関口裕子さんの『日本古代家族史の研究』、ようやく上巻の390ページあたりまで来ました。ようやく全体の3分の1を超えたあたりでしょうか。
少しずつ関口さんの考えていたことが見えてきました。
1つは、古代の家族が家父長制かどうかという議論以前の問題として、そもそも古代において「家族」が成立していたのかどうか、ということ。関口さんの考えだと、当時の婚姻形態は対偶婚なので、「家族」も共同生活が続く限りでしか存続しない。したがって、家族が「所有」や「経営」の主体になるということはありえない。そういうことになります。
なぜ班田収授法で、男女ともに、個人を単位として班田が給付されたのか? もし、永続的な家族が成立しているとしたら、仮に妻や娘が死んだからといって、班田が取り上げられるということがありうるのか? むしろ、そういう「家族」が成立していなかったからこそ、個人単位の給付になったのではないか?
関口さんは、実証的な論拠をたくさんあげておられますが、根本的には、上のような考え方があるのではないかと思います。従って、当然、当時の「戸籍」にのせられた郷戸は「作られたもの」ということになります。
また、家族を単位とした「所有」が成立していないから、当時の所有のあり方は、基本的に、用益している限りでの占有、ということになる、ということです。そういう点で、高群逸枝氏の研究とのつながりや、河音能平氏の『中世封建制成立史論』や戸田芳実氏の『日本領主制成立史の研究』などの参照が求められていることなどを興味深く感じています。
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