『資本論』第1部の、第8章「労働日」や第13章「機械と大工業」、第24章「いわゆる本源的蓄積」など、いわゆる歴史的な叙述の部分は、いろんな地名が登場します。
マンチェスターとかリバプールぐらいなら、高校の世界地図にも出てきますが、もっと細かい地名になると、どこがどこだかさっぱり分かりません。(^_^;)
しかし、地名の原綴りをWikipedia英語版で調べてみると、ほとんど全部ヒットします。
『資本論』第1部の、第8章「労働日」や第13章「機械と大工業」、第24章「いわゆる本源的蓄積」など、いわゆる歴史的な叙述の部分は、いろんな地名が登場します。
マンチェスターとかリバプールぐらいなら、高校の世界地図にも出てきますが、もっと細かい地名になると、どこがどこだかさっぱり分かりません。(^_^;)
しかし、地名の原綴りをWikipedia英語版で調べてみると、ほとんど全部ヒットします。
さらに『1857-58年草稿』の続きです。「資本と労働のあいだの交換」第16段落から(第15段落は断片なので、よく分かりません)。
●第16段落(350ページ上段)?
まずマルクスは、「労働力能は労働者の資本だ」という言い方、見方を批判する。
「資本と労働のあいだの交換」の続きです。(ページ数は、大月書店『資本論草稿集』第1分冊)
●第11段落(335ページ下段)?第12段落(338ページ)
「市場」と書かれて始まっていて、{}で囲まれた部分。これも、プランの続き?
310?311ページのプランでは、「資本の後には、土地所有」「土地所有の後には賃労働」と書かれた後で、「こんどはその内的総体性において規定された流通として、諸価格の運動」と書かれている。この「諸価格の運動」が、この「市場」か?
おもしろいのは、「市場」と言いながら、「まず金融市場」から始まっていること。その意味では、この「市場」は、310?311ページのプランの「V.金融市場としての資本」の話か?
いずれにしても、最後にマルクスは「市場の抽象的範疇をどの箇所に入れなければならないかは、いずれわかるであろう」(338ページ上段)と書いている。
えーっと、マルクス『資本論1857-58年草稿』の続きです。(^_^;)
今回は、327ページ「資本と労働のあいだの交換」から。ただし、この見出しは新MEGA編集部がつけたもの。しかし、ここでマルクスは、単なる商品交換と、「資本と労働のあいだの交換」とはどこが違うかということを言いたいのだ。
●第2段落(327ページ上段)?第7段落(328ページ下段)
資本と労働との交換は、たんなる商品と商品との交換と違って、「2つの過程」に分かれる。
第1の過程=労働者が労働力を一定額の貨幣と交換する過程。
第2の過程=資本家が価値を生み出す活動としての労働を交換で手に入れる過程。」
商品と商品との単純な交換の場合には、こうした二重化は起こらない。
ここでは〔資本と労働とのあいだの交換では〕、貨幣と交換して手に入れたものの使用価値が特殊的な経済的関係として現われ、貨幣と交換に手に入れたものの特定の仕方で使用することが、この2つの過程の究極の目的をなしている。したがって、このことが、資本と労働のあいだの交換を単純な交換とすでに形式的に区別している――2つの相異なる過程。(328ページ上段)
第2の過程は、第7段落では「資本の側からする労働の領有」(328ページ下段)と言われている。
資本と労働のあいだの交換では、第1の行為は1つの交換であり、まったく普通の流通に属している。第2の行為は、質的に交換とは異なる過程であって、言葉の濫用をしないかぎり、それを一般にある種の交換だなどと呼ぶわけにはいかない。それは、直接に交換に対立しており、本質的に別の範疇である。(328ページ下段?329ページ上段)
引き続きリカードの『経済学および課税の原理』(岩波文庫)を読んでいます。
第2章「地代について」は、有名なリカードの地代論(マルクスが「差額地代」と呼んだもの)の解明です。
しかしその中に、こんなくだりが出てきました。
製造品、鉱産物、土地生産物のどれであろうと、あらゆる商品の交換価値は、つねに、きわめて有利な、そして生産上の特殊便宜をもつ者だけがもっぱら享受する事情のもとで、その生産に十分である、より少ない労働量によって規定されるのではなく、このような便宜をもたない者、つまり最も不利な事情のもとで生産を継続する者によって、その生産に必然的に投下される、より多くの労働量によって規定される。(岩波文庫、上110ページ)
ここでリカードは、地代の問題に限らず、一般の「製造品」であっても、その交換価値は、最劣等条件のもとで生産する場合の投下労働量によって規定されると言っています。
地代の場合は、土地が独占されているがゆえに、最劣等地での必要労働量が価値を規定するというのは分かりますが、工業生産物の場合も、そうなるというのは、いったいどういうことでしょうか?
ふたたびリカードウの『経済学および課税の原理』を読んでいます。しかし、リカードウがどういうことを想定して、彼の理論を展開しているのか、よ?分かりまへん。(^_^;)
第1章「価値について」の第3節で、リカードウは、こんな議論を展開しています。
諸商品の相対価値の変動は、それらの物の生産に要する労働の増減によってひき起こされるばかりではない。その相対価値は、使用される固定資本の価値が不等であるか、あるいは、その耐久力が不等である場合には、賃金の騰貴およびその結果である利潤の下落によって変動することを免れない。(岩波文庫、上、45ページ)
横浜方面をうろうろしている間に読んだ本の2冊目は、「満鉄」研究でも次々と成果を上げている早稲田大学の小林英夫氏の新著。
小林氏は、多くの日本人が「満洲」について「大いなる錯覚」を抱いていたとして、次のような5つの時期区分にしたがって、「日本人の視点を意識した中国東北史」を描いています。
大月書店『資本論草稿集』第1分冊112ページから。(これはずいぶんと以前に書いたノート。)
米紙「ワシントンポスト」に、こんな記事が出ていました。ドイツでマルクス『資本論』が売れているそうです。
Karl Marx's book sells as Germany economy sinks – The Washington Post
経済危機の中、マルクスの『資本論』が売れ行き伸ばす: AFPBB News
現在の世界的な金融不安に関連して、あらためてこの間の「金融理論」の是非が問われている。
最近の「日本経済新聞」に載ったいくつかの論評から、それを拾ってみた。「100年に1度あるかないかの変革期」かどうかはともかく、この間のビジネスモデル、金融理論そのものを根本から考え直す必要があるのは、その通り。
いずれにせよ、私たちはいま、本当に100年に1度あるかないかの金融危機、終わってみればドルが基軸通貨でなくなっているかも知れないような金融危機に踏み入ろうとしている…、のかも知れない。
アメリカに端を発した金融危機は、欧米で銀行間短期市場がほぼ途絶するなど、貨幣恐慌の様相を呈してきました。
ということで、あらためて貨幣恐慌について、マルクスがどんなことを言っていたか、ふり返ってみました。
毛利敏彦氏の『幕末維新と佐賀藩』(中公新書)を読み終わりました。
帯にもあるとおり、明治維新をもたらした「薩長土肥」の雄藩のなかで、一番マイナーな佐賀藩。しかし、実は幕末・維新期には、佐賀藩が一番の先進藩だったという、ちょっと意外な話です。
左から、戸谷由麻『東京裁判』(みすず書房)、坪井善明『ヴェトナム新時代』(岩波新書)、荒井信一『空爆の歴史』(岩波新書)。しばらく読み終わった本の感想を書き込むのをサボっていたので、3冊まとめて投稿します。(^_^;)
吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの第19巻、原田敬一『日清戦争』です。
著者の問題意識は、1つは、「日清戦争で日本は国際法を守った」という「神話」を検証すること。もう1つは、日清戦争の過程を可能な限り詳細に追いかけることによって、実は、日清戦争が、「7月23日戦争」、狭義の「日清戦争」、「台湾征服戦争」の3つの戦争から構成されていたことを明らかにすること。
桃山学院大の鈴木健先生から、最新著『六大企業集団の崩壊―再編される大企業体制』(新日本出版社)をいただきました。最近は年賀状を差し上げるだけで、すっかりご無沙汰しておりましたが、ありがとうございます。m(_’_)m
1945年9月27日、昭和天皇が初めてマッカーサーを訪問する。このとき、天皇が「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにおたずねした」と発言したとされる。しかし、この記述の元になったマッカーサーの『回想記』には、事実関係と矛盾した記述が多いという。
それでは、実際には、昭和天皇はマッカーサーとの会見で何をしゃべったのか? 第1回会見の記録は、2002年10月に初めて公開された。さらに、2002年8月に、朝日新聞が、1949年7月の第8回会見から通訳を務めた故松井明氏の記録(写し)を入手し、その概要が公表された(ただし、同写しの全文はなお公表されていない)。
本書は、こうした資料にもとづいて、占領下あるいはサンフランシスコ講和条約締結前後の時期に、昭和天皇が主体的・能動的にはたした政治的役割を探究している。