もう書き抜きをしている本人が、すっかり飽きてしまったので、最後にします。(^_^;)
『マルチチュード』第3部「民主主義」ですが、ここでネグリが言いたいことは、見出しを並べただけで分かります。
もう書き抜きをしている本人が、すっかり飽きてしまったので、最後にします。(^_^;)
『マルチチュード』第3部「民主主義」ですが、ここでネグリが言いたいことは、見出しを並べただけで分かります。
ネグリ『マルチチュード』のノートはついに下に突入。しかし、下に入るほど、ますます抜書きすべき箇所は減ってゆく…。
吉原直毅氏の『労働搾取の厚生理論序説』(岩波書店、2008年2月刊)を読んでいたら、こういう議論が出てきた。
1日8時間労働によってある財を8単位生産したとして、そのうちの4単位が労働者に賃金として支払われるのは、財8単位生産における労働の貢献度は財4単位の価値に等しいという「社会的合意」があり、他方、残る4単位は資本財の生産への貢献度に等しいという「社会的合意」があるのだという話になれば、8時間労働に対して財4単位の報酬は単なる等価交換にすぎない。こうした「社会的合意」を成立させるのが市場の需給調整メカニズムであるならば、剰余労働時間の生産成果が労働者に帰属しないとしても、そこに「剰余労働の搾取」の「不当性」を読み取るのは困難になるだろう。実際、いわゆる「限界生産力説」的分配理論は、そうした解釈を正当化する。(同書、75ページ)
これに対して、吉原氏は、「この限界生産力的分配理論を超克するためのマルクス経済学の概念装置」が「労働力商品に固有な使用価値としての『価値生成機能(=価値増殖機能)』論であった」と指摘したうえで、「しかしながら、『唯一の価値生成的生産要素としての労働』論自体、1つのレトリックに過ぎず、それは論証できる様な性質の言明ではない」、「それ自体では形而上学的言明」もしくは「せいぜい『科学的仮説』でしかない」と主張する。
吉原氏の意図は、近代経済学のツールを使ってマルクスの資本主義批判の「厚生理論」的な救出をはかりたいというもので、現代の搾取や「格差と貧困」の問題に関心を向ける姿勢は大いに評価したいのだが、しかし、この言明はマルクスの理解として見過ごせない問題を含んでいるように思われる。
ネグリ『マルチチュード』(NHKブックス、2005年)の続きです。
『マルチチュード』(NHKブックス、2005年)の抜き書きはまだまだ続く。
ネグリ『マルチチュード』の続き。
アントニオ・ネグリの『マルチチュード』上(NHKブックス、2005年)をつらつら ((「〔今まで、よくは考えなかった事の真意義や、見過ごして来た事どもを〕改めて考えたり、見つめたりして、真の価値は、どこに在るかについて認識を新たにすることを表わす。」(三省堂『新明解 国語辞典』第4版)))読んでみた。『〈帝国〉』が情勢論だとしたら、『マルチチュード』はネグリの革命論。彼の議論には、「議会の多数を得ての革命」という立場がまったくない。
商品の価値の大きさは、その商品を生産するのに必要な社会的な労働量(=労働時間)によって決まる、という話をすると、たいてい、「では、実際には値引きをしたり、安売りをしたりしていることはどう理解したらよいのか」という疑問が出される。
これについては、次のように答えること。
岩波文庫で新訳が出たケインズ『一般理論』を読んでみたが、分かるところといまいち分からないところが、マダラに残ったので、新野幸次郎・置塩信雄共著『ケインズ経済学』(三一書房、1957年)を読んでみた。
山形出張から帰ってきました。
20人ほどの青年、学生のみなさんに、午前10時から昼食をはさんで午後4時半まで、約5時間あまりで「科学的社会主義の経済学」と現実に起こっているいろいろな経済問題の間をつなぐような話を、ということであれこれ準備したのですが、結局思うように話を展開できず、資料集のあっちをめくったりこっちをめくったり。講師の準備不足で、参加者のみなさんにはすっかりご迷惑をおかけしました。m(_’_)m
しかし、お昼には、参加者のみなさんと一緒にバーベキュー。これまでけっこういろんなところに講師に出かけましたが、こんな楽しい昼食は初めてです。美味しい米沢牛をたっぷり味わわせていただきました。(^_^;)
晴天の日曜日、午前中は都内某所で、最近の理論的な発展について、2時間余りどしどし語ってゆく。「普通選挙権が実現したのに、労働者階級の政権ができないのはなぜか?」「日本での民主的政権の展望はどう考えたらよいのか?」「生産手段の社会化の具体的なイメージは?」など、なかなか鋭い質問が飛び出す。終わってから、担当者には「あと2時間ぐらいあればよかったですね」と言われる。実際、レジュメを見てもらえば分かるとおり、2時間あまりで語るには中身を詰め込みすぎ。反省せねばなるまい。
で、質問のやりとりで、予定した時間を45分ほどオーバー。昼食をあきらめて、ただちに、横浜をめざして大移動する。
実は、2時から、みなとみらいホールで読響のコンサート。今月の読響はスクロヴァチェフスキが振るので、今日のみなとみらいホリデー名曲コンサート、11日(金)の東京芸術劇場名曲コンサート、18日(金)のサントリー定期演奏会と、全部チケットを押さえてある。(^_^;)
今日のプログラムは、以下のとおり。
みなとみらいホールは、初めての会場。地下鉄みなとみらい駅の改札を通り過ぎたところで、慌てて戻って駅の窓口でホールの場所を確認。まったく逆の方向へ行こうとしていたので、聞いてなかったら遅刻して会場には入れないところだった。(^_^;)
地下3階からの長いエスカレーターを駆け上がり、会場到着は開演時間の2分過ぎ。オケのメンバーが舞台に入り始めたところで、なんとか滑り込む。
雑誌『経済』5月号が出ました。ヽ(^o^)/
1冊丸ごと、「マルクスの経済学のすすめ」の大特集です。なんで「マルクス経済学のすすめ」でなく「マルクスの経済学のすすめ」なのかは分かりませんが… (^_^;)
さっそくパラパラと読んでみました。私のようなロートルには、石川康宏大先生と学生たちの座談会「大学生活と学び」が面白かったです。いまどきの学生さんたちが、どういうところからマルクスに関心をもつのか、あるいは、マルクスのどこに魅力を感じるのか、ということが分かって、とても新鮮でした。
ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』。岩波文庫で新しい訳が出たので読み始め、そろそろ上巻が終わるところまできました。しかし、すでに義務感だけでページをめくっているような状態。(-.-;)
田中良之『骨が語る古代の家族』(吉川弘文館)
人の「歯」を使って、縄文時代、弥生時代、古墳時代の墓に埋葬された人骨の血縁関係を調べた本。
歯冠の形には高い遺伝性があるそうで、それを使って、1つの墓、墳墓、あるいは集団墓に埋葬されている人たちの血縁関係を調べるというものです。その結果、明らかになった結論は、
日曜日の学習会の準備で、いよいよ追い込まれる。
青年を対象にして、科学的社会主義の経済学について講義をするのだが、現実の経済問題とのつながりを念頭におきつつ基本のところをがっちり話してほしい、というのが現地の希望。与太話では、そんなことは何度も喋ってきたが、それをメインに、きっちり話せと言われると、何をどう話したらよいか、なかなかまとまらない。
某氏からリクエストがあったので、ヘーゲル『小論理学』の続き。いきなり有論に入ります。
1月刊の中公新書、脇田修・脇田晴子ご夫婦による『物語 京都の歴史』。戦国時代までを奥様の脇田晴子氏が、近世以降を修先生が書かれています。
本書の特徴の1つは、平安遷都からではなく、原始・古代の京都から始まっているところ。そして、最後は駆け足になっていますが、明治維新から戦前・戦後の京都まで、エピソード満載。文字通り京都の歴史が一望できる、という仕組みになっています。
いささか古い話になってしまいましたが、『週刊エコノミスト』新年号(1/1・8合併号)がおこなった特集「激動の2008年を生き抜くために読みたい 『戦略思考』を鍛える本」のなかで、「戦略思考的原点」の謎解きをした大著として、マルクスの『資本論』が紹介されています。