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4人の食卓 The uninvited

韓国製ホラー映画です。「猟奇的な彼女」で一躍日本でも人気となったチョン・ジヒョンが、全く違うタイプのキャラクターを演じています。

結婚を目前にしたインテリア・デザイナーのジョンウォンは、新居となるマンションに婚約者が用意した4人がけのテーブルに、ある晩、地下鉄車内で母親に毒殺された2人の幼女の姿を見ます。そこに、その子どもがどうやらみえるらしい女性ヨン(チェン・ジヒョン)が現われます。ヨンには姉のように慕っていた女性ヨンスクがいましたが、ある日、育児ノイローゼとなっていたヨンスクが、ヨンの子どもを高層アパートの窓から投げ落とされてしまいます。それ以来、ヨンは精神科医の診療を受けることになり、夫とのあいだにすれ違いが膨らんできます。他方、ジョンウォンは7歳以前の記憶がなく、子どもの頃から1つの夢に悩まされていましたが、その夢の正体をヨンから知らされます。

こうやって話がすすむにつれて、ヨンを中心に複数の事件がからみあい、ちょっと怖いストーリーが展開していくのですが、終わったあと、お客さんたちが「ねえ、分かった?」「ちっとも分からない」と言い合っていたとおり、結局、事件は何だったのか、いまいち判然としません。一番よく分からないのは、なぜ2人の子どもたちがジョンウォンのところに現われたのか、ということ。それにジョンウォンが子どもの頃から悩まされていた夢は、結局、ほんものだったのかというのも、いまいち判然としません。ジョンウォンの父親の息子に対するぎこちない接し方も、結局何だったのでしょうか。と、こう書いてしまうと、結局、全部何も分からないじゃないかということになってしまうのですが・・・。僕は、答えのヒントは、嗜眠症(ナルコレプシー)、妄想を伴う、というヨンの精神科クリニックのカルテじゃないかと思うのですが、はたしてそうなのかどうか、さっぱり分かりません。(^^;) 何にしても、家族とか夫婦とか、あるいは記憶というものの、一件当たり前にみえているものが実は一皮むくと何が本当か分からない・・・・という怖〜〜いお話です。

偶然かも知れませんが、「冬のソナタ」のユジンも確かインテリアデザイナーだったはず。インテリアデザイナーというのは、いま韓国であこがれの職業なんでしょうかねえ。

◆監督・脚本=イ・スヨン◆出演=チェン・ジヒョン/パク・シニャン(ジョンウォン)/ユ・ソン(ジョンウォンの婚約者ヒウン)◆2003年、韓国/東芝エンタテイメント

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シルミド

33年間歴史の闇に封じ込められてきた衝撃の“真実”――。1971年8月23日に起きたシルミド事件を描いた、いま話題の韓国映画です。

実尾島(シルミド)は、仁川(インチョン)沖合にある無人島。1968年1月の青瓦台襲撃事件(北朝鮮の特殊部隊31名が韓国に侵入し大統領官邸襲撃をはかった事件)にたいして、当時の朴正熙大統領は、北朝鮮に侵入して金日成の暗殺をねらう特殊部隊を創設。それがこの映画の主人公たちの「684部隊」です(ちなみに部隊名は68年4月創設にちなむ)。そこに集められたのは、カン・インチャン(ソル・ギョング)やハン・サンピル(チョン・ジェヨン)、クンジェ(カン・シニル)など31名の死刑囚。空軍部隊長のチェ・ジェヒョン(アン・ソンギ)のもとで、文字通り殺人的な訓練を重ねてゆきます。そして、ついに作戦を決行する日がやってきて、部隊はボートに分乗して嵐の海に向かって出発・・・。ところが、その直後に作戦中止の命令がやってきたところから、この特殊部隊の運命は大きく変わっていきます。

歴史的事件の真実と言いながら、事件の真相はいまだ不明。ということで、映画はあくまで創作ですが、しかしホ・ジュノなどは関係者(684部隊員は全員死亡なので、存命関係者は訓練にあたった兵士たちでしょう)がまだ存命ということで、かなり神経を使ったとインタビューに答えて話しています。先日のNHK「ハングル講座」で、アン・ソンギとホ・ジュノが、事件について語っていました。1952年生まれのアン・ソンギは、当時ラジオで「正体不明の集団が・・・」というニュースを聞き、すぐ「ああ、これは内部の事件だな」と直感したと言います。もちろん彼も、当時はそれ以上分からなかったと言いますが、わずかそれだけのニュースから政権内部で“何かが起こった”と直感する、いや直感せざるを得ない、そういう時代だったということが非常によく伝わってきました。他方、1964年生まれのソル・ギョングは、当時幼すぎて事件は知らないが、「裏山に落ちていた北のビラを警察に届ければ、鉛筆が1本もらえた。そんな時代だった」と話していました。さらに、10年前に事件について初めて知ったときに、「これは映画にしたい、しかし映画にはできないだろう」と思ったとも語っていたのが印象的でした。

近年、韓国映画の伸長著しいものがありますが、そのなかでも、かつての独裁政権下の出来事を描いた作品がさまざまに登場していますが、1987年の民主化以来の韓国の“変化”の大きさを実感させられます。

◆監督=カン・ウソク◆製作=イ・ミンホ◆原作=ペク・ドンホ◆脚本=キム・ヒジェ◆出演=ソル・ギョング/アン・ソンギ/ホ・ジュノ/チョン・ジェヨン/イム・ウォニ/カン・ソンジン/カン・シニル/イ・ジョンホン◆2003年、韓国/東映

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スパニッシュ・アパートメント

スパニッシュ・アパートメント

タイトルの「スパニッシュ・アパートメント」というのは、もちろんスペインのアパートということですが、同時に、具ごた混ぜのスパニッシュ・オムレツのように、いろんな国籍の人間がごた混ぜのアパートという意味でもあるそうです。

主人公グザヴィエは、パリで暮らす25歳の大学生。経済専攻で、就職のためには「スペイン語とスペイン経済を勉強せよ」と言われ、欧州交換留学プログラム“エラスムス計画”を利用して、バルセロナに1年間留学することに。バルセロナに着いたグサヴィエがようやく見つけたのは、学生たちがシェアしているアパート。あやしい面接に合格したグザヴィエは念願の共同生活へ・・・・。

ということで、EU拡大よろしく、共同生活する学生は、イギリス、ドイツ、イタリア、デンマーク、それにスペインと各国とりどり。バルセロナはスペインといってもカタロニアにあり、大学の授業もカタロニア語だし、大家から家賃値上げを通告されて、さらにもう1人増えた女子学生は、実はレズビアン。その彼女に“女性の心理”を教えてもらって、グザヴィエは、バルセロナ空港で知り合った精神科医の奥さんを口説き落とすことにまんまと成功! そこにパリからグザヴィエの彼女マルティーヌ(オドレイ・トトゥ)がやってきますが、狭いアパートの中ではうまくいかず、すれ違いに・・。と、実に学生らしいバカ騒ぎが続いていきます。最後、ようやく1年の留学を終えたグザヴィエは、念願のEUの行政機関に就職しますが・・・・。

でもその途中で、たとえばイギリス人の女性留学生の弟が遊びに来て、ドイツ人はこうだ、スペイン女性はどうだと無神経な放言をくり返してみんなから総スカンを食らったり、酒と麻薬と音楽しかしらないアメリカ人がみんなから思いっきりバカにされたり、そのおバカなアメリカ人と「セックスだけ」と言いながらつきあうイギリス人も「バカだ」と言われたり・・・という場面が登場します。イラク戦争をめぐるブッシュ・ブレア陣営とヨーロッパとの対立みたいだなあと思って楽しんでましたが、よく考えたら映画は2001年作製なので、そういうことを考えた演出ではありません。でも、やっぱりフランス人ってアメリカが嫌いなのね〜なんて思ったりしました。(^^;)

◆監督・脚本=セドリック・クラビッシュ◆出演=ロマン・デュリス(グザヴィエ)/オドレイ・トトゥ/ジュディット・ゴドレーシュ(精神科医の妻)/セシル・ド・フランス◆2001年、フランス・スペイン

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僕は怖くない

イタリア映画です。1978年の夏、あたりが真っ白にみえるぐらい強い日差しが照りつける南イタリアの小さな村が舞台。主人公のミケーレは10歳。友だちと麦畑のなかを走り回っていて、偶然、トタンでふさがれた穴を発見する。のぞき込んでみると、その中には1人の少年(フィリッポ)が鎖でつながれていた・・・・。少年は、ミケーレに「僕は死んでしまったの・・・?」と尋ねる。恐ろしさのあまり誰にも言えないミケーレは、それでも少年のことが気になって、穴に通いはじめる。そんなある日、ミケーレの家にいかにも荒くれという感じのセルジョという男がやってくる。夜中に目が覚めたミケーレは、父親たちが話している声を聞いてしまう。穴の少年と父親たちがなにやら関係があるらしい・・・・。

もう上映が終わってしまったみたいなので、“ネタばれ”で書きますが、偶然出会った少年が実は誘拐されて閉じ込められていること、そして彼を誘拐したのがどうやら父親たちらしいことを知ったときの少年ミケーレの恐ろしさ。しかし、ミケーレは少年を助けるために走っていく。ささやかかも知れないけれども、勇気と正義の大切さを教えてくれます。

南イタリアの貧しさ、照りつける日差しの強さ、一面に広がる黄金色の麦畑・・・。映像的にも綺麗な作品です。

◆監督=ガブリエーレ・サルヴァトーレス◆原作・脚本=ニコロ・アンマニーティ◆出演=ジュゼッペ・クリスティアーノ(ミケーレ)/マッティーア・ディ・ピエッロ(フィリッポ)/アイタナ・サンチェス=ギヨン(ミケーレの母アンナ)◆2003年、イタリア

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イン・ザ・カット

“ラブコメの女王”のメグ・ライアンが体当たりで演じたということで話題になっていましたが、僕はむしろ製作総指揮ニコール・キッドマンということで見てきました。

大学で文学を教えるフラニーの自宅に刑事マロイがやってきて、近くで連続殺人事件の被害者が殺されていたという。どうやら、フラニーが、昼間、場末の店の地下のトイレで偶然“目撃”した女性が被害者らしい。そのとき、女性が相手をしていた男の手には特徴ある刺青があった・・・。はたして彼が連続殺人犯なのか・・・・。というサスペンスのストーリーと、他人に心を閉ざして“言葉”にこだわるフラニーの屈折した心理とが重なって展開していきます。さらに、フラニーが唯一心を許す腹違いの妹ポーリーンや、フラニーにつきまとうストーカー野郎の存在などが登場して、映画は怪しい展開を見せていきます。途中では、フラニーの自慰場面があったり、メグ・ライアンがほとんどスッピンで登場するとか、いろいろ話題になりました。

しかし結論からいえば、公開されたあとは、公開前ほど話題にならなかったというあたりが映画の出来を正直に反映しているように思います。サスペンスらしい盛り上がりとか緊張感がもっと欲しかったというのが正直なところです。冒頭から「ケセラ」の音楽が流れ、たぶんフラニーの屈折した心理にたいして、心の鎧を解いて、もっと自由に・・・ということを暗示しているのでしょうが、そこのところもイマイチでした。ストーリー的には面白い設定だと思うんですが、消化不良で終わってしまったという感じです。それがシナリオのせいなのか、はたまたメグ・ライアンの技倆不足なのかは分かりませんが・・・・。

◆監督・脚本=ジェーン・カンピオン◆出演=メグ・ライアン(フラニー)/マーク・ラファロ(マロイ)/ジェニファー・ジェイソン・リー(ポーリーン)◆2003年、アメリカ

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幸せのためのイタリア語講座

デンマーク映画です。デンマークの田舎町で、あんまり順調にいっていない生活を送っている何人かの男女の生活を追っかけた作品です。

スタジアムのレストランの店長ハル・フィンは、一度このスタジアムにユベントスが来たのが自慢。ホテルの受付係のヨーゲンは、支配人からハルにクビを通告せよと言われるが、幼なじみのハルにそれが言えない。パン屋に勤めるオリビアは、偏屈な父親の面倒をみて暮らしている気の優しい女性。でも、ともかく何をやっても鈍くさく、自分に自信が持てない。美容師のカーレンは、アル中の母親にうんざり。新任の代理牧師アンドレアスは5カ月前に妻を亡くしたばかりで、しかも前任の牧師から何かにつけいじめられる・・・。とまあ、みんなちょっと人生が上手く行かないいい歳した大人たちです。そんな彼ら・彼女らが、市役所で行なわれているイタリア語講座に集まってきます。

印象的だったのはの、社会保障の行き届いたデンマークの“陰”の部分が描かれていること。ハルとヨーゲンは孤児で一緒に育ったという設定だし、オリビアもカーレンも親が離婚した家庭に育っています。さらに、カーレンの母親はアルコール中毒と、登場人物みんな、どこかマイナスの面があります。しかし、それにもかかわらず、彼らがみんな“不幸”になる訳ではなく、それなりにきちんと生活しています。このあたりに、個人の自立と尊厳を尊重し、社会的な“支え”をすすめてきたデンマーク社会の特質が見えたように思いました。

新宿のレイトショーで「幸せのためのイタリア語講座」を見てきたのですが、隣に座った女性は退屈だったのか、しきりにあくびしてました。(^^;)

◆監督・脚本=ロネ・シェルフィグ◆出演=アンダース・W・ベアテルセン(アンドレアス)/ピーター・ガンツェラー(ヨーゲン)/ラース・コールンド(フィン)/アン・エレオノーラ・ヨーゲンセン(カーレン)/アネッテ・ストゥーベルベック(オリビア)◆デンマーク、2000年

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ドッグヴィル

疲れました。上映3時間の“心理劇”です。しかしいきなり驚かされるのは、舞台装置がないこと。ドッグビルの村は、フラットな舞台の上に白線で輪郭線が描かれているだけ。教会の鐘とか雑貨商のショウウィンドー、作家志望の青年(彼が逃げてきた彼女を匿おうと提案する)の机、その父・元医師の薬品棚など、ポイントになるセットは置かれていますが、あとは壁も窓もドアも天井も屋根もなし。登場人物たちは、何もないところで“ドアを開ける仕草”をして、家を出入りする、ちょっとシュールな世界です。監督は、旧東独の劇作家ブレヒトから学んだと言っています。

ストーリーの方は、ロッキー山中の寒村ドッグ・ヴィレッジにある日、ギャングに追われているらしい一人の女性(グレース=ニコール・キッドマン)が逃げ込んできたところから始まります。小説家を志す村の青年(エディソン=ポール・ベタニー)は、彼女をかくまおうと村人に提案し、村人たちも女性を匿うことを認めます。それにたいしグレースは、子守をしたり、農作業を手伝ったり、肉体労働を提供することで、徐々に村人たちに受け入れられてゆきます。ところがある日、保安官がやってきて彼女の手配書を貼り出したところから話は少しずつおかしくなってくる・・・・。村人たちは「リスク」への対価を求めるようになってきます。子どもはグレースに「お母さんは僕を撲ったことがない(母親は体罰をしない主義だった)。僕を撲って」と言い出す。男(チャック)は「黙ってやっているんだぞ」といって彼女に迫り、彼の家で襲われる(そのときも、壁のない舞台では、グレースの襲われる向こうに、他の村人たちが普通の生活が映し出されます。このあたりが、シュールな舞台設定の見所なのです)。そいて、とうとう彼女は村から逃げ出すことを決意し、エディソンに相談。荷物運びをやっているベンのトラックに隠れて逃げ出すことに決め、エディソンが父親から借りてきたお金を渡します。しかし、目的についたと思って彼女が外に出てみると、そこは元の村・・・・。しかも彼女は、エディソンの父の金を盗んだ“犯人”とされ、鉄の首輪を巻かれ、重りを引きずって働かされることになります。こんなふうに、村人たちの“心理”がゆがんでいくところが描かれていきます。

そして最後に、ついに“審判の日”がやってきます。その結末がいいのかどうかは議論が分かれるでしょうが、村人たちの“善意”を信じ、だんだんとおかしくなってくる村人たちにたいしても“哀れみ”をもって接してきた主人公の女性も、結局、この閉鎖された社会で偽善に生きる村人たちに“審判”をくだすことになります。

◆監督・脚本=ラース・フォン・トリアー◆製作=ヴィベケ・ウィンデロフ◆出演=ニコール・キッドマン(グレース)/ポール・ベタニー(エディソン)◆2003年 デンマーク

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25時

「アメリカン・ヒストリーX」のエドワード・ノートン主演と、「マルコムX」のスパイク・リー監督ということで、前売りは買っていたのですが、疲れたときに見るのはちょっと・・・・と思って延ばし延ばしになっていましたが、ようやく見てきました。(^^;)

結論からいうと、じっくり考えさせられる、非常に中身の濃い作品です。映像的にも、とても綺麗で、見応え十分でした。映画は、麻薬の売人で捕まったモンティが収監される前の1日、24時間を映したものです。モンティは、せっかくの人生をフイにしてしまったことを深く悔いるのですが、その過程が、実は同時に、いまのアメリカ社会のあり方そのものにたいしても“もうちょっと反省してみたらどう?”という問いかけになっているように思えました。とくに面白かったのは、モンティがトイレで悪態をつくシーンで、その中に、エンロンの名前が登場し、さらに「ブッシュとチェイニーは知ってたはずだ」と言う場面が登場します。他にも、モンティの幼なじみが9・11の「グラウンド・ゼロ」を見下ろすコンパートメントに住んでいたり、そこかしこに、9・11「後」のアメリカ社会にたいする根本的な問いかけの“眼差し”が感じられます。

同時に、こうした作品にありがちな、破滅的な結末に向かわないところが、この作品の実に優れたところでしょう。主人公自身、自分の身に起こった出来事に冷静に立ち向かっています。それだけの意思力を表現できるというところが、エドワード・ノートンの渋いところでしょう。「アメリカン・ヒストリーX」では、予告編などでは、ノートンが演じる兄は白人至上主義者で、弟が刑務所に収監された兄にあこがれ、そこに事件が起こると思わせておきながら、実際に映画を見てみると、刑務所から戻った兄は劇的な形で白人至上主義の愚かしさを見せてくれました。もちろん、それらはみんな役だと言ってしまえばそれまでですが、こうした役を演じられるだけの内実をエドワード・ノートンという俳優が持っているということだろうと思います。

◆監督:スパイク・リー◆原作・脚本:デイヴィッド・ベニオフ◆出演:エドワード・ノートン(モンティ)/フィリップ・シーモア・ホフマン(ジェイコブ=高校教師)/バリー・ペッパー(フランク)/ロザリオ・ドースン(ナチュレ)◆2002年 アメリカ

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しあわせな孤独

めずらしいデンマーク映画。結婚を目前にしたセシリとヨアヒム。ところが、セシリの目の前でヨアヒムは交通事故にあってしまう。事故を起こしたのは、彼がかつぎこまれた病院に勤める医師ニルスの妻(マリー)だった。ニルスは、ヨアヒムの容態を心配するセシリに、加害者の夫と名乗って謝罪する。ヨアヒムは、一命を取り留めたが、全身麻痺に。セシリは2人でのりこえていこうというが、ショックを受けたヨアヒムに拒絶され、どうしてよいか分からず、ニルスに相談をする。やがて2人は、被害者の恋人と加害者の夫という立場を超えて惹かれあうようになる・・・・。

とまあ、なかなか複雑な状況設定です。で、一つの事件をきっかけにして、2組のカップルの心が微妙にすれ違っていく様子を描いています。恋人に拒絶されながらも、一生懸命彼に尽くそうとしながら、同時に、支えや慰めをもとめてしまう若いセシリの気持ちに共感するのか、会場では、あっちこっちで鼻をすする音もしていました。しかし、僕には、医師ニルスの情けなさ、若い女性に頼られて、つい下心をむき出しにしてしまう情けない下半身男ぶりが目について、うんざりしてしまいました。映画の結末も、まんまと、スケベ心に動かされたニルスの思惑どおりになってしまうし・・・・、ほんとにこんな結末でいいんでしょうか? 彼の妻マリーも、可哀相な女性のように見えて、実は前方不注意で交通事故を起こした割には、何の処罰も受けてないみたい(映画の途中からは彼女は完全に被害者の側になっていた)、で、ちょっとオイオイ・・・でしょう。結局、一番貧乏くじを引いたのは、全身不随になったヨアヒム君だけ? という感じです。実は、事故を起こしたとき一緒に車に乗っていて母親とケンカしていた娘スティーネも、なんでそんなに母親や父親に反発するのかはさっぱり分からないままというのも、ちょっと不満でした。しかし、スティーネ役のスティーネ・ビェルレガードは、安達祐実をもうちょっと艶っぽくした感じで、かわいかったです。(^^;)

ところでそんなストーリーの間に、たとえば8歳の息子が「僕はゲイなのかな?」と言ってみたり、全身不随のヨアヒムが雑誌を読めるように自動ページめくり機能付書見台が病室に運び込まれていたりと、北欧社会の自由さや豊かさが印象に残りました。

監督・原案のスザンネ・ビエールも、製作のヴィベケ・ウィンデロフも女性です。ウィンデロフは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などのプロデューサーとして有名。英語タイトルは“OPEN HEARTS”、むしろこっちのタイトルの方がマシだったかも・・・。

◆監督・原案:スザンネ・ビエール◆製作:ヴィベケ・ウィンデロフ◆出演:ソニア・リクター(セシリ)/マッツ・ミケルセン(ニルス)/ニコライ・リー・カース(ヨアヒム)/パプリカ・スティーン(マリー)/スティーネ・ビェルレガード(スティーネ)◆2002年 デンマーク

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息子のまなざし

2002年カンヌ国際映画祭で主演男優賞・エキュメニック章特別賞受賞ということで話題の作品ですが、映画が始まっても、全体状況の説明的な映像はまったくなく、主役オリヴィエのクローズアップを中心にいきなり話が始まっていきます。だから、いったいどんなストーリーが始まったのかさっぱり分かりません。オリヴィエは、職業訓練所で木工を教える教師。そのクラスに、ある日転入生(フランシス)がやってきますが、オリヴィエは「いまは手一杯」といっていったんは断ります。しかし、オリヴィエは、フランシスが気になるようで、事務室で手続き中のところをこっそりのぞきに行ったりします。そして翌朝、フランシスを自分のクラスに受け入れます。そのあとも、フランシスが帰っていく跡をつけていきます。なぜ、なにが始まっているのか、ともかくストーリーが飲み込めないまま25分ぐらい立ったところで、初めて、何が起こっているかが明かされます(それは、ネタ晴らしになるので、ここには書けませんが)。

自分のクラスに受け入れたフランシスは、16歳。ちょっと生意気そうで、他人を拒絶したような表情を見せるけれども、オリヴィエが教えることを真剣に身につけようとしています。そんなフランシスを、いつのまにか「受け入れ」てしまうオリヴィエ・・・・。それは、彼の前妻が漏らしたようにまさに「狂気の沙汰」なのか。それとも、神の“許し”なのか。

その重いテーマを、客観的な状況描写的な場面を可能な限り削り、オリヴィエのクローズアップを多用する思いっきり「主観」的な方法で描き出しています。監督ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟は、1999年に撮影した「ロゼッタ」でも、キャンプ場のトレーラーハウスで酒浸りの母親と暮らす少女ロゼッタの必死な生き方を、やっぱりロゼッタの視線に密着する形で描いていて、とても印象的でした。

◆監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ(兄弟)◆出演: オリヴィエ・グルメ(オリヴィエ)/ モルガン・マリンヌ(フランシス)◆2002年、ベルギー=フランス

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気まぐれな唇

韓国映画です。ギョンスという男(俳優らしい)が映画をおろされ、ふてくされて旅に出て、そこで2人の女性と出会うというお話。最初にチュンチョン(春川)で出会ったのは、ダンサーだという女性ミョンスク(イェ・ジウォン、ちょっと菊川怜似の美人)。ギョンスにあこがれているというミョンスクは、ギョンスに「愛していると言って」と迫るが、ギョンスは答えない。気まずく別れ、プサンに向かう列車の中で、今度はソニョン(チュ・サンミ、こっちはサトエリ似)と出会う。ソニョンに惹かれたギョンスは、列車を途中で降りてソニョンの後を追いかけていく。ソニョンは、中学生のとき、実はギョンスンに助けてもらったことがあるといい、それでギョンスの舞台も見に行ったという。不思議な縁にますます惹かれるギョンスだが、実はソニョンは結婚しているという。強引にソニョンを連れ出したギョンス。ソニョンには「愛している」という。しかし、ホテルを出て、ソニョンは「ここで待っていて」といって家へ帰り、ギョンスがいくら待っても戻ってこない・・・・.。

とまあ、あんまりよく分からない筋でした。男女の駆け引きとか、自分を見失った男のふらふらした様子とか、あるいは女性のしたたかさとか、まあそういうあたりを描いたということでしょう。原題は「Turning Gate」。これは、映画の途中で出来るチュンチョンの観光地のお寺にある「回転門」のことらしく、それにはいわれがあって、中国の玄宗皇帝の娘に惚れた男が蛇になって追いかけてきて、娘が韓国のその寺に逃げ込んだという話で、つまりはそうやって女におぼれる男=ギョンスということなのでしょうか・・・。いまいち正体の分からない映画でしたが、それなりに独特の雰囲気を感じさせる作品に仕上がっているとは思います。

◆監督 ホン・サンス◆出演 キム・サンギョン/チュ・サンミ/イェ・ジウォン◆韓国 2002年

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飛ぶ教室

原作は、ドイツの有名な童話作家エーリッヒ・ケストナーの作品。もともとは1930年代のギムナジウムが舞台ですが、映画では、これを現代に移しています。だから、学校は男女共学になっているし、子どもたちはラップを歌ったりブレイクダンスを踊ったりするし、“禁煙”は「国境なき医師団」の活動をやってたりするなど、すっごく“いま風”になっています。原作にはない主人公ヨナタンの“初恋?”の話も登場します。

でも、原作の大事なエピソードはしっかり生かされていて、主人公のヨナタン、頭の切れるマルティン、ボクシングが得意でいつもお腹を空かしているマッツ(マチアス)、チビで弱虫のウリー、個性的なセバスティアンという5人の仲間はそのまんま! 実業学校との決闘のお話は同じ学校の通学生のグループとのケンカになって登場するし、弱虫ウリーが勇気を見せようとして大怪我する話も、“正義”先生が親友と再会するシーンも登場します。子どもの置かれている社会的状況は変わっても、子どもを愛するケストナーがいま「飛ぶ教室」を書いたらきっとこんなふうになるだろうなという感じに出来上がっていて、感動しました。子どもの世界の友情や、先生と生徒の信頼の大切さが伝わってきます。

ストーリーの展開が早いので、原作を知らない人、もしくは忘れてしまった人は、原作を読んでから映画を見た方がいいかも知れません。でも、そんなことを知らなくても、きっと楽しめる作品です。

◆監督 トミー・ヴィンガント◆脚本 ヘンリエッテ・ピーパー/フランツィスカ・ブッフ/ウッシー・ライヒ◆出演 ハウゲ・ディーカンフ(ヨナタン)/テレザ・ウィルスマイヤー(モナ) ほか◆2003年 ドイツ

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フル・フロンタル

ロサンジェルスの雑誌記者キャサリン(ジュリア・ロバーツ)は、ブラッド・ピットと競演することになったTV俳優ニコラスへの取材のため、ニューヨーク空港からロスまで飛行機で一緒に乗り込む。ニコラスは、キャサリンが自分に気があると思いこみ、しきりに気を引いてくるが、キャサリンは少々うんざり。それでも、取材は撮影現場まで続く。ニコラスの出番が終わったところで、2人が外へ出ようとすると、突然、「カット・・・・」の声? なんだこれ? と思いながら見ていると、映画は、クリアな映画の画面と、画質の悪いホームビデオで撮影したらしい画面とが交互に出てきて、結局、さっきの話は、ハリウッドを舞台にした「劇中劇」(ご丁寧なことに、これに「ランデブー」というタイトルまで付いている)で、映りの悪い映画の方が、ハリウッドの“現実”だということらしい。

しかし、結末はいったい何? それまで、“現実”だと思っていたのに、最後の最後になって・・・・(これはネタばれなのでかけない)。しかも、“現実”には、ある殺人事件が起こるが、その犯人は誰? 宣伝ではブラッド・ピットが謎解きをするということになっているけど、それはどこへいった? ということで、いささか“楽屋落ち”的なところもある映画ですが、逆に言うと、そこが面白いのかも。真剣に、ストーリーを追いかけるのではなく、一種の“お遊び”として楽しんでください。(^^;)

◆監督 スティーブン・ソダーバーグ◆制作 スコット・クレイマーほか◆脚本 コールマン・ハフ◆出演 ジュリア・ロバーツ/デビッド・ドゥカブニー/キャサリン・キーナー/ブラッド・ピット◆2002年 アメリカ

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