規労働者責任」論と名づけています)。他方で、大竹氏の議論は、「若年非正規の側にも低い技術水準、低生産性といった低所得・貧困の原因がある」とする「非正規労働者自己責任」論です。

先日開かれた日本共産党の第2回中央委員会総会では、「支配勢力による思想攻撃、国民の意識にかみあって」論戦を展開する必要が強調されていましたが、非正規雇用をめぐる「正規労働者責任」論や「非正規労働者自己責任」論は、まさにここでいう「思想攻撃」の1つ。それだけに、非常に大事な論文だと思いました。

関野論文では、マルクス『資本論』の産業予備軍論を紹介しながら、こうした誤った議論に反論していますが、ここでは、そのマルクスの議論を引用します。

――労働者階級の一部分の過度労働 ((これは、いまでいえば長時間労働のこと。))による、他の部分の強制的怠惰 ((これは失業させられること。))への突き落とし、およびその逆のこと(強制的怠惰が逆に他の部分の過度労働への突き落とし ((失業したくなければ、資本家のいうままに長時間労働せざるをえない、ということ。))を招くこと)は、個々の資本家の致富手段となり、しかも同時に、社会的蓄積の進行に照応する規模で産業予備軍の生産を速める。(『資本論』新日本新書版、第4分冊、1093-1094ページ)

――産業予備軍は、停滞と中位の繁栄との期間中には現役労働者軍を圧迫し、過剰生産と興奮との期間中は現役労働者の要求を押さえ込む。したがって、相対的過剰人口は、労働の需要供給の法則が運動する場の背景である。相対的過剰人口は、この〔労働の需要供給〕法則の作用範囲を、資本の搾取欲および支配欲に絶対的に適合する限界内に押し込める。(同前、1098ページ)

――“サイコロはいかさまだ”。資本は、その両面〔労働需要と労働供給――引用者〕に同時に作用する。資本の蓄積が、一方では労働にたいする需要を増大させるとすれば、他方では労働者の「遊離」によって労働者の供給を増加させるが、それと同時に、失業者の圧迫が就業者により多くの労働を流動させるように強制し ((失業したくなければ、もっと働け! という訳だ。))、したがってある程度、労働供給を労働需要から独立させる ((労働者がもっと労働するようになってくれれば、労働者を増やさなくても労働需要は満たされる、というわけだ。))。この基盤の上における労働の需要供給法則の運動は、資本の専制支配を完成する。(同前、1099ページ)

だから、こうした「いかさまのサイコロ」を打ち破るには、就業者と失業者がともに労働組合に加わって「計画的協力」をすすめるしかありません。それについて、マルクスはこう書いています。

――彼らが労働組合などによって就業者と失業者とのあいだの計画的協力を組織しようとつとめるやいなや、資本とそのへつらい者である経済学者は、「永遠の」、いわば「聖なる」需要供給法則の侵害についてがなり立てる。というのは、就業者と失業者とのあいだのどんな結合も、かの法則の『純粋な』作用を攪乱するからである。(同前、1100ページ)

見事ですね。まるで、八代氏のことを言い当てているようです。正規労働者と非正規労働者が一緒に協力して立ち上がろうとしていることにたいして、マルクスが予測したとおり、八代氏は、「聖なる」受給法則の侵害について「がなりたてる」のです。

ということで、非正規雇用をなくしたい、非正規雇用から抜け出したい、そんなふうに思っている多くの人に、これらの論文をおすすめします。研究者の論文ですから、少々歯ごたえはありますが、なるほど! と思われるに違いありません。

巻頭の金子貞吉・中央大名誉教授のインタビューも、市場経済と資本主義的市場経済あるいは市場原理主義との違いを、多面的に明らかにされています。

こんなふうに、非常に鋭い、戦闘的な論文を掲載しておきながら、『経済』編集部がつけた特集のタイトルは「資本主義って何? マルクスの眼」というきわめて一般的なもの。これじゃ、論文の良さが伝わらないのではないでしょうか。ああ、勿体ない!!

特集のほかにも、ジャーナリストの北健一氏の論文「ファンドは事業会社に何をもたらすか」は一読の価値あり。

昭和ゴムという工業用ゴムの老舗企業を乗っ取ったファンドが、あの手この手で事業会社そのものを食い物にしていく様子を、それとたたかう労働組合の取り組みとともに、暴露しています。個別の事例かも知れませんが、現在のマネー資本主義の実態がリアルに明らかにされていて、非常におもしろいです。

これは凄い論文だ!! 『経済』11月号」への2件のフィードバック

  1. 私も今月号は読みましたよ。特に関野秀明の産業予備軍論に依拠した正規・非正規間の「対立」に関する考察はよかったですねえ。正直なところ、これまで八代氏らの唱える「労労対立」には一理あり、これはマルクスの射程外にある現代的問題で、マルクス主義の「古臭さ」を際立たせる話だよなあ・・・などと、浅学まる出しで漠然と思ってましたが、どうやら認識を改める必要があるようです。

  2. 読者さん。『経済』をご愛読いただき、ありがとうございます(といっても、僕が編集・発行している訳じゃないけど)。m(_’_)m

    正規雇用にこだわる働き方がよくないという八代尚宏氏の議論にたいしては、私も、「それなら、まず八代氏が大学の正規ポストを辞めて、非常勤講師になったらどうですか」とツッコミを入れていましたが、これは混ぜっ返しているだけで、批判になりませんからね。(^_^;)

    私も、これらの論文を読んで、これまでの自分の『資本論』の読み方がいかに通り一遍だったかを痛感しました。とことん『資本論』にこだわってこそ、現代的問題もよく分かるのだと思います。

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