ずっと探していた置塩信雄先生の『現代経済学II』(筑摩書房、1988年刊)をようやく手に入れました。
置塩先生の本をきちんと勉強し始めたのは、1996年にとある学習会で直接先生にお会いしてから。古本屋を探しては、1冊また1冊と手に入れて読んできました。『現代経済学II』には、利潤率の概念、景気循環論、またハロッド理論やマネタリズムの批判があって、是非とも手に入れたかった1冊です。難しい数式がいっぱいあって、根っからの文科系人間にはかなりハードですが、がんばって勉強したいと思います。
ずっと探していた置塩信雄先生の『現代経済学II』(筑摩書房、1988年刊)をようやく手に入れました。
置塩先生の本をきちんと勉強し始めたのは、1996年にとある学習会で直接先生にお会いしてから。古本屋を探しては、1冊また1冊と手に入れて読んできました。『現代経済学II』には、利潤率の概念、景気循環論、またハロッド理論やマネタリズムの批判があって、是非とも手に入れたかった1冊です。難しい数式がいっぱいあって、根っからの文科系人間にはかなりハードですが、がんばって勉強したいと思います。
前項の続き。
上製版843ページ3-4行目(新書版846ページ左から3行目)に出てくる「産業調査委員会」が、「児童労働調査委員会」のことであることは、前回指摘したとおり。
これに刺激されて、ほかにもいろいろ登場する「委員会」について調べてみました。
たとえば、その直後には、「1840年に児童労働にかんする調査のための議会委員会が任命されていた」(新書版846ページ最終行)と出てきます。
さらに、次のページ(フランス語版から第4版に取り入れられた部分)には、こんな記述も出てきます。
議会は、1863年の委員会の諸要求を、かつての1842年の要求のようにあえて拒絶しようとはしなかった。
さらに、数行後にはこんな記述も。
1867年2月5日の開院式の勅語のなかで、当時のトーリー党内閣は、その間1866年にその仕事を完了していた委員会の最終提案にもとづいて、さらに別の諸法案を発表した。
さらに、新書版851ページには、「1862年の調査委員会」「1840年の調査委員会」というのが出てきます。
これらの「委員会」は、何の委員会なのか? いったいイギリスにはいくつ委員会があるのでしょうか?
いろいろ調べてみると、イギリスでは「児童労働調査委員会」とか「工場調査委員会」といわれるものは3次にわたってつくられていたことが分かりました。正式名称などは、いまいち確認しきれませんでしたが、いちおう以下のとおりです。
いずれの委員会も「工場調査委員会」あるいは「児童雇用調査委員会」などと略称されることあったので、マルクスは、「現在の調査委員会」とか「1840年の委員会」とか呼んでいる訳です。
ここまで調べて、はじめて意味がわかったのが、第7章「剰余価値率」第3節「シーニアの『最後の一時間』」の原注(32)に出てくる、次の文章。
レナド・ホーナーは、1833年の工場調査委員の一人であり、1859年までは工場監督官、実際上の工場監察官であって、彼は、イギリスの労働者階級のための不滅の功績をたてた。
現在は、この「監察官」というのにだけ訳注がついていますが、実は、ここの「1833年の工場調査委員」というのは、上で説明した第1次の「工場児童雇用調査委員会」のことだったのです。
レナド・ホーナーは、1833年に初めて工場監督官制度がつくられたときから工場監督官として労働者の権利を守ってたたかった人物として有名ですが、実は、その前に、1833年に「工場児童雇用調査委員会」がつくられたときに委員の1人に任命されて、このときから労働者の権利を守るためにがんばっていたのです。これについては、Leonard Horner – Wikipedia, the free encyclopediaをご参照ください。
なお、『資本論』では「児童労働調査委員会」という翻訳が定着していますが、英語ではChildren’s Employment Commissionなので、「児童雇用調査委員会」という方が正確ではないかと思います。『資本論草稿集』では、第2次の委員会について「児童雇用調査委員会」という訳語をあてています。また、『イギリスにおける労働者階級の状態』では、大月書店『全集』版でも、新日本出版社・古典選書シリーズ(浜林正夫訳)でも、「児童雇用調査委員会」と訳されています。
少し前から『資本論』第1部、第13章「機械と大工業」の第9節「工場立法(保健および教育条項)。イギリスにおけるそれの一般化」を読んでいます。その中で、今日、いろいろ調べて、わかったことがあります。相変わらず、『資本論』の理論的な本筋には全然関係ありませんが、わかってみると「なるほどなぁ」と思えることばかりでした。
上製版844ページから859ページ、新書版847ページから864ページにかけての部分。この部分は、実は、マルクスがフランス語版(1872年)のさいに大幅に叙述を拡充し、それをエンゲルスが第4版(1890年)のさいに取り入れた部分です。新日本版では、訳注でそのことが指摘されていますが、広い部分に訳注がばらばらに書かれているので、ちょっと分かりにくいところです。
マルクスが『資本論』で縦横に活用しているアンドリュー・ユア『工場の哲学』。リプリント版を手に入れることができました。
新日本出版社から『日本近現代史を読む』が出版されました。著者は、宮地正人(監修)、大日方純夫、山田朗、山田敬男、吉田裕の各氏。
第1部「近代国家の成立」、第2部「2つの世界大戦の日本」、第3部「第2次世界大戦後の日本と世界」の3部24章構成になっています。
保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機』(吉川弘文館)
幕末の日本には、西洋列強による植民地化の危険があったのかなかったのか? という論争がかつてありました(遠山 ((ウィキペディアの「遠山茂樹」の項をみても、「昭和史論争」は書かれているものの、井上清との論争のことはまったく登場しません(2010年1月27日現在)。))・井上 ((同じくウィキペディアの「井上清」の項には「晩年はしんぶん赤旗に掲載される共産党支持者リストに名を連ねていた」とまことしやかに書かれていますが、これは記事を書いた人の勘違い。同姓同名の別人です。))論争)。最近ではすっかり流行らなくなっていましたが、その論争を受け継いだ骨太の議論を久しぶりに読みました。
『資本論』第13章のなかで、マルクスは、機械の使用にともなって労働者数が相対的に減少する一方で、生産諸手段や生活諸手段がよりたくさん生産されるようになると、「運河、ドック、トンネル、橋など」のような「その生産物が遠い将来にしか実を結ばないような産業部門」が拡大すると指摘しています(第6節「機械によって駆逐された労働者にかんする補償説」)。
そのなかで、マルクスは、「現在、この種の主要産業とみなすことができるのは」として、ガス製造所、電信業、写真業、汽船航運業、鉄道業をあげています。いってみれば、これら産業が、当時の「最先端産業」だったわけです。(新日本出版社『資本論』新書版<3>770ページ、注222の後ろ)
労働者数が相対的に減少するもとで、生産諸手段および生活諸手段が増加することは、運河、ドック、トンネル、橋などのように、その生産物が遠い将来にしか実を結ばないような産業部門での労働の拡大を促す。……現在、この種の主要産業と見なすことができるのは、ガス製造所、電信業、写真業、汽船航運業、および鉄道業である。(一部改訳)
『資本論』第13章「機械と大工業」を読んでいて、ふとわいた疑問です。
たとえば、機械と道具の違いについてマルクスは、機械の場合は、道具が「人間の道具」としてではなく、「1つの機構の道具」になっていると説明しています(新日本出版社、新書版『資本論』第3分冊、647ページ)。この「機構」の原語は、Mechanismus です。
確かに、ドイツ語の Mechanismus は英語で言えばメカニズム mechanism ですから、辞書的には「機構」という訳語で問題ありません。しかし、「機構」というと、たとえば NATO(北大西洋条約機構)のように、具体的な物ではなく、組織・制度を指す場合もあります(要するに「機構」という言葉には、Organismus もしくは Organisation の訳であるという可能性がつきまとうわけです)。だから、「機構の道具」と言われても、今ひとつピンとこないのです。
第163節?第164節。
まず「A 主観的概念」。第162節でいえば、形式論理学の概念。分類としては形式論理学の概念にあたるが、内容は、決して形式論理学の概念ではない。そこに注意。
a 概念そのもの
【第163節】
ここで、普遍・特殊・個別が出てくる。普遍が、「規定態」として現れ出たのが特殊。その特殊がもういっぺん反省されたのが「個別」。個別は、概念の否定的統一。否定的統一というのは、一度自分を否定して特殊へ行って、もういっぺん戻ってきたものという意味。
この否定の動きは、一方では現実(客観)の運動であり、他方では認識の働き(主観の動き)なのだが、ヘーゲルの場合、それが区別されていないことに注意。ヘーゲルの弁証法が観念論だという場合、それは、「理念」が主体に据えられているという意味とともに、このように、事物の客観的な発展と、主観的な人間の認識の発展とが区別されない、という意味がある。
『資本論』第1部第13章「機械と大工業」の第3節「労働者におよぼす機械経営の直接的影響」のなかの、さらに「c 労働の強化」のなかに、こんなくだりが登場します(注157のついているところ)。
与えられた時間内へのより大量の労働のこの圧縮は、いまや、それがあるがままのものとして、すなわちより大きい労働分量として、計算される。「外延的大きさ」としての労働時間の尺度とならんで、いまや、労働時間の密度の尺度が現われる。(新日本版『資本論』、新書版<3>,709ページ、上製版Ib,706ページ)
問題は、この「労働時間の密度」です。
講談社現代新書、浅田實著『東インド会社』(1989年刊)
マルクスは、資本主義は16世紀に始まると書いていますが、16世紀に始まったのが、喜望峰回りの東インド貿易。そして、1600年にはイギリスの東インド会社が、1602年にはオランダの東インド会社が誕生します。
『資本論』第13章「機械と大工業」のなかで、「綿繰り機」の話が出てきます。
「綿を繰(く)る」というのは、摘み取った棉 ((植物のワタのことを漢字では「棉」と書きます。))(ワタ)の実から種子を取り除いて、綿の繊維 ((棉の実から種子をとった繊維を「綿花」といいます。綿花というのは、棉の花のことではないのでご注意を。))を分離する工程のことです。そもそも綿というのは、棉の種子に生えている毛のようなものなので、糸にする場合には、まず種子をとらなければなりません ((ちなみに、その種子からは油がとれ、「綿実油」(めんじつゆ)と呼ばれます。ちょっと高品質な食用油として市販されています。で、油を搾った種子の残りかすは「綿実粕」として肥料や飼料になります。))。
それを、たとえば新日本出版社の『資本論』では次のように書かれています。
綿紡績業における変革は綿実から綿の繊維を分離するための“綿繰り機”の発明を呼び起こした……(上製版『資本論』、新日本出版社、Ib、661ページ)
しかし、昔、日本近世史のゼミで綿作の話を勉強したときには、摘み取ったままの棉の実は「実綿」(「じつめん」または「みわた」と読む)と言ったはず…。はて、「実綿」なのか「綿実」(「めんじつ」と読む)なのか? 手元にある国語辞典を引いても、「実綿」も「綿実」も出てきません。いったい、どっちが正しいんでしょうか。
日本古代史の東野治之・奈良大教授の新刊。11月発売の岩波新書の1冊。
5度の失敗や失明にも負けず、日本への渡来を果たした鑑真和上は有名ですが、本書で東野氏は、その鑑真がそこまでして日本へ伝えたかったものは何だったのか? という問題にせまっています。
海外の古本サイトで、『資本論』をあさっていると、実に、いろいろな『資本論』に出くわします。
マルクス、エンゲルスが直接携わって出版された『資本論』には、ご存知のように、次のものがあります。ドイツ語各版は、すべてマイスナー社から出版。
1867年 第1部ドイツ語初版
1872〜73年 第1部ドイツ語第2版
1872〜75年 第1部フランス語版(マルクスが仏訳文を点検)
1883年 マルクス没
1883年 第1部ドイツ語第3版(エンゲルス編集)
1885年 第2部ドイツ語初版(エンゲルス編集)
1887年 第1部英語版(エンゲルス監訳)
1890年 第1部第4版(エンゲルス編集)
1893年 第2部ドイツ語第2版(エンゲルス編集)
1894年 第3部ドイツ語初版(エンゲルス編集)
1895年 エンゲルス没
昨年、亡くなられた吉岡吉典・日本共産党元参議院議員の遺著が2冊発売されました。左が新日本出版社から出た『「韓国併合」100年と日本』、右が大月書店から出た『ILOの創設と日本の労働行政』です。
吉岡さんは、これまでも『侵略の歴史と日本政治の戦後』『日本の侵略と膨張』『日清戦争から盧溝橋事件』『史実が示す日本の侵略と「歴史教科書」』『総点検日本の戦争はなんだったか』(いずれも新日本出版社)など、数多くの歴史書を書かれています。テーマの1つは日本の侵略戦争であり、もう1つが「韓国併合」と日本の植民地支配です。
『1857-58年草稿』を読んでいます。マルクスは、一応、経済学の本を書くつもりでこの草稿を書き始めたとはいえ、途中で、ああでもないこうでもないと考え始めると、その「ああでもない、こうでもない」をそのまま草稿に書き込みながら考えをすすめています。だから、『草稿』を読んでいくときは、個々の記述を読み取るだけでなく、マルクスの思考の流れをつかむことが大事になってきます。
ということで、先日から、固定資本・流動資本関係のところを読んでいますが、僕自身は、マルクスの書いた中身を理解するので精一杯で、マルクスの思考の流れはさっぱりつかめませんでした。
でも、よく読むと、マルクス自身が「さて、本題に戻ろう」とか「上述の論点を詳論するまえに」とか、「最後に」とか、ちゃんと手がかりを書いています。
ということで、教えてもらった、この部分の組み立てをもとに、自分なりに、マルクスの思考の流れを読み取ってみました。はたして、どうでしょうか?
今度は、マイスナー版の『資本論』を手に入れました。(^^)v
マイスナーというのは出版社の名前で、『資本論』は初版からこのマイスナー社から出版されました。マイスナー版といわれているのは、その中でも、マルクス、エンゲルス没後にマイスナー社が増刷したものを言います。ちなみに、私が手に入れたのは、第1巻が1917年刊の第7版、第2巻は1910年の第4版、第3巻は1911年の第3版です。