阪神大震災の当日に僕が受けた衝撃の大きさは、8年前に書いたので、ここでは省略します。
ただ、その前にもいろいろと大きな地震や津波被害があったけど、それを見る僕の視線は同情はしていても「どこか遠くで起こった出来事」を眺めるものでした。しかし、自分が中高6年間通った街がつぶれ、壊れ、燃えているのを見るというのは、それとはまったく違った、締め付けるような痛みをともなうものだったことは、今でもありありと思い浮かべることができます。
東大地震研の先生が、関東南部でM(マグニチュード)7クラスの直下地震が4年以内に70%の確率で起こるという試算を発表したというニュース。ツイッター上では大きく取り上げられていますが、この試算はどこまで根拠があるんでしょうか。
M3〜6の地震が増加していることを踏まえ、「マグニチュードが1上がるごとに、地震の発生頻度は10分の1になる」という地震学の経験則を活用して計算したというのですが、そもそも東日本大震災で、この経験則そのものが違ってきてるんじゃないでしょうか。そこんところを検証しないと、とても根拠のある試算とは言えないような気がするんですけど…。
先ほど(午後2時28分ごろ)、関東地方から東北南部にかけて震度4から震度3を感じる地震がありました。私のところもそこそこ揺れました。これだけの揺れは久しぶりだったので、少々びびりました。(^_^;)
で、調べてみると、いろいろ興味深いことが分かりました。気象庁発表によれば、震源は鳥島付近、深さ370kmで、マグニチュードは7.0。それだけ大きな地震だったにもかかわらず、震源に近い八丈島は震度2。より遠い東京23区などで震度4の揺れを感じたのはなぜでしょうか。
ちょうど寝ようとしていたところで、揺れました。
最初はちょっと「あれ? 揺れてる?」という感じでしたが、しばらくしてカタカタと横揺れが来ました。うちのあたりでは震度2か3程度でした。
また東北で揺れたのかと思ってテレビをつけると、駿河湾が震源。いちおう東海沖地震とは関連性がないとのとことですが、心配です。
地震が起こったのは、午前3時53分。うちのあたりは震度2ぐらいの揺れでしたが、完璧に目が覚めてしまいました。
9時1分ごろ、茨城県南部を震源とする地震。私のところでも、震度2か3ぐらいの揺れを感じました。
東日本大震災の直後は東京でも震度5なんていう地震があったりして、夜中も眠れなかったりしましたが、最近はすっかり落ち着いていたので、ちょいと驚いてしまいました。
3日前の「東京新聞」に載っていた記事。東日本大地震の前から、福島県南東部で、正断層による地震が起きていたことが確認されたという。
正断層とは、地盤が反対方向に引っ張られるために生じるもの。これまでは、日本列島は全体として太平洋プレートによって押されて圧縮の力が加わっているので、内陸部では正断層の地震は生じないと考えられてきたから、これは日本の地震研究の「常識」を覆す発見といえる。
これが、なぜ大問題かというと、原子力発電所の安全性をはかるときに、正断層の地震は考えなくてよいことになっているからだ。
巨大地震にともなう原発事故の問題にかんする共産党・吉井英勝衆議院議員(比例・近畿ブロック)の質問の第3弾です。
こんどは、やはり2006年12月に、吉井議員が提出した質問趣意書(「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」)と、それにたいする安倍晋三内閣総理大臣の答弁書。
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書
その全文は、インターネットで見てもらうとして、ここでは、質問と答弁とを組み合わせて、吉井議員が何を質問して、それにたいして、当時の安倍晋三自民党・公明党内閣がどう答えていたのかをわかりやすく再構成しました。
吉井議員の質問は、大きくは3つの柱からなっています。第1は、大規模地震時の原発のバックアップ電源について。第2は、沸騰遷移と核燃料棒の安全性について。第3は、データ偽造、虚偽報告の続出について。
まずは、第1の「大規模地震時の原発のバックアップ電源について」から。
東日本大地震・津波から1週間がたちました。
死者が6539人になりました。16年前の阪神大震災の6434人を超えたといわれていますが、阪神大震災のこの犠牲者数は、震災後に避難先などで亡くなられた方も含んだ数字です。あのとき、1週間後に判明していた死者の数は5051人でした。
さらに1万を超える方々の安否がいまもなお不明のままです。
あらためて、今回の被害の大きさに言葉を失います。
東京電力の計画停電。僕のうちのあたりは、今晩6時20分〜10時までの停電になっていました。だから、仕事を終えて帰宅したら真っ暗だなぁ〜と思って、新宿で少し時間をつぶしてから帰ってきました。といっても、デパートや大型書店などはみんな6時閉店になっていたので、営業中の家電量販店をぶらぶら。客も少なかったので、普段からいろいろ確かめてみたかったことをあれこれ店員に質問して、結局何も買わずに(すんまへん)、中央線に乗って帰ることにしました。
自宅に近づくと、中央線の両側は真っ暗。遠くに街の灯りがみえるものの、それ以外は、自分が乗っている電車の明かりがぼんやりと照らし出す線路と、ときどきすれ違う上り電車の明かり、それにやはりときどき通り過ぎていく鉄道信号ぐらい。
うわ〜、やっぱり暗いなぁ〜、と思って駅を降りました。駅はもちろん電気が点いています。駅前は、駅舎の灯りと、客待ちをするタクシーのライトなどでかなり明るかったです。
しかし、そこから先は信号も街灯も消え、お店の看板なども点いていないので、ほんとに真っ暗… と思って、いつもの自転車置き場へ向かったら、その細い街路は意外に明るく、くっきりと陰が落ちていました。よく見たら、月の明かりです。
11日に、東北巨大地震が起きたあと、日フィルの定期演奏会(ラザレフ指揮)は、サントリーホールの安全が確認され、そのまま夜7時から予定通り行われたそうです(チケットは持ってましたが、交通手段がなく聴けず)。
しかし、そのあとは期待していたコンサートが次々と中止になってしまいました。
22時31分頃、静岡県東部を震源とする地震が発生しました。震源の深さは10km、マグニチュードは6.0。
我が家のあたりは震度4でしょうか。ちょっと揺れました。それにしても、東北大地震のあと、新潟でも地震が起きたし、今度は静岡、ということなのでしょうか。震源は内陸部なので、東海地震とかとは違うでしょうが、なんだか不気味です。
2007年に、日本共産党福島県委員会、同党県議団などが、東京電力に、耐震安全性の総点検を求める申し入れを行なっていたことは、先日、このブログにコメントとして情報を寄せていただきました。あらためて紹介しておきます。
あわせて、今回の東北大地震および福島原発の一連の事故に関連して、日本共産党福島県委員会、同県議団等の行なった申し入れを紹介します。
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ1
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ2
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ4
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ5
なお、3次が飛んでいますが、口頭で、避難してきた方たちへのスクリーニングの徹底を申し入れたそうです。
日経平均が午前終値で1万円を割り込んだ。
みんなが、被災者のことを心配し、一人でも多くの人が助かってほしいと思っているときに、自分の利益確保を最優先にしている人たちがいるということだ。
福島第1原発の3号機でも冷却装置が停止し、東京電力は、格納機内の圧力を下げるために弁を開放した。1号機は、圧力容器は海水で満たされ、引き続き格納器全体への海水注入を続けている。20km圏内では退避すべき人は17万人もいる。
しかし、原発周辺では、微量とはいえ住民の被曝も検出されている。はたして、どうなってゆくのだろうか。
冷却の給水装置が停止と通報 福島第1原発3号機で東電:中国新聞
【地震】福島第一原発3号機 減圧作業完了:ANNニュース
福島第一10キロ圏内、まだ高齢者ら114人:読売新聞
最大150人被曝可能性、避難対象住民9人被曝:読売新聞
福島原発から避難の3人被ばくか 衣服に放射性物質:北海道新聞
東京電力福島第1原発1号機について、政府は、夜8時20分から容器を海水で満たすこと、ホウ酸を注入する作業を開始したと発表しました。作業の終了まで5時間+アルファだとの説明がありました。
炉心溶融で原子炉に海水を注入するという事態は初めてのこと。作業が無事に完了して、炉心の温度が低下するのかどうか、長い夜が始まっているのかも知れない。
福島第1原発:「爆発は建屋の壁、濃度上昇せず」:毎日新聞
東日本大震災:「海水で炉心冷却」を選択 福島第1原発:毎日新聞
福島第1襲った津波、10メートル超の可能性 東電が記者会見:日本経済新聞
海水注入で炉心冷却開始 東電、1号機廃炉も視野:日本経済新聞
私の職場の前の道路を、たくさんの人が歩いています。新宿や渋谷、池袋まで歩いていこうということのようですが、今のところ、首都圏のJR、私鉄、地下鉄は全部止まっています。さっきはJR山手線の線路のうえを人が歩いていましたが、これはおそらく止まった電車から降りたお客さんでしょう。
近所のドラッグストアでは、パンやおにぎりはすでに売り切れていました。
いまもまた余震が来ています。相変わらず、長い周期で揺れるので、壁や天井がミシミシといやな音を立てています。
先ほど、東京でも大きな地震がありました。
最初、少し揺れ始めたあと、ゆっくりと大きな揺れが数分間続きました。机の上のパソコンが倒れるほどではありませんでしたが、一部本棚の本が落ちたりしました。エレベータは止まっています。
最初小さな揺れがしばらく続いて「あ、地震だ」と思っている間に、だんだんと揺れが大きくなって、それが数分間続きました。これまで何度も地震を体験しましたが、こんなに長い時間揺れたのは初めてです。揺れている最中は、どこまで揺れが大きくなるのか、本当に大丈夫なだろうかと心配になったほどですが、なんとかそのあたりでおさまりました。
いまも余震がきています。震源は遠いので、長い時間揺れるので、気味が悪いです。