日本史研究者には、またまた必読論文

『歴史評論』2011年3月号

『歴史評論』3月号

歴史科学協議会の発行する『歴史評論』3月号に、近藤成一氏の「中世天皇制論の位相」という論文が載っています。河内祥輔氏の『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年)を批判的に取り上げた論文です。

河内祥輔氏といえば、講談社から現在刊行中の『天皇の歴史』(全10巻)の編集委員の一人。ということで、さっそく読んでみました。

近藤氏によれば、河内氏の枠組みはこんな感じ。

 河内祥輔氏は、明治維新に至るまでの「日本国」の歴史を「朝廷の支配」という大枠組みでとらえ、鎌倉幕府の成立によって「朝廷・幕府体制」という中枠組みが成立したことを認めるけれども、この中枠組みはあくまで大枠組みに含み込まれるものである。鎌倉幕府の成立以後明治維新に至る約700年間における様々な変化は中枠組みすら変えるものではなく、せいぜい中枠組みの内側の小枠組みを変えるものでしかなかったことになる。(同号、94〜95ページ)

さらに、近藤氏は、「河内氏の指摘するような側面が歴史になかったことはないと私は思う」と述べつつも、「河内氏の指摘は、確かに、朝廷や幕府の指導者層の行動の背景にある思想を言い当てている面」はあるが、「そこで指摘されている論理が歴史を動かしてきた」とはいえないのではないか、と指摘されています。そして、「歴史を動かした根本の原動力」は目に見えるわけではないから、「動き始めた歴史の表層における指導者たちの行動のほうが目に見えやすい」ので、「彼らの行動とそれを規定した思想とか論理が解明されたことで歴史がわかった気になる」かもしれないが、「それで歴史がわかった気になってしまうと、何のことはない、戦後歴史学の克服対象であった天皇中心の歴史観に回帰してしまうことになるのではないか」「河内氏の意図がそうであるとは思わないけれども、河内氏の仕事がそのように読まれてしまう可能性がないとはいえないように思う」と疑問を提起されています(同号、95ページ)。

事実としては、確かに天皇は存在し続けてきたのだけれど、だからといって、そのことが天皇を「国王」とする「日本国」の存続を意味することになるのか。「日本国」のなかで天皇が存在した位置や役割は歴史的に変化しており、その変化は、日本という国のあり方にとって副次的な問題かどうか。江戸時代を専攻した人間としては、むしろ天皇が政治的に無力であったからこそ、天皇「制」は倒されなかったのであり、幕末においても、政治的な権力を持たなかったからこそ「玉」として担ぎ出されたのでは? と思います。

といいつつも、河内氏の本は読んでいないので、早速取り寄せました。かなり分厚いですが、がんばって読んでみたいと思います。

河内祥輔『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年)

河内祥輔『日本中世の朝廷・幕府体制』

ところで、『歴史評論』3月号にはこのほかに、先日なくなられた林基氏の追想・追悼として、深谷克己氏と斎藤純氏の論文が掲載されています。深谷氏は、林基氏の『続・百姓一揆の伝統』(新評論、1971年)の中心論文となった「宝暦-天明期の社会情勢」(岩波講座『日本歴史』12、1963年)について、「この論文の大きな特徴は、刺激的な言い方になるが、これまでのように『百姓一揆』によって日本近世の革命的伝統の筋道を考えることをやめたところにある」と指摘され、「林さんはこの言葉〔百姓一揆〕を捨てた」とも述べられています。

林さんの『百姓一揆の伝統』『続・百姓一揆の伝統』は、僕も学生時代に一度は読んだのですが、なんだかもやもやしたまま残っていたものが、この深谷さんの指摘を読んで、「あ、なるほど!」と思うところがありました。

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