右から
- 山内清『拡大再生産表式分析』(大川書房、税込み6,000円)
- 大西広『マルクス経済学』(慶応大出版会、本体2,400円)
- 齊藤彰一『マルクス剰余価値論の地層』(八朔社、4,000円)
- 孫崎享『不愉快な現実』(講談社現代新書、本体760円)
- 渡辺尚志『百姓たちの幕末維新』(草思社、1,800円)
久しぶりの散財をしてしまいました。(^_^;)
右から
久しぶりの散財をしてしまいました。(^_^;)
今年は、ツイッターでつぶやきながらの年越しとなりました。大晦日から新年にかけてつぶやいた「よしなしごと」です。
歴史科学協議会の発行する『歴史評論』3月号に、近藤成一氏の「中世天皇制論の位相」という論文が載っています。河内祥輔氏の『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年)を批判的に取り上げた論文です。
河内祥輔氏といえば、講談社から現在刊行中の『天皇の歴史』(全10巻)の編集委員の一人。ということで、さっそく読んでみました。
本日新聞を眺めていたら、日本近世史の林基氏の訃報が出ていました。
林基さんと言えば、『百姓一揆の伝統』(1955年刊)と『続・百姓一揆の伝統』(1971年)が有名。最近は名前をお見かけすることもすっかりなくなっていて、正直なところ、訃報をみてまだご存命だったのかと驚いたほど。しかし、私が学生の頃は、まだまだ日本近世史の必読文献でした。ご冥福をお祈りします。
左=大橋幸泰『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)、右=日下力『いくさ物語の世界』(岩波新書)
最近、読んだ歴史に関する本2冊。
1冊目は、吉川弘文館歴史文化ライブラリーの『検証 島原天草一揆』(大橋幸泰著)。寛永14年(1637年)から翌15年にかけて起きた、いわゆる“島原の乱”がテーマ。一揆が起きたときには、幕府・藩はキリシタン一揆だとみなしていたのに、のちに一揆が伝承化されたときには藩の苛政が原因だとされた。著者は、この“ねじれ”に注目して、17世紀前半という時期におきたこの“乱”の独自の歴史的性格があるとする。
1月刊の中公新書、脇田修・脇田晴子ご夫婦による『物語 京都の歴史』。戦国時代までを奥様の脇田晴子氏が、近世以降を修先生が書かれています。
本書の特徴の1つは、平安遷都からではなく、原始・古代の京都から始まっているところ。そして、最後は駆け足になっていますが、明治維新から戦前・戦後の京都まで、エピソード満載。文字通り京都の歴史が一望できる、という仕組みになっています。
都立大学の峯岸賢太郎先生が、11日、亡くなられていたことを新聞で知りました。
峯岸先生とは、学生の頃から部落研の研究会でしばしばお世話になりました。最近は僕が研究活動を離れたため、年賀状のやりとりをさせていただいていただけでしたが、2年前、佐々木潤之介先生の偲ぶ会で久しぶりにお会いしたら、すっかり頭が白くなって背中が曲がってしまっておられて、びっくりしました。それでも、お酒を片手に佐々木先生の研究について熱弁をふわれておられたのが印象的でした。また、最近の年賀状に「最近、地域の九条の会を始めました」などと楽しいそうに書かれていて、まさに意気軒昂という感じでした。
日本近世史が専攻だったのに、2000年には『皇軍慰安所とおんなたち』(吉川弘文館)を出版。こういうところにも、積極的に研究を切り開いていく先生の姿勢が現われていたと思います。
まだ62歳。まったくもって残念でなりません。
古本で、山崎隆三著『地主制成立期の農業構造』(青木書店、1961年刊)を入手。学部のゼミで、佐々木潤之介先生に報告するように言われた本です。
僕が苦労して報告したあと、佐々木先生は、この本で大事なのは、第5章「近世後期における富農経営の発展」の中に掲載された氏田家の収支計算の総括表だ、その総括表の中に、自作地の経費として氏田家が使う奉公人・日雇の「労賃」の項目があるのですが、それが重要なんだと言われました。
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恩師・佐々木潤之介先生の遺著『江戸時代論』(吉川弘文館)と中村政則先生の『戦後史』(岩波新書)の紹介原稿をアップしました。
中村先生の『戦後史』について、前にコメントしたときは、とりあえず気になったところをあれこれ書きましたが、あらためて読み直してみて、全体的評価抜きでのつまみ食い的コメントはまったく正しくないと思いました。
同書で中村先生は、戦後史をみていく視点として、3つの軸を提起していると思います。「憲法」「アジア諸国との関係」「日米関係(というか、安保条約に代表される対米従属的関係)」の3つです。そのことは、とくに最終章で、9・11以後を「新しい戦争」の時代ととらえ、テロ特措法など自衛隊海外派兵がさらに進んだこと、それとの関連で憲法9条の改悪の動きが進行していること、そして小泉首相の靖国神社参拝問題にみられるようなアジア諸国との関係悪化にたいする批判として明確に提示されているのですが、こんど読み返してみて、実は、戦後の始まりのところから、そういう視点で書かれていることにようやく気がついたような次第です。
いまの時期に、憲法や対アジア関係、対米従属という問題を基軸にすえて著作をあらわされたというのは、やっぱり、さすが中村政則先生だと思います。中村先生、出来の悪い学生ですんませんでした。m(_’_)m
先日いただいた佐々木潤之介先生の『江戸時代論』(吉川弘文館、9月10日刊)ですが、行き帰りの電車の中で一生懸命読んでいます。
まだ第1部「社会史的江戸時代史」を読み終えて、第2部「日本・朝鮮・中国」に入ったところですが、ここまで読んでみて、先生がこの本で論じようとしたことが、スケールが大きくて、非常に今日的な問題であることが分かってきて、ますます引き込まれています。
なぜ明治維新が「王政復古」の形をとらなければならなかったのか? なぜ日本の幕末には、中国の太平天国の乱や朝鮮の甲午農民戦争(いわゆる東学党の乱)のような「民乱」が生じなかったのか? それを兵農分離、幕藩制国家の特質として考えようというのです。ほんとにこんなに風呂敷を広げちゃって大丈夫?と心配になるほどですが…。
引っ越しで本を移したために、何がどこにあるかさっぱり分からなくなりました。その代わり、昔買ったままになっていた本などを“再発見”したりもします。(^^;)
今日、何気なく恩師の『幕末社会の展開』(佐々木潤之介著、岩波書店、1993年)を手に取ってみました。終章を読むと、最後に先生が、新たな「絶対主義論」の展開を展望しつつ、それは別稿に譲ると書かれているのを発見。大学院を辞めてから、近世史にかんする論文はほとんど読まなくなり、この本も買ったままになっていました。結局、この別稿は書かれずじまいになった訳で、今さらながら、なぜ本書が刊行されたときにすぐ読んでおかなかったかと悔やまれます。
今日は、大学院ゼミで指導していただいた恩師・佐々木潤之介先生の「偲ぶ会」が開かれました。会には、歴史研究者や大学関係者、ゼミ生など約300人が集まりました。