(1990年1月)
目次
日本共産党第十八回党大会が「ネオ・マルクス主義」理論の研究・批判を提起してから約二年になります。
この間、『前衛』『科学と思想』誌などでさかんに研究・批判活動がおこなわれてきました。そのなかで、「ネオ・マルクス主義」が難解でこみいった表現をとおして何を言いたいのか、どの点で科学的社会主義の原則的見地をゆがめ、放棄しているのかということが、個々の論者の命題もふくめ、基本的に解明されてきました。
この七月に、これまでの主な論文をあつめて『ネオ・マルクス主義―研究と批判』が新日本出版社から出版されました。本書は、「ネオ・マルクス主義」理論の研究・批判をすすめるうえでおおいに役立つことでしょう。
ここではその内容紹介をかねて、あらためて「ネオ・マルクス主義」とは何か、その問題点はどこにあるのかを考えてみたいと思います。
その場合、日本における科学的社会主義理論の自主的創造的な探究の成果をふまえることが大変重要です。
本書第一部の山口富男論文は、国家論、革命論にかんする日本共産党のこれまでの理論的な到達点として、国家機構の具体的分析や革命の移行形態、議会と執行権力との関係、執行権力内部での政府と公的強制力の位置づけ、反動的国家機構の根本的変革の問題、ブルジョア民主主義の評価と新しい社会での国家機構、民主主義の発展の問題などを要約的に紹介しています(二九〜三一ページ)。
本書の第一部には、「ネオ・マルクス主義」を総論的にとりあげた志位和夫「『ネオ・マルクス主義』とはなにか」と山口富男「科学的社会主義と『ネオ・マルクス主義』問題」がおさめられています。
志位論文は、そもそも「ネオ・マルクス主義」は、科学的社会主義へのアンチ・テーゼの理論化であり、それに役立つものを何でも雑炊のように取りこんだものだと批判しています。
また山口論文は、この理論・思想潮流の基本的特徴を次のように指摘しています。
「『新・マルクス主義』=『ネオ・マルクス主義』と総称される理論家たちは、『正統的共産主義者の理論』と彼らがみるところの理論のもつ限界をのり越えるとして、種々のアプローチを提唱します。そして、土台―上部構造論、階級・階級闘争の理論、階級支配の機関としての資本主義国家論、前衛党(共産党)の役割など、人類解放の理論である科学的仕会主義の基本的な諸命題そのものを改変、ないし否定してゆきます」(二〇ページ)
つまり、「正統派マルクス主義」とか「伝統的マルクス主義」とかの“克服”と称して、科学的社会主義の基本的諸命題そのものをゆがめ、放棄していくところに、彼らの特徴があります。
このような特徴をもつ「ネオ・マルクス主義」がまとまった理論・思想潮流として登場してきたのは、一九六〇年代末からのフランス、イギリス、西ドイツ、アメリカなどにおいてです。一般的には、六九年から七〇年にかけてイギリスの『ニュー・レフト・レビュー(新左翼評論)』という雑誌で、ギリシャ生まれでおもにフランスで活動した政治学者、ニコス・プーランザスとイギリスの政治学者ラルフ・ミリバンドとが国家論をめぐる論争をおこなったのが画期になったと見られています。
なぜ、この時期にこのような理論・思想潮流が登場したのでしょうか。山口論文では、政治的背景と理論的背景を次のように説明しています(二一〜二二ページ)。
政治的には、アメリカ帝国主義のベトナム侵略や、IMF(国際通貨基金)体制の崩壊につながる資本主義世界の諸矛盾の広がりと蓄積、複雑な支配の機構と運動をもつようになった資本主義国家の現実とそこでの階級闘争の展開、いわゆる「ユーロ・コミュニズム」への関心の高まりなどがあります。同時に、一九六八年におきたソ連などによるチェコスロバキアへの軍事的干渉といった、一部社会主義国の大国主義・覇権主義の誤りなどがあり、それがきっかけとなって、「社会変革への道」の探求をすすめようとする彼らの関心が、科学的社会主義理論の国家論、政治論の“再検討”にむかったのです。
また理論的な背景としては、スターリンによる科学的社会主義の諸命題の単純化や不当な一般化がおこなわれていたことへの反発や、ソ連・東欧およびアメリカや西欧諸国の理論活動の分野で科学的社会主義理論が一面的、俗流的に理解されていたこともあったでしょう。もちろん、そうした理論的な誤りや硬直化を科学的社会主義理論そのものの誤りのようにわい曲して、科学的社会主義の原則的見地の放棄に結びつけたことは、正しくありません。
その他にも、「ネオ・マルクス主義」は、それ以前のグラムシ、ルカーチをはじめとする「西欧マルクス主義」の伝統や、フーコー、アルチュセールの構造主義からの影響なども受けています。本書第四部の二本の論文はアルチュセール理論の批判を、第五部の鰺坂真「ネオ・マルクス主義の思想的源流」は「西欧マルクス主義」の解明をおこなったものです。
さて、「ネオ・マルクス主義」の代表的論者として日本で紹介されている人物には、先にあげたプーランザスやイギリスの社会学・政治学者ボブ・ジェソップがいます。とくにプーランザス(一九七九年に自殺)は、その後のさまざまな「ネオ・マルクス主義」理論家たちが、それぞれちがいがあっても共通して彼の議論から出発しているという意味で、代表的論者というにふさわしい人物です。ジェソップは、『プーランザスを読む』という著書をあらわして、プーランザスの「理論」の“中間総括”をした人物で、現在もさかんに理論活動をおこなっています。
山口氏は、この二人の所論を中心にして、「ネオ・マルクス主義」に共通する基本的な主張を、(1)「マルクスの主観的読み換え」、(2)土台−上部構造論など史的唯物論の基本的命題の放棄、(3)国家論、革命論での誤り、(4)前衛党否定にゆきつく戦略論、の四点にまとめて批判しています。
ここでは、科学的社会主義の理論と実践にとって中心的な問題である国家と革命の問題について、プーランザスの主張とその誤りをまず検討したいと思います。なお本書は、プーランザス理論を批判した論文をまとめて第二部とし、それ以外の「ネオ・マルクス主義」理論家〔ジェソップとラクラウ〕の批判論文は第三部におさめています。
「ネオ・マルクス主義」の理論家たちは、共通して、国家を階級支配の機関とみる科学的社会主義理論の国家論の見地を、“国家を支配階級の思うままに操作できる「中立的な道具」とみなす「国家=道具」説あるいは「道具主義」的理解”と呼んで非難します。
しかしまず指摘しておかなければならないことは、科学的社会主義の国家論はプーランザスのいうように国家を「中立的な道具」とみなすようなものではないということです。エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』で、国家は社会が一定の経済的発展段階にたっして、搾取する階級と搾取される階級とに分裂したことの結果として生まれたものであることを明らかにしたあと、次のようにのべています。
「これらの諸対立が、すなわち相対抗する経済的利害をもつ諸階級が、無益な闘争のうちに自分自身と社会をほろぼさないためには、外見上社会のうえに立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』のわくのなかにたもつべき権力が必要となった。そして、社会からうまれながら社会のうえに立ち、社会にたいしますます外的なものとなってゆくこの権力が、国家である」(国民文庫、二二一ページ)
このように、外見上社会のうえに立って、階級対立を一定の「秩序」(この秩序が支配階級の立場を維持、強化する秩序であることはいうまでもありません)のなかに抑圧する公的強制力が国家です。したがって国家は、人民を統治するための特殊な強力機構、軍隊や警察などの武装した人間集団と裁判所、刑務所などの強制施設をもっています。そして国家は、階級闘争のなかから生まれたものですから、通例は「経済的に支配する階級の国家」になります。この点は、普通選挙権にもとづいた民主的共和制のもとでも変わらないどころか、いっそう確実になるとエンゲルスは指摘しています(同二二五ページ)。
ところがプーランザスは、資本主義国家を「政治的支配にのみに還元することは絶対に不可能である」とか、資本主義国家は「支配的諸階級によって独占されているのでもない」というのです。
プーランザスは、最初の著作『資本主義国家の構造』(一九六八年)のなかで、国家は支配階級と被支配階級との「妥協による不安定な均衡に基礎を置いている」と主張しました。のちにこの規定を“発展”させて、最後の著作である『国家、権力、社会主義』(一九七八年)では、国家とは「諸階級および階級的諸分派間の力関係の物質的凝縮」であるとします。表現上の多少のちがいはありますが、もともとプーランザスは、「権力」を“他の階級の利益に対抗して自らの階級の利益を実現する能力”の関係と見ていますから、国家もそうした階級間の「権力」、「力関係」にもとづくものとされるのです。その意味で、プーランザスの国家論は基本において変わっていないといえます。
上野俊樹「プーランツァスの国家論」は、このような「力関係の凝縮」というプーランザスの国家理解が科学的社会主義の国家論といかに異なっているかを明らかにして、批判しています。上野氏は、階級抑圧の機構としての役割が国家の一般的本性」であり、国家のどんな活動も「多かれ少なかれ被支配階級の抑圧という支配階級の階級目的に規定されている」ことを指摘して、次のようにプーランザスの国家論を批判しています。
「国家の役割が階級間の衝突を緩和し、その衝突を現存する『秩序』の内部にとどめておくというのは、現存する階級秩序を維持するということであるから、当然こうした国家の機能は支配階級の利益のためにおこなう行為である。国家は現存する秩序を維持するために、従って支配階級の利益を擁護するために衝突する両階級を調停するのであって、衝突する両階級の力関係に従って衝突の原因たる利害関係を調停するのではない」(五六ページ)
つまり、国家が、階級支配の機構として、現実の階級的な力関係を考慮にいれて活動するのは当然です。しかし、そのことと、国家が階級間の「妥協」に基礎を置いているとか、「力関係の凝縮」であるということとはまったく意味が異なっているのです。
また国家機構のなかには、議会制民主主義のもとでの国会のように一定の範囲内で階級的な力関係を反映するものもあります(その場合でも支配階級は、階級的な力関係が議席にストレートに反映しないように選挙制度などにさまざまな制限を設けたり、あるいは国会を形骸化して議会内の力関係がそのまま執行権に反映しないようにしています)。しかし、国家権力の背骨ともいうべき軍隊や警察などの強力機構の場合は、支配階級がそれらの機構を特別な体制においており、この組織のなかに階級的な力関係が反映しないことの方が基本です。
プーランザスはまた、階級支配の機構と見たのでは国家の「相対的自律性」を論じる余地がないといっていますが、彼のいう「相対的自律性」論は、史的唯物論でいう上部構造(国家)の「相対的独自性」とは似て非なるものであることに注意しなければなりません。史的唯物論は、土台が上部構造を規定し、上部構造が土台に照応することを明らかにしましたが、この関係は、生産関係における階級矛盾と客観的な運動法則が、その発展の過程で自らに照応した上部構造をつくりあげるという意味であり、そうした大枠のなかで上部構造が相対的な独自性をもって土台に反作用することをなんら排除していません。
上野論文は、プーランザスのいう「国家の相対的自律性」論は、経済的土台から切り離された階級闘争という彼の考え方を前提として、その階級闘争からの「相対的自律性」を論じたものであり、実際には「国家の絶対的自律性」論になっていると批判しています(五一〜五二ページ)。
国家を「力関係の凝縮」とみるプーランザスの立場からは、国家権力を労働者階級や人民がにぎるという革命の展望が出てこないのは当然でしょう。
プーランザスは、革命の展望をつぎのように考えました。資本主義国家の内部には「闘争」がつらぬいており、執行府と議会、さまざまな省庁、司法府、軍隊などに諸階級・諸階級分派が自己の利益を「結晶化」させている。だから国家は分裂、矛盾している。人民の闘争は、こうした国家の内部矛盾にたいしておこなわなければならない、と。そこから彼は、社会主義への移行において「国家の網の目の中で大衆が常に持っている分散的な抵抗の中心を、それらが国家という戦略的な土俵において実質的権力の現実的中心となるような形で、新たな抵抗の中心を創出・発展させつつ、普及・発展・強化・指導する」という、流動的で断続的な長期にわたる戦略を考えます。
しかし、その過程で左翼が政府を占有しても、ブルジョアジーは国家のなかで支配的な役割をになう国家装置を入れ換えて、実質的な権力を統御することができると、彼はいいます。それではどうするのでしょうか。実際には、人民の勢力が政府をにぎることは、革命における重要な一歩ですが、それはまだ権力への橋頭保です。人民の大多数を革命の側に獲得して、国会を「人民に奉仕する機関」とし、さらに反動的国家機構の根本的変革を実現しなければなりません.こうした展望は、国家を階級支配の機関とみる見地に立ってこそ明らかにできるものです。
しかし、国家を「力関係の凝縮」とみるプーランザスの立場からは、結局その解答をえられません。山口氏は、プーランザスは事実上の「破綻宣言」を出していると、指摘しています(二八〜二九ページ)。
また、プーランザスは、自殺直前のインタビューで、「前衛党概念はプロレタリア独裁(執権)概念および単一政党制概念と相関関係にあります。複数政党制を主張すると同時にレーニン主義的な前衛党概念を主張することはできません」(『資本の国家』)とのべています。しかし、ロシア革命においては結果的に一党制になったとはいえ、それが社会主義における一般的なあり方ではありません。また、「プロレタリア執権」の概念は、革命の結果うちたてられる権力の階級的な性格をあらわすもので、そのもとで実際におこなわれる特定の政治制度と混同することは正しくありません。プーランザスは、このように科学的社会主義の創始者たちの本来の考え方をより深く解明するのではなく、逆に反共攻撃に屈服して、革命における民主主義的中央集権制にもとづいた前衛党の役割を否定する立場におちいったのです。
またプーランザスは、学生運動や女性解放運動、環境保護運動などの「社会運動」を非階級的なものと見たうえで、階級闘争との「接合」を説いています。しかも、政党はこのような「社会運動」を指導したり、自らの活動のなかにとりいれたりすることはできないというのです。しかし、これは、これら社会運動が直接には民主主義的な性格をもった要求を実現する運動とはいえ、そうした要求が生まれる根本に、現代資本主義の根本的な階級的対立、矛盾があることを理解しない議論です。ここにも、国家や政治を経済的土台から切り離すプーランザスの誤った立場が反映しています。
以上のべたようなプーランザスの国家論、革命論の誤りの根底には、史的唯物論をわい曲する立場があります。次にそれらの点について検討しておきましょう。
原始共産制の時代をのぞき、これまでの歴史は階級闘争の歴史でした。マルクスやエンゲルスは、この階級闘争が社会の経済構造における矛盾から必然的に生ずるものであることを明らかにしました。すなわち、人間は社会的生産において人間の意識から独立した一定の生産力の水準に照応した生産諸関係にはいること、その生産諸関係の総体が社会の実在的土台をかたちづくること、社会のときどきの法的政治的諸制度(国家をふくむ)、および哲学、思想一道徳、宗教などの社会意識からなる上部構造は、土台にたいして相対的な独自性をもちつつも、究極的には土台によって規定されることです。そして、社会の物質的生産力は発展のある段階で、それまでの生産諸関係と矛盾するようになり、それとともに「社会革命の時期が始まる」こと、この変革の時期は「その時期の意識」からではなく、「物質的生活の諸矛盾」、生産力と生産諸関係との「現存する衝突」から理解しなくてはならないことです。(マルクス「『経済学批判』序言」)
この史的唯物論の見地は、マルクス自身「導きの糸」とのべているように、何かこれに合わせて歴史を裁断するといった“公式”ではありません。
ところが「ネオ・マルクス主義」は、この見地は国家や政治を階級闘争や経済との関係でのみ定義することになる「階級還元主義」「経済還元主義」だとして排除してしまいます。代わりにプーランザスはどんな理論をもちだしたのでしょうか。
プーランザスが最初『資本主義国家の構造』において主張したのは、次のような考え方でした。社会は「経済的審級」「政治的審級」「イデオロギー的審級」という三つの「審級」をもつ「構造」と「実践」からなっている。そして「経済」は、どの「審級」が支配的役割を果たすかを決定するだけで、現代資本主義社会では「政治」が支配的役割を果たしている、という考え方です。「審級」と訳されているのは、裁判制度で第一審、第二審などという場合の「審」にあたる言葉で、社会は、経済、政治、イデオロギーの三つの水準によって「重層的」に決定されるという意味です。
これは、一見マルクスにしたがって経済の規定的役割を認める理論のようですが、実際には「経済」「政治」「イデオロギー」の「審級」の複雑な組み合わせ、相互関係のなかにすべてを解消する議論です。プーランザスは、マルクスがさまざまな社会関係のなかから一定の生産力の水準に照応した生産関係の総体を「土台」としてとりだすことによって、はじめて社会の科学的認識を可能にしたことを理解せず、結局マルクス以前の、社会についての混とんとした見方に引きもどしているのです。このプーランザスの「審級」論のくわしい批判は、上野俊樹「プーランツァスの階級論」(『前衛』一九八八年二月号)を参照してください。
のちにプーランザスは、三つの「審級」を区別し、社会を「構造」と「実践」に分けるやり方が抽象的だとの批判を受けて、“自己批判”します。そして『国家、権力、社会主義』では、“政治(国家〕やイデオロギーははじめから生産関係のなかに構成要素として存在している”、“経済的、政治的、イデオロギー的諸規定の統一性こそが基礎だ”という主張を展開します。
しかしこれは、ますます土台と上部構造をごちゃまぜにする議論でしかありません。『国家、権力、社会主義』で展開された彼の国家論については、志位和夫「プーランツァス国家論の矛盾と破綻」(『前衛』八九年八月号)が綿密な批判をしています。
プーランザスは、このような史的唯物論否定の考え方を、アルチュセールから受け継いだ観念論的な方法論によって正当化しようとしています。それは、歴史的発展を認めない構造主義の方法と、認識の対象を客観的実在からきりはなすアルチュセールの認識論です。本書第四部の河村望「アルチュセールの構造主義と国家論の批判」は、構造主義の方法論の誤りを、田代忠利「マルクスに『裏切られた』アルチュセール」は、その認識論の誤りをそれぞれ批判しています。
このように、経済的土台が国家と上部構造を究極的に規定していることを認めない「ネオ・マルクス主義」の立場は、その階級論、階級闘争の理論にも現れています。
科学的社会主義の理論は階級を規定する場合にも、唯物論の見地をつらぬきます。すなわち、階級は、社会におけるそれぞれの人間集団が一定の社会的生産体制において占める地位や、生産手段にたいしてもつ関係などによって客観的に規定されるという見地です。そして、資本主義的生産関係に規定され労働し生活している「即自的階級」である労働者階級が、客観的に存在する階級的な諸矛盾、諸対立に規定されて、政治的実践、階級闘争をつうじて階級的自覚を高め、「対自的階級」に成長していく(今日ではその中心に前衛党が存在しています)という見方をとっています。
ところが「ネオ・マルクス主義」は、階級を生産関係における地位として規定するのは「経済還元主義」だ、階級を「即自的階級」から「対自的階級」へと発展的にとらえるのは「歴史主義」だといって否定してしまいます。そしてプーランザスは、階級を経済、政治、イデオロギーの複合的作用のもとに理解しなければならないと考え、「階級関係とは権力関係である」、「権力とは、自らの種差的客観的諸利益を実現するある社会階級の能力を指す」という独特の階級論を主張します。
「自らの種差的客観的諸利益」といっても、プーランザスは土台における客観的な階級的利害対立をみとめないのですから、実際には、何が階級的な利益なのかわかりません。したがって、結局は、何かある問題をめぐっておたがいにたたかっている集団が「階級」だということになります。これは結局、階級を、現実の社会の「闘争」において人びとがとる主観的な立場や政治的意識によって規定しようというものです。
それとともにプーランザスは、「労働者階級」を、工場で実際に商品を生産し、剰余価値を生産する労働に直接くわわっている労働者に狭く限定し、技術労働や指揮・監督労働に従事する労働者やいわゆるサラリーマンなどを労働者階級から排除する、特殊な「労働者階級」論を展開しています。
労働者階級の範囲をどう理解するかについては、「ネオ・マルクス主義」とは別に以前から国際的な論争のある点です。高山五郎「現代労働者階級論とプーランツァス」は、そうした論争にもふれながら、マルクスの議論もふまえて、労働者階級の範囲を狭く理解する立場を批判し、「プロレタリアートとは、自分で生産手段を持たないので、生きるためには自分の労働力を売るしかない、近代の賃金労働者の階級のことである」(『共産党宣言』一八八八年版へのエンゲルスの注)という規定にしたがって労働者階級の範囲を広くとる立場を積極的に支持しています.ME(マイクロ・エレクトロニクス)化の進展のもとであらたな技術労働、監督労働のひろがりが見られる今日の事態を科学的に分析するうえでも、この点は基本となる重要な問題です。
本書第二部には、その他に、古賀英三郎「フランスにおけるプーランツァス批判」および「マルクス主義における国家と階級闘争」がおさめられており、フランスでのプーランザス批判を紹介しています。
ジェソップの理論については、第三部の山口富男「ジェソップ理論の基本的性格」と福井英雄「ボブ・ジェソップの国家論」がとりあげています。
ジェソップはまず、経済と国家のあいだに「市民社会」の領域があるとして、上台―上部構造ならぬ社会の“三層構造”モデルを提唱します。彼のいう「市民社会」の領域とは、史的唯物論の言葉でいえば、上部構造にふくまれるものです。そして、それがさまざまな独自性を見せながらも、究極的には土台によって制約されていることを明らかにした点にこそ史的唯物論の優位性があります。ところが彼は、それを土台における階級矛盾とは別の、非階級的な領域であるかのように描き出しています。
そうしたうえでジェソップは、国家を非権力的な「制度的総体」とみて、国家権力は「所与の状況における一切の諸力間のバランスの、形態−被規定的で制度的に媒介された一つの効果」だといいます。つまり、国家は階級的な力関係だけでなく、彼のいう「市民社会」のさまざまな非階級的な力関係の「バランス」をもあらわすものだというのです。この非階級的な力というなかには、納税者、犯罪者、選挙人、徴集兵、営業権取得者、被保護者、年金受給者などの「人民」と「官吏」との関係もふくまれるとされています。しかし、たとえば高齢者を差別する日本の医療制度ひとつとってみても、それが安保条約にもとづいた軍備拡大と独占資本本位の経済政策から生み出されていることは明白で、けっして非階級的な問題ではありません。
このようなジェソップの国家論は、プーランザス以上に、階級支配の機関としての国家の役割をあいまいにし、否定しています。
ジェソップがこのような自己の主張の基礎においている「接合の方法」については山口論文が、また彼の「戦略―理論」アプローチなる方法については福井論文がそれぞれ批判をくわえています。
第三部には、ジェソップとは別に、やはり「ネオ・マルクス主義」の新たな理論的発展をもくろんでいるエルネスト・ラクラウ(アルゼンチン生まれでイギリスで活動している政治学者)を批判した北村実「ラクラウの政治戦略」がおさめられています。
以上、『ネオ・マルクス主義―研究と批判』の内容を紹介しながら、「ネオ・マルクス主義」理論とはなにか、どこに問題点があるかを検討してきました.本書をふくめ、これまでの研究・批判活動によって、彼らの理論の基本的な誤りが明らかになったことは最初に指摘したとおりです。その後、イギリスの社会学者で「ネオ・マルクス主義」の論者の一人であるアーリーの国家論や、アルチュセールの国家論を批判した成果も生まれています(『科学と思想』七四号)。同時に、たとえばフランスの哲学者サルトルの実存主義やフーコーの権力論そのものについてや、それがプーランザスに与えた影響などについてはまだ十分に解明されたとはいえません。
また、西ドイツの「国家導出論争」に加わった理論家たち、さらにアメリカの経済学者オコンナーや雑誌『カピタリステート』を中心とするグループなど、「ネオ・マルクス主義」に合流していったその他の理論家たちの主張についても、研究・批判は緒についたばかりです。今後、「ネオ・マルクス主義」理論の研究・批判活動をこうしたさまざまな側面にまで深めていくためにも、本書がおおいに役立つことを期待しています。
(おわり)