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2003年に見た映画(1)

トゥームレイダー2

アンジェリーナ・ジョリー主演のシリーズ第2作。こういうシリーズの場合、アクションはますます派手に、主人公はますます格好良く、というのが大道です。本作も、その点では、ぴったり当てはまります。たとえば、ロープを伝って落下しながらの銃撃シーン。第1作にも似たシーンがあったと思うのですが、今回はますます派手になってます。海底に閉じこめられそうになった場面では、なんと、御自ら腕をちょいと切りつけて、血を流して、その臭いにつられてやってきた鮫に正面からパンチを食らわし、そのヒレをつかんで一気に海面へ急上昇! そのうえ、ララのもとにMI−6がやってきて、女王陛下のご下命によって悪とたたかう! と、もうこうなると、ほとんど女性版ジェームズ・ボンドです。(^^;)

しかし、アンジェリーナ・ジョリーの見せ場、見せ場でつないでいった結果、肝心のストーリーの方がちょっと平板というか単調になってしまった感じがするのが残念です。メカおたくのブライスと執事のヒラリーといういつもの“仲間”もあんまし活躍しなかったし・・・・。だから、派手な割には見ていて、ちょい退屈でした。

それにしても、前作ではカンボジア、今回は中国、香港と、ほんとアンジェリーナ・ジョリーはアジアが好きですね。

◆監督 ヤン・デ・ボン◆主演 アンジェリーナ・ジョリー/ジェラルド・バトラー◆2003年 パラマウント映画

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アダプテーション

「ジョン・マルコビッチの穴」の脚本家チャーリー・カウフマンと監督スパイク・ジョーンズによるハリウッド映画界そのものを舞台にした作品。

ストーリーは、チャーリー・カウフマンがスーザン・オーリアンの『蘭に魅せられた男 蘭コレクターの世界』という本を原作にした映画の脚本を依頼されたところから始まります。脚本家である主人公自身が実在の人物であるだけでなく、「ニューヨーカー」誌のライター スーザン・オーリアン女史も実在の人物なら、『蘭に魅せられた男』も実際に出版された実在の書。映画の中では、「マルコビッチの穴」の撮影現場のシーンも登場するということで、いささか楽屋落ち的な要素を含みますが、映画は、筆がすすまず悩むカウフマンの様子と、スーザン・オーリアンが蘭収集家ジョン・ラロッシュを取材する話(これはすでに本になっているのだから、過去の話なんだけど)とが入れ替わりながら進展します。さらに、カウフマンの双子の弟(ニコラス・ケイジの二役)というのが登場して、しかもセミナーで学んだ方法にもとづいて、いかにもハリウッド、いかにも商業主義という感じの脚本を書き始めるあたりから、話が混乱してます。

ニコラス・ケイジが、自らの頭髪に関する欠陥(!)をさらけ出し、ぶよぶよと不健康に太った中年のさえない男を熱演? 普通のミステリーでは満足できなくなった、ひねくれ者の映画通にはお楽しみの作品です。

ちなみに、adaptationには、生物などの「適応・順応」という意味と「脚色・翻案」という意味とがあります。

◆監督 スパイク・ジョーンズ◆脚本・製作総指揮 チャーリー・カウフマン◆原作 スーザン・オーリアン◆出演 ニコラス・ケイジ/メリル・ストリープ/クリス・クーパー◆2002年 アメリカ

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永遠のマリア・カラス

マリア・カラスは、1923年生まれ、1977年に54歳で亡くなった伝説の“歌姫(ディーバ)”。もちろん、私もCD以外では聞いたことがありません(全盛の頃には、僕はまだ生まれてもいませんから)。

この映画は、その最晩年、オナシスと別れたあと、オペラからもすっかり遠ざかって、孤独にくらしていたマリア・カラスが再び歌うことへの情熱を取り戻していく魔法のような“物語”です。マリア・カラスを演じるのは、「8人の女達」で妖しい?演技でカトリーヌ・ドヌーブと見事に張り合ってみせたファニー・アルダン。映画の中で、マリア・カラスが歌うシーンには、実際のマリア・カラスの歌声が使われていて、ファニー・アルダンは見事に“口パク”で演じています。蝶々夫人の「ある晴れた日に」から、カルメンの数々のシーン、椿姫のヴィオレッタ、トスカの「歌に生き、恋に生き」、ノルマの「清らかな女神よ」などなど、往年のマリア・カラスの素晴らしいアリアが堪能できます。

映画館には、年輩のご夫婦で見に来られたお客さんもたくさんいました。きっと、マリア・カラスのファンだという方なんでしょう。でも、オペラなんて分からないという人も、歌うこと、演じることに情熱を傾けた一人の女性の姿にきっと感動するにちがいありません。

◆監督・脚本 フランコ・ゼフィレッリ◆出演 ファニー・アルダン/ジェレミー・アイアンズ/ジョーン・ブローライト◆2002年 イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン合作

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名もなきアフリカの地で

これも1930年代のドイツを舞台にした作品です(正確にいえば、実際の舞台はケニアですが)。台頭するナチスを前に、ユダヤ人の弁護士のヴァルター・レドリッヒ(メラーブ・ニニッゼ)はケニアに渡り農場での仕事を得て、妻イエッテル(ユリアーネ・ケーラー)と娘レギーナ(少女時代はレア・クルカ、10代はカロリーネ・エケルツ)を呼び寄せる。必死にケニアの地で生きようとする夫と、荒涼とした土地を好きになれない妻は微妙にすれ違いはじめる・・・・。しかし娘のレギーナは、料理人のオヴアやケニアの子どもたちに自然にとけ込んでいく。やがてレギーナはイギリス人学校に通い始めたが、そこでユダヤ人はやはりのけ者にされていた。やがて戦争が始まり、ケニアにいるユダヤ人でさえ「敵性国人」として収容所に入れられてしまう・・・・。

5年がかりで作製された映画。実際にケニアで撮影がおこなわれ、熱帯の濃厚な風景が非常にきれいです。それに、オヴアを慕い、ケニアの子どもたちと親しくなっていく娘の自然さが、とても魅力的です。オヴォア役のシデーデ・オンユーロ(ケニア生まれの俳優)も、とても不思議な?役を見事に演じています。ナチスとユダヤ人、白人と黒人、イギリス人とユダヤ人、ユダヤ人とナチス・・・・複雑な関係を自然に超えていくケニアの魅力が伝わってきます。

原作は、レギーナのように実際にケニアに逃げ出し、ケニアで育ったユダヤ人の女性の自伝的小説。しかし日本語訳はありません。残念・・・・・。(^^;)←と書きましたが、原作の日本語訳は愛育社というところから出版されています。

◆監督・脚本 カロリース・リンク◆製作 ペーター・ヘルマン◆出演 ユリアーネ・ケーラー/メラーブ・ニニッゼ/レア・クルカ/カロリーネ・エケルツ

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トーク・トゥ・ハー talk to her

「オール・アバウト・マイ・マザー」のペドロ・アルモドバル監督の最新作品です。

マルコ(ダリオ・グランディネッティ)は、取材のために女闘牛士リディア(ロサリオ・フローレス)と知り合い、親しくなる。しかし、彼女は競技中に大怪我をして、昏睡状態となってしまう。病院につきそうマルコは、昏睡したままのリディアにどう接したらよいか分からず煩悶していたが、そのとき、交通事故で昏睡状態となった若いバレリーナ・アリシア(レオノール・ワトリング)を4年間介護をする看護士ベニグノ(ハビエル・カラマ)と知り合い、なんとかリディアを介護するようになった。そうやって何カ月かたった頃、アリシアに事件が起こる・・・・。

と、現在公開中なので筋はこの程度しか書けません。予告編を見たときは、2人の男が、植物状態となったそれぞれの女性をどれだけ愛せるかという映画かと思っていましたが、なかなか、実際に見てみると、意外なストーリー展開に驚かされます。

とくに、恋人(だと思っていた女性)が昏睡状態になってしまって、それをどう受け止めたらよいのか分からずに悩むマルコの心理には理解できるところが大きいと思いました。しかし、アシリアに視点を置いてみると、“愛の奇跡か?”という事件は、まったく男の身勝手なもの。だから、この映画が“愛の奇跡”を描いているといって美化するのは、まったく男の視点からの話だけで、女性から見れば、それはたんなる“レイプ”でしかありません。そういう意味では、こういう映画がアカデミー賞監督賞・脚本賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞するというのは、結局、映画界あるいは映画という文化ジャンルに根深く残る男性中心主義の現れではないか? という疑問も当然わいてきます。

そういう批判は僕は当然のものであり、きちんと考えてみる問題だと思うのですが、そうだとしても、昏睡する恋人にどう接したらよいか分からず悩んでいたときに、それを示してくれた男が事件を起こしたときに、その男への“友情”を貫こうとするのにはやはり納得させられるものがあります。これはこれで、立派に映画のテーマになりうると思います。

マルコ役のダリオ・グランディネッティは、映画中では「かっこいい」と言われてますが、スペインだとこういう男が格好いいんでしょうかねえ。(^^;) リディア役のロサリオ・フローレスの闘牛士姿は、かなり格好いいです。「オール・アバウト・マイ・マザー」では鮮烈な色遣いが非常に印象的でしたが、今度の作品でも、ベニグノとマルコが刑務所の面会室で対面するときの部屋の壁の白とベニグノ、マルコの服の青と赤(逆だったかも?)の対比が美しいです。

それから、映画の中に、怪しい(妖しい?)無声映画が登場しますが、これは笑えます。(^^;)

◆監督・脚本 ペドロ・アルモドバル◆出演 レオノール・ワトリング/ハビエル・カマラ/ダリオ・グランディネッティ/ロサリオ・フローレス◆2002年スペイン/ギャガ◆113分

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ハリウッド★ホンコン

主演の周迅は、「中国の小さなお針子」(2002年)で主演した女の子(といっても1976年生まれですが)。ということで、何はさておき、見に行きました。

舞台になっているのは、九龍にあるダイホム村。香港にもこんなところがあったのかと思うような貧民窟(実際にはすでに撤去されてしまったが)。迷路のように入り組んだ家並みの中に、豚の丸焼きを売っている朱一家の店がある。そこに、ぶらりとやってきたのが周迅扮する東東(トントン)。彼女は、ダイホム村を見下ろすハリウッド地区の高層マンションの住人で、アメリカ行きを夢見ている。東東は、純朴で屈託のない朱家の末息子サイと親しくなる。近くに住む意志強は、インターネットにホームページを開いて恋人にホテトルをやらせて金を稼ぐチンピラ。ある日、強は、上海出身の紅紅からメールを受け取り、ダイホム村の近くで紅紅と出会う。・・・・と、書けるのはこの辺までかな。(^^;)

主演の周迅は喜多嶋舞さん(そういえば、彼女は最近見かけませんが、どうしてるんでしょう?)そっくりで、強役の男は広末涼子をにやけさせたような感じで、なんかヘンな感じです。監督は「ドリアン・ドリアン」の陳果(フルーツ・チャン)。ということで、このお話も、「ドリアン・ドリアン」のように身を売って“夢”を手に入れる女性が登場します。

で、予告編だと、貧しい下町に住む太った男の子と周迅扮する女性との心のふれあい・・・・・という感じだったのですが、途中から、豚に人間の受精卵を移植して人間の子どもを産ませようというヘンな女医が登場し、最後は、ちょっとしたスプラッターになって、かなり気持ち悪いです。

監督によれば、「香港返還とは、切られた腕を無理矢理継ぎ接ぎされるようなモノ」だそうです。左手2つは化け物だけれども、右手2つは笑ってすませられるというのは、つまり左=社会主義はごめんだということなのかな? ま、ストーリーはどうであれ、周迅はとりあえずかわいい。そう思ってみれば、腹も立たないかも・・・・。(笑)

◆監督 陳果(フルーツ・チャン)◆主演 周迅(ジョウ・シュン)/黄又南(ウォン・ユーナン)◆2001年、香港

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デブラ・ウィンガーを探して

40代を迎えた、あるいは迎えようとしているハリウッドの女優たちに、「仕事と家庭は両立できるの?」とインタビューして回ったドキュメント映画。登場するのは、ジェーン・フォンダ、ダイアン・レイン、ウーピー・ゴールドバーグ、シャロン・ストーン、メグ・ライアン、デブラ・ウィンガーなど34人。

俳優を続けることと、結婚し家庭をもち、子どもを育てることとは両立できるのか? 両立させるためにどうしたらよいのか? スクリーンのイメージとはまったく違う女優の本音が飛び出してきます。しかし、仕事と家庭・育児の両立というのは、女性なら(たぶん)誰もがぶち当たる問題なんでしょう。男は、そういう問題にぶち当たることもないし、女性のそういう悩は男には本当には分からないのでしょうが、彼女たちの話には、女優、ハリウッド・スターという立場を超えて、普遍性を持っています。

さらに、俳優という仕事の独特の苦労、難しさがハリウッド・トップスターの口から語られることも魅力です。演じるということは、結局、自分をさらけ出すということだという話や、だからこそ役に入りこむこととのめり込みすぎないこととのバランスをとることが難しいという話を聞いていると、女優というのが決して華やかさだけではないことが分かります。また、だからこそ、仕事を続け、演じ続けることと、家庭を守り子どもを育てるという“普通”の生活との矛盾や葛藤が大きく、仕事と普通の生活との両立に、特別の困難があることは初めて知りました。(まあもちろん、それは“成功”した女性の悩みじゃないと言ってしまえば、それまでですが)

また、映画という仕事自体は非常に創造的なものなのだけれども、ハリウッドという職場はあくまでビジネスであり、仕事の創造性・芸術性と商業性との対立もあります。それは、ハリウッドという職場の女性差別(蔑視)性として現れます。だから、登場した女優たちは赤裸々に、女優は俳優としての能力の前に、顔や胸や、そして彼女と“やれる”かどうかで決まるとも語っています。シャロン・ストーンやメグ・ライアンが、決してたんなる“セクシー女優”、“ラブ・コメディの女王”というだけの女性でないこともよく分かります。

女性必見・・・・と僕がいうまでもなく、映画館(ル・シネマ)は今日も全回とも満席、女性のお客さんでいっぱいでした。

◆監督 ロザンナ・アークェット◆2002年、米

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ベアーズ・キス

あ、ども。僕、熊のミーシャです。母熊は殺されてしまって、サーカスのローラって女の子にもらわれて育てられました。だから、ローラが寂しがってるので、僕は人間になってローラの恋人になりました・・・・、というおとぎ話です。

ヒロインのローラを演じるのはスウェーデン生まれのレベッカ・リリエベリ。ローラは14歳の設定ですが、レベッカは1981年生まれで、すでに22歳。昨年6月には赤ん坊も生まれたというから、かなりの“鯖”ですね。しかし、少女から大人になる“途中”の女性をうまく演じています。熊のミーシャ役は、ロシア生まれのセルゲイ・ボドロフJr(つまり監督の息子。昨年事故で亡くなったらしい)。しかし、いかにも熊という感じで、あまりにはまっていて、かえってちょっと引いてしまうぐらいです。

で、ローラちゃんは、モスクワ、スウェーデン、ドイツ、スペインと旅をして(でも、この映画はカナダ映画)、ミーシャを恋人として成長して、だけどミーシャは熊だからあっちこっちでトラブルを起こして・・・・。あとは見てのお楽しみということにしておきます。(^^;)

◆製作・監督・脚本 セルベイ・ポドロフ◆出演 レベッカ・リリエベリ/セルゲイ・ボドロフJr/ヨアヒム・クロール◆2002年、カナダ

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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル

まだ公開中なのでネタばれは書けませんが、死刑反対運動のリーダーである大学教授デビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)が同僚の女性コンスタンツのレイプ・殺人の犯人として逮捕され、死刑が確定する。雑誌記者ビッツィー(ケイト・ウィンスレット)は、いよいよ刑が執行されるという直前になって、ゲイルに指名されて、彼にインタビューする。ゲイルの語る事件の“真相”は・・・・・。しかも、テキサス州の刑務所に赴いたビッツィーにつきまとう不審な男の陰・・・・。ゲイルの弁護士は、いかにも胡散臭そう・・・・。はたしてゲイルは本当に殺人犯なのか、それとも事件は冤罪なのか?

ミステリーとしての展開も楽しめるが、テーマ(死刑は是か非か)はとても重たく、真剣なもの。さらに監督の目は、マスコミの報道ぶりにも向けられている。テレビのニュース番組のキャスターたちが、真剣そうに事件を報道しても、オンエア直前には、顔のテカリやテレビ映りばかりを気にしているさまや、“レイプ魔は殺して当然”というコメントを垂れ流しするところしっかりと映し出し、無実かも知れない容疑者を、極悪非道の“犯人”に仕立て上げていくマスコミ報道のあり方にも批判を向けている。

日本でも、残虐な事件が起こるたびに、死刑の是非が問題にされる。とくに最近は、マスコミにおいても、被害者の心情を持ち出して極刑が当然という議論が大手をふってまかり通るようになった。しかし、刑法というものの存在自体が、被害者による復讐、仇敵(つまり“目には目を、歯には歯を”という論理)を否定するところから出発している。捜査や裁判の過程で、あるいはマスコミの報道合戦から被害者の人権が守られなければならないのは当然であって、その点では、マスコミの取材合戦などには、もっと真剣な自己批判と反省が必要だと思う。しかし、いまのマスコミは、その点は曖昧にしたまま、むしろ、自分を被害者と同じ立場において、犯人への極刑を声高に主張することで、みずからのアリバイ証明にしようとしているように思えてならない。

◆監督 アラン・パーカー◆製作 アラン・パーカー/ニコラス・ケイジ◆脚本 チャールズ・ランドルフ◆主演 ケビン・スペイシー/ケイト・ウィンスレット/ローラ・リニー◆2002年、米

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セクレタリー

主人公リー(マギー・ギレンホール)は自傷癖のある女性。はじめて就職したのは、弁護士ミスター・グレイ(ジェームズ・スペイダー)の事務所。グレイは、リーのわずかなタイプミスも執拗に指摘し、直させる潔癖性。ついにある日、リーは、グレイの部屋でタイプミスをなくすためにスパンキングされる破目に・・・・。と、このあたりから、話が怪しく(妖しく?)なってくる。それがきっかけになって、リーは自分の性癖に気がついて、必死にグレイを誘うけれども、グレイはかえって彼女を遠ざける・・・・・。しかし、ついに・・・・・と、まあ結局、事務所で秘書とやりたかったという男の願望をそのまま映画にしてしまったという感じのお馬鹿映画。途中で自分の性癖に気づいたリーが、いろんな加虐嗜好の男と会ってみるが、みんな変な奴ばかりで、やっぱり私はグレイでないとだめ〜という当たりから、安物のエロマンガみたいな展開になる。

まあ、そういう映画かなあと思いながら見てしまったのだから、あまり文句も言えないが、女性客が多かったのは意外だった。たいていはカップルなんだけれど、どういうつもりでこういう映画を見に来るんだろうなあ・・・・。江口寿史のイラストに惑わされてしまった人は、お疲れ様でしたぁ〜。

◆監督 スティーブン・シャインバーグ◆原作 メアリー・ゲイルキツ◆主演 マギー・ギレンホール/ジェームズ・スペイダー/ジェレミー・デイヴィス◆2002年、米

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パイラン

浅田次郎「ラブ・レター」をベースにした作品です。同じ時期に、日本でもTVドラマ化されたということで話題になりましたが、主役が西田敏行では見る気がしません。(^^;)

原作では、ヒロインの女性は、性風俗で働かされ、管理売春を強いられ、体を壊して死んでいったにもかかわらず、偽装結婚した相手の男に切々と感謝のことばをつづるということで、いわゆる「泣ける話」として話題になったそうです。しかし、性風俗で働かされる外国人女性の話を「泣ける話」で終わらせてはいけないと思うので、どうしても抵抗を感じてしまいます。

それに比べると、映画「パイラン」は、就労ビザを手に入れるためにカンジェと偽装結婚したパイランが、いったんは風俗店に連れて行かれるけれども、病気のせいでそこでは働かけず、日本海(東海)に面したテジンという小さな町の洗濯屋(クリーニング屋ではなく、文字どおりの洗濯屋)で一生懸命働くというように設定が変えられています。その分、管理売春させられる女性をロマンチックに描く部分がなくなって、ずっと親しみやすくなっています。

主役は、「シュリ」で北の工作員を演じたチェ・ミンシク、ヒロインは中国のセシリア・チャン。パイランの手紙を読んだカンジェが、事務的に手続きを済ませる警官にくってかかったり、洗濯屋のおかみさんに「今ごろ来たって遅いんだよ」と泣かれて、だんだんと真剣になっていくさまを、チェが好演しています。前半では、カンジェのだらしなさをくどいほど描いていますが、それが後半になって生きてきます。

◆監督 ソン・ヘン◆主演 チェ・ミンシク/セシリア・チャン◆2001年、韓国

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神に選ばれし無敵の男

1932年のドイツを舞台にした映画。ポーランド系ユダヤ人のジジェ(ヨウコ・アホラ)は、その怪力を認められ、ベルリンのエリク・ヤン・ハヌッセン(ティム・ロス)の「神秘の館」に雇われる。ハヌッセンは、催眠術や千里眼を武器に、ナチスに取り入り、ヒトラー政権でオカルト大臣になることを狙っている怪しい男。ジジェは、「神秘の館」の楽団でピアノを弾くマルタ・ファーラに惹かれるが、彼女はハヌッセンに拾われ、彼女の愛人としての生活を強いられていた。さらに、金髪のカツラをかぶり、ジークフリートと名乗らされることに強い葛藤を覚えるジジェは、ある日、自分はユダヤ人であることを舞台の上から告白する・・・・。

1930年代という時代は、ワイマール共和国からヒトラー独裁政権へと暗転する時代。1933年1月、ヒトラーはヒンデンブルク大統領によって首相に任命され、3月、国会放火事件(ナチスの謀略事件)をきっかけにして授権法が可決され、全権を掌握。1935年には悪名高い「ニュルンベルグ法」が制定され、ユダヤ人包囲が始まります。しかし、映画に描かれているのは1932年。この年7月の総選挙でナチ党は第1党に躍進しましたが、逆に11月の総選挙では後退するなど、まだ時代はナチス一色にはなっていませんでした。そういう時代背景に、映画は、ナチスに取り入ることで野望を達成しようとするハヌッセンの成功と没落を描いています。さらに、ジジェの聡明な弟ベンジャミンが“やがて恐ろしい出来事が起こる”と予言したにもかかわらず、ユダヤ人たちは誰もそれに耳を貸そうとはしないさまも描いています。ユダヤ人への嫌がらせや、ナチスの民族差別主義はあっても、なんとかいまの暮らしが続くのではないか、そういう幻想に誰もがしがみつこうとしているかのように・・・。

オカルトを武器にナチスに取り入ろうとする怪しい男ハヌッセンを、ティム・ロスが怪演しています。また、ジジェ役のヨウコ・アホラは、俳優ではなく、「Strongman」コンテスト・ヨーロッパ大会で2度の優勝を果たしたという人物(この映画が初主演)。彼があこがれるピアニスト・マルタは、ロシア生まれの世界的なピアニスト、アンナ・ゴウラリが演じています(もちろん彼女も映画は初出演)。

劇中では、ジジェが彼女の夢をかなえてやろうと、館にオーケストラを招いて、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番の第2楽章を演奏するシーンが登場します。もちろんこれはアンナ・ゴウラリの演奏です。エンディングでも、この第2楽章の音楽が流れてきますが、エンドロールが終わったあとも、何も映っていない真っ暗な画面に、楽章の終わりまで音楽が続きます。不安定な印象を生む協奏曲第3番の中で、不思議と明るい印象を生む第2楽章のメロディーが、かえってユダヤ人の将来への不安を予想させるものとなっています。

なお、ハヌッセンという男は実在の人物で、透視術や催眠術で「第三帝国の予言者」とまでいわれながら、国会放火事件を予言したことで何者かによって殺されたといわれています。

◆監督・脚本 ヴェルナー・ヘルツォーク◆主演ティム・ロス/ヨウコ・アホラ/アンナ・ゴウラリ◆2001年、独英合作

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