読み終わりました(2) 伊東光晴『ケインズ』

伊東光晴『ケインズ』(講談社学術文庫)

伊東光晴氏の新著『現代に生きるケインズ』(岩波新書)に続けて読んでいた『ケインズ』(講談社学術文庫)ですが、こっちも読み終わりました。

う〜む、やっぱりちゃんと読まんとあかんなぁ〜、というのが一番の感想。『現代に生きるケインズ』で論じられている問題が、いろいろ、もっと詳しく論じられています。アクセントの置き方などでちょっと変わっているところもありますが(たとえばカーンの波及的乗数効果論にたいする評価は、新著に比べて、それほどシビアじゃなかったり、など)。その代わり、流動性選好利子論や投資決定論などの説明は、ずっと詳しくて、よく分かります。

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歴研大会に行ってきました

今日は、10数年ぶりに歴研大会に行ってきました。出席したのは現代史部会と、お昼休みに開かれた教科書問題の特設部会。

特設部会は「歴史研究と教科書叙述」というテーマで、扶桑社の「新しい歴史教科書」の問題点を検討するもの。140人定員の教室に、僕を含め立ち見の人まででて、全部で180人の参加。若い人たちが多かったのが印象的でした。
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読み終わりました 伊東光晴『現代に生きるケインズ』

伊東光晴『現代に生きるケインズ』(岩波新書)

とりあえず読み終わりました。

本書で、伊東光晴氏が批判しているのは次のような論点です。

  • 新古典派が貯蓄を利子率の関数とみなすこと
  • 実質賃金率によって労働供給量が決まるとする新古典派の労働市場分析
  • 貨幣数量説(ヒックスの「IS-LM理論」)
  • カーン流の波及的「乗数効果」理論
  • 収穫逓減を前提とした新古典派の均衡価格論

全部理解できたわけではありませんが、それでもなるほどと思うところがいっぱい。置塩信雄先生は、ケインズ理論の方が新古典派よりも資本主義経済の動きをよりリアルに反映していると指摘されていますが、本書を読むと“なるほど”と思います。

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さっそく読んでます 伊東光晴『現代に生きるケインズ』

伊東光晴『現代に生きるケインズ』(岩波新書)

先週末発売されたばかりの伊東光晴『現代に生きるケインズ』(岩波新書)ですが、さっそく読み始めて、まあだいたい半分ぐらいまで読み終わりました。

スタンスとしては、サブタイトルに書かれているとおり、「モラル・サイエンスとしての経済理論」という側面がぐっと押し出されています。理論的には、ハロッド流の貯蓄曲線、カーン流の「波及的乗数理論」、それにヒックスの「IS-LM理論」ではない「一般理論」という感じです。新古典派総合で近経を勉強した世代としては、なかなかショッキングな中味かも知れません。

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追悼 峯岸賢太郎先生

都立大学の峯岸賢太郎先生が、11日、亡くなられていたことを新聞で知りました。

峯岸先生とは、学生の頃から部落研の研究会でしばしばお世話になりました。最近は僕が研究活動を離れたため、年賀状のやりとりをさせていただいていただけでしたが、2年前、佐々木潤之介先生の偲ぶ会で久しぶりにお会いしたら、すっかり頭が白くなって背中が曲がってしまっておられて、びっくりしました。それでも、お酒を片手に佐々木先生の研究について熱弁をふわれておられたのが印象的でした。また、最近の年賀状に「最近、地域の九条の会を始めました」などと楽しいそうに書かれていて、まさに意気軒昂という感じでした。

日本近世史が専攻だったのに、2000年には『皇軍慰安所とおんなたち』(吉川弘文館)を出版。こういうところにも、積極的に研究を切り開いていく先生の姿勢が現われていたと思います。

まだ62歳。まったくもって残念でなりません。

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追悼 向井俊彦氏

向井俊彦『唯物論とヘーゲル研究』(文理閣)

14日、立命館大学の向井俊彦氏が亡くなられました。

向井俊彦氏死去/立命館大教授、哲学(四国新聞)

直接の面識はありませんが、同氏の『唯物論とヘーゲル研究』(文理閣、1979年)は、私が哲学を勉強するときの出発点の1つともいうべき大事なものになっています。

本書で重要な指摘と解明は多々ありますが、1つ上げるとすれば、「異なった立場の研究の交流をもまた原理をもって準備するのが、民主的な哲学研究者の任務であろうし、その原理は哲学そのものの発展に寄与するためのものであるべきで、たんに特殊な立場の優位性を示そうとするためのものであってはならない」という指摘です(同書、7?8ページ)。

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置塩信雄『現代資本主義と経済学』を読み返す

置塩信雄『現代資本主義と経済妣??(岩波書店)

「新自由主義」批判との関係で、あらためて、置塩信雄先生のケインズ経済学にたいする批判を勉強し直そうと、先週から『現代資本主義と経済学』(岩波書店、1986年)を読み返していたのですが、今朝ようやく読み終えました。

これは、『蓄積論』や『マルクス経済学II』で論じられていたことだと思うのですが、置塩氏は、正常に剰余価値を実現するためには、資本家の投資需要が不可欠であることを解明されています。要するに、C+V+MのうちMを資本家の個人的消費だけですべて消費することは不可能だということです。

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姿勢を正さずにはいられない 藤原彰『天皇の軍隊と日中戦争』

藤原彰『天皇の軍隊と日中戦争』(大月書店)

3年前に亡くなられた藤原彰先生の論文・追悼文集が出ました。

内容は3部に別れていて、1つめは、藤原先生の晩年の日中戦争にかんする論文集。2つめは、藤原先生が自らの研究をふり返った論文2つ。そして最後に、藤原先生を偲ぶ荒井信一氏ほかの追悼文。そのなかには、その後急逝された江口圭一氏の一文も含まれています。

今日、ようやく手に入れて、さっそく回想の2論文と追悼文を読み終えましたが、あらためて現代史研究を開拓してきたというにふさわしい先生の業績の大きさに姿勢を正さずにはいられません。

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古い本ですが… 四野宮三郎『J・S・ミル』

四野宮三郎『経済妨??と現代<3> J・S・ミル』(日本経済新聞社)

重田澄男氏が『マルクスの資本主義』のなかで、マルクスの「ロンドン・ノート」がJ・S・ミルの『経済学原理』の抜粋から始まっていることを知り、あらためてJ・S・ミルを勉強してみようかと思いました。

といっても、いきなり『経済学原理』(1848年)を読むのはちょっとアレなので(岩波文庫でも5分冊あるぐらいだから)、少し昔の本ですが、四野宮三郎著『経済学者と現代<3> J・S・ミル』(日本経済新聞社、1977年)を古本で手に入れて読んでみました。

J・S・ミルは、学説史的には「折衷的」と位置づけられますが、だからこそ、マルクスが経済学を学ぶ手始めに、『経済学原理』を読んだのかも知れません。『経済学原理』の出版年が『共産党宣言』と同じだというのも、なにやら偶然だけとは言えないような気もします。
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重田澄男『マルクスの資本主義』

重田澄男『マルクスの資本主義』(桜井書店)

重田澄男氏の新刊『マルクスの資本主義』(桜井書店)を読み終えました。

マルクスは、資本主義を表わす術語として、『哲学の貧困』(1847年)では、フランス語で、la production bourgeoise(ブルジョア的生産)と表記。『共産党宣言』(1848年)や『賃労働と資本』(1849年)あるいは『経済学批判』(1859年)では、ドイツ語でdie brügerliche Produktionweise(ブルジョア的生産様式)と表現していました。これが、『資本論』ではdie kapitalistische Produktionweiseという用語になっていることはよく知られているとおりです。

本書は、マルクスの資本主義概念が、なぜ、このような「ブルジョア的生産様式」という用語から「資本主義的生産様式」という用語に生まれ変わらなければならなかったか、その謎解きしようとしたものです。そのことを明らかにするために、著者は、『ロンドン・ノート』(1850?53年)や『経済学批判要綱』(『1857?58年草稿』)をたんねんに調べており、ほんらいの謎解き以外にもいろいろと興味深い論点が取り上げられていると思いました。
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レジュメと講義資料をアップしました

先日おこなった「科学的社会主義の世界観について」のレジュメと講義資料をアップしました。

レジュメ(pdfファイル、88KB)
講義資料(pdfファイル、2968KB)

↑ダウンロードする場合は、リンクのところで右クリックして、「対象をファイルに保存」を選択してください。(Windows IEの場合)
どちらも、PDFファイル作成ソフトの関係で、横書きに変更されています。

いただきました 佐々木潤之介『民衆史を学ぶということ』

佐々木潤之介『民衆史を学ぶということ』

一昨年亡くなられた佐々木潤之介先生の論文集『民衆史を学ぶということ』をいただきました。このなかに収められたいくつかの論文を探すのをお手伝いしただけなのですが、ありがとうございます。m(_’_)m

このなかの第4部「現代の歴史学」の中に収められている論文の1つは、私が先生に講演をお願いにあがったものです。もともとのテーマは、史的唯物論の立場から歴史を学ぶ意義を学生に話してもらうというもので、企画準備の過程で先生の名前があがったときは、正直、“ちょっと不向きじゃないのかなあ”と思いました。当日も、史的唯物論とは何かといった話は少しも出ませんでしたが、しかし、いま読み返してみると、歴史を研究するということと、歴史認識、歴史観をつくりあげるということとの“緊張関係”を、まだ教養課程の学生に、どう分かりやすく、しかも歴史観、歴史認識という、“生き方”にもかかわっていく問題を“感じとってもらう”か、細部まで配慮の行き届いた講演だったことがよく分かります。ちょっとでも、“先生には不向きではないか”などと思った自分の浅はかさが恥じられてなりません。

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結局買ってしまった 長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』

長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』

出版当初から気にはなっていたのですが、結局、買ってしまいました。まだ読み始めたばかりですが、このあたりはほとんど勉強したことがないので、関連文献も含め、ちょっと勉強してみたいと思います。

著者は、スターリンが対日参戦の条件として、サハリンの「返還」とクリル諸島(千島列島)の「引き渡し」を上げたこと、そのさい「返還」と「引き渡し」という区別がきちんとなされていたことに注目しています。この点は、スターリンの覇権主義の問題として重要なポイントなので、それを国際政治史としてどう扱われているのか、興味があります。

日本国内の動きとしては、海軍少将の高木惣吉に注目しています。そして、高木惣吉を含め、支配層の中の「終戦派」において、「国体護持」と「皇室の安泰」とを区別する動きがあったということに注目しています。これは、従来からあった論点なんでしょうか? しかし、確かに資料には2つの言葉が並んで出てきますが、だからといって、両者を区別して考えていたということになるのかどうか。むしろ、マッカーサーの占領政策からの“後知恵”ではないかという気もするのですが…。

しかし、とりあえず結論を急がず、読んでみたいと思います。

【書誌情報】書名:暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏/著者:長谷川毅/出版社:中央公論新社/出版年月:2006年2月/定価:本体3200円+税/ISBN4-12-003704-5

訃報2つ

1つめは、映画監督の黒木和雄さん。以前、このブログでも紹介しました(「9条変えたら憲法は死滅する」黒木和雄監督が講演)が、九条の会の呼びかけにこたえ、自ら「映画人九条の会」の呼びかけ人となって、憲法九条を守ることの大切さを訴えておられたことが印象的でした。

2つめは、哲学者の沢田允茂さんの訃報。沢田氏は慶応大学名誉教授で日本哲学会会長なども歴任された方で、専門はアメリカの実証主義論理学。マルクス主義とはまったく立場は違うのですが、数年前に出版された『昭和の一哲学者 戦争を生きぬいて』(慶應義塾大学出版会、2800円、2003年11月刊)を読んだことが大変印象に残っています。

沢田允茂『昭和の一哲学者 戦争を生きぬいて』

その感想は、以前書いたことがあるのですが、父は陸軍参謀次長を務めた沢田茂氏。允茂氏自身、1940(昭和15)年に応召され、中国をへて、1943年に南方に移動、ニューギニア・パラオ島で終戦を迎えられたそうです。軍人の家庭に生まれながら、早くから思想めいたことに目覚め、日本の戦争に批判的な意識をもちつつ応召されたこと、南方での、今からは想像もつかないような飢えとマラリアとの闘いを率直に書かれています。戦後、慶応大学に戻られてからは同大教職員組合の初代委員長を務められたこと、また日本哲学会の発足にかかわり、大学や学派の違いをこえて、研究者の交流に努められたこと――そのなかにはマルクス主義哲学の寺沢恒信氏の名前もあって、立場は違っても、マルクス主義哲学を排除するようなことをしないリベラルな姿勢の大もとには、戦前、戦中の体験があったのではないかと思いました。

お2人の訃報に、あらためて、戦争を直接身をもって体験された方々の思いを、私たちがどのように受けとめ、受け継いでいくか、考えさせられました。
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読んでいます 中公版・日本の歴史『開国と攘夷』

小西四郎『開国と攘夷』(?公文庫 日本の?史<19>

先日の歴史教科書シンポジウムの討論のときに、琉球大学教授の高嶋伸欣さんが、日本の対アジア観という大事な問題に関連して、小西四郎著『開国と攘夷』(中央公論社版日本の歴史<19>、親本は1966年刊)を紹介されていました。ちょうど中公文庫で改版新刊が出たとろだったので、早速読み始めました。

高嶋氏が紹介していたのは、幕末に、日本がアメリカやイギリス、フランスなどに開国をせまられたとき、列強の植民地にならずにすんだのはなぜかという問題。この問題は、しばしばインドや中国が「遅れていた」のにたいし、日本は「進んでいた」から植民地化の危機を乗り越え、アジアで唯一独立をたもち、「近代化」にも成功した、というふうに論じられるのですが、高嶋氏は、そういう独りよがりな見方でよいのか、そういうところこそ、アジアが日本の歴史認識の問題としていちばん注目するところだというのです。
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読み終えました。『マルクスの使いみち』

稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅『マルクスの使いみち』

稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅『マルクスの使いみち』(太田出版)を、とりあえず読み終わりました。

いまでもマルクスは有効だと思っている僕の目から見ると、松尾匡>吉原直毅>稲葉振一郎 の順で、言われていることに納得。第2章で、搾取理論を捨てたとされるローマーにたいし、「搾取概念にこだわっていく」とする松尾氏が、置塩先生の「マルクスの基本定理」に依拠しながら次のように指摘されているのに注目したいと思います。

マルクスの『経済学批判要綱』(1857?58年)でみてとれる『資本論』体系の根本的なストーリーは、資本主義というのは相対的剰余価値生産を推進するのだと。相対的剰余価値生産とは、人々が生活物資を作るための直接間接の労働生産性が上昇していって、人々の生活を再生産するためにどうしてもしなければならない労働が減少することですが、マルクスはこうして自由時間がつくられるのだといっています。人間が個性を開花させ、その能力を全面的に発揮して、本当に人間らしく生きることができるのは、この自由時間のなかにおいてだというわけです。マルクスのなかには、この自由時間を最大化することが人類の目的だというような志向があり、これは確かに、投下労働価値の森嶋流の定式化である労働最小化とぴったり合致します。マルクスにいわせれば、この、本来だったら自由時間になったはずの時間が、資本主義のもとでは他人のために働かされる時間になる。これが搾取だというロジックになっています。どこまでも自由を希求するのがマルクスの基本的価値観で、僕もそれを引き継いで先ほどから述べている搾取論解釈をとっているのです。(本書、100ページ)

現実の搾取を、そのたびに「本来の自由時間」と比較する必要はないと思いますが、マルクスの搾取論がそういう意義をもっていることは、松尾氏の指摘するとおりだと思います。

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稲葉振一郎ほか『マルクスの使いみち』

稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅『マルクスの使いみち』

先日、コンサートの帰りに本屋で見つけたのが、稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅『マルクスの使いみち』(太田出版、本体1800円)。「人文系ヘタレ中流インテリのためのマルクス再入門」というコピーが気になって、ついつい買ってしまいました。(^_^;)

「人文系ヘタレ中流インテリ」というのは、「マルクス主義の資本主義批判に何らかの意義、正しさのあることを直観しながら、他方において知的体系としてのマルクス主義の正統性喪失に途方にくれている人々」(同書、18ページ)のこと。稲葉振一郎氏の命名だけれども、半分は自分たちのことを自嘲気味に?いっているのだろうと思います。

要するに、こういうヘタレ中流インテリのために、「主流派経済学〔=新古典派のこと――引用者〕の道具立てで、かつてのマルクス経済学が追究していたテーマを新たに定式化し直し、きちんと論じよう」というのが本書の立場です。その立場から、稲葉振一郎氏を中心にして、数理マルクス派の松尾匡氏や吉原直毅氏とが対談をしながら、マルクス経済学の再解釈を論じています。

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歴史教科書シンポジウムに参加してきました

今日は午後から、シンポジウム「歴史教科書いままでとこれから」に参加してきました。参加者は80名を超え、会場はいっぱいで熱気にあふれていました。

昨年は、「つくる会」の教科書採択をめぐって全国で大きな運動がおこなわれ、結果として、「つくる会」の歴史教科書の採択率は0.4%に終わるという成果をおさめました。同時に、その取り組みの中で、歴史教科書をめぐる問題は、「つくる会」の教科書の問題にとどまらないことも明らかになった、ということで、今回のシンポは、問題を深めつつ、継続的に議論をしてゆきたい、その手始めとして企画されたものです。

報告は以下の通り。

  • 教科書づくりの30年/下山繁雄(元教科書編集者)
  • 教科書問題のいまとこれからの課題/吉田典裕(出版労連)
  • 新中学校歴史教科書の比較検討/歴史学研究会・教科書ワーキンググループ
  • 社会科教科書の検定実態/西川正雄(社会科教科書懇談会)、石山久雄(歴史教育者協議会)

全体として、現在の教科書検定の実態が多面的に明らかにされたシンポだったと思います。
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資本論学習会のレジュメと資料をアップしました。

先日やった資本論学習会のレジュメと資料集をアップしました。どちらもpdfファイルです。
前にも書いたとおり、これで90分はまるっきり無理です。不破さんの『「資本論」全三部を読む』を読む参考にしていただければ…。 (^_^;)

レジュメ(pdfファイル、73.4KB)
資料集(pdfファイル、332KB)

なお、『「資本論」全三部を読む』のうち『資本論』第1部にあたる部分(第1冊?第3冊)については、以前私が書いた紹介原稿もアップしてあります。ご参考まで。

『資本論』の魅力をちょこっと紹介しました

昨日、「白バラの祈り」を見る前にやってきた仕事というのは、『資本論』学習会での講義。といっても、参加者は僕より年輩のベテランのみなさん。1年かけて第1部を読んできて、引き続き第2部、第3部に進みたいという、いわば折り返し点での学習会に招いていただきました。

そこで、講義では、最近の『資本論』研究がどのような新しい理論的な展望を切り開いてきたかをできるだけ面白く紹介することにポイントを置いてみました。それから、第2部、第3部はこれまで「難しい」という印象があるので、最近の新メガ草稿研究から明らかになってきたエンゲルスの編集上の問題にも触れながら、「分かりやすい」読み方を紹介してみました。
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