今日は、マルクスが『資本論』第2部第20章第13節で言及しているフリッツ・ロイターという人物について調べた。
フリッツ・ロイターは、1810年生まれ(だからマルクスより8歳年上)、1874年に没したドイツ人作家。1833年に「学生組合Burschenschaft」に加入した罪で死刑判決を受け、のちに30年の重禁固に減刑された。恩赦で1840年に釈放されたが、のちにこのときの体験を『わが監獄時代』に著わしている。
マルクスが『資本論』で労働実態を明らかにするために、「工場監督官報告書」や「児童労働調査委員会報告書」などの公的報告書を縦横無尽に活用したことは、よく知られているが、そうした報告書も、Google Booksを検索すると見つかる。いくつか紹介しよう。
まずこれは、1842年に発表された児童労働調査委員会の第1次報告書(鉱山編)。エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で活用しているものだ。もちろん、マルクスも『資本論』で利用している。
Children’s Employment Commission. First Report of the Commissioners: Mines, London, 1842
で、こちらが1843年に発表された同委員会の第2次報告書(通商・産業編)。こちらは他の報告書と合わせて活字になっている。1843年2月2日から8月24日までの会期の「各種委員会報告書集 Reports from Commissioners」の第18号に収められている。当時のイギリスでは、議会各種委員会の報告書は単体ではなく、こんなふうにまとめて発行されていたようだ。
こちらは、1862年に設置された児童労働調査委員会の報告書。この1862年の児童労働調査委員会の報告書をマルクスは『資本論』で一番活用している。同委員会の報告書は第1次から第5次まで、それに第6次の最終報告書が出ているが、いまのところ第1次報告書から第5次報告書までしか見つかっていない。
第1次報告書(1863年)
Children’s Employment Commission: First Report of Commissioners, London, 1863
第2次・第3次報告書(1864年)
Children’s Employment Commission: Second Report of Commissioners, London, 1864
第4次報告書(1865年)
Children’s Employment Commission: Fourth Report of Commissioners, London, 1865
第5次報告書(1866年)
Children’s Employment Commission: Fifth Report of Commissioners, London, 1866
なお、↑の報告書はいずれも Reports of the Commissioners(『各種委員会報告書集』)に収められたものなんで、ほかの報告書も一緒になっているので、そこは了解していただきたい。
ところで、『資本論』にはいろいろな「児童労働調査委員会」とか「工場調査委員会」が出てくる。児童労働の禁止や工場法の制定が問題になるたびに、政府にあるいは議会に委員会が設置されたからだ。以下の記事では、それを整理してあるので参考まで。
櫻井良樹氏の新著『華北駐屯軍 義和団から盧溝橋への道』(岩波現代全書、2015年9月刊)を読了。盧溝橋事件(1937年)の発端となった華北駐屯軍の歴史を、義和団事件での北京議定書による創設から盧溝橋事件発生までを丹念に追いかけた本で、日本側の資料だけでなく、アメリカやイギリスの関連資料や中国側の資料なども掘り起こして、華北駐屯軍の当初の位置づけ、とくに「列強の行動を規制する側面」を明らかにした点や、その後の第2次山東出兵やとくに「満州事変」後の変質を丁寧にあとづけ、豊台に日本軍が駐屯していたことが決して北京議定書に照らして当然の事態でなかったことを明確にしたことは本書の貴重な成果といえる。
この間、資本論について呟いたものをまとめて貼り付けておきます。
ベックマンの記述は岩波文庫『西洋事物起源』を参照のこと。
ということについて、あれこれ呟きました。素人考えなので、まったく見当違いかも知れません。その場合はご容赦ください。
ディーツ社が出しているCD版の「資本論補遺」に、ヴェルケ版資本論第1部の「訂正・誤植一覧」が出ていたので、1つ1つ点検してつぶしていった。えらく面倒な作業だったが、とりあえずチェック完了。
大部分は、マルクスが引用した文献の引用ページ数の誤りを正したり、ドイツ語の綴り、ハイフネーション、活用語尾の誤りの訂正だが、若干だが内容にかかわるような訂正も見られた。
それについて呟いたので貼り付けておきます。
資本論にかんする疑問を2つツイッターで呟きました。
1つは、資本論第1部第8章「労働日」に出てくるdie Kronjuristenとは何か?
もう1つは、同じく資本論題1部第8章で、「1848年の〔工場〕法」と書かれている箇所が、実は「1844年」だったというお話。
研究者の方は、こういうことにあまり関心がないようですが、後者などは、けっこう大事な問題だと思うし、前者も翻訳としては大事なところ。こういうところが適当に放置されているというのは、資本論翻訳史における「偏り」の反映だともいえます。
『資本論』第3部第3篇「利潤率の傾向的低下の法則」の第15章「この法則の内的諸矛盾の展開」の第3節「人口過剰のもとでの資本過剰」で、次のような文章が出てきます。
… (1)Sobald also das Kapital gewachsen wäre in einem Verhältnis zur Arbeiterbevölkerung, daß weder die absolute Arbeitszeit, die diese Bevölkerung liefert, ausgedehnt, noch die relative Mehrarbeitszeit erweitert werden könnte …; (2)wo also das gewachsene Kapital nur ebensoviel oder selbst weniger Mehrwertsmasse produziert als vor seinem Wachstum, so fände eine absolute Überproduktion von Kapital statt; (3)d.h., das gewachsene Kapital C + DeltaC produzierte nicht mehr Profit, oder gar weniger Profit, als das Kapital C vor seiner Vermehrung durch DeltaC.(MEW S.261-262)
(1)Sobaldで始まる条件節と、;で区切ってそれを言い換えた(2)woで始まる条件節とがあって、それらを受けて、so fände eine absolute Überproduktion von Kapital statt(「そういう場合には、資本の絶対的な過剰生産が起きているだろう」)と言ったあと、ふたたび;で区切って(3)d.h.でまた言い換えをおこなっているわけですが、問題は、このd.h.以下の部分は、どこの言い換えになるのか?ということです。
邦訳を読むと、たとえば新日本出版社の邦訳は次のようになっています。
この間資本論について呟いたものを貼り付けておきます。
最初に、新日本版の誤植の指摘。
この間、資本論第3部について呟いたものをまとめて貼り付けておきます。
今日、国際小包で、こんなもんが届きました。
Der Bund der Kommunisten – Dokumente und Materialien 『共産主義者同盟資料集』全3巻です。1970年に出版されたもので、服部文男先生の研究などですでによく知られた資料です。
で、届いたものを見ると、ラベルが貼ってあり、明らかに何処かの図書館か資料の廃棄本。それで、中を開けて見たら、こんな蔵印が押してありました。
資本論を読んでいると、マルクスの言っていることが、本当にいままさに目の前で起こっていることをずばり指摘しているように思えるところにたくさん出くわす。ここでいいたいのは、マルクスの理論の現代性ということではない。
マルクスは、『資本論』のなかで、資本主義のもとで労働者の失業や貧困、生活苦などの問題をできる限り詳しく、また全面的に描き出そうとしているのだが、そうした叙述のなかに、最近新しい問題として取り上げられているようなさまざまな問題が、実に的確に取り上げられていることだ。
たとえば、「社会的排除」の問題。失業者やホームレスが社会から締め出されていく問題だが、第13章「機械と大工業」では、綿花飢饉で苦しめられる綿業労働者の様子が詳しく書かれているなかで、次のような、『工場監督官報告書』からの引用がある。
『資本論』を読んでいて、しばしばぶつかる言葉に gesellschaftlich という形容詞がある。もちろん、いうまでもなく名詞 Gesellschaft の形容詞形だ。だから、たいていの翻訳では、gesellschaftlich と出てくれば「社会的」という訳語が当てられている。
しかし、本当に「社会的」でよいのか? それに、そもそも「社会的」とはどういう意味なのか?
たとえば、第23章第2節に登場する以下の部分。
日本古代の「氏(うじ)」と家(「戸」)を論じた本。著者は奈良大学教授。
「氏」が「始祖を共有する父系系譜で結ばれた集団」(8ページ)であることをわかりやすく解き明かしている。氏姓は制度のもとで、中央の豪族(「氏」)は「連」や「造」などの「姓」を天皇から与えられる。そして、たとえば大伴連に従属する地方の豪族は「大伴直」という氏姓が与えられる。もちろん、大伴連と大伴直は血縁関係はないし、各地の大伴直同士にも血縁関係はない。
資本論第3部第1章について呟きました。
目下、『資本論』第2部第17章を精読中ですが、今日は、これまでよく分からなかったところを1つ解決つけました。それは、新日本新書版でいうと第6分冊539ページ(ヴェルケ版341〜342ページ)。次のような文章で始まる段落です。
資本家たちが奢侈品の価格を引き上げることができるのは、奢侈品への需要が減少する(奢侈品にたいする資本家たちの購買手段が減少し、彼らの需要が減少した結果として)からであるという主張は、需要供給の法則のまったく独創的な応用であろう。〔奢侈品需要が減少している以上〕単に奢侈品の買い手の入れ替わり、すなわち労働者たちによる資本家たちとの入れ替わりが行なわれることのない限り(そしてこの入れ替わりが起こる限りでは、労働者たちの〔奢侈品への〕需要は、必要生活諸手段の価格騰貴には影響しない。というのは、労働者たちは賃銀追加分のうち、彼らが奢侈品に支出する部分を必要生活諸手段に支出することはできないからである)奢侈品の価格は需要の減少の結果として下落する。その結果、……
この文章、一読して意味が分かる人いますか? マルクスが間違った議論を批判しているくだりなので、余計に話が分かりにくいのですが、そもそも「資本家たちが奢侈品の価格を引き上げることができるのは、奢侈品への需要が減少するからであるという主張」というのが分からない。需要が減ってる時に商品の価格が引き上げられないことは、わざわざ言うまでもないこと。だから、それが「需要供給の法則のまったく独創的な応用」だというのはその通りなのですが、そういう話なら、なぜわざわざマルクスはそんな分かりきったことを論じたのか? そういう明々白々のトンチンカン議論を批判して、どういう意味があるのか? かえってそこが分からないのです。マルクスは何が言いたかったのかよく分からないからこそ、いろいろ〔〕で訳者なりの補足がなされているのですが、それが中途半端で、結局、よく分からないままな訳です。
『デフレーション』の著者・吉川洋東大教授が、「日経ビジネス」のインタビューに答えて、「デフレは、賃金を下げすぎた経営者の責任だ」と語っています。
デフレは、賃金を下げ過ぎた経営者の責任だ:日経ビジネスオンライン
経済学的な立場はまったく違う吉川氏ですが、この指摘については100%同意したいと思います。