年越しそばをつくってみました。といっても、出汁はインスタント、具はパックになっているもの、自分でやったことといえば、そばをゆでたこととネギをきざんだことぐらいですが…。
とりあえず年賀状は、年内に出すことができましたが、大掃除はこれから…。(^_^;)
世間はすっかり年末気分になった28日、池袋・芸術劇場で、飯守泰次郎さんのマルケヴィチ版によるベートーヴェン「第九」演奏会を聴いてきました。
「マルクスの時代の1シリングは、いまの円に直すといくらぐらいだったのだろうか?」という記事を書いたところ、「じゃあ、マルクスの時代、1ドルはどれぐらいの値打ちがあったのか?」という質問をいただきました。
そこで、また調べてみました。
平凡社『世界大百科事典』によると、ドルの金平価は、1837年に1ドル=金23.22グレーン(1グレーンは0.064g)とされたあと、1861年に南北戦争のために正貨との交換が停止され、1879年に兌換を再開。このドルの金平価は、世界大恐慌後の1934年に40.94%切り下げられ,1ドル=金13.71グレーン(金1トロイオンス=35ドル)となるまで続いたようです。
ということで、あとは計算。
ひょんなことで、「マルクスの時代の1シリングというのは、いまの円に直したらいくらぐらいになるのか?」 という質問を受け、少し調べてみました。
1シリングという通貨単位は現在は廃止されてしまっています ((1971年2月13日をもって、1ポンド=100ペンスに切り替えられた。))が、かつては1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスでした。さらに、マルクスの時代は、金1オンスの公定価格は3ポンド17シリング10ペンス半でした。ですから、現在の金1オンスの価格がわかれば、当時の1シリングが何円ぐらいに相当するか計算することができます。
さて、『剰余価値学説史』の続き。大月書店『資本論草稿集』第5分冊の170ページから。
マルクスは、「今度は、スミスについて考察すべき最後の論点――生産的労働と不生産的労働の区別――に移る」と書いているが、こんなことを書きながら、{}で括りながら、「あらかじめ、前述のことについてもう1つ」といって、再生産論にかんする書き込みをしている。ここで注目されるのは、次の部分。
年々の労働の生産物がそのうちの一部分をなすにすぎないところの年々の労働生産物が、収入に分解する、というのはまちがっている。これにたいして、年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する、というのは正しい。(170ページ下段)
後半の「年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する」というのは、再生産表式を使って説明すると、こういうこと。
『歴史評論』2011年1月号 ((『歴史評論』は、歴史科学協議会が編集・発行する月刊の会誌です。))に、宮嶋博史氏が「方法としての東アジア再考」という論文を書かれています。岩波新書の「シリーズ日本近現代史」(全10冊、2006〜2010年)を取り上げたものです。同シリーズを取り上げた論評は、宮地正人氏の『通史の方法』(名著出版、2010年)を除くと、初めてだと思います。
宮嶋氏がこの論文でいちばん大きな問題として取り上げられているのは、第7巻『占領と改革』(雨宮昭一氏)です。その部分の見出しが「研究者のモラルについて」になっているのですから、その批判がどれほど厳しいか、わかるのではないでしょうか。
ミニシアター好きとしては、ちょっと残念なニュース。映画館の恵比寿ガーデンシネマ(東京・恵比寿)が来月28日で休館するそうです。僕も、仕事帰りに何度も足を運んだ映画館なのですが……
先日の「古典教室」に続いて、今日から始まった「綱領教室」の第1回。講師は志位和夫委員長。早速受講してきました。(^_^)v
今日のお話は、前半は「綱領教室」の「はじめに」にあたる、なぜ綱領を学ぶのかという話。後半は、なぜ日本共産党の綱領は戦前から始まるのか、という綱領第1章を学ぶ前提のようなお話でした。
講義は、アジア政党国際会議(ICAPP)に参加した話や、尖閣諸島の領有問題や千島問題など、この間志位さん自身が先頭にたって取り組んできた問題を縦横に展開。志位さんは、綱領を学べば、情勢を歴史的な視野・世界的な視野でとらえることができると強調されていましたが、今日紹介のあった活動の1つひとつが、綱領にもとづいて歴史的・世界的な視野から問題をとらえたものだということがよく分かりました。
共産党はいま、党をまるごと理解してもらうために、有権者のあいだで広く「党を語る」活動、「綱領を語る」活動に取り組んでいますが、今日の講義は、志位さんが志位さん自身の言葉で綱領を語ったといえるものだったのではないでしょうか。僕は、なるほど「党を語る」「綱領を語る」というのはこういうことなんだ、と思って聞きました。さすが、全国を駆け巡っている委員長ならでは、ですね。
年の瀬だからって、なにも連日「第九」を聞きに行かなくったって…、とつっこまれそうですが、今日は読響の「第九」コンサートで、またもやサントリーホールへ。
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125 〈合唱付き〉
指揮はヒュー・ウルフ。ソリストはソプラノ木下美穂子、メゾ・ソプラノ林美智子、テノール高橋淳、バリトン与那城敬の各氏、合唱は新国立劇場合唱団でした。ヒュー・ウルフの元気いっぱいの指揮ぶりもよかったのですが、合唱はうまいし、ソリストも見事で、大変充実した演奏を聴かせていただきました。m(_’_)m
「第九」第2弾として、今日、サントリーホールで日フィルのコンサートを聴いてきました。指揮は、日フィルの主席客演指揮者ピエタリ・インキネン。
ベートーヴェン:《エグモント》序曲
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125 《合唱》
インキネンは、先日の定期演奏会で「がっかり」したところがあったのですが、今日は、押さえながらも充実させた響きで、ソリスト、合唱のすばらしさともあいまって、見事な演奏でした。
日本共産党の「しんぶん赤旗」日曜版の今週号(2010年12月19日)に、ものすごくおもしろい記事が載っていました。それは、共産党議員の働きかけで、シャープに補助金の一部(6億4000万円)を返金させた、という記事です。
シャープの亀山工場というと、かつては「亀山ブランド」などと言われて、世界的な名声をかちとった工場ですが、実は、この工場の立地には、三重県が90億円、亀山市が45億円もの補助金を出していました。ところが、操業開始からわずか5年半で、シャープは同工場の生産設備を中国企業に完全売却してしまったのです。そのとき、日本共産党の三重県議がくり返し議会で追及して、三重県もようやくシャープに補助金の一部約6億4000万円の返却を要求したところ、シャープもそれに応じた、というのです。
『賃金、価格および利潤』(英語版の書名はValue, Price and Profit)が発行されたとき、編者による前書きがつけられたのですが、いろいろな邦訳をみても、これまでその前書きを読んだことはありません。
ということで、またもや海外のネット古書店で、英語版の手に入れてみました。
少し古い記事ですが、川崎市で、ある市議が、2年間に87回のクラシック・コンサートなどに政務調査費から55万円を支出した、という記事が「朝日新聞」に出ていました。87回のコンサートのうち、60回は川崎市が出資するミューザ川崎でのコンサートですが、たとえば同ホールでひらかれたベルリン・フィルのコンサートのチケット4万円なども政務調査費から支出されていて、はたしてそれが政務調査費の適切な使途か? という問題です。
僕も、ベルリン・フィルのチケット代を政務調査費から出すことが適切だとは思いませんが、しかし、「客層や収益性、運営についてはコンサートに行かなくても分かる」という意見はあまりに乱暴。市から5億円も出資しているのだから、はたしてそれが適切かどうか、身をもって判断するために、むしろ本来ならすべての市議さんがコンサートを聴きに来るべきじゃないか? などと思ったりもするのですが、どうでしょうか。
ブル8月間の最後は、読響の定期演奏会。指揮は尾高忠明さん。
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB.108 ハース版
今日は、金管は左手のホルンとワーグナーチューバの隣にチューバを座らせ、センターはトロンボーン、そしてトランペットがいちばん右手という順番。これが尾高さんのアイデアなのかどうか、僕には分かりませんが、ホルンとトランペットの対照がおもしろく聞こえました。
フランス語版『資本論』。私が手に入れたのは、1967年に極東書店が発行したリプリント版です。ホンモノは100万円以上しますので、とても僕には買えません。(^_^;)
フランス語版『資本論』は、1872年から75年にかけて、パリのラシャートル社から9セット44分冊で発行されました。訳者はM.J.ロワですが、マルクスは、ロワの翻訳に満足せず、訳文をすべて校閲して大幅な書き直しをするなど、手を加えました。
全国各地の草の根で活動する「九条の会」の取り組みを、インターネットを流れるニュースの中から拾い集めています。今週は、12月8日の太平洋戦争開戦日にちなんだ取り組みが各地でありました。
本日の「毎日新聞」夕刊のスポーツ欄(5面)の「スポーツ政策を考える」という連載に、日本共産党の広畑成志・スポーツ委員会責任者が登場しています。
日本共産党は、スポーツを国民の権利と位置づけている数少ない政党です。広畑氏は、「自由で自主的な活動であるスポーツを擁護してどう発展させていくか。そのために政治は何をなすべきか」と問いかけ、「スポーツ施設の拡充、充実、指導者の配置、競技者の活動保障などの環境整備を財政的に支援するのが政治の役割であり、責任でもある」と指摘。さらに、経済不況や「格差の拡大」で、「スポーツをしたいけどできないという問題が生じている」ことにも注目して、「スポーツを楽しめる自由な時間を国民が確保でき、社会的サービスとして国民が無理なく適切な費用で楽しめるような条件を整備していくことが非常に大事だ」と指摘しています。
読売新聞に連載されている不破さんの「時代の証言者」、今朝の第29回で完結しました。
最終回は「入党64年 世界観揺るがず」。入党して以来の64年を、「長い間にはいろいろな時期があり、離合集散も経験しました」「でも、私自身はこの運動をやめようと考えたことは一度もなかった。ジグザグはあっても、根底にある世界観への確信は揺らぎませんでした」と振り返っています。
また、将来についても、「今も共産党に対する根深い偏見はありますが……、根深いとはいえ、偏見に客観的根拠はない」「選挙でしか日本を変えることはできません。時間はかかっても、閉塞状況の打破を求める国民の願いと、〔外交面の「アメリカの傘」、内政面の「財界依存」という〕二つのしがらみからの解放を追求する私たちの努力は、必ずや合流すると信じています」と結んでいます。