「僕の書いたもの」に、私の論文「資料と解説 “靖国史観”と日本の侵略戦争・植民地支配」をアップしました。『月刊学習』8月号に掲載されたものです。
日本の侵略戦争と植民地支配の歴史を簡単にまとめました。雑誌掲載のさいは史料を相当省略せざるを得なかったので、おいおい資料編をアップしたいと思います。
「僕の書いたもの」に、私の論文「資料と解説 “靖国史観”と日本の侵略戦争・植民地支配」をアップしました。『月刊学習』8月号に掲載されたものです。
日本の侵略戦争と植民地支配の歴史を簡単にまとめました。雑誌掲載のさいは史料を相当省略せざるを得なかったので、おいおい資料編をアップしたいと思います。
経済学者の松原隆一郎氏(東大教授)が、今日の「毎日」で、こんなことを書いています。
もともと国民は郵政民営化の中身に関心がない。……この関心のない層が小泉支持に回った。投票率の高さがこのことを示している。
国民にとって今回の選挙が魅力的に映ったのは、郵政民営化の中身というよりも、有権者自らが意志決定に参加できる参加型だったからだ。小泉さんは「郵政改革イエスかノーか」と単純化し、有権者は分かったような気持ちになって、自分たちが決める雰囲気になっていった。
さらに、小泉首相の「小さな政府」論について、松原氏は、こう指摘されています。
小泉さんの政治は市場化を進める方向にある。郵政民営化は誰のために行うのか。小泉さんの市場化は大銀行、大企業、外資のための独占市場主義だ。そうじゃなくて公共財で最低の生活保障をする、より公正な資本主義が必要だ。
小泉「市場化」は大銀行、大企業、外資のため。なるほど、その通りです。
先日いただいた佐々木潤之介先生の『江戸時代論』(吉川弘文館、9月10日刊)ですが、行き帰りの電車の中で一生懸命読んでいます。
まだ第1部「社会史的江戸時代史」を読み終えて、第2部「日本・朝鮮・中国」に入ったところですが、ここまで読んでみて、先生がこの本で論じようとしたことが、スケールが大きくて、非常に今日的な問題であることが分かってきて、ますます引き込まれています。
なぜ明治維新が「王政復古」の形をとらなければならなかったのか? なぜ日本の幕末には、中国の太平天国の乱や朝鮮の甲午農民戦争(いわゆる東学党の乱)のような「民乱」が生じなかったのか? それを兵農分離、幕藩制国家の特質として考えようというのです。ほんとにこんなに風呂敷を広げちゃって大丈夫?と心配になるほどですが…。
昨年亡くなった恩師・佐々木潤之介の書き下ろし遺作、『江戸時代論』(吉川弘文館、9月刊)を、奥様からいただきました。病室にパソコンを持ち込んで、最後まで原稿を仕上げようとされていたものだそうです。元々は吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの1冊として予定したものとのことですが、できあがった本はその3倍、400ページを超える分量もあります。
とりあえず目次だけ紹介すると、
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東大の松原隆一郎氏は、「朝日新聞」で、「野党は対立軸鮮明に」と題して、次のようにコメントしています。
新自由主義こそ小泉首相の掲げる理念。それがはっきりした。市場化を進め、大企業や大銀行中心の世界を目指している。郵政事業は道路公団と異なり、国民の間に「公共財」という意識があると思う。……
一方の野党だが、首相が唱えた「市場化万能論」は米国にも、経済学者にも支持者が多く、強い対立軸をうちださないと対抗できない。……この点、岡田代表の描く理念はよくわからない。大企業をある程度規制した市場競争主義を目指しているようだが、福祉も強調した。「市場を生かすための最低限の公共財」という位置づけならばわかりやすいが、政策ごとの理念がばらばらだ。強い「自由党」になった小泉自民党に対抗できなかった。
むしろ、郵政民営化反対論は「大銀行のためだけにやっている」と単純化した志位委員長の主張に説得力があった。共産党の主張は昔と変わっていないが、かつて中間層にも配慮した自民党の政策が、大資本に傾き始めたからだ。ただ、安全保障に関する議論が弱いため、全体的に説得力が落ちてしまった。(「朝日新聞」8月30日付4面)
安全保障問題はさておき、小泉政治が大企業・大銀行中心の政治であると、ずばり指摘されたことは大賛成。
この点では、同じ「朝日新聞」の「9・11総選挙なにが論点」で、阪大の堤修三氏が、「給付の削減は社会基盤崩す」として次のように指摘されているのが、松原氏の指摘と噛み合って興味深い。
実は、国民負担率が上がると経済成長に悪影響をおよぼすという学問的な証拠はない。徹底的に無駄を省いたとしても、少子高齢化で給付の増大は避けられない。無理やり経済成長の範囲内に抑えれば、社会保障の機能は限度を超えて損なわれ、社会の安定と統合が危うくなる。
……払った分に応じて給付の見返りがある保険料は、税とは違って、本来国民負担として単純に合計できないはず。
もう1つ、松原氏のコメントで注目したのは、小泉首相の政治手法を批判したこのくだり。
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今日の「毎日新聞」の論点「『小泉政治』どう評価」で、京都大学の佐伯啓思教授が、郵政民営化について次のように書かれています。
たとえば、350兆円にのぼる郵貯の資金を「民」に流し、市場競争にさらせばどうなるか。政府は、これを市場に供給することでいっそう効率的な運営が可能になる、という。しかし、現状で、市場が望ましい結果をもたらすという理由はどこにもない。特に、今日のグローバル化した金融経済においては、これらの資金は海外に流出する可能性は高く、また国内においては資金の過剰供給によって金融市場の混乱は避けがたい。(「毎日新聞」2005年8月27日朝刊6面)
小泉改革の経済的な意味は、一言でいえば、日本経済をグローバルな競争市場へと結びつけ、アメリカ型の競争市場へと変質させようというものであった。90年代の「構造改革」は、それがアメリカからの要請として始められたように、日本経済を、展望のないままに、アメリカ主導のグローバル経済へと投げこむものであった。そして、このことは、アメリカの経済的覇権主義と中国経済の台頭という現実のなかで、この両者にはさまれた日本経済を大きな混乱に陥れている。人口減少のもとで低成長経済へ移行せざるを得ない日本にとっては、アメリカとも中国とも異なった将来の社会像を描き出すことこそが緊急の課題なのであり、その意味では、小泉改革は、本来の仕事を放棄しているというほかなかろう。(同前)
佐伯啓思氏というと、どちらかというと保守的で、改革賛成のイメージだったのですが、この指摘は、さすが経済学研究者という見識あるもの。郵政民営化で350兆円のお金が湧いてでて、景気が良くなるかのような自民党政権公約のノーテンキぶりを真正面から批判しています。
小泉改革の展望のなさ、日本にいま求められている将来の社会像は何か、総選挙でぜひともじっくり考えたい論点です。
伊東出張のときに読んだ『貨幣経済の動学理論』がおもしろくて、同じ著者の岩波新書『景気と経済政策』(1998年)を読み始めました。
こっちは、景気と経済政策の関係をどう考えるかというもっと具体的な話なので、経済理論そのものについての展開は少ないが、その分、難しい理屈よりも、基本になる考え方みたいなものが分かりやすく展開されている。
著者の強調することは、突き詰めていえば、たった1つ。同じ経済政策でも、景気の局面との関係で、政策の影響、効果は違ってくる、ということ。著者は、「供給側の経済学」と「需要側の経済学」という2つの角度から、その問題に迫っていくのだが、注意が必要なのは、著者がこの本でいうところの「供給側の経済学」「需要側の経済学」というのは、いわゆるサプライサイド・エコノミクスとかケインズ経済学とかをさすものではないということ。もっと広い意味で、1つの経済現象を2つの視点から取り上げている。
たとえば競争と企業淘汰の問題について。著者は、こう述べている。
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帯に「『つくる会』教科書、徹底批判!」とあるので、最初は、「つくる会」の歴史教科書の古代史部分をとりあげて批判した本かと思って読み始めましたが、実際には、それにとどまらず、明治以来の歴史教科書と歴史教育の移り変わりを丹念にあとづけて、そのなかから「つくる会」歴史教科書の問題点を明瞭に浮かび上がらせています。
明治維新で誕生した新国家は、最初から教育にたいする統制の意図は持っていましたが、それでも、最初から国定教科書でもなかったし、南北朝についても両統併記だったのが、自由民権運動と対抗し、大日本帝国憲法を定めて国会開設にいたる時期に、国定教科書となり、南北朝正閏論でも南朝正統説になる、など統制が強まったことが分かります。そのとき同時に、内容への統制が強められたのが、日本の歴史の「始まり」の部分で、天照大神から始まるのが日本の「正史」とされるとともに、考古学的な知見が排除されるようになります。
さらに勅使河原氏が力を注いで明らかにしているのは、その戦前の国定教科書で日本の歴史の始まりとされた「天照大神」以下の「神話」が、けっして、古事記・日本書紀に記された「神話」そのままではなく、それを巧妙に改作してあることです。
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伊東出張のあいまに
『近代経済学の系譜』の方は、論文集。杉原四郎氏の「J・S・ミルの利潤率低下論」がおもしろかった。岡田純一「スミス経済学の包括的把握」は、S・ホランダー『アダム・スミスの経済学』の紹介がおもな内容だったけれど、これも興味深い。
『貨幣経済の…』の方は、不況時などに「貨幣愛」とでもいうべき、流動性選好などとは別に、貨幣保有それ自体を自己目的化したような事態が出現し、それによって、不況均衡が起きてしまうということを明らかにしたもの。消費税導入がどんな意味を持つかなど、なかなかリアリティある議論で、いま半分くらいまで読んだところ。しかし、数式はさっぱりわからん…。(^_^;)
その他、インターネットで「置塩の定理」にかんする論文を2本ほど手に入れる。議論が精緻化されるにつれて、素人では理解できんことが増える…。
青年向けに、「科学的社会主義の世界観」についての講義をするということで、金曜日夜から伊東に出張。講義は土曜日午前中から約5時間。
実を言うと、せっかく伊東まで出かけるのだからと、講義が終わったあと一泊して温泉につかって、とたくらんだのですが、あいにくのお盆休みの週末。しかも1人で泊まれるところというのが、なかなかない。旅館などは、1人で泊まるとめちゃ高くなる…。ということで、温泉宿泊計画は失敗。すごすごと直帰してきました。(^_^;)
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日曜日の出来事。
Windows2000ではハードディスク137G以上の領域を認識しない問題で、レジストリを書き換えて認識させる作業はうまくいったのですが、そのあと、それ以前、認識していなかった領域をあわせてパーティション切り直しの作業をしていて、どこかでミスったのか、NTLDRが見つからない!とのエラーが発生…。
コンソール画面からNTLDRをコピーしてみたがダメ。いろいろ試しているうちに、事態はますます泥沼化してしまった…。
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ようやっと赤澤史朗『靖国神社』(岩波書店)を読み終えました。
この本の靖国神社論は、画期的なものです。なぜなら、戦後の靖国の「平和主義」の可能性というものを考察の軸の1つに据えているからです。靖国神社の「平和主義」? と思われるかも知れませんが、これは言い換えると「殉国」「顕彰」か「追悼」かの対立。靖国神社も戦後の再出発の時点からずっと今のような靖国神社ではなかったということです。
もちろん、靖国神社の「平和主義」は、靖国神社の戦前の伝統からきちんと抜け出すことができず、結局は、「殉国」「顕彰」の流れに飲み込まれてしまう訳ですが、同じ、「殉国」と「追悼」との対立は、広く日本国民の戦争犠牲者にたいする態度のなかにあったわけで、敗戦からの絶対的な「時間」の経過とも重なって社会的な変化を重ねていくことになります。そこを、「靖国問題」にたいする国民各層の動きというかたちで追っていったところに、この本のおもしろさがあるように思いました。
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関東地方でまたまた地震発生! といっても、僕は電車の中だったので気がつきませんでした。駅を出て、駅前のスーパーで夕食の総菜を選んでいるときに、店内放送で「先ほどの地震は…」とやり出して、初めて知りました。
ところで自宅のデスクトップパソコンですが、いちおう使えるようになって、あれこれソフトもインストールしたのですが、なんだかちょっとずつ変…。日本語入力中にしばしばフリーズするし、外部アプリケーションからインターネットエクスプローラが呼び出せなくなっている…。
ということで仕方なく、もう一度、ハードディスクをフォーマットするところからインストールのやり直しです。うまくいくかなぁ… (^_^;)
永原慶二『日本封建制成立過程の研究』(岩波書店、1961年)は、約8割のところまで読みすすみました。こんなに充実した内容だったとは…。大学1年生の時に読んだときはまったく分かっていませんでした。お恥ずかしいかぎりです。
【本日のBGM】Shostakovich:Symphony No.8 in C minor Op.65/WDR Sinfonieorchester, Rudolf Barshai/Recording: 1994/Philharmonie, Koeln
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イギリスBBC放送のラジオ4の「In Our Time」という番組で、20人の哲学者のなかからリスナーの投票でマルクスが「最も偉大な哲学者」に選ばれた、とのことです。
BBC – Radio 4 – In Our Time – Greatest Philosopher – Karl Marx
永原慶二先生の『日本封建社会論』(東大出版会、初版1955年、新装版2001年)を読み終えました。
前にも書いたことですが、あらためて1955年という“時代の息吹”を強く感じましたが、しかしそれは、“すでに時代はわかってしまった”という意味ではなく、研究の質と量が飛躍的に発展した今日において、研究における理論的総括の重要性を教えてくれるものという意味においてです。
本書は、第1章「序説 研究史と問題の所在」に続けて、第2章「封建制形成の前提」(おおよそ平安時代=荘園制)、第3章「農奴制=領主制の生成」(鎌倉時代)、第4章「封建国家の形成」(室町?戦国大名、織豊政権)という3章構成で、封建制を論じ、結びで「日本封建社会の構造的特質」が論じられる、という構成になっています。
その間に、第5章「補論 中世的政治形態の展開と天皇の権威」という章があります。ここでの天皇制論は、権力と権威を区別し、さらに自律的に支配を構成していた段階と、封建的支配層によって再生産されたものとしての中世天皇制とを区別する立場が明らかにされています。このあたりは、網野氏の天皇制論にたいする永原先生の批判に繋がる部分でもあり、興味深く読みました。
永原先生の『荘園』(吉川弘文館、1998年)は、土曜日のシンポジウムの帰りに読み終えました。この本は、荘園に焦点をあてて、8世紀半ばの初期荘園から16世紀末の荘園の事実上の消滅までをフォローしています。いろいろおもしろい話もたくさん登場します。たとえば、荘園を寄進するとき、普通は、在地領主が自分の得ている地代の一部を寄進先の貴族に上納すると思われていますが、そうではなくて、国衙からの公租部分を寄進していたというのは、けっこう穴かも知れません。もう少し詳しくまとめたいのですが、おいそれといかないので四苦八苦しています。
で、いまは『日本封建社会論』(東京大学出版会、新装版2001年)を読んでいます。
昨日、明治大学で開かれたシンポジウム「永原慶二氏の歴史学をどう受け継ぐか」に参加してきました。プログラムは以下の通り。司会は、池享氏。
1年前に永原先生が亡くなられてから、いろんなきっかけもあって、先生の本をいろいろ読みました。とくに、ちょうど『荘園』(1998年)を読み終えつつあったこともあって、あらためて先生の研究の視野の広さ、奥深さ、がっちりした理論的な組み立てなどを強く思っていたので、中村先生のご挨拶といい、そのあとの3人の報告といい、なるほどとと思う部分と、それから自分の気づいていなかった新しい問題を教えてもらったり、大変勉強になった研究会でした。
韓国側から言えば、「韓日歴史共同研究」ですが、報告書についての韓国メディアの反応をピックアップしてみました。
日韓歴史共同研究の報告書を読み始めましたが、古代だけで400ページ近く、近現代は400ページ以上という膨大なもので、印刷するだけで大変…。
しかし、パラパラ近現代史の部分から読み始めたのですが、韓国側が、日本の植民地支配の問題を正面から問うているのにたいし、日本側の立論は細部、末節の問題へと逃げているように読めて仕方ありません。
→日韓歴史共同研究報告書は、日韓歴史共同研究委員会 から、日本側・韓国側両報告の全文がダウンロードできます。