いただきました 佐々木潤之介『民衆史を学ぶということ』

佐々木潤之介『民衆史を学ぶということ』

一昨年亡くなられた佐々木潤之介先生の論文集『民衆史を学ぶということ』をいただきました。このなかに収められたいくつかの論文を探すのをお手伝いしただけなのですが、ありがとうございます。m(_’_)m

このなかの第4部「現代の歴史学」の中に収められている論文の1つは、私が先生に講演をお願いにあがったものです。もともとのテーマは、史的唯物論の立場から歴史を学ぶ意義を学生に話してもらうというもので、企画準備の過程で先生の名前があがったときは、正直、“ちょっと不向きじゃないのかなあ”と思いました。当日も、史的唯物論とは何かといった話は少しも出ませんでしたが、しかし、いま読み返してみると、歴史を研究するということと、歴史認識、歴史観をつくりあげるということとの“緊張関係”を、まだ教養課程の学生に、どう分かりやすく、しかも歴史観、歴史認識という、“生き方”にもかかわっていく問題を“感じとってもらう”か、細部まで配慮の行き届いた講演だったことがよく分かります。ちょっとでも、“先生には不向きではないか”などと思った自分の浅はかさが恥じられてなりません。

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結局買ってしまった 長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』

長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』

出版当初から気にはなっていたのですが、結局、買ってしまいました。まだ読み始めたばかりですが、このあたりはほとんど勉強したことがないので、関連文献も含め、ちょっと勉強してみたいと思います。

著者は、スターリンが対日参戦の条件として、サハリンの「返還」とクリル諸島(千島列島)の「引き渡し」を上げたこと、そのさい「返還」と「引き渡し」という区別がきちんとなされていたことに注目しています。この点は、スターリンの覇権主義の問題として重要なポイントなので、それを国際政治史としてどう扱われているのか、興味があります。

日本国内の動きとしては、海軍少将の高木惣吉に注目しています。そして、高木惣吉を含め、支配層の中の「終戦派」において、「国体護持」と「皇室の安泰」とを区別する動きがあったということに注目しています。これは、従来からあった論点なんでしょうか? しかし、確かに資料には2つの言葉が並んで出てきますが、だからといって、両者を区別して考えていたということになるのかどうか。むしろ、マッカーサーの占領政策からの“後知恵”ではないかという気もするのですが…。

しかし、とりあえず結論を急がず、読んでみたいと思います。

【書誌情報】書名:暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏/著者:長谷川毅/出版社:中央公論新社/出版年月:2006年2月/定価:本体3200円+税/ISBN4-12-003704-5

読んでいます 中公版・日本の歴史『開国と攘夷』

小西四郎『開国と攘夷』(?公文庫 日本の?史<19>

先日の歴史教科書シンポジウムの討論のときに、琉球大学教授の高嶋伸欣さんが、日本の対アジア観という大事な問題に関連して、小西四郎著『開国と攘夷』(中央公論社版日本の歴史<19>、親本は1966年刊)を紹介されていました。ちょうど中公文庫で改版新刊が出たとろだったので、早速読み始めました。

高嶋氏が紹介していたのは、幕末に、日本がアメリカやイギリス、フランスなどに開国をせまられたとき、列強の植民地にならずにすんだのはなぜかという問題。この問題は、しばしばインドや中国が「遅れていた」のにたいし、日本は「進んでいた」から植民地化の危機を乗り越え、アジアで唯一独立をたもち、「近代化」にも成功した、というふうに論じられるのですが、高嶋氏は、そういう独りよがりな見方でよいのか、そういうところこそ、アジアが日本の歴史認識の問題としていちばん注目するところだというのです。
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歴史教科書シンポジウムに参加してきました

今日は午後から、シンポジウム「歴史教科書いままでとこれから」に参加してきました。参加者は80名を超え、会場はいっぱいで熱気にあふれていました。

昨年は、「つくる会」の教科書採択をめぐって全国で大きな運動がおこなわれ、結果として、「つくる会」の歴史教科書の採択率は0.4%に終わるという成果をおさめました。同時に、その取り組みの中で、歴史教科書をめぐる問題は、「つくる会」の教科書の問題にとどまらないことも明らかになった、ということで、今回のシンポは、問題を深めつつ、継続的に議論をしてゆきたい、その手始めとして企画されたものです。

報告は以下の通り。

  • 教科書づくりの30年/下山繁雄(元教科書編集者)
  • 教科書問題のいまとこれからの課題/吉田典裕(出版労連)
  • 新中学校歴史教科書の比較検討/歴史学研究会・教科書ワーキンググループ
  • 社会科教科書の検定実態/西川正雄(社会科教科書懇談会)、石山久雄(歴史教育者協議会)

全体として、現在の教科書検定の実態が多面的に明らかにされたシンポだったと思います。
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「建国記念の日」反対2・11集会

今日は、永田町の星陵会館で開かれた「建国記念の日」反対2・11集会に参加してきました。といっても、大幅に遅刻し、吉田裕・一橋大教授の報告だけしか聞くことができませんでしたが…。

吉田さんは、小泉首相の靖国参拝やら麻生大臣の天皇参拝発言などがあり、また北朝鮮問題や反中・反韓感情をきっかけとした攻撃的なナショナリズムの広がりがみられるが、その一方で、伝統的な国家主義的なナショナリズムは明らかに退潮傾向にあり、靖国神社の崇敬奉賛会会員も減少傾向が止まらないこと、さらに、対アジア外交は袋小路に入ってしまうし、靖国神社や遊就館の特異な歴史観――アジア解放戦争だというだけでなく、対米戦争の結果まで否定してみせる歴史観――がアメリカやヨーロッパに知られるようになって欧米からも反発をまねき、「保守派」のなかにも分岐・対立が生まれるようになったこと、それがさらに皇室典範改正問題や改憲問題にもからんで、いまや靖国参拝問題は「保守派」の中での矛盾の焦点になっている、と指摘。

戦争体験世代が少なくなっている状況の下で、歴史学として、実際の戦争というものがどういうものだったのか、戦場の実相はどういうものだったのかを、たんなる戦史ではない形で、歴史学として取り上げる必要がある。戦争の加害・被害の問題もあるが、戦争責任の問題に戦後長く向き合ってこなかったことを含めて、戦争責任の問題を考えていく必要がある。皇室典範問題でも、ただ単に安定的な皇位継承か「伝統」かではなく、天皇制の存否を含め“王様は裸だと言う勇気”が求められるのではないか。青年との対話の経路をどうやってつくっていくか、などを提起されていました。
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腰痛4日目…吉田孝『歴史のなかの天皇』

今日は、職場の机の並び替え作業をおこないました。といっても、僕は腰痛なので、机を運んだり動かしたりするのは他の人に任せ、パソコンとLANの配線を担当。机を動かすために、いったん外したパソコンのケーブルやらLANやらをつなぎ直して回るだけなのですが、各種ケーブルが束になってごちゃごちゃからまってしまっていて、結構手間がかかってしまいました。

そのせいか、午後になって再び腰が痛み始めてしまいました。う〜む、これは困った…。

吉田孝著『歴史のなかの天皇』(岩波新書)

ところで、出勤途中の電車の中で、1月の岩波新書、吉田孝著『歴史のなかの天皇』を読み終えました。古代史が専門の吉田先生ですが、中世、近世から近代、現代の天皇制まで話が及んでいます。古代については、いろいろ勉強になることがいっぱいありました。

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懐かしい本 山崎隆三『地主制成立期の農業構造』

古本で、山崎隆三著『地主制成立期の農業構造』(青木書店、1961年刊)を入手。学部のゼミで、佐々木潤之介先生に報告するように言われた本です。

僕が苦労して報告したあと、佐々木先生は、この本で大事なのは、第5章「近世後期における富農経営の発展」の中に掲載された氏田家の収支計算の総括表だ、その総括表の中に、自作地の経費として氏田家が使う奉公人・日雇の「労賃」の項目があるのですが、それが重要なんだと言われました。
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新刊紹介の原稿をアップしました

恩師・佐々木潤之介先生の遺著『江戸時代論』(吉川弘文館)と中村政則先生の『戦後史』(岩波新書)の紹介原稿をアップしました。

中村先生の『戦後史』について、前にコメントしたときは、とりあえず気になったところをあれこれ書きましたが、あらためて読み直してみて、全体的評価抜きでのつまみ食い的コメントはまったく正しくないと思いました。

同書で中村先生は、戦後史をみていく視点として、3つの軸を提起していると思います。「憲法」「アジア諸国との関係」「日米関係(というか、安保条約に代表される対米従属的関係)」の3つです。そのことは、とくに最終章で、9・11以後を「新しい戦争」の時代ととらえ、テロ特措法など自衛隊海外派兵がさらに進んだこと、それとの関連で憲法9条の改悪の動きが進行していること、そして小泉首相の靖国神社参拝問題にみられるようなアジア諸国との関係悪化にたいする批判として明確に提示されているのですが、こんど読み返してみて、実は、戦後の始まりのところから、そういう視点で書かれていることにようやく気がついたような次第です。

いまの時期に、憲法や対アジア関係、対米従属という問題を基軸にすえて著作をあらわされたというのは、やっぱり、さすが中村政則先生だと思います。中村先生、出来の悪い学生ですんませんでした。m(_’_)m

田原総一朗『日本の戦争』

田原総一朗『日本の戦争』(小???文庫)

本書は、田原総一朗氏が1998年7月から2000年10月まで、『SAPIO』に連載したもの。親本は2000年11月に小学館から出ています。御本人が「全くの素人として、5年にわたって、まるで迷路を歩くように、太平洋戦争勃発までの軌跡を辿りました」(文庫版あとがき)と書かれているように、いろいろな研究者に取材などもしながら、調べたり考えたりしながら書かれたもののようです(5年というのは、連載以前に何年か取材をしてきたということでしょう)。

目次は、こんな感じ。

第1章 富国強兵――「強兵」はいつから「富国」に優先されたか
第2章 和魂洋才――大和魂はそもそも「もののあはれを知る心」だった
第3章 自由民権――なぜ明治の日本から「自由」が消えていったか
第4章 帝国主義――「日清・日露戦争」「日韓併合」は「侵略」だったのか
第5章 昭和維新――暴走したのは本当に「軍」だけだったか
第6章 五族協和――「日本の軍事力でアジアを解放」は本気だった?
第7章 八紘一宇――日本を「大東亜戦争」に引きずり込んだのは誰か

たとえば第4章では、田原氏は、「伊藤博文は韓国を併合する意図はなかった」という想定で書いていますが、しかし、それを裏付ける資料は見つからないと書かざるをえなかったように、この想定は破綻していると言えます。

それでも、全体として、僕は、わりと真摯に歴史を調べ、書いたものだと思いました。ただ、独立を奪われた側、侵略を受けた側がどう思ったか、どう感じたかという問題がほとんど出てこず、したがって、先の戦争は、もっぱら日本はどうしてあんな無謀な戦争につっこんでしまったのか?という角度から取り上げあられることになっています。

しかし、その中でも、田原氏が、あの戦争は「失敗」だったことを明確にして、その立場で一貫されていることは、注目に値すると思います。
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入江昭『歴史を学ぶと言うこと』

入江昣??津??を妣??と言うこと』(講談社現代新書)

アメリカ外交史の泰斗・入江昭氏が、自分がどんなふうに歴史を学び、研究を志してきたかをふり返った一冊です。入江昭氏というと、1953年にアメリカに留学し、その後、ハーヴァード大学の大学院に進み、日本人ながらアメリカ外交史の研究者として、長くシカゴ大学、ハーヴァード大学などで教鞭とってこられた方です。
全体は3部構成。第1部「歴史と出会う」は、入江氏がどんなふうに歴史と出会い、どういうきっかけでアメリカへ留学することになったのかから始まって、大学院での修業時代、教職を求めてアメリカ大陸を西へ東へと渡り歩いたことなど、その半生をふり返っています。第2部では、「歴史研究の軌跡」と題して、入江氏の研究のあゆみを紹介。第3部「過去と現在のつながり」では、歴史を学ぶとはどういうことか、歴史認識とは何かなど、入江流歴史観を論じています。
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安丸良夫先生の最終講義

今日は、午後から、安丸ゼミのOB会で、安丸良夫先生をお招きして「我々への最終講義」を行なっていただきました。

僕は、修士課程の2年間、サブゼミとしてお世話になっただけなのですが、安丸ゼミの集まりは初めて。先生とお会いするのも、昨年の佐々木潤之介先生の偲ぶ会以来で、日頃の無沙汰のお詫びもかねて、参加させていただきました。
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連鎖視点からみた日露戦争

山室信一『日露戦争の世紀』

山室信一さんの『日露戦争の世紀――連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書、2005年7月刊)を読み終えました。

今年は、日露戦争100年ということで、いろんな本が出ていますが、本書は、<1>日露戦争をはさむ1世紀――つまり1855年の日露和親条約の締結から、1955年の日ソ交渉の開始までの1世紀――を、どうして「和親」から始まった日露関係がわずか50年で開戦にいたったのか、そして、その後50年の間に日本はアジアへ侵略を拡大していったのはどうしてかをたどり、また、<2>日露戦争を出発点とする1世紀を、「戦争と革命の世紀」の20世紀として、また「アジアとの交流と断絶の20世紀」として、ふり返っています。

そのための方法というのが「連鎖視点」なのですが、それは、歴史のなかで生起する「あらゆる事象を、歴史的総体との繋がりの中でとらえ、逆にそれによって部分的で瑣末と思われる事象が構造的全体をどのように構成し規定していったのか」を考えるというもの。人と人との出会いや、出来事の繋がりで、歴史の「意味」を探ろうというもののように見受けました。
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中村政則『戦後史』(岩波新書)

並??政則『戦後史』

日本経済史の中村政則先生の最新著です。新書1冊で、激動の戦後60年を総まくりしようという、およそ類書のない大胆な著作です。

本書の構成は、以下の通り。

序 章 「戦後史」をどのように描くか
第1章 「戦後」の成立(1945?1960年)
第2章 「戦後」の基本的枠組みの定着(1960?1973年)
第3章 「戦後」のゆらぎ(1973?1990年)
第4章 「戦後」の終焉(1990?2000年)
終 章 新しい戦争の中で―「戦後」とは何だったのか

で、著者ご本人の説明によれば、本書の特徴は、<1>「貫戦史(Trans-war histry)」という方法と、<2>目次を見ても分かるように、1960年を画期として「戦後史」をとらえる「1960年体制」論、それに<3>文献資料や先行研究をベースにした叙述の合間合間に、著者の生活体験やら「聞き書き」などを挿入するという叙述スタイル、にあるそうです。

実際、研究蓄積という点では、いわゆる歴史学の分野にとどまらず、山のように先行研究があるわけで、それらをおさえつつも、60年の歴史を詳細に書き連ねるというのではなく、上記4つの時期区分(段階区分?)にそって、それぞれの時期の特徴を浮かび上がらせるようになっています。
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山中恒『アジア・太平洋戦争史』

山並??『アジア・太平洋戦争史』

山中恒さんの『アジア・太平洋戦争史――同時代人はどう見ていたか』(岩波書店)をようやく読み終えました。全体で600ページを超える大著ですが、はまりこんで夢中になって読み進めることができました。

本書が対象としているのは、主要には、1931年の「満洲事変」から1945年の敗戦までのいわゆる15年戦争ですが、話は、明治維新直後の「国軍の創設」から始まり、日清・日露戦争から、孫文の辛亥革命、そして1914年の「対華21カ条条約」と、明治以来の日本の朝鮮・中国侵攻の歴史全体に及んでいます。
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佐々木潤之介『江戸時代論』 途中経過報告

先日いただいた佐々木潤之介先生の『江戸時代論』(吉川弘文館、9月10日刊)ですが、行き帰りの電車の中で一生懸命読んでいます。

まだ第1部「社会史的江戸時代史」を読み終えて、第2部「日本・朝鮮・中国」に入ったところですが、ここまで読んでみて、先生がこの本で論じようとしたことが、スケールが大きくて、非常に今日的な問題であることが分かってきて、ますます引き込まれています。

なぜ明治維新が「王政復古」の形をとらなければならなかったのか? なぜ日本の幕末には、中国の太平天国の乱や朝鮮の甲午農民戦争(いわゆる東学党の乱)のような「民乱」が生じなかったのか? それを兵農分離、幕藩制国家の特質として考えようというのです。ほんとにこんなに風呂敷を広げちゃって大丈夫?と心配になるほどですが…。

いただきました

佐々木潤之介『江戸時代論』

昨年亡くなった恩師・佐々木潤之介の書き下ろし遺作、『江戸時代論』(吉川弘文館、9月刊)を、奥様からいただきました。病室にパソコンを持ち込んで、最後まで原稿を仕上げようとされていたものだそうです。元々は吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの1冊として予定したものとのことですが、できあがった本はその3倍、400ページを超える分量もあります。

とりあえず目次だけ紹介すると、
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勅使河原彰『歴史教科書は古代をどう描いてきたか』

勅使河原彰『?史教科書は古代をどう描いてきたか』

帯に「『つくる会』教科書、徹底批判!」とあるので、最初は、「つくる会」の歴史教科書の古代史部分をとりあげて批判した本かと思って読み始めましたが、実際には、それにとどまらず、明治以来の歴史教科書と歴史教育の移り変わりを丹念にあとづけて、そのなかから「つくる会」歴史教科書の問題点を明瞭に浮かび上がらせています。

明治維新で誕生した新国家は、最初から教育にたいする統制の意図は持っていましたが、それでも、最初から国定教科書でもなかったし、南北朝についても両統併記だったのが、自由民権運動と対抗し、大日本帝国憲法を定めて国会開設にいたる時期に、国定教科書となり、南北朝正閏論でも南朝正統説になる、など統制が強まったことが分かります。そのとき同時に、内容への統制が強められたのが、日本の歴史の「始まり」の部分で、天照大神から始まるのが日本の「正史」とされるとともに、考古学的な知見が排除されるようになります。

さらに勅使河原氏が力を注いで明らかにしているのは、その戦前の国定教科書で日本の歴史の始まりとされた「天照大神」以下の「神話」が、けっして、古事記・日本書紀に記された「神話」そのままではなく、それを巧妙に改作してあることです。
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Windowsが起動しなくなった…

日曜日の出来事。

Windows2000ではハードディスク137G以上の領域を認識しない問題で、レジストリを書き換えて認識させる作業はうまくいったのですが、そのあと、それ以前、認識していなかった領域をあわせてパーティション切り直しの作業をしていて、どこかでミスったのか、NTLDRが見つからない!とのエラーが発生…。
コンソール画面からNTLDRをコピーしてみたがダメ。いろいろ試しているうちに、事態はますます泥沼化してしまった…。
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画期的な靖国神社論――赤澤史朗『靖国神社』

赤澤史朗『靖国神社』表紙カバー

ようやっと赤澤史朗『靖国神社』(岩波書店)を読み終えました。

この本の靖国神社論は、画期的なものです。なぜなら、戦後の靖国の「平和主義」の可能性というものを考察の軸の1つに据えているからです。靖国神社の「平和主義」? と思われるかも知れませんが、これは言い換えると「殉国」「顕彰」か「追悼」かの対立。靖国神社も戦後の再出発の時点からずっと今のような靖国神社ではなかったということです。

もちろん、靖国神社の「平和主義」は、靖国神社の戦前の伝統からきちんと抜け出すことができず、結局は、「殉国」「顕彰」の流れに飲み込まれてしまう訳ですが、同じ、「殉国」と「追悼」との対立は、広く日本国民の戦争犠牲者にたいする態度のなかにあったわけで、敗戦からの絶対的な「時間」の経過とも重なって社会的な変化を重ねていくことになります。そこを、「靖国問題」にたいする国民各層の動きというかたちで追っていったところに、この本のおもしろさがあるように思いました。
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またまた地震…

関東地方でまたまた地震発生! といっても、僕は電車の中だったので気がつきませんでした。駅を出て、駅前のスーパーで夕食の総菜を選んでいるときに、店内放送で「先ほどの地震は…」とやり出して、初めて知りました。

地震

ところで自宅のデスクトップパソコンですが、いちおう使えるようになって、あれこれソフトもインストールしたのですが、なんだかちょっとずつ変…。日本語入力中にしばしばフリーズするし、外部アプリケーションからインターネットエクスプローラが呼び出せなくなっている…。

ということで仕方なく、もう一度、ハードディスクをフォーマットするところからインストールのやり直しです。うまくいくかなぁ… (^_^;)

永原慶二『日本封建制成立過程の研究』(岩波書店、1961年)は、約8割のところまで読みすすみました。こんなに充実した内容だったとは…。大学1年生の時に読んだときはまったく分かっていませんでした。お恥ずかしいかぎりです。

【本日のBGM】Shostakovich:Symphony No.8 in C minor Op.65/WDR Sinfonieorchester, Rudolf Barshai/Recording: 1994/Philharmonie, Koeln
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