講談社現代新書、浅田實著『東インド会社』(1989年刊)
マルクスは、資本主義は16世紀に始まると書いていますが、16世紀に始まったのが、喜望峰回りの東インド貿易。そして、1600年にはイギリスの東インド会社が、1602年にはオランダの東インド会社が誕生します。
講談社現代新書、浅田實著『東インド会社』(1989年刊)
マルクスは、資本主義は16世紀に始まると書いていますが、16世紀に始まったのが、喜望峰回りの東インド貿易。そして、1600年にはイギリスの東インド会社が、1602年にはオランダの東インド会社が誕生します。
日本古代史の東野治之・奈良大教授の新刊。11月発売の岩波新書の1冊。
5度の失敗や失明にも負けず、日本への渡来を果たした鑑真和上は有名ですが、本書で東野氏は、その鑑真がそこまでして日本へ伝えたかったものは何だったのか? という問題にせまっています。
昨年、亡くなられた吉岡吉典・日本共産党元参議院議員の遺著が2冊発売されました。左が新日本出版社から出た『「韓国併合」100年と日本』、右が大月書店から出た『ILOの創設と日本の労働行政』です。
吉岡さんは、これまでも『侵略の歴史と日本政治の戦後』『日本の侵略と膨張』『日清戦争から盧溝橋事件』『史実が示す日本の侵略と「歴史教科書」』『総点検日本の戦争はなんだったか』(いずれも新日本出版社)など、数多くの歴史書を書かれています。テーマの1つは日本の侵略戦争であり、もう1つが「韓国併合」と日本の植民地支配です。
コミンテルンの実態を示す大事な資料だと言って教えてもらった『ディミトロフの日記 1933〜1949年』から。
日記だから、話の脈絡が分からん…。英訳版とはいえ、オイラの語学力ではパラパラ読むことさえ不可能。
社会運動史研究者の塩田庄兵衛先生が先月亡くなられていたことを新聞で知りました。
大学・大学院で日本史を専攻したとはいえ、僕は近世史、塩田先生は近現代の労働運動史ということで、学生・院生時代は先生の著書の熱心な読者ではありませんでした。しかし、その後、小選挙区制導入反対などで先生が呼びかけ人となって学者・文化人のアピールを発表するときなどに実務的な仕事をお手伝いをさせていただき、先生のご自宅もお訪ねしたことがありました。先生からは「回りから実務作業はどうしているんだと聞かれるので、『最近、優秀な秘書ができた』と答えているんだ」とおっしゃっていただいたこともあります。
そんなおり、「僕がはじめて読んだ『共産党宣言』は角川文庫のもので、塩田庄兵衛訳でした」とお話したら、たいそう喜んでいただきました。機会があれば、ぜひその本にサインをいただこうと思っていたのですが、その後、ご病気になられお見舞いにうかがうこともかなわず、そのままになってしまったのが残念です。
塩田先生、安らかにお休みください。
横浜方面をうろうろしている間に読んだ本の2冊目は、「満鉄」研究でも次々と成果を上げている早稲田大学の小林英夫氏の新著。
小林氏は、多くの日本人が「満洲」について「大いなる錯覚」を抱いていたとして、次のような5つの時期区分にしたがって、「日本人の視点を意識した中国東北史」を描いています。
毛利敏彦氏の『幕末維新と佐賀藩』(中公新書)を読み終わりました。
帯にもあるとおり、明治維新をもたらした「薩長土肥」の雄藩のなかで、一番マイナーな佐賀藩。しかし、実は幕末・維新期には、佐賀藩が一番の先進藩だったという、ちょっと意外な話です。
左から、戸谷由麻『東京裁判』(みすず書房)、坪井善明『ヴェトナム新時代』(岩波新書)、荒井信一『空爆の歴史』(岩波新書)。しばらく読み終わった本の感想を書き込むのをサボっていたので、3冊まとめて投稿します。(^_^;)
吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの第19巻、原田敬一『日清戦争』です。
著者の問題意識は、1つは、「日清戦争で日本は国際法を守った」という「神話」を検証すること。もう1つは、日清戦争の過程を可能な限り詳細に追いかけることによって、実は、日清戦争が、「7月23日戦争」、狭義の「日清戦争」、「台湾征服戦争」の3つの戦争から構成されていたことを明らかにすること。
1945年9月27日、昭和天皇が初めてマッカーサーを訪問する。このとき、天皇が「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにおたずねした」と発言したとされる。しかし、この記述の元になったマッカーサーの『回想記』には、事実関係と矛盾した記述が多いという。
それでは、実際には、昭和天皇はマッカーサーとの会見で何をしゃべったのか? 第1回会見の記録は、2002年10月に初めて公開された。さらに、2002年8月に、朝日新聞が、1949年7月の第8回会見から通訳を務めた故松井明氏の記録(写し)を入手し、その概要が公表された(ただし、同写しの全文はなお公表されていない)。
本書は、こうした資料にもとづいて、占領下あるいはサンフランシスコ講和条約締結前後の時期に、昭和天皇が主体的・能動的にはたした政治的役割を探究している。
左=大橋幸泰『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)、右=日下力『いくさ物語の世界』(岩波新書)
最近、読んだ歴史に関する本2冊。
1冊目は、吉川弘文館歴史文化ライブラリーの『検証 島原天草一揆』(大橋幸泰著)。寛永14年(1637年)から翌15年にかけて起きた、いわゆる“島原の乱”がテーマ。一揆が起きたときには、幕府・藩はキリシタン一揆だとみなしていたのに、のちに一揆が伝承化されたときには藩の苛政が原因だとされた。著者は、この“ねじれ”に注目して、17世紀前半という時期におきたこの“乱”の独自の歴史的性格があるとする。
池橋宏『稲作の起源』(講談社選書メチエ)。「照葉樹林文化」論批判。
イネの栽培は、焼き畑・陸稲から始まって、その後、水田・直播きが広がり、最後に今のように苗代を作って田植えをするという方法になったと、漠然と考えられているけれども、畑作から水田へという変化はなかなか大変。水田にして水をはるためには、耕作面を水平にしないといけないし、畦や用水路をつくるなど、技術的にもかなり高度なものが要求される。畑に潅漑をしていたら、自然と水田になった、というような簡単なものではない。
応永27年(1430年)を中心とした大飢饉。寛正の大飢饉(寛正元?2年、1460-61年)とならぶ、室町時代の2大飢饉。この大飢饉に襲われたとき、上は将軍・室町殿から下は市井の人々まで、室町時代の人々はどうしたか? それを、地球史的な気候変動(この時期は「小氷期」に入っていたらしい)を踏まえつつ、当時の資料から解き明かそうという本です。
しかし、読み終わってみると、興味深い素材はいっぱいあるし、狙いもいいのだけれど、掘り下げが足らず、せっかくの材料を生かしきれていないという印象を持ちました。「小氷期」という気候変動的な枠組みも、「小氷期に入っていた」と書かれているだけで、地球史的な話はありません。帯に「ドキュメント、応永の大飢饉」と書かれている割りには、応永の大飢饉のとき日々どんなことが起こったのか、ドキュメンタリーな記述があまりありません。