『1861-63年草稿』第3分冊後半を引き続きざっくり読む

続きです。

こういう学説史の部分を読んでいると、ついついマルクスが引用しているリカードウの部分を、リカードウの著作にもどって読み直して、リカードウの論理をどういうふうにマルクスが批判したのかを追体験? し直そうとしてしまいますが、そうやってリカードウにさかのぼってみても、結局、マルクスがリカードウの学説を検討することを通じて、みずからの経済学の認識をどう発展させたのか、という肝心の問題はちっとも深まらない。

だから、そういう「さかのぼり」はこの際きっぱり諦めて、関心を、もっぱら、マルクスがリカードウ学説との格闘を通じて、自分の経済理論をどう発展させたのか、自分の理論としてどんな新境地を切り開いていったのか、というところに向けて、読んでいった方がいいと思う。ほんま。(^_^;)

ということで、大月書店『資本論草稿集』6、561ページ「一 労働量と労働の価値」から。

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『1861-63年草稿』第3分冊後半をざっくり読む

『資本論草稿集』1861-63年草稿の第3分冊(「剰余価値にかんする諸学説」)の後半部分(大月書店『資本論草稿集』6、530ページ以下)をざっくりと読んでみます。

530ページに「剰余価値にかんするリカードウの理論」の見出し。これはマルクスのもの。とはいえ、ここで取り上げられているのは『経済学と課税の諸原理』の後半部分。

章の書かれていない530ページの冒頭部分の引用は、第25章「植民地貿易について」から。

そのあとは、

第26章「総収入と純収入について」(531ページ)
第12章「地租」(535ページ)
第13章「金にたいする課税」(536ページ)
第15章「利潤にたいする課税」(543ページ下段)
第17章「原生産物以外の諸商品にたいする課税」(549ページ上段)

など。

で、561ページ下段(草稿650ページ)で、「われわれは、こんどはリカードウの剰余価値論の説明に移ろう」と書かれている。このあとは、第1章「価値について」からの引用がおこなわれているし、「一 労働量と労働の価値」(561ページ)から「五 利潤論」(604ページ)まで見出しを立てて書いている。あらためてリカードウの価値論・剰余価値論の批判を始めたということだろう。

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工芸ガラスの製造工程

岩田糸子『ガラス工芸』保育社カラーブックス

ガラス瓶の製造工程についてあれこれ調べていますが、ご紹介もいただいた岩田糸子『ガラス工芸』(保育社カラーブックス、1975年、絶版)を手に入れて、読んでみました。

本書は工芸ガラス作品の紹介が中心ですが、後ろに工芸ガラスの製造工程について、少しまとまった解説がついています。その中に、吹き竿をつかった手作業について、次のように記述されていました。

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Glass Blowingの作業工程

先日、「ガラスビン製造マニュファクチュアがわからん…」という記事を書いたら、先輩から“The Encyclopedia Americana, International Ed. の Glass Blowing に詳しく載ってるよ”と教えていただきました。

読んでみると、たとえばガラス吹きのチームについて、次のように書かれています。

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ガラス瓶の作り方

Youtubeで、ガラス瓶の製造工程の動画を見つけました。他にもいろいろあるようです。

http://www.youtube.com/watch?v=NVKcISj2LfA

残念ながら、マルクスが書いているようなマニュファクチュア的なガラス瓶製造ではなくて、機械によるものです。それでも、なるほどと思うことがいろいろありました。

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ガラスビン製造マニュファクチュアがわからん…

『資本論』第12章「分業とマニュファクチュア」第3節の終わり近くに、イギリスのガラスビン・マニュファクチュアのことが出てきて、1つのガラス窯に5人の労働者が組みになって仕事をしていると書かれています(ヴェルケ版367ページ、原注(40)の出てくる少しあとの部分)。そのこと自体は分かりやすいことなのですが、問題は、その労働者の「○○工」という名称の翻訳です。

たとえば、新日本出版社の上製版『資本論』では、次のような翻訳になっています。

一つのガラス窯の同じ口のところで一つの群が労働しているが、この群はイギリスでは「穴」と呼ばれていて、(1)壜製造工すなわち(2)壜仕上工一人、(3)吹き細工工一人、(4)集め工一人、(5)積み上げ工すなわち(6)磨き工一人、および(7)搬入工一人から構成されている。(新日本出版社、上製版『資本論』Ib、601ページ)

「壜製造工」、「壜仕上工」や「吹き細工工」は、ほんとうにガラスビン製造工房でそんなふうに呼ばれていたかどうかは別にして、だいたいなんとなく何をする労働者か分かります。しかし、それ以外の「集め工」「積み上げ工」「磨き工」「搬入工」になると、なにをする労働者なのかよく分かりません。たとえば「集め工」「積み上げ工」は、なにを集め、なにを積み上げるのでしょうか。それに、「積み上げ工」と「磨き工」がなぜ「すなわち」でつながれているのかも分かりません。「搬入工」もなにを搬入するのか不明です。

この部分、原文では、こうなっています。ご覧になって分かるように、これらの職種名はすべて英語で表記されています。

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マルクスの時代の1シリングは、いまの円に直すといくらぐらいだったのだろうか?

ひょんなことで、「マルクスの時代の1シリングというのは、いまの円に直したらいくらぐらいになるのか?」 という質問を受け、少し調べてみました。

1シリングという通貨単位は現在は廃止されてしまっています ((1971年2月13日をもって、1ポンド=100ペンスに切り替えられた。))が、かつては1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスでした。さらに、マルクスの時代は、金1オンスの公定価格は3ポンド17シリング10ペンス半でした。ですから、現在の金1オンスの価格がわかれば、当時の1シリングが何円ぐらいに相当するか計算することができます。

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『剰余価値学説史』はどう読めばよいのか(3)

『1861-63年草稿』220ページ(MEGA II/3.2 S.335)

さて、『剰余価値学説史』の続き。大月書店『資本論草稿集』第5分冊の170ページから。

マルクスは、「今度は、スミスについて考察すべき最後の論点――生産的労働と不生産的労働の区別――に移る」と書いているが、こんなことを書きながら、{}で括りながら、「あらかじめ、前述のことについてもう1つ」といって、再生産論にかんする書き込みをしている。ここで注目されるのは、次の部分。

年々の労働の生産物がそのうちの一部分をなすにすぎないところの年々の労働生産物が、収入に分解する、というのはまちがっている。これにたいして、年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する、というのは正しい。(170ページ下段)

後半の「年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する」というのは、再生産表式を使って説明すると、こういうこと。

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買いました!! フランス語版『資本論』

フランス語版『資本論』(極東書店1967年リプリント)

フランス語版『資本論』。私が手に入れたのは、1967年に極東書店が発行したリプリント版です。ホンモノは100万円以上しますので、とても僕には買えません。(^_^;)

フランス語版『資本論』は、1872年から75年にかけて、パリのラシャートル社から9セット44分冊で発行されました。訳者はM.J.ロワですが、マルクスは、ロワの翻訳に満足せず、訳文をすべて校閲して大幅な書き直しをするなど、手を加えました。

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『賃金、価格および利潤』第6章を読んでみた

明日から始まる「連続教室」を前に、テキストのマルクス『賃金、価格および利潤』の第6章を読み返してみました。

第5章まではウェストン君のたわごとへの反論で、第6章から本格的な経済学の理論が始まる。これは、従来から言われていることです。

そこでマルクスが最初に提示する問題は、「商品の価値とは何か? それはどのようにして決定されるか?」というもの。そして、以下マルクスの説明が始まるのですが、僕は、この部分を、『資本論』第1部第1章第1節の説明を簡単に繰り返したものだと思って読んでいました。多くの方もそうだろうし、新日本出版社の古典選書版『賃労働と資本/賃金、価格および利潤』の125ページには、わざわざ「以下の叙述については、『資本論』第1巻第1章第1節参照」という訳注までついています ((この訳注が間違っているということではありません。この訳注から、『賃金、価格および利潤』を『資本論』第1章第1節の要約解説だと誤解されるとしたら、それが問題だということが言いたいだけです。誤解のないように、念のため。))。

しかし、つらつら読み返してみると、価値の社会的実体が労働であり、価値の大きさを決めるのは商品に体現された労働の量であることを明らかにした後で、マルクスは、次のような「質問」を取り上げていることに気づきました。

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『剰余価値学説史』はどう読めばいいのか?

『剰余価値学説史』(「1861-63年草稿」の「剰余価値にかんする諸学説」部分)には何度か挑戦していますが、まったく歯が立ちません。(^_^;)

そもそもマルクスは、何を明らかにするためにこれを書いたのか? それを考える以前に、全体の組み立てさえよく分からない。そのまま闇雲に読み始めてみても、さっぱりつかめいない。

マルクスがここはこうだと見通しをもって書いている部分と、マルクス自身が経済学者の著作と格闘している探求的部分とがあるようだ。そこを区別しながら読み進むしかないのだろうか。

まず、全体の組み立てを整理しておこう。ということで、まず『資本論草稿集』(大月書店)の目次から。

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マルクスの市場価値論

高橋勉『市場と恐慌』(法律文化社)

高橋勉『市場と恐慌』(法律文化社、2009年)を読み始めた。『季刊・経済理論』第47巻第3号(2010年10月、桜井書店)では、長島誠一氏が詳しい書評を書かれているが、なかなかの理論作品であることは間違いない。

まだ第1部「市場メカニズムに関する基礎的考察」の第2章までしか読んでいない。第1章で、投下労働を基準とした均衡が成り立っている場合には使用価値での部門間均衡が成り立つが、投下資本を基準とした均衡、投下自己資本を基準とした均衡では、均衡水準が動くので、使用価値での部門間均衡が崩れることが明らかにされている。投下自己資本を基準とした均衡というのが新しい議論なのだが、まだよく分からないところもある。いずれにせよ、生産価格が成り立つようになると、使用価値での部門間均衡が崩れ、そのことが資本主義の不均衡の一番根底にある不均衡ではないかという議論は、よく分かる。

しかし第2章でマルクスの市場価値論について著者が論じたもののを読んでいると、いろいろと疑問になるところが出てきた。それで、あらためて『資本論』を読み返してみた。自分でもまだも整理できていないが、とりあえずのメモとして、気づいたことなどを書いておく。

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これは凄い論文だ!! 『経済』11月号

『経済』2010年11月号(新日本出版社)

新日本出版社発行の雑誌『経済』11月号が届いたので、早速読んでいます。その中でも、これは素晴らしい論文だと思ったのは、貧困問題や非正規雇用の問題を取り上げた2本の論文。

 唐鎌直義「なぜ資本主義は貧困を広げるのか」
 関野秀明「非正規労働は『自己責任』なのか」

いずれも、貧困問題、非正規雇用の問題に、マルクス『資本論』の「相対的過剰人口(産業予備軍)」論の立場からきわめて鋭く、戦闘的にせまって、資本主義のもとでの貧困とはいったい何か? 「非正規雇用」問題の本質は何か? ずばり真正面から解明されています。

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いま読んでいる本

村岡俊三『グローバリゼーションをマルクスの目で読み解く』(新日本出版社)小林賢齊『マルクス「信用論」の解明』(八朔社)安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫)

左から、村岡俊三『グローバリゼーションをマルクスの目で読み解く』(新日本出版社、2010年9月)、小林賢齊『マルクス「信用論」の解明』(八朔社、2010年7月)、安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫、1995年)

村岡俊三氏の著作については、ここでも2冊(『マルクス世界市場論』『資本輸出入と国際金融』)紹介しましたが、本書は、今月刊行されたばかりの新刊書。「グローバリゼーション」(あるいはグローバリズム)の実態や現状分析にかんする本は数あれど、この本はそうした実態を分析した本ではありません。

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亜洲青年管弦楽団2010、芝原拓自、電磁機関

アジア・ユース・オーケストラ2010

アジア・ユース・オーケストラ2010。8月はせっかくの夏休みなのに、オケはオフシーズン。ということで、生オケが無性に聴きたくなって、本日はぷらりとかようなコンサートへ行ってきました(オペラシティ)。

中国、台湾、香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの、17歳から27歳の若者2万人のなかから選抜された108人のオーケストラ。3週間のリハーサルキャンプのあと、3週間でアジア各国16カ所で公演をして回るそうだ。

本日のプログラムは、

  • シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 op.129
  • マーラー:交響曲第5番 ハ短調

指揮はジェームズ・ジャッド、チェロ独奏は王健(ジャン・ワン)。

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時計の仕組みを調べてみる

『資本論』第12章「分業とマニュファクチュア」第3節「マニュファクチュアの2つの基本形態」で、マルクスは、異種的マニュファクチュアの例として、時計のマニュファクチュア的分業を取り上げています。

そこには、1つの時計を組み立てるにあたっての細目労働の職名がずらりあげられているのですが、なにせ、そもそも時計というのはどういうふうに作られるのかを知らないので、さっぱり分かりません。

それで、なにか参考になるものはないかと思っていたら、こんな本を見つけました。

本間誠二監修『機械式時計 解体新書』(大泉書店)

本間誠二監修『機械式時計 解体新書』(大泉書店)。昨年12月に出版されたばかりで、クラシカル・ウォッチの魅力を紹介するためのものなのですが、その前段として、機械式時計のメカニズムについても詳しく紹介をしています。

マルクスは、時計マニュファクチュアについて、次のように述べています。

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『1861-63年草稿』を読む(1)

大月書店「資本論草稿集」の『1861-63年草稿』<1>。

第3章「資本一般」I「資本の生産過程」1「貨幣の資本への転化」の部分。

『資本論』では、第2篇「貨幣の資本への転化」第4章「貨幣の資本への転化」に相当する部分だが、『資本論』では次の第3篇「絶対的剰余価値の生産」に含まれる「労働過程」や「価値増殖過程」、「貨幣の資本への転化が分解する2つの部分」(第6章「不変資本と可変資本」に相当)などが、ここに含まれている。

42ページ下段〜43ページ上段にかけて「資本主義的生産」が登場する。これが『1861-63年草稿』での初出か? しかしすでにマルクスは、「資本主義的生産」は自明な用語として使っている。「資本主義的生産」という言葉は、すでに「資本にかんする章のブラン草案」や「引用ノートへの索引」「私自身のノートにかんする摘録」(『資本論草稿集』第3分冊)に登場する。「資本主義的生産の制限」という表現が登場する(「自分自身を止揚する資本主義的生産の諸制限」454ページ上段、483ページ下段、515ページ上段) ((重田澄男『再論・資本主義の発見』桜井書店、2010年、によると、「資本主義的」という用語は「プラン草案」には1回、「私自身のノートにかんする摘録」では14回登場するらしい(同書、111ページ)。このことからみても、「プラン草案」→「私自身のノートにかんする摘録」という執筆順序が想定できる。))。「資本主義的」という形容詞が初めて登場するときに、それが「資本主義的生産の諸制限」という角度から登場したことは興味深い。

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