知り合いから“何かパレスチナ問題について適当な本を知らないか?”と聞かれ、本屋でパラパラ立ち読みしただけで「とりあえず・・・」と本書を紹介したのですが、紹介した責任上、僕も読んでみました。で、結論からいうと、これはなかなかお薦めの本です。
著者は、日本経済新聞の記者で、カイロ支局長を務めたこともある中東担当の国際部記者です。「パレスチナ問題を理解するには、まず歴史を知る必要がある」として、第一次世界大戦中にイギリスが、オスマン・トルコ攻略のために、一方ではアラブ側に対して現代のシリア周辺地域に将来アラブ国家の樹立を約束しながら、他方でフランス、ロシアとのあいだでサイクス・ピコ条約(1916年に結ばれた秘密協定、ロシア革命後、ソビエト政権によって暴露された)を結び、シリア、キリキア、メソポタミア地域を将来3カ国で分割することを取り決め、さらに1917年にはユダヤ人にたいして将来のユダヤ国家独立を約束(「バルフォア宣言」)するという「二枚舌外交」をすすめていたことから書き始めています。しかし中心は、1987年に始まる第1次インティファーダ以降の話で、前半は1993年のオスロ合意に至る経過、後半は2000年のアメリカが仲介したイスラエル・バラク首相とPLOアラファト議長との交渉から始まり、イスラエル右派リクードのシャロン党首(現イスラエル首相)がエルサレム旧市街区のイスラム聖地「アルハラム・アッシャリーフ」に足を踏み入れ、それをきっかけにパレスチナ側の第二次インティファーダが始まり、イスラエル軍による「テロリスト」攻撃とパレスチナ側の「自爆テロ」による“怒りの連鎖”という現在に至るまでの経過が、新聞記者らしく、イスラエル、パレスチナ双方の政治的思惑や背景などをおりまぜながら、詳しく紹介されています。
著者は、まえがきで「イスラエルからもパレスチナからも等距離に身を置く」という立場を明らかにしています。しかしそれは、イスラエル側の主張とパレスチナ側の主張とを並べて、間をとってよしとするというような調停的、中間的な態度ではなく、「イスラエル、パレスチナ双方にそれぞれの言い分がある。その背景には、長い紛争や迫害の歴史があり、たとえその言い分があまり的を射ていなくても、軽々に真っ向から否定することはできない」としながらも、「どちらが悪い」という議論をめぐらせるのではなく、「紛争に終止符を打つ」ために実際的な“落としどころ”をどこに求めるのか、そのためにイスラエル、パレスチナ、それにアメリカ、その他の国際社会はどうしようとしてきたのか、またどうしたらよいのかという点に焦点をあてて書かれています。そのなかでは、9・11以後、「対テロ」戦争をすすめるアメリカの姿勢の問題も指摘されています。
なお、本書では93年の「オスロ合意」から2000年の衝突までの時期のことが書かれていないので、どうして95年に、オスロ合意を実現させたラビン首相が殺されることになったのか、なぜラビンが殺されたあと、オスロ合意の道にイスラエルが戻ることができなかったのか、そのあたりが書かれていないのが残念です。僕自身、80年代にはいってからの動きはあんまりきちんと追っかけていなかったので、勉強になりました。また、シャロンの「事件」から早くも4年がたとうとしている事実に、あらためて愕然とさせられました。
著者は、京都大学の高等教育開発推進センター助教授で、これまでも大学生の意識調査や大学教育の研究でいろいろ本を書いているようです。1970年生まれということで、第1章、第2章は、自分なりに調べて60年代、70〜80年代の大学生論をまとめたという感じですが、面白いのは、90年代以降の大学生を取り上げた第3章以降の部分です。たとえば
それから、こういうことも述べています。
こういうふうに要約すると愛想もこそもありませんが、本書では、こういう学生の気質の変化が、社会や学校教育でも自主性とか自分らしさを持ち上げる傾向などの話と重ねて論じられていて、興味深く読みました。
本書は、1993年に24〜34歳の女性1500人と、1997年に24〜27歳の女性500人、合わせて2000人の「パネル調査」によって、90年代以降の長期不況が女性の生活や生き方にどんな影響を与えているかを分析したものです。20代後半から40代にかけては、女性にとっては、就職、結婚、出産などさまざまな「ライフイベント」を迎える時期ですが、そこに、不況の影響が加算されることによって、女性たちの生活や生き方はどう変化するのか、またそれを女性たち自身はどう感じているのか。それを、個人を経年追跡調査することによって、具体的に明らかにしています。
本書では、1986年の男女均等法実施と「バブル崩壊」(一応1991年として)の2つで世代を分け、1986年までに学校を卒業・就職した「均等法前世代」と、1991年までに学校を卒業・就職した「均等法世代」、さらに1990年以降に卒業・就職した「バブル崩壊後世代」に分けて、それぞれのコーホート集団ごとに対比しています。そこからさまざまな特徴が明らかになっています。
他にもたくさん興味深い分析が行なわれていて、たとえば、階層の固定化傾向がみられるとか、所得の不安が子どもを産まない要因として大きいことなど、豊富な内容を引き出すことができます。
本書は、統計調査の分析結果を紹介するものとして、政策的な問題にはあまり立ち入っていませんが、それでも、雇用の全般的な改善の必要性や、安心して子どもを産み、育てられるための社会的な支えの充実など、耳を傾けるべき指摘も数多くあります。
なお、編者の一人、樋口美雄・慶応大学教授による、同調査と本書分析結果の簡単な紹介記事が、「日経新聞」4月24日付夕刊の「生活」欄に載っています。
著者の金熙徳氏は中国社会科学院・日本研究所の教授で、紹介によれば修士論文は西田哲学について書かれたそうです。で、訳者が書かれていないので、著者が日本語で書き下ろしたもの思い、編集部に問い合わせたところ、確かにその通りだとのことでした。
内容は、「なぜ日本人は中国が理解できないのか」「対中ビジネス、欧米と日本の明暗」「中国『深層』の変化を検証する」「経済大潮流と政治の行方」「『世界の工場』という呼称の虚構と実像」「『先富層』保護と『弱者層』扶助のバランス」「新たな発展モデルへの模索」「『一人っ子』の暮らしと教育から未来を読む」「『革命党』から『政権党』への転換」「『平和台頭』を目指して」の10章で、現在の中国の政治と経済の動き手際よく概観しています。中国というと、人口13億で広いし、変化は急激だしと、ともかく“全体”をつかむのが大変。日本国内では、貧富の格差拡大や失業問題、党・政府の腐敗などを取り上げて“中国は社会主義ではない”と論難されたり、右派論断からは侵略戦争問題などで中国側の「反日」があげつらわれたり、はたまた中国「脅威」論や「崩壊」論など、一面的なイメージに流れがちなだけに、貴重な一冊といえます。
中国の社会主義「初級」段階論の意味合いとか、「大躍進」や人民公社、「文革」などの混乱からようやく中国経済を安定的な発展の軌道にのせたことの歴史的な意味づけ、その「改革開放」「社会主義市場経済」のもとで全体としての経済水準は上がりつつも貧富格差が拡大してきたこと、それにたいし、昨年の党大会や今年の全人代いらい、党や政府が貧富格差の是正、社会保障の充実などに少しずつでも舵をきりつつあることなどがよく分かります。党・国家の指導部の世代論や、最近の「海亀派」(海外留学からの帰国組)などの話も登場して、文字通り「国家百年の計」として経済発展をめざす中国の様子が紹介されています。とくに、こちらがそういう問題意識を持って読むから余計にそうなのかもしれませんが、日本を含む大きな社会発展の方向として「市場経済を通じて社会主義へ」という道があらためて注目されているときに、現在の中国の「社会主義的市場経済」をどうみたらよいか、どのように位置づけられるのかがわかり、面白く読みました。
邪馬台国の所在をめぐる論争は有名ですが、著者は、魏志倭人伝に描かれた時代(邪馬台国時代)に、中国から「邪馬台国」として認識されるような政治的なまとまりがあったとしたら、それは畿内を中心とする後の大和政権につながる地域だ結論づけています。
すなわち、箸墓古墳など、畿内には古墳時代初期の大型の前方後円墳がありますが、それらが造営された実年代は、最近の研究では「三世紀中葉すぎにまでさかのぼる」(p.37)こと。したがって、年代的に、箸墓古墳と邪馬台国とは重なってくるようになり、「『邪馬台国』が『やまと国』、すなわち大和であることは疑いない」。では、なぜ「邪馬台国」が誕生したか。日本列島では、弥生時代の前期から鉄器が使われはじめているが、「弥生時代の後期(一〜二世紀)になると、石器が急速に姿を消し」、「本格的な鉄器の時代」に入った。しかし、日本列島では、古墳時代前半になっても製鉄遺跡が出てこない。つまり、この時代、鉄資源は、「弁辰」(朝鮮半島の東南部、のちの「加耶」地域)から輸入していたらしい(魏志東夷伝弁辰条)。こうした状況の下で、「瀬戸内海沿岸各地や近畿中央部の勢力」が鉄資源などを「安定的に確保しよう」として、そのルートを押さえていた「玄界灘沿岸勢力」と戦わざるをえない。そのために「大和の勢力を中心に、近畿中央部から瀬戸内海沿岸各地の諸政治勢力が連合したのが、のちのヤマト政権につながる広域の政治連合の形成にほかならない」(p.39〜41)。その証拠として、中国鏡の分布の変化が指摘されています。「弥生時代から古墳時代に転換する少し前を境に、それまで北部九州を中心として分布していた中国鏡が、近畿のヤマトを中心とする分布に大きく変化する」(同前)。これが、玄界灘沿岸占領からの「権力」の移動をしめすというのです。
これは、山尾幸久『古代王権の原像 東アジア史上の古墳時代』(学生社)とも共通する結論です。どうやらこのへんがいまの定説になっているようです。
言うまでもなく、木村伊兵衛氏も土門拳氏も、日本を代表するカメラマンです。木村伊兵衛氏は1901年(明治34年)生まれ、1974年、72歳で没。土門拳氏は1909年(明治42年)生まれ、1990年、80歳でなくなりましたが、何度かの発作をへて1979年に倒れていらい意識の戻らないままでした。両氏とも、戦前からプロの写真家として活動し始め、60年代から70年代にいたるまでの日本の“時代”を代表した写真家でした。軽快で颯爽としたスナップ写真で知られる木村伊兵衛氏にたいし、「鬼がつく」といわれるほど対象に執着する土門拳氏。2人の作風は対極的とも言えます。
本書は、この2人の生涯と作品をふり返りながら、「写真」という芸術的表現の意味を考えようとしたものです。写真という“手段”が社会的な訴求力をもっていた“時代”の意味、そして、写真という表現方法の技術と内容の関係など、興味深いテーマが2人の作品と時代を追いながら取り上げられています。写真という表現手法が、ここまで一般化、庶民化してしまった現在、残念ながら、「写真」は、何を映すかという内容の面でも、どのように写すかという技法の面でも、もはや“行き詰まってしまった”のでしょうか? たとえば、土門拳氏の「ヒロシマ」(1958年)や「筑豊のこどもたち」(1960年)などは、写真が社会的な“力”を持っていた“幸福な”時代の成果だといって“懐かしむ”のではなく、あらためて内容と技法の両側面から、写真の可能性を考え直すことが求められていると思います。そういう点で、日本の近代写真の2人の大家の作品をふり返った本書は、重要な問題を投げかけているように思いました。
沢田允茂氏は、慶應義塾大学名誉教授。専門はアメリカの分析哲学や実証主義論理学で、日本哲学会会長や日本科学哲学会会長を務め、岩波新書『現代論理学入門』(1962年)などの著書があります。同氏は1916(大正5)年生まれで、1940(昭和15)年に応召し、中国戦線へ渡り、その後、1943年に南方に移動となり、ニューギニア・パラオ島に渡り、そこで終戦を迎えられたことを、私は本書を読んで初めて知りました。父は陸軍参謀次長を務めた沢田茂氏で、允茂氏は、そういう軍人の家庭に生まれながら、早くから思想めいたことに目覚め、日本の戦争に批判的な意識をもちつつ応召されたこと、さらに、南方では、今からは想像もつかないような飢えとマラリアとの闘いだったことを率直に書かれています。
戦後、慶応大学に戻られてからのことでは、同大教職員組合の初代委員長を務められたこと、また日本哲学会の発足にかかわり、大学や学派の違いをこえて、研究者の交流に努められたこと――そのなかには、寺沢恒信氏の名前などもあって、非常に興味深く読みました。氏の専門は分析哲学や論理実証主義哲学なので、科学的社会主義とはまったく立場を異にするのですが、だからといってマルクス主義哲学を排除するのではなく、研究組織を一緒にすすめようというところに、一種のリベラリズムを感じるとともに、それが、実は戦前、戦中の体験に根ざしたものだということも感じられ、とても重要なことのように思われました。
久しぶりに桐野夏生です。これは村野ミロ・シリーズの番外編。ミロの義父、村野善三の話です。桐野さんの作品シリーズの中では、このミロ・シリーズが一番普通のハードボイルドなので、安心して読めます。
「草加次郎」を名乗る犯人による連続爆破事件。睡眠薬中毒の女子高生の殺害事件。週刊誌「ロンダン」を舞台に、トップ屋村善のまわりに、右翼の大物による脅しや、有名作家の息子などが登場し、60年代初めの雰囲気がよく伝わってきて、ひきこまれてしまいます。ミロの出生の秘密も明かされています。
90年代を描くには、ミロという女性が必要だったのであれば、60年代の“暗部”を描くのにはやっぱり男性が必要だったということでしょうか。骨太なハードボイルドです。
史上最年少19歳の芥川賞受賞ということで話題になっているので、とりあえず買ってきて読みました。筋は書きませんが、高校で“友だち”と上手くつきあうことのできない主人公(女性)が、ふとしたきっかけで、同じようにクラスにとけ込めない同級生の男子と言葉を交わすようになる。そんな“出来事”のなかで、彼女が感じる心の動きが、ほとんど同世代の目線で描かれています。友だちと話を合わせるために必死になっている同級生たちを思いっきり軽蔑しながら、同時に孤独や寂しさを感じる気持ちの揺れが描かれていますが、主人公自身が、そういう両方の気持ちに気がついていて、そのうえそういうふうに気持ちが揺れること自体を“自分らしい”を思っているらしいのです。そのへんが“新しい”のかも知れませんが、その分、主人公に“葛藤”がなく、“出来事”も“事件”には発展しないまま過ぎていってしまう。そういうふうに言ったら、19歳の作者には酷でしょうか?
いずれにしても、買ってきた翌日の通勤の行き帰りの電車の中で読めてしまったのには、呆れました。要するに、小説を読むときの“手応え”とか“引っかかり”みないなものが何もなく、つるつると読み進めてしまえるのです。はたしてこういうものがいわゆる純文学の“小説”であって良いのだろうかと、思わず考えてしまいました。
↑こんなふうに書いたら、僕がこの作品を評価してないかのような誤解を受けたので、もう少し書いておきますが、僕はけっしてこの作品を貶している訳ではありません。むしろ、“そうか、今どきの高校生って、こんなふうに考えてるのかぁ・・・”と思って、一気に読んでしまいました。そういう一種のリアリティを感じさせるところは、さすがだと思います。
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