日本史研究者ならこれは読まなくては…

『歴史評論』の9月号と『歴史学研究』の9月号。日本史研究者なら、これは読まなくてはいられません。

まず『歴史評論』の9月号。なんと、芝原拓自氏 ((芝原拓自氏は明治維新史研究者。代表的著作は、『明治維新の権力基盤』(御茶の水書房、1965年)、『所有と生産様式の歴史理論』(青木書店、1972年)、『日本近代化の世界史的位置』(岩波書店、1981年)など。1冊目は明治維新研究の必読文献の1つ。2冊目の『所有と生産様式の歴史理論』は、学生時代に読んで、図式的ではない史的唯物論の理論に初めて深く目を見開かせられました。同書では、『資本論』が長谷部訳で引用されていて、当時長谷部訳など持っていなかった僕は、図書館で長谷部訳の目次をコピーして、一生懸命、大月書店版『資本論』のページと照らし合わせたことがあります。3冊目は、学部生の時、佐々木ゼミでを読んだのですが、実はさっぱりわかりませんでした…。))が、「最近考えたこと」という短いエッセーを書かれています。論文でお名前を拝見するのは20年以上ぶりです。そこらあたりの事情については、ご本人が「ここ20年あまり、抑うつ性神経症という名の精神病をわずらい」と書かれているとおりですが、少しずつでも健康を回復されることを願ってやみません。

日本史研究者であれば、なにはともあれご一読を。

それから、『歴史学研究』9月号。1つは、三鬼清一郎氏の「批判と反省・山本博文著『天下人の一級資料』に接して」。

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時計の仕組みを調べてみる

『資本論』第12章「分業とマニュファクチュア」第3節「マニュファクチュアの2つの基本形態」で、マルクスは、異種的マニュファクチュアの例として、時計のマニュファクチュア的分業を取り上げています。

そこには、1つの時計を組み立てるにあたっての細目労働の職名がずらりあげられているのですが、なにせ、そもそも時計というのはどういうふうに作られるのかを知らないので、さっぱり分かりません。

それで、なにか参考になるものはないかと思っていたら、こんな本を見つけました。

本間誠二監修『機械式時計 解体新書』(大泉書店)

本間誠二監修『機械式時計 解体新書』(大泉書店)。昨年12月に出版されたばかりで、クラシカル・ウォッチの魅力を紹介するためのものなのですが、その前段として、機械式時計のメカニズムについても詳しく紹介をしています。

マルクスは、時計マニュファクチュアについて、次のように述べています。

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ただいまこれを勉強中

中木康夫『フランス絶対王政の構造』(未来社、1963年)

1963年に刊行された中木康夫氏の『フランス絶対王政の構造』(未来社)。

絶対主義は、没落しつつある封建領主と勃興しつつあるブルジョアジーとの均衡の上に成立したとする「均衡」論を、フランス絶対王政(アンリ4世の即位によるブルボン王朝の成立=1589年〜フランス革命まで)の実証的研究によって、根本から批判したもの。

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的場氏よ、嘘をついてはいけません

的場昭弘『新訳共産党宣言』(作品社)

的場昭弘氏(神奈川大学教授)の翻訳で、『共産党宣言』の新しい翻訳が出ています。

これまで様々な翻訳が出版されてきた『共産党宣言』ですが、なぜ的場氏は新訳を出版したのか? 同書は表紙に小さい文字で「初版ブルクハルト版(1848年)」と書かれており ((奥付でも書名は「新版 共産党宣言 初版ブルクハルト版(1848年)」となっている。))、そのことについて、的場氏は「凡例」で次のように説明しています。

 翻訳のテキストは、『共産党宣言』(『宣言』)の初版とされるブルクハルト版全23頁のものを使用した。第5篇研究篇の歴史で述べるように、この初版にも数種類のバリアントがある。これまで邦訳されてきたものの多くは1933年のアドラツキー版旧メガ(Marx Engels Gesamtausgabe)所収のものからの翻訳である(最近の浜林正夫監修版、大月書店、2009年ではかつて初版といわれ、今では第2版といわれる30頁版が使用されている。……) 〔同書、11ページ、強調は引用者〕

つまり、「これまで邦訳されてきたものの多く」は30ページ本を底本としていたのにたいして、自分の新訳は23ページ組みの「ブルクハルト版」を底本にしている。そこに新訳の意味があるというのです。

しかし、いわゆる23ページ本にもとづく邦訳といえば、東北大学の服部文男氏が、1989年1月に新日本出版社から新日本文庫の1冊として出版したものがすでにあります ((服部氏が底本とした23ページ本が「ブルクハルト版」であることは、新日本文庫40ページに掲載された『共産党宣言』の表紙写真から確認できる。))。同氏の翻訳は、その後、1998年に同じ新日本出版社から「科学的社会主義の古典選書シリーズ」の1冊として刊行され、現在も入手可能です。

それにもかかわらず、この画期的な服部文男訳 ((服部文男氏の訳業は、「共産党宣言」各国語版の序文を、それぞれ発表された各国語から直接翻訳したという点でも、従来の翻訳史にはない画期的な意義をもつ。たとえば、1890年ドイツ語版には、エンゲルスが元のドイツ語版原稿を紛失したためロシア語からエンゲルス自身が翻訳しなおしたロシア語版序文が引用されている。従来は、この部分は、その後発見された原稿にしたがってドイツ語から翻訳されていたが、服部氏はロシア語版の序文を使って日本語への翻訳を行われ、たとえばドイツ語原稿では「プロレタリア革命」となっている部分がロシア語では「労働者革命」となっていたこと(そのことは訳注で指摘されている)など新しい事実が判明した。また、ポーランド語版序文では、従来の各種翻訳ではドイツ語にしたがって「ブルジョアジーの仕事をプロレタリアートにさせた」と訳されていた部分が、ポーランド語では文字どおり「火中の栗を拾わせる」となっているとして、その通り日本語に訳されている。))は、的場氏の新訳では一言も言及されていないのです。

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さて、こんどはこちらを読んでみますかね

羽仁五郎『明治維新史研究』(岩波文庫)

服部之総『明治維新史』を読み終えました。服部之総の明治維新論としては、その後、この『明治維新史』を自己批判して発表された「明治維新の革命及び反革命」や「維新史方法上の諸問題」などがあります。それらも読んでみなければなりませんが、手に入るまではとりあえず、羽仁五郎『明治維新史研究』を読んでみることにします。

あらためて勉強します 服部之総『明治維新史』

服部之総『明治維新史』(新泉社版「叢書名著の復興」)服部之総『明治維新史』(青木文庫版)

石井孝氏の『維新の内乱』を読み終えたので、こんどは服部之総の『明治維新史』を読み始めました。

左は「叢書名著の復興」 ((もとはぺりかん社から1967年に刊行されましたが、ぼくが今回手に入れたのは1972年刊の新泉社版。ただし、紙型は同じもののようです。))の『明治維新史』、右は青木文庫の『明治維新史』です。

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めずらしい本を手に入れました

石井孝『維新の内乱』(至誠堂新書、1974年)

先日、某古本バザーで、明治維新の研究家だった石井孝氏の『維新の内乱』(至誠堂新書、1974年)を手に入れました。

明治維新・戊辰戦争を、第1部「天皇政府と徳川政府との戦争」、第2部「東北の戦争」、第3部「蝦夷動乱」の3段階でとらえたもの。とくに第1部では、大政奉還から上野・彰義隊討伐までを、(1)大政奉還か挙兵倒幕か、(2)天皇政府と徳川政府の決戦(鳥羽・伏見の戦い)、(3)徳川政権の消滅(江戸城明け渡し)、(4)徳川氏処分の完遂の4つに区分して、時期的には非常に短い戊辰戦争第1段階での明治政府対徳川政府の対立・対抗が鋭く論じられています。

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『1861-63年草稿』を読む(1)

大月書店「資本論草稿集」の『1861-63年草稿』<1>。

第3章「資本一般」I「資本の生産過程」1「貨幣の資本への転化」の部分。

『資本論』では、第2篇「貨幣の資本への転化」第4章「貨幣の資本への転化」に相当する部分だが、『資本論』では次の第3篇「絶対的剰余価値の生産」に含まれる「労働過程」や「価値増殖過程」、「貨幣の資本への転化が分解する2つの部分」(第6章「不変資本と可変資本」に相当)などが、ここに含まれている。

42ページ下段〜43ページ上段にかけて「資本主義的生産」が登場する。これが『1861-63年草稿』での初出か? しかしすでにマルクスは、「資本主義的生産」は自明な用語として使っている。「資本主義的生産」という言葉は、すでに「資本にかんする章のブラン草案」や「引用ノートへの索引」「私自身のノートにかんする摘録」(『資本論草稿集』第3分冊)に登場する。「資本主義的生産の制限」という表現が登場する(「自分自身を止揚する資本主義的生産の諸制限」454ページ上段、483ページ下段、515ページ上段) ((重田澄男『再論・資本主義の発見』桜井書店、2010年、によると、「資本主義的」という用語は「プラン草案」には1回、「私自身のノートにかんする摘録」では14回登場するらしい(同書、111ページ)。このことからみても、「プラン草案」→「私自身のノートにかんする摘録」という執筆順序が想定できる。))。「資本主義的」という形容詞が初めて登場するときに、それが「資本主義的生産の諸制限」という角度から登場したことは興味深い。

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読み終わりました

吉岡昭彦『イギリス地主制の研究』

吉岡昭彦『イギリス地主制の研究』(未来社、1967年)。もちろん古本です。

最近はこうした研究はすっかり流行らなくなっていますが、『資本論』第1部の「本源的蓄積」の章を読んでみて、あらためてイギリス史をきちんと勉強しなければならないと思って、とりあえず(などと言ったら怒られますが)吉岡昭彦氏の本から読み始めてみました。

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とりあえず『資本論』第1部読破

かなり前から取り組んでいた『資本論』第1部をドイツ語とにらめっこしながら読む作業。

いろいろな発見を含みつつ、とりあえず、本日、無事、第25章「近代の植民地理論」まで読み終えることができました。ヽ(^o^)/

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がんばって勉強しなくては…

金澤史男『自治と分権の歴史的文脈』(青木書店)

選挙が終わって久しぶりの本漁りで、買ったもの。昨年急逝された金澤史男・横浜国大教授の『自治と分権の歴史的文脈』(青木書店)。地方自治の歴史というのは、法律的・政治的な制度・仕組みの問題と、財政の問題と、それとそれらをめぐる地方・中央の動きがあって、なかなか難しいのですが、がんばって勉強したいと思います。

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『歴史評論』6月号の論文が面白い

歴史科学協議会が発行する『歴史評論』6月号に、ジョン・ブリーン「『神国日本の復興』――21世紀における神道の動向」という論文が載っています。

神社本庁 ((お役所と紛らわしい名前を名乗っていますが、戦後、「国家神道」が否定されるなかで、設立された「包括宗教法人」、つまり民間宗教法人(教団)の一つです。すべての神社が神社本庁に加盟している訳ではなく、また、神社本庁以外にも神道の「包括宗教法人」が存在します。))は、1987年以来、「神宮大麻」(伊勢神宮のお札)を1000万体頒布するという運動に取り組んでいるそうですが、この論文は、その運動をとりあげたものです。

神社本庁が「神宮大麻」の頒布運動をやっていたということ自体、僕は、この論文を読んで初めて知りましたが、この論文が興味深いのは、頒布運動の抱える「様々な問題」や「神職の反感」を取り上げて検討を加えているところです。

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CDで聴く『資本論』

audio CD--Karl Marx:Das Kapital(6CDs)

audio CD--Karl Marx:Das Kapital(6CDs)

注文していた『資本論』の朗読CDが届きました。

さっそく聴いてみましたが、ただ延々と『資本論』を朗読しているだけ。もちろんドイツ語で、カピタルとかアルバイツ、ポリティシェ・エコノミなど、ところどころ分かる単語が出てきますが、あとはチンプンカンプン…

しかし、文字でしか追ったことのなかった『資本論』がネイティブの発音で聴ける、というのは、ちょっと不思議な感覚です。(^_^;)

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今の時代が幸せかどうかは「腹の据え方」

不破哲三『マルクスは生きている』

不破哲三『マルクスは生きている』

不破さんが、昨年10月、11月に東京大学駒場キャンパスでおこなった連続セミナーの講演記録です。

平凡社新書の『マルクスは生きている』をベースにした講演で、1回目はマルクスの自然観と社会観、2回目は資本主義論と未来社会論ということになっています。しかし、目の前にいる人たちに直接語りかけているという点でも、その人たちが大学生だという点でも、また違った趣があります。(たとえば、1回目は「大学時代にマルクスが必読な理由」という角度から、マルクスの自然観、社会観が取り上げられています)

また、参加者からの質問にも答えていて、それが東大らしく(質問者が東大生かどうかは不明ですが)、「アインシュタインやボーアは唯物論者ではないのに、偉大な成果を上げているのは、どう説明したらよいのか」とか「人間の精神がDNAやニューロンによって左右されるのだったら、私の『主体性』はどこに行ってしまうのか」など、かなり突っ込んだ質問が出ていて、それにたいする不破さんのずばりと切り込む回答がまたおもしろいのです。

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昨日のお買い物 弓削達『ローマ帝国論』

弓削達『ローマ帝国論』(吉川弘文館)

弓削達『ローマ帝国論』(吉川弘文館)

2006年に亡くなられた元フェリス女学院学長・弓削達先生の旧著が復刊されました。大嘗祭に反対して1990年に右翼の銃撃を受け、いらい平和や憲法の問題で、静かに、しかし確固とした立場を貫いてこられたことで有名でしたが、もともとのご専門は、古代ローマ史です。

代表著作は『ローマ帝国の国家と社会』(岩波書店、1964年)なのですが、これは博士論文を刊行したきわめて専門的な大著で、とても素人には手が出ません。そのほかというと、手軽に読めるのは『ローマはなぜ滅んだか』(講談社現代新書、1988年)ぐらいしかなかったので、今回、『ローマ帝国論』が復刊されたことは、まったくうれしい限りです。

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「第3の項目 果実をもたらすものとしての資本」の読み方

マルクス『1857-58年草稿』のIII「資本にかんする章」の最後の部分「第3の項目 果実をもたらすものとしての資本。利子。利潤。(生産費用、等々)」の部分をどう読むか。

中身でなく、マルクス自身の書き込みから、マルクスの思考の運びを考えてみました。手がかりとなるのは、『資本論草稿集』第2分冊573ページ下段。そこには、区切り線のあとに「本題に戻ろう」と書かれています。

そこで問題。はたして、マルクスは、ここで、どこまでさかのぼって「本題」に戻ったのでしょうか?

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今度はバベジ『機械と製造業の経済論』

バベジ『機械と製造業の経済論』

バベジ『機械と製造業の経済論』

ユア『工場の哲学』と並んで、マルクスが機械を論じるさいに大いに参考にしたバベジ『機械と製造業の経済論』(初版1832年、第3版1846年)を手に入れました。

といっても、これは当時の版本でもリプリントでもありません。届いてからはじめて分かったのですが、Google Booksで公開されている画像データをOCRに読み込んで、文字データに変換し、それをそのまま印刷したものです。

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