日本中世史の大家である永原慶二先生が、7月9日に亡くなられました。
直接ゼミナールなどで指導していただいたことはありませんが、教養の授業では『歴史学叙説』(東大出版会、1978年)のもとになった講義を1年間拝聴し、教壇に立たれたときのいかにも学者然とした様子が思い出されます。
亡くなられる直前に『永原慶二 年譜・著作目録・私の中世史研究』という冊子を私家版としてまとめられたのを、最近知り合いから見せてもらい、その中に収められている「私の中世史研究」(『歴史評論』2002年12月号?2003年2月号掲載)というインタビューを読んでいます。
そうしたら、学生時代に読んだ永原先生の『日本封建制成立過程の研究』(岩波書店、1961年)や『日本中世社会構造の研究』(岩波書店、1973年)、『体系日本歴史』第3巻「大名領国制」(日本評論社、1967年)、永原・Kヤマムラ・Jホール編『戦国時代』(吉川弘文館、1978年)、それに永原先生と黒田俊雄氏、戸田芳実氏などとの論争などを懐かしく思い出しました。インタビューの中で先生は、この論争の意味や研究上の位置づけを話しておられますが、当時の僕はもちろんそういうことが理解できるはずもありませんでした。しかし、歴史学の理論と史料にもとづく緻密な実証、高校時代までに勉強した日本史の印象とは隔絶した学問的な内容の深さに引きつけられながら、ばく然と歴史学を勉強しようという気持ちになっていったのは、間違いなく、サークルでの中世史の学習会のおかげでした(1年生ばかりの学習会にチューターとして来てくれた当時大学院生だった永原ゼミの先輩のおかげでもあります)。
僕は、永原先生の書かれたもので、いまでも一番優れていると思うのは、小学館『大系日本の歴史』第6巻「内乱と民衆の世紀」です(もとは1988年刊、現在は「小学館ライブラリー」として刊行)。南北朝内乱から応仁の乱までを対象としたこの本は、経済的な基礎部分での構造的ともいえる変化が政治的上部構造における“大動乱”を生み出していったことを、非常に分かりやすく、かつ生きいきと描き出されている数少ない歴史書だと思います。
また研究史の著作として、昨年、『20世紀日本の歴史学』(吉川弘文館)を出版されましたが、同書は、中世史研究だけでなく、国家の起源から明治の天皇制問題まで、実に幅広いテーマが取り上げられていて、あらためて永原先生の研究の幅の広さと奥行きの深さを感じました。「私の中世史研究」を読むと、同書に示された日本の戦前の皇国史観と実証主義アカデミズムという整理が、太平洋戦争下に東京帝国大学文学部国史学科に進学した先生の体験に根ざしたものであることがよく分かります。
それにしても、日本現代史・軍事史の藤原彰先生、近世史の佐々木潤之介先生、中世史の永原慶二先生と亡くなられ、あらためて先生方の業績の大きさを実感せざるをえません。
私は『下克上の時代』がすきなので、『内乱と民衆の世紀』はよく読んでいなかったことに気付きました。今度、機会をつくって読んでみようと思います。赤旗の書架散策で永原さんの『源頼朝』のことを書きました。『義経の登場』という本の原稿を書き上げて、その後に書いたのですが、『源頼朝』について書くために、必要なところを読み直してみました。そのころに『義経の登場』のゲラが来たので、つい永原さん批判のボルテージを上げて悪口を吐いてしまい、忸怩たるものがあります。永原さんはあんなに前のことを批判するのはフェアでないとおっしゃるでしょうが、『源頼朝』は石母田さんの直接の指導をうけて書いたもののように読めます。石母田・永原の御二人が提供した「歴史像」という点では批判の権利があるようにも思うと居直っています。それにしても『源頼朝』の明解はショックでした。理論と文化と趣味があうのか、ブログを楽しんでよんでいます。佐々木先生の会でも御一緒しているに相違ありません。
保立先生、わざわざコメントありがとうございます。
『歴史学を見つめなおす』『義経の登場』も読ませていただいております。とはいえ、生来の落ち着きのなさゆえ、いまは関口裕子さんの『日本古代家族史の研究』に突っ込んでしまい、なかなかきちんと読み終えないままになっています。
このブログは、半分は自分の備忘録としてつくったものですが、楽しんでいただければ幸いです。
佐々木先生の偲ぶ会では、お顔を拝見しました。次の機会には、ご挨拶させていただければと思います。