(1994年11月)
第二十回党大会は、世界と日本の当面する課題をしめすとともに、人類史の視野に立った社会発展の展望を明らかにして、全党に大きな感動と確信を生みだしています。
そのなかで大会決議は、「社会科学としての科学的社会主義の学問的価値」の重要性を指摘しつつ、「『冷戦終結』論が、学問分野にも浸透していることを重視」して、「ソ連が崩壊し、『冷戦が終わった』という誤った前提から、一足とぴに、科学的社会主義の有効性とともに、『社会科学のゆらぎ』として、社会科学一般の有効性にも疑いと否定の目をむけようという傾向が生まれている」と指摘しました。
こうした潮流は、学問分野で支配的なものになっているわけではありませんが、新聞や雑誌、さまざまな出版物をつうじて一種の「流行」を見せていることも事実です。大学の講義などをつうじて学生にも一定の影響をあたえ、知識人や文化人、その他の人びとのあいだで、社会進歩の方向を見失わせ、一種の「方向喪失」の状況を生みだす要因にもなっています。
重要なことは、こうした傾向が「現体制を維持するために利用効果のある学問こそ『真理』とするプラグマチズム、人間の理性を否定する非合理主義、それらとむすびついたきわだった政治反動の主張にいきつく危険をはらんでいる」ことです。大会決議は、この危険にするどい警告を発し、「現体制擁護へと国民の思想誘導をはかる、誤った諸潮流」にたいする説得力のある理論的批判活動を全党に提起しました。
この「社会科学のゆらぎ」なる議論を土台にして、決議が指摘したように、現体制擁護や政治反動につながる危険をもった主張は、一部の学者などによってさかんに論じられていますが、本稿では、その典型となる論文が掲載されている『岩波講座 社会科学の方法』(全十二巻、昨年〔一九九三年〕一月から刊行、今年〔一九九四年〕三月に完結)を中心に、「社会科学のゆらぎ」論の問題点をみてみたいと思います。
この講座の基本的なねらいについて、岩波書店の「刊行のことば」(これは、同書店の宣伝用カタログにのっています)は、「現存社会主義体制の崩壊と冷戦構造の終結」をはじめ、民族問題、南北格差の増大と発展途上国の飢餓・貧困の問題や、地球環境問題など、さまざまな問題をあげて、「この激動する現実において社会科学は果たして有効なのだろうか」と問い、こうした現実に「ゆらぐ社会科学の現状を検証」することと、「新しい社会科学を模索し、混迷する現代世界への処方箋を提案する」ことに講座のねらいがあることを明らかにしています。
編集委員の一人は、ある対談で講座のキーワードは「ゆらぎ」だという意見にたいし、次のように説明しています。
「これまでの社会科学は要するに、現実の中に確固とした客観的な法則性があって、それをつかみ出そうという構えがあったわけだけれど、そうじゃなくて、法則に対する逸脱、カオス〔混沌――引用者〕とか不確実性、実はそれこそが社会科学にとって常態なんじ ゃないだろうか」(「週刊読書人」一九九三年三月十五日号)
また「編集委員のことば」(同じく宣伝用カタログに収録)のなかで、山之内靖氏(東京外語大教授)は、従来「確実な客観的真理を提供するのが、科学知〔社会科学のこと――引用者〕の任務であると考えられた」が、「今や、社会科学はゆらいでいる。このゆらぎの中で、不確実性を排除しない科学知の新たなあり方が問われている」と書いています。
要するに、「社会主義崩壊」論や「冷戦終結」論から、民族問題、南北格差と発展途上国の飢餓・貧困の問題、地球環境問題までさまざまな問題をもちだして、それを理由に社会の現実がゆらいでいる、あるいは「逸脱、カオス、不確実性」こそがほんらいの現実のあり方だと考え、そこからさらに、これまでの社会科学の基本的立場=社会にも自然と同じように一定の法則があって、社会はその法則のもとに発展していること、そして人間はその客観的な法則を認識できるという考え方そのものがゆらいでいるというのです。
しかし、このような「社会科学のゆらぎ」論には、大きな問題があります。
第一の問題は、「社会科学のゆらぎ」論の根底に、「冷戦終結」論や「社会主義崩壊」論という誤った世界論がおかれていることです。そもそもソ連や、ソ連を一方の中軸とする軍事ブロックの対抗が崩れたことを、これまでの社会科学の基本的な考え方がゆらいでいるということに結びつけるのは飛躍した話です。そこに、“これまでの社会科学は「冷戦」の産物だった。ソ連の崩壊で冷戦は終わった以上、これまでの社会科学もおわった”という考え方があることは明らかです。
それがはっきりとあらわれているのは、第一巻の富永健一・慶応大教授の論文「戦後日本の社会科学におけるパラダイム相克とその終焉」です(「パラダイム」とは、ある理論や思想の基本となっている考え方をさすことばとしてもちいられています)。富永氏は、戦後の日本の社会科学そのものを「冷戦」のイデオロギー構造がつくりだしたものだと、次のように主張しています。
「第二次世界大戦後こんにちまでの半世紀の世界史は、米ソ対立を軸とする『冷戦』構造にはじまり、それが……ソ連そのものの解体によって終わりを告げる、という歴史であった」。この「冷戦構造」が、世界的な規模で「共産主義か資本主義か、『東』か『西』か」という「二項対立」的な「イデオロギーの対立構造」をつくりだした。それだけでなく、国内の「政党間の対立もこの二項対立によって」――保守か革新かという形で――「構造化された」。「戦後日本の社会科学は、戦後世界を二分した冷戦のイデオロギー構造の影響をまともに受けた」。
富永氏によれば、現状変革をもとめる社会科学のなかで科学的社会主義が大きな影響力をもってきたことも、「冷戦のイデオロギー構造」のためであり、それは「冷戦構造の消滅によって解体途上にある」ということになるのです。
第一次世界大戦以後、社会は「階級社会」ではなくなったとする山之内靖氏は、「米ソ対立の構図に終止符が打たれた現在では……我々も、階級社会の剛構造がその対立面を大幅に緩和させ、人々をシステム的柔構造へと統合する新しい段階がやってきたことを認めるべきであろう」(「システム社会と歴史の終焉」第一巻)と主張しています。「システム社会」というのは、他の論文での説明によれば、資本主義の発展にともなって、資本家と労働者という固定的、対立的な階級関係は大幅に緩和されて、人びとは企業のなかで経営者、技術者、法律家などさまざまな役割を果たしながら柔軟にむすびついた一つの「システム」をつくっている、したがって社会も、人ぴとが「システム」に統合された「システム社会」になったというものです。
「冷戦が終わった」のだから、「階級社会」はなくなり、“すでに新しいシステム社会になっていることを認めよ”と、山之内氏はこういっているのです。
しかし、保革の対立はもちろん、ソ連が崩壊したのだから階級社会でなくなったことを認めよという議論は、世界と日本の現実をまともにみないものであると同時に、社会の動きの原動力をその社会の外部にもとめる誤った議論です。このような考え方にたいして、不破委員長は、大会での綱領一部改定報告のなかで、社会発展の法則的基礎が資本主義制度自身の内部の矛盾の発展にあることを強調して、次のように指摘しました。
「日本で流行している『冷戦終結』、『保革対立消滅』論は、より根本的には、『共産主義失敗』論、『階級闘争消滅』論としてあらわれていますが、これは以前、ソ連共産党などが流布して、わが党が明確に批判した外因論――社会のいろいろな動きの原因を社会の外部にもとめる議論を、裏返しの形でむし返したものにすぎません。われわれが二十世紀をつらぬく独占資本主義、帝国主義の諸矛盾を具体的にとらえて、日本と世界の現状を見定めるならば、今日の世界情勢についてのこういった俗論は、理論的には成り立つ余地がないのであります」(綱領一部改定報告)
ソ連崩壊、「冷戦終結」などを理由に、これまでの社会科学が「ゆらいでいる」とする議論が、このような「外因論」の一つであることは明白です。
なお、富永氏は、一九六八年のソ連軍などのチェコスロバキア侵入にさいして、「当時のマルクス主義陣営の人ぴとは、『反革命』に対しては断固たる処置をとらねばならない、といった議論でソ連の軍事行動を正当化していた」とのべて、あたかも日本共産党もソ連軍の侵攻を支持したかのように書いています。しかし、日本共産党がソ連の軍事侵略をきぴしく批判したことは、世界的にも知られた事実です。氏のこのような断定は、日本共産党が「自主独立路線になった」という氏の評価とも矛盾する乱暴なものだといわなくてはなりません。
「冷戦終結」論とともに、ソ連を社会主義の代表と見なし、さらに社会進歩の立場に立った社会科学をソ連と結びつけ、ソ連の解体から「社会主義崩壊」や社会科学の「解体」を結論づける立場も顕著です。
社会主義論をテーマにした論文(岩田昌征・千葉大教授「社会主義認識の方法的反省」)では、ソ連、東欧などの旧体制が「体制として唯一の社会主義」であり、スターリン以来の専制支配は「合理主義的なデザイン主義的社会主義建設論が論理必然的に要請する構造的独裁制」だとされています。また、編集委員の塩沢由典氏(大阪市立大教授)は、ソ連・東欧の崩壊は、「社会の諸制度や経済活動のすべてを、あらかじめ合理的に考えられた方針や計画によって導入・運営することができ」るという社会主義の考え方の誤りを証明したと主張しています(「合理化と計画化」第二巻)。
こうした議論に共通するのは、スターリン以後の専制支配や指令経済を、社会主義の必然的な政治体制やほんらいの社会主義経済だとみなす立場です。しかし、大会決定で解明されたように、人民を経済の管理から締め出し、囚人による強制労働やその恐怖による締めつけにもとづいたソ連社会は、社会主義社会でもそれへの過渡期の社会でもありませんでした。マルクスやレーニンは、銀行など資本主義の胎内にそだっている「できあいの諸形態」をテコにして、社会を前進させることを提起しました。ソ連社会の実態や、マルクス、レーニンの学説の科学的な分析なしに、ソ連を社会主義の代表と見なし、「社会主義崩壊」を結論づけることは俗論にすぎないものであり、根本的には社会進歩への展望を見失う議論といわなくてはなりません。
「社会科学は今、容易ならぬ難関に逢着している」とする論者は、ソ連の消滅は「パラダイムの崩壊」、すなわち、これまで自明の前提としてきたような基本的な考え方の再検討をせまるものだというのです。この論者は、それが「資本主義内部での体制批判の勢いを殺ぎ、必要な社会改良の進行を妨げるであろう」となげいていますが、「社会主義崩壊」論という偽りの世界論にとどまっているかぎり、そこから抜け出す展望を見いだせないことをしめしています。こうした議論が当然の前提にしている「社会主義崩壊」論や「冷戦終結」論にこそ、社会科学のメスをいれることが求められています。
「社会科学のゆらぎ」論の第二の問題は、以上の論点と裏表の関係にあることですが、科学的社会主義の理論を否定するだけでなく、さらに、これまで社会科学が基本においてきた社会の科学的な見方――社会にも自然と同じように一定の法則があって、社会はその法則のもとに発展している、そして人間はその客観的な法則を認識することができる――そういう考え方そのものを疑問視し、否定していることです。それは、社会の現実を「逸脱、カオス、不確実性」ととらえる見方にあらわれています。
しかし、現在おこっているさまざまな問題に流されて、社会の大局的な発展を見失うことは正しくありません。
第二十回党大会でぐわしく解明されたことですが、二十世紀の歴史をふりかえるならば、独占資本主義、帝国主義の支配と抑圧との諸国民のたたかいをつうじて、民主主義、民族独立、勤労者の生活と権利の向上という点で大きな進歩がかちとられてきた――そこに、社会発展の法則的な道すじがあらわれています。重要なことは、これらの資本主義世界での社会発展は、資本主義制度自身の内部にある矛盾に法則的な基礎があるということであり、ソ連が解体したからといって資本主義固有の矛盾や人民の闘争の必然性がなくなったわけではないということです。
大会ではまた、ソ連崩壊後のアメリカの冷戦体制の危険な動きを明らかにするとともに、民族問題や南北問題、地球環境問題についても、民族自決権の厳格な擁護、多国籍企業の民主的規制など、科学的で創造的な方向を提起しています。こうした方向にこそ、社会科学の真の発展があるのではないでしょうか。
佐伯啓思氏(京都大教授)は、社会の法則的認識を否定するだけでなく、そうした立場を「支配の道具」だと敵視する立場をあらわにしています。
「世界は機械的な法則で動くものと理解される。これは自然科学だけではなく社会科学についても同じだ。たとえば近代経済学の市場理論にしてもそうだし、マルクスの経済学あるいは歴史観にしても同じことである」。「その結果、人間の主体的な働きは社会の中では何の役割も果たさなくなってしまう。……そのとき、この法則認識をむねとする近代科学は、客観性、普遍性の名のもとに、社会のある種の支配の道具となる」(「近代化論とイデオロギーの終焉」第二巻)
近代科学は、客観的な法則があると考え、その法則を認識することを目的としてきたが、そうやって客観的な法則認識をつきつめると人間の主体的な働きは意味を持たなくなる、つまり人間は法則に支配され、法則を動かす「歯車」にされてしまう、だから社会科学は「支配の道具」だというのです。そこから、佐伯氏は、「まがりなりにも『真理』に向けて差し出されていたいっさいの知識の終焉」、「科学が再び神話の役割に逆戻りした」と結論づけて、真理への探究をまったく否定してしまっています。
しかし、マルクスの経済学、歴史観が人間の主体的な活動を無視し、人間を「歯車」とみなすなどというのは、史的唯物論のイロハともいうべき基本を無視した非難にすぎません。史的唯物論は、なによりも歴史発展の原動力が人民のたたかいにあることをはじめて科学的に明らかにした学説です。そのことは、第二十回党大会決議でもあらためて光が当てられた点です。
「歴史には客観的法則があるが、それはひとりでにすすむものではない。人民のたたかいこそ、歴史を創造する力である。また、社会発展の法則を認識し、社会進歩に自己の人生をかさねることにこそ、真の生きがい、理性と人間性の発揮がある」
社会発展の法則を否定したり、客観的な法則認識そのものを否定することは、結局は、法則的な道すじにそって社会の進歩的変革のためにはたらきかけることを否定し、国民にたいして資本主義の現状に甘んじよてと要求することにほかなりません。
講座のなかでは、他にも、さまざまな学者の議論が掲載されています。個々の主張はいろいろですが、客観的な法則の存在や、真理が認識できるという考え方にたいする疑問や否定がつよく押し出されています。そのなかには、「生存しているものが正しいとしか言いようがない」とのべた論者も含まれていますが、これは一種のプラグマティズム(客観的な真理など存在せず、役立つものが正しいとする哲学的な立場)の表明であり、結局は、“現在の社会制度や政治、法律は、もっとも役立つ、有益なものとして選ばれてきた結果だ”として、現体制擁護につながる一面をもっています。
複雑な社会の現実に立ち向かうときに、複雑だからといって、客観的法則の存在を否定したり、その認識が不可能であるとすることは、社会科学の科学としての根本を否定するものといわなくてはなりません。マルクス、エンゲルスは、史的唯物論の立場を確立して、経済的諸関係を社会の実在的土台としてとりだすことで、はじめて多面的で複雑な社会と歴史の動きを法則的にとらえ、包括的全面的に研究する道をしめしました。客観的な社会発展の法則の存在を否定することは、結局、社会科学をマルクス以前の水準にひきもどす議論といわざるをえません。
「社会科学のゆらぎ」論の問題とともに、講座がねらう「新しい社会科学」と「処方箋」についても、大きな問題を指摘せざるをえません。それは、大会決議が「現体制を維持するために利用効果のある学問こそ,真理』とするプラグマチズム」と結ぴついて、「きわだった政治反動の主張にいきつく危険をはらんでいる」と指摘した問題です。
岩波講座で目を引くのは、「近い将来本格的政策研究機関が必要となる」として国策研究機関としてのシンクタンク論をとりあげた論文や、田中角栄内閣のもとで国土庁の官僚を務め、その後NIRA(総合研究開発機構)理事長を務めた下河辺淳氏へのインタビュー(「政策的意思決定と社会科学」)などが、「政策科学」をめざす「社会科学の現場」(第四巻のタイトル)の問題としてとりあげられていることです。インタビューのなかでは、下河辺氏が、細川護煕元首相などの名前をあげて、「彼らをタレントとして犬死にさせない何か」を考えなけれぱならないと語るなど、国策への協力を持ち出しています。
それとともに、第二次世界大戦のときの国家総動員体制への研究者の参画を、社会科学の政策決定への参加とみなす議論がもちだされていることは見過ごすことができません。とくに、山之内靖氏の「戦時期の遺産とその両義性」(第三巻)は、国家総動員体制に協力した研究者の戦時中の議論を、現在ひきつぎ、さらに発展させるぺき理論展開の“芽”だと評価したもので、反動政治にたいする根本的な態度が問われる問題です。
山之内氏は、論文のなかで、戦争中の支配体制を「全体主義」「警察国家」と一応批判していますが、他方で、「戦時動員体制が日本社会の構造転換において果たした役割は大きかった」、「第二次世界大戦を契機として訪れた総動員体制という歴史上かつてない経験を経ることによって、システム社会としての現代社会はその構造的基礎を確定することができた」とのぺて、無謀な侵略戦争への国民の強制的な動員を「システム社会」をもたらしたものと位置づけています。そしてとくに、国民の強制的動員を「理論化」した戦時中の研究をとりあげて、「ファシズムの社会理論」として否定するのは一面的であり、「システム論へと展開されるべき萌芽を内包していた」と評価すべきだと主張しているのです。
他にも、国家の総力戦遂行に貢献する学問を提唱した、戦前のファシズムの理論家大熊信行(一八九三〜一九七七年)の主張を、政治と経済を結びつける「エコポリティクス」(経済〔エコノミー〕と政治〔ポリティクス〕を組み合わせたこの論者の造語)の先駆的思想と評価する論文もあります。
これらの議論は、まさに「きわだった政治反動の主張にいきつく危険」をはらんだものであり、それらを「社会科学のゆらぎ」、「新しい社会科学」の「模索」の一つとして容認することなくきぴしい批判の目を向ける必要があります。
もちろん、このような政治反動にむすぴつく議論は、多数の賛成を得られるもめではありません。講座にくわわっているすべての研究者が同じ立場にたっているわけでもありません。
講座のなかには「社会科学の第一の責務は、その国が現におかれている歴史的状況の中で直面している課題を、科学的に解明することである」と指摘して、かならずしも「社会科学のゆらぎ」論にくみしない研究者もいます。また、環境問題の深刻化にたいして、「科学・技術は人間の生活を豊かにするための手段であり、人間の生存やそれをささえる環境を保全する科学や技術こそ発達させられねぱならない」と主張する論者もいるなど、その立場や主張が一様でないことにも注目しておかなければなりません。
日本共産党は、第二十回党大会で、こんにちの世界と日本の現状の科学的な分析にたって、反国民的悪政に反対する広範な国民的共同をきずく方向をしめすとともに、資本主義の現状にしばられない科学的社会主義の立場から、社会主義、共産主義にいたる人類史の壮大な展望を明らかにしました。この点で、日本共産党と科学的社会主義の立場こそ、「社会科学のゆらぎ」論に見られるような懐疑や方向喪失にたいする具体的反証となっています。
同時に、大会報告がしめしたように、イデオロギー分野でいま注目すべきこととして、資本主義の現実への失望や危機感を士台として、もともと科学的社会主義とは正反対の陣営に属するとみられてきた人びとのなかにさえ、「いまこそ『マル経』の出番ではないか」(飯田経夫氏「京都新聞」一九九四年五月十九日付)など、科学的社会主義理論への注目と期待の高まりが生まれていることです。また、「ポスト・モダン」「ニュー・アカデミズム」などとよぱれた潮流のなかからも、独特の角度からではありますが、マルクスへの新たな注目が生まれています。
こうした状況のもとで、大会決議がつぎのように指摘したことは、たいへん重要な意義をもっています。
「こうしたイデオロギー状況のもとで、現代における科学的社会主義の学問的価値は、社会科学のたんなる一学派にとどまらない、いっそうの普遍的価値をもつものとなっている。それは、まじめに真理を探求し、社会と歴史を科学の力でとらえようとする、すべての人びとにとっての共通の知的財産となっている」
私たちが、「社会科学のゆらぎ」など誤った主張にたいして、日本の学問的伝統の「共通の知的財産」となっている科学的社会主義の学問的価値を大いに輝かせて、説得力のある理論活動にとりくむならば、「科学的社会主義への知的信頼を社会科学をはじめ学問、文化の分野にうちたてていく」条件もひろがっています。この点に確信をもって、この分野の活動にも大いにとりくんでいくことがもとめられています。
(おわり)