阪神大震災の当日に僕が受けた衝撃の大きさは、8年前に書いたので、ここでは省略します。
ただ、その前にもいろいろと大きな地震や津波被害があったけど、それを見る僕の視線は同情はしていても「どこか遠くで起こった出来事」を眺めるものでした。しかし、自分が中高6年間通った街がつぶれ、壊れ、燃えているのを見るというのは、それとはまったく違った、締め付けるような痛みをともなうものだったことは、今でもありありと思い浮かべることができます。
巨大地震にともなう原発事故の問題にかんする共産党・吉井英勝衆議院議員(比例・近畿ブロック)の質問の第3弾です。
こんどは、やはり2006年12月に、吉井議員が提出した質問趣意書(「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」)と、それにたいする安倍晋三内閣総理大臣の答弁書。
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書
その全文は、インターネットで見てもらうとして、ここでは、質問と答弁とを組み合わせて、吉井議員が何を質問して、それにたいして、当時の安倍晋三自民党・公明党内閣がどう答えていたのかをわかりやすく再構成しました。
吉井議員の質問は、大きくは3つの柱からなっています。第1は、大規模地震時の原発のバックアップ電源について。第2は、沸騰遷移と核燃料棒の安全性について。第3は、データ偽造、虚偽報告の続出について。
まずは、第1の「大規模地震時の原発のバックアップ電源について」から。
東日本大地震・津波から1週間がたちました。
死者が6539人になりました。16年前の阪神大震災の6434人を超えたといわれていますが、阪神大震災のこの犠牲者数は、震災後に避難先などで亡くなられた方も含んだ数字です。あのとき、1週間後に判明していた死者の数は5051人でした。
さらに1万を超える方々の安否がいまもなお不明のままです。
あらためて、今回の被害の大きさに言葉を失います。
2007年に、日本共産党福島県委員会、同党県議団などが、東京電力に、耐震安全性の総点検を求める申し入れを行なっていたことは、先日、このブログにコメントとして情報を寄せていただきました。あらためて紹介しておきます。
あわせて、今回の東北大地震および福島原発の一連の事故に関連して、日本共産党福島県委員会、同県議団等の行なった申し入れを紹介します。
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ1
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ2
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ4
日本共産党福島県委員会: 原発災害申し入れ5
なお、3次が飛んでいますが、口頭で、避難してきた方たちへのスクリーニングの徹底を申し入れたそうです。
東京電力福島第1原発1号機について、政府は、夜8時20分から容器を海水で満たすこと、ホウ酸を注入する作業を開始したと発表しました。作業の終了まで5時間+アルファだとの説明がありました。
炉心溶融で原子炉に海水を注入するという事態は初めてのこと。作業が無事に完了して、炉心の温度が低下するのかどうか、長い夜が始まっているのかも知れない。
福島第1原発:「爆発は建屋の壁、濃度上昇せず」:毎日新聞
東日本大震災:「海水で炉心冷却」を選択 福島第1原発:毎日新聞
福島第1襲った津波、10メートル超の可能性 東電が記者会見:日本経済新聞
海水注入で炉心冷却開始 東電、1号機廃炉も視野:日本経済新聞
はるばるチリからやってきた津波。最大で1.2mの津波が観測されました。
津波というと、マンガや映画でよく見るような、波頭を崩して巻き込むような大波を想像してしまいますが、テレビをみていると、波というより、海面が盛り上がって水位がどんどん上がっていく、という感じですね。
国内で大きな被害が出ずにすんで、ともかくなにより。あらためて自然のエネルギーの大きさを実感しました。