フランスでは女性の年齢別就業率はM字どころか凸だった!!

『経済』2009年11月号(新日本出版社)

新日本出版社が発行している『経済』の最新号(11月号、10月8日発売)に、おもしろい論文が載っています。それは、立命館大学の深澤敦氏「フランス家族政策の歴史的展開」です。

まず驚いたのがこのグラフ↓。フランスの女性年齢別就業率の変化を示したグラフです。

年齢別女性就業率の推移(『経済』11月号、深澤論文)

年齢別に女性の何%が働いているかという年齢別就業率は、多くの国では、20代で働き始めて高くなり、途中、結婚や出産でいったん低下し、子育てが終わるとまた働き始めるので再び高まる、というように変化し、グラフはM字型になります。ところが、フランスでは70年代いらい、M字型どころか逆に上に凸、山型になっているのです!!

たとえば日本の場合には、こうなっています。最近は少しM字のへこみ方が浅くなったとはいえ、日本ではいまだにM字型のまんまです。それに比べると、フランスの凸型は何と画期的なことか!!

日本の女性の年齢階級別労働力率(『男女共同参画白書』2009年版)

しかも、25?49歳の女性の8割が働いているにもかかわらず、出生率は2.00にまで高まっているのです。(下↓のグラフ参照) つまり、フランスでは、女性が働きながら出産して子育てするのを応援する施策が非常に充実しているということを表わしています。

女性労働力率と合計特殊出生率の推移(深澤論文、『経済』11月号)

で、深澤論文は、こうした背景にあるフランスの家族手当などの出産・育児支援制度がどんなふうにつくられ、今日まで拡充されてきたかを、その細かな制度的変遷を追いかけながら、詳しく紹介しています。(いきなり細かい制度の話になるので、素人にはちょっと面食らってしまうほどですが)

フランスで出生率が高くなっていることは、僕も前から知っていましたが、実はその背景に、戦前からの、家族手当などの長??い歴史があったのだ、ということを、深澤論文を読んで初めて知りました。

そのなかでも面白いと思ったのは、1つは、こうした家族政策が1930年代から始まっていること。映画「幸せはシャンソニア劇場から」の時代的背景にもなっていますが、1930年代は、人民戦線政府の成立やマティニヨン協定の締結など、フランスでは国民・労働者の権利を守る仕組みが大きく前進した時代です。家族手当などの制度も、そうした動きのなかで誕生したということを初めて知りました。

もう1つは、そうした家族手当制度が、当初は正式な結婚を推奨する方向での施策となっていたけれども、70年代以降、法律的な結婚か事実婚かといった婚姻形態、家族形態に中立的な方向に転換されたこと、それが最近の出生率の向上につながってきていることです。(^_^;)

世間では、フランスの出生率の高さには、非嫡出子も差別的に取り扱わないようにしたために、いわゆる婚外出産が増えたんだとよく言われていますが、深澤論文を読むと、話はそんな単純じゃなくて、もともと充実した家族手当などの出産・子育て支援制度があって、それを、非嫡出子も差別しない方向へ、婚姻形態や家族形態を問わない方向へさらに発展させたからであって、ただ非嫡出子への差別だけをやめれば出生率が上がるというものでないんですね。

少し前に「ベルサイユの子」というフランス映画を見ましたが、この映画でも、子どもを押しつけられた男が、子どもの「家族手帳」をつくるために、市役所へ行って子どもの「認知」手続きをとる場面が出てきます。そして「家族手帳」ができると、おそらくいろいろな手当が支給されて、経済的な負担なしに子育てができるんでしょう。本当は父親でも何でもない元ホームレスの男と、その父親+父親の愛人の家で、その子どもはちゃんと育てられるのです。

これを見ていて、やっぱりフランスは違うなぁ、と感心していたのですが、深澤論文を読んで、その背景に戦前からの家族支援制度の歴史があることがよく分かりました。(^_^;)

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