ニューヨークの「ウォール街を占拠せよ」運動について、「日本経済新聞」が昨日の夕刊、今朝の朝刊と続けて好意的?な論評を掲載しています。書き手は、どちらもニューヨークの西村博之記者。
なるほどと思ったのは、「過剰な収益追求が金融危機を招き、そのツケを国民に負わせた」との主張がアメリカ国内でも受けとめられているということ。これまで利益を独占してきた少数の銀行家・投資家が、ひとたび「金融危機」が広がると、社会の負担で損失を回避しようとすることにたいする批判だ。
資本主義の立場に立っていても、行き過ぎた金融グローバリズムがもたらす矛盾に目を向ける――当たり前のことなのですが、日本では、そういった論調があまりにもなさ過ぎです。
デモより早い 市場の答え
[日本経済新聞 2011/11/18夕刊]
「市民を殴るとは何てやつらだ」警官ににじり寄る男性ら。「向こうに行きなさい」。完全武装の警官らも負けじとにらみ返す。17日午後、ウォール街近くの路上。デモ参加者が拘束され搬送された直後のことだ。
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冷たい霧雨が降り続けたこの日、ウォール街は険悪な雰囲気に満ちた。反格差を叫ぶデモは、行動範囲をニューヨーク証券取引所や地下鉄に広げ、大量の逮捕者を出した。取引所に通じるウォール街の入り口には検問が設けられ、警官が通行者に身分証明書の提示を求めるものものしさだ。
15日未明、市当局が拠点のズコッティ公園からテントなどを強制排除したのを機に攻撃的になったデモ。今後の展開は読みにくいが、ウォール街をめぐる世間の議論が深まったのは間違いない。
まず「過剰な収益追求が金融危機を招き、そのツケを国民に負わせた」との主張。これに関して「利益独占とリスクの社会化」との経済学者らの言葉が身近になった。
つまり少数の銀行家らが高リスク・高リターンの取引に多額の資金を投じる。当初は巨額の稼ぎを上げるが、いずれ大きくつまずく。結局、税金を使った救済や景気低迷で国民が尻ぬぐいさせられる。そんな現象が「どの金融危機にも通ずる」と指摘するのは、元国際通貨基金(IMF)主任エコノミストのサミュエル・ジョンソン氏だ。
「格差拡大」とウォール街との関係はどうか。国の格差の度合いを示す「ジニ指数」をみても、米国は1960年代後半から直近まで格差が一貫して広がった。この間、国内総生産(GDP)に占める金融分野の報酬と利益の合計額は3%から7.6%に上昇。金融部門が成長を加速した面はあるが、社会一般をしのぐ稼ぎを上げていた。コロンビア大のスティグリッツ教授は「やたらともうかる金融分野に優秀な人材が偏るなど資源配分をゆがめた」と話す。□ □
ただ、それも過去の話。直近でもバンク・オブ・アメリカが3万人、シティグループが3000人のリストラを決定。残った人々の報酬も減り続ける。経済学者なら肥大化した金融部門の調整と呼ぶだろうか。デモ隊が攻撃するまでもなく、市場がウォール街をいさめている形だ。(ニューヨーク=西村博之)
NY「反ウォール街デモ」2カ月 排除に反発、抗議激化
「非暴力」から変質 経済論争には一石
[日本経済新聞 2011/11/19朝刊]
経済格差の是正などを求めるウォール街のデモが17日で2カ月を経過した。デモ隊はニューヨーク市当局が15日、拠点の公園からテントなどを強制排除したことに反発し、活動を激化させている。
◆引くに引けず
「雪が降ったら凍えろというのか。運動は続ける。もう引けない」。鉄柵で封鎖された拠点のズコッティ公園の横で15日夕、無精ひげの20代の若者は怒りをあらわにした。公園で寝泊まりしていたが、追い出された。
その思いはデモ参加者に共通する。17日には、ニューヨーク証券取引所や地下鉄の封鎖を目指した抗議を行い、交通妨害や警官との小競り合いで300人を超える逮捕者が出た。
参加者の一人でニュージャージー州に住むカフィーフ氏(29)は、部品工場で働く2児の父。「親族や友人も住宅ローンのため何人も破産した。銀行経営者はもうけ、格差は広がるばかりだ」とこぼした。
「非暴力」を掲げたデモは変質。バリケードの破壊や警官との衝突を自慢する若者も目立つ。市民からは「交通を妨げるのは迷惑だ」などの声も上がり、行動次第では支持を失う可能性もある。
デモは今後、どこに向かうのか。政治・外交の著名な文筆家で、デモを観察してきたジョージ・パッカー氏は容易にはおさまらないとみる。
同氏は15日、ニューヨーク市で開いた討論会で「大銀行が金融危機を招きながら、急回復した記憶は新しい」と指摘。格差拡大も景気低迷で論点に急浮上したと分析した。大統領選前年というタイミングもあって「デモがマッチを擦り、火が付いた」と語った。◆大統領選への影響注目
ただ、デモが政治運動に直結するかについては、懐疑的な声が多い。昨年の米中間選挙で存在感を示した保守派の茶会党(ティーパーティー)と違い、組織や資金の後ろ盾や、一貫した主張を欠いているためだ。
一方で、デモがすでに一定の政治的役割を果たしたとの声もある。
ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマン・プリンストン大教授は最近のテレビ番組で、歳出削減ばかりが議論され、金融危機を起こした銀行経営者の責任追及などが忘れ去られていたと指摘。「これらの課題を論争の中心に引き戻しただけで大きな貢献だ」と述べた。
保守派の論客は反撃に出ている。格差拡大は規制の失敗や税制など再分配政策の失敗が原因でなく、「グローバル化や米経済の相対的な地位の低下が大きな理由」(元財務次官補でピーターソン国際経済研究所のゲイリー・ハフバウアー氏)といった具合だ。
規制や政府の介入を強めるか否か。税制を手直しすべきか。大統領選の経済論戦への影響もにらみ、全米がデモに改めて関心を寄せている。(ニューヨーク=西村博之)
初めまして。私もマルクスの『理論』には興味が有りますが,『運動』には全く興味が御座いません。さて久しぶりに資本論を読み返していて,誰かと接点持てないものかと御ブログを探しだしたのですが,まあ,掲題のデモに関してはマルクスの言う『貨幣の物神崇拝』に取り付かれた国民自身にもはっきり申し上げて責任があると思ってます。まずアメリカ国民は責任を取らない。自分達で『チェンジ!』を叫んだオバマを今更批判です。挙句の果てにはイラク戦争進攻当時83%もの『良心的な』国民が進攻に賛成したにも係わらず,今は政府のせいにしている。まあ住宅売買で差益を得ようとしていた国民自身がまず『貨幣』というカミに取り付かれて『擬似資本家』と化していたのだと私は思っております。そのツケは大き過ぎましたね。何でもかんでも都合が悪くなると政府等や金持ちの責任にするのはどこの国でも同じなのでしょうか(笑)。
TOMONOさん、初めまして。
まあ、あまりそんなに冷たく言わず、見守ってやってもいいんじゃないでしょうか。だいたい、それとは自覚せずにとらわれるというのが、物神性の物神性たる所以ですから。それに、いろいろ踊らされた挙句、一部の者に負担と犠牲が押し付けられるというのも、資本主義の然らしむるところ。それを個人の責任とせず、資本主義のシステムが必然的に生み出す「富の蓄積と貧困の蓄積」として明らかにしたのが『資本論』なのですから、そういう角度から彼らの行動をみる必要があると思います。
正直申し上げてマルクスの労働価値説と剰余価値説を批判しないで継承されている貴ブログの活動には疑問を感じます。
貴ブログが原発問題などで正しいことを言ってもそれに乗っかったら社会解析理論「資本論」が上記学説の不備で使い物にならないと言う事をもっと重く受け取られるべきかと思います。
kurosiro-さん、初めまして。
余計なお節介ありがとうございます。
労働価値説と剰余価値説にもとづくマルクスの理論だけが、資本主義の搾取の仕組みを明らかにしました。そのことはもっと重く受けとめられてしかるべきです。
それが間違っていると思うなら、どこかよその場所で自由に自説をご開陳ください。