『資本論』第1部第3章「貨幣または商品流通」の第1節「価値の尺度」に、こんなくだりが出てきます。
ある物の名称は、その本性にとってまったく外的なものである。ある人の名がヤコブであると知っても、私はその人物についてはなにもわからない。同じように、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカートなどの貨幣名においては、価値関係のすべての痕跡が消え失せている。これらの秘教的章標の奥義をめぐる混乱は、貨幣名が商品の価値を表現すると同時に、ある金属重量の、すなわち貨幣の度量基準の、可除部分をも表現するだけに、なおさら大きくなる。(新日本新書版『資本論』第1分冊、171ページ)
この「秘教的章標の奥義」という部分。いくら読んでも、これだけでは???だらけ。「秘教」の部分には「カバラ」とルビがふってあるのですが、「カバラって何?」と、ますます疑問符が増えるだけです。(^^;)