ニコール・キッドマンのCHANEL No.5の新CFですが、さっき、15秒バージョンを初めて見ました。
要するに、2分バージョンをはしょっただけですが(当たり前……)、字幕が付いていて、「車を出して」とか「彼女は行ってしまった」とか、2分バージョンの粗筋を紹介してもらっているみたいでした。(^^;)
【本日のBGM】ベートーヴェン:交響曲第9番 「合唱付」/指揮:ギュンター・ヴァント/演奏:北ドイツ放送交響楽団/録音:1986年/BMG 74321-68005-2
ニコール・キッドマンのCHANEL No.5の新CFですが、さっき、15秒バージョンを初めて見ました。
要するに、2分バージョンをはしょっただけですが(当たり前……)、字幕が付いていて、「車を出して」とか「彼女は行ってしまった」とか、2分バージョンの粗筋を紹介してもらっているみたいでした。(^^;)
【本日のBGM】ベートーヴェン:交響曲第9番 「合唱付」/指揮:ギュンター・ヴァント/演奏:北ドイツ放送交響楽団/録音:1986年/BMG 74321-68005-2
ラムズフェルド米国防長官が、激励のつもりでクウェートの米軍基地を訪問し、兵士2000人との直接対話にのぞんだところ、「兵士がなぜごみ捨て場で、さびついた金属や被弾済みの強化ガラスをあさり、車両に取り付けなくてはいけないのか」「州兵は正規兵より悪い装備を渡されている」「駐留任期の延長をいつまで続けるのか」など次々に苦情をあびたそうです。
これも、米軍のイラク駐留の泥沼化の反映と言うことができるでしょう。
自民党の武部幹事長が、またまた暴言・失言を乱発しました。
1つ目。犯罪の凶悪化や教育現場の荒廃にたいして「一度自衛隊に入って、サマワみたいなところに行って活動したら3カ月で人間性が変わる」と発言したそうな。こんな言い分がウソ、デタラメであることは、自衛隊員や元自衛隊員の犯罪が増えてることだけ見ても明白。自衛隊で根性たたき直せというなら、まず1億円の献金を記載しなくても平気という政治家からどうぞ。
2つ目。同じく、犯罪の凶悪化や教育の荒廃について、「憲法や教育基本法を改正しても簡単に変わらない」とも発言。それなら、憲法や教育基本法の改悪をやめろ!
3つ目。サマワに視察に行ったときにムサンナ州警察本部を訪ねなかったとして、同警察本部長が批判していることにたいし、「そんなに自治警察が整備されていると思っていなかった」と釈明した。…って、言うじゃな〜い 要するに、あんたがイラクのことを見くびってたっていうことでしょ、斬り〜〜〜!
それにしても、このオジサン、どうしてこう次から次へと暴言や失言を繰り返して、平然としてられるんだろう…? こんなのを幹事長にした奴の気が知れない。
参院側の反発で、「棚上げ」された恰好の「自民党憲法改正草案大綱(たたき台)」だが、彼らのホンネが書かれたものとして、内容を見ておくことは引き続き重要だろう。
彼らは、「基本的考え方」の第一に、新しい憲法は、日本の「国柄」、をふまたものでなければならないと強調している。では、その「国柄」とは何か?
そう言われて真っ先に思い起こすのは、戦前の「国体」であるが、彼らも、そういう「誤解」を避けるために、わざわざ「従来意味してきたような復古的なもの(1895年?1945年までの戦前の一時期に考えられた「国体」)ではなくて」と断っている。で、代わりに彼らが主張するのは、「草木一本にも神が宿るとして自然との共生をも大事にするような平和愛好国家・国民という『国柄』」であり、そこには「第二次世界大戦における敗北の歴史も含めたもの」と書いている。
「草木一本にも神が宿る」という以上、この「国柄」が宗教的観念を含むものであることは明らか。このような宗教的観念の上に憲法原理を組み立てるというのは、現憲法で「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に」保障された「思想・良心の自由」「信教の自由」を侵害する。
さらに、この「国柄」論からすれば、「我が国の歴史・伝統・文化といった『国柄』」を体現した天皇が「元首」として座るのも当然であり、したがって、天皇が現在は皇室内部の私的な行事としておこなっている「宮中祭祀」を天皇の「公的行為」として認められるし、政教分離原則も、「我が国の社会的又は文化的諸条件に照らし社会的儀礼又は習俗的行事とされる範囲」内であれば国などが宗教的活動をおこなってもかまわない、とする議論につながっている。
しかし、「草木一本に神が宿る」などというのは、まるっきりのアニミズム(「animism 事物には霊魂(アニマ)など霊的・生命的なものが遍在し、諸現象はその働きによるとする世界観。また、原始宗教・民間信仰における雑多な神霊の信仰。精霊崇拝。霊魂信仰」――『大辞林』三省堂)。こんな融通無碍なものが日本の「国柄」であり、その範囲内であれば「宗教」行為であっても「政教分離には違反しない」などと言うことになったら、事実上、際限がなくなる。
彼らは、こうした「国柄」論を「己も他もしあわせ」になるための「共生憲法」だと言っているが、「神が宿る」はずの草木をなぎ倒し、乱開発をすすめてきたのは、一体誰なのか? 高速道路建設のために山々を崩し、工業団地のために海岸を埋め立て、「リゾート開発」だといって自然を破壊する。「国柄」には、「相互に助け合う」国民性も含まれると言いながら、社会保障は「自立」を促すといって切り捨てる。そんな先頭に立ってきた自民党が「共生憲法」だとは、まったく呆れてしまう。