第3章「マルクス賃金理論の方法論について」
初出:藤林敬三博士還暦記念『労働問題研究の現代的課題』ダイヤモンド社、1960年
マルクスの「賃金論」をめぐって、第2章に続いて書かれた論文。
第1節「賃金の本質論」
ここで「賃金の本質論」と言っているのは、『資本論』第1部第2篇?第6篇で展開されているもの(51ページ)。
「賃金の本質論」は、(1)資本と賃労働とのあいだに行なわれる労働力商品の売買の本質を明らかにする。それと同時に、(2)この売買の本質が、労働の価格=賃金という現象形態によって隠蔽されることを暴露する。
(1)資本と賃労働とのあいだに行なわれる労働力商品の売買について
・「二重の意味」で自由な労働者が、自分の所有する唯一の商品である労働力を、「一定の時間を限ってのみ」資本家に販売し、資本家はこの労働力商品に対して支払う。
・労働力商品の価値は、一般商品と同じく、商品の生産に必要な労働時間によって規定される。
・ただし、労働力は「生きた個人の素質」としてのみ存在するので、労働力の生産とは、生きた労働者自身の再生産、維持のことである。
・労働する個人の再生産・維持には、一定量の生活手段が必要。労働力の価値は、この「生活手段の生産に必要な労働時間」によって規定される。
・この生活手段は、(a)自然的、社会的欲望によって規定された「必要生活手段」、(b)労働者種族を維持するための労働者家族の生活手段、(c)労働力の一定の育成・訓練に必要な生活手段、から成り立つ。
・したがって、労働力の価値は、これらの「必要生活手段」の範囲と、(d)それらを生産する労働の生産力によって左右される。
・労働力商品は、資本家がこの労働力商品を消費する過程=労働過程において、みずからの価値の等価よりも大きい価値を生み、剰余価値を生み出す。
・そのため、資本制生産の発展過程においては、(a)労働日の延長や労働強度の増大による絶対的剰余価値生産の増大傾向、とともに、(b)生産力の発展による労働者の「必要生活手段」の価値低下→労働力の価値の低落→相対的剰余価値の増大、という傾向が一般的傾向としてつらぬかれる。
・労働力商品の使用価値は、購買者と販売者とのあいだの契約の締結によって直ちに購買者の手に移るのではなく、労働力商品の消費過程=労働過程においてはじめて現実的に引き渡される。そのため、資本家は、労働者を一定期間、価値・剰余価値の生産に従事させた後ではじめて、対価を支払う(「労働力の価格の後払い」)。
・「労働力の価格の後払い」にくわえ、その支払いの形態によって、労働者にたいする支払は、労働力商品の価値にたいする支払としてではなく、労働の価値にたいする支払として現象する。
・「労働の価値・価格」=賃金というこの現象形態は、労働力がみずからの価値の等価を上回って剰余価値を生み出しているという関係を隠蔽し、すべての労働にたいして支払われているという外観をもたらす。
(2)賃金形態による本質の隠蔽について
・ここに含まれるもの――労働力の商品化、労働力商品の価値規定、労働力商品の消費過程における剰余価値の生産と資本家による搾取、労働力の価値・価格の賃金(=労働の価値・価格)への転化、を含む。
・労働市場において貨幣資本所有者(資本家)と労働力商品所有者(労働者)とが相対する関係――第1部第2篇第4章第3節ほかで解明。
・労働力商品の価値規定――同第3節で基本的・一般的に解明。
・剰余価値の生産――第3篇以降
・労働力の価値・価格の賃金への転化――第6篇「労賃」で。
(3)しかし、『資本論』第2篇?第6篇での分析は、全体としてみれば、資本制生産の基本関係にかんする基本的・一般的分析であって、賃金分析としては「本質論」の領域に属するもの。したがって、それらは賃金の本質論としては十分なものではあっても、マルクスの賃金理論の十分な展開が行われている訳ではない。(52ページ)
たとえば――
・労働力の価値規定について。
第2篇第4章第3節で取り上げられているが、そこでの主題は、労働力商品が一般商品と同じく商品としての価値規定を受けることを明確にすること。だから、労働力の種類の相違や各種の労働力における価値の相違などは度外視して、労働力が一般的・抽象的に考察され、労働力の価値の一般的・基本的規定を与えることにとどめられている。
・第6篇「労賃」について
主題は、第3篇?第5篇で解明された剰余価値の生産・搾取関係が、賃金形態によって隠蔽されてしまうことそれ自体を明らかにすること。したがって、それは剰余価値論の一環として位置づけられている。
だから、賃金の「2つの支配的な基本形態」が「簡単に」説明されているだけ。「非常にさまざまな形態」は「賃労働の特殊理論に属すること」として『資本論』の対象領域を超えるものとして残されている。
・したがって、賃金の運動が、資本蓄積・生産力発展の運動とそのもとで生み出される相対的過剰人口の運動によって規定されるという問題は、第6篇では一切取り上げられていない。
(4)賃金の本質論の領域においても、さらに検討すべき論点。とくに、労働力の価値規定の基本的なとらえ方について。
・労働力の価値規定が「ある歴史的な精神的な要素」を含んでいるとされる点をどう理解するか。
・このような労働力の価値規定から、労働力の価値を、希望的・規範的なものと考える傾向があったし、それと結びついて、労働者階級の貧困・窮乏、低賃金の問題をもっぱら労働力の価値以下への賃金下落に求める傾向もあった。(54ページ)
・しかし、このような労働力価値の把握は誤り。労働力の価値規定が「歴史的・精神的な要素」を含んでいると言っても、それは、労働力の価値を規定する「必要生活手段の平均範囲」が希望的・規範的なものを意味しない。
・労働力の価値を規定する「必要生活手段の平均範囲」は、ある国のある時代の労働者階級の「習慣や生活要求」のもとで、労働者が賃労働者として維持・再生産されてゆくうえに実際上不可欠となっている「必要生活手段の平均範囲」である。
・したがって、この「必要生活手段」は、大部分の労働者の実際上の生活の中に入り込んで、労働者の「習慣や生活要求」を構成するものとなっている。したがって、それらが欠如すれば、労働者は慣習的生活の破壊を痛感し、それらを確保するために行動しようとする。(54ページ)
・しかし、労働力商品においては、その担い手である労働者がみずから「習慣や生活要求」を形成しそれを守っていこうとする力をもった存在である。それゆえ、労働力商品では、他の一般商品と違って、労働力の販売者である労働者の力=団結・闘争が賃金の大きさにたいして一定の作用を及ぼす。
・これを理論的にとらえれば、「習慣や生活要求」を満たす「必要生活手段の平均範囲」を確保するうえで一定の作用を果たしている、ということ。
・したがって、このような労働者階級の力が弱く、低賃金の続くもとでは、労働者の「必要欲望」自体が萎縮し、「習慣や生活要求」がいっそう貧しいものになってしまっているのであって、そこでは労働力の価値自体が相対的に低い。
・したがって、労働力の価値を規定する「必要生活手段の平均範囲」は、労働者の願望・希望という点から見れば、非常に不十分なもの。習慣的「必要生活手段の平均範囲」を確保しているとしても、労働者に多くの欲求不満=欲望の不充足がある。この意味では、労働者階級の欲求不満はむしろ資本主義に本来的なもの。(55ページ)
・だからマルクスは、労働力の価値どおりの支払いを前提にしながら、それでも「労働者の個人的消費は彼自身にとって不生産的である。というのは、それはただ貧困な個人を再生産するだけだから」(MEW,S.598)といい、労働者の個人的消費は「資本の生産・再生産の一契機」(S.597)にすぎないと強調している。
第2節 賃金論の各論の構成
I、労働市場と労働力の価値規定
(1)労働市場の構造と各種の労働力の価値
・現実には社会の総労働市場は、幾多の異なる労働市場に分かれている。社会の総労働力も、熟練・強度の高低、性、成年・未成年、移民など、種々の労働力群から成り立っている。
・したがって、労働力の価値も、各市場ごとに、それぞれの条件によって規定される。
・賃金論の展開にさいしては、まず労働市場の構造を明らかにしたうえで、そこにおける各種の労働力の価値規定について考察し、本質論で明らかにされた労働力の価値の一般的・基本的規定を、より具体化しなければならない。
・また、労働市場は、労働力にたいする需要・供給の力が作用し合い、賃金が決定される場であるから、賃金の運動を考察するための前提として、労働市場の構造にかんする分析が不可欠である。
(2)労働力の価値の変化
・資本制生産の発展過程で労働力の価値を変化させる諸要因を明らかにする必要がある。
・労働力の価値の変化は賃金の運動と密接に関係し合っているので、賃金の運動の分析に先立って労働力の価値の変化を考察することにはおのずと限界がある。したがって、ここでは、労働力の価値の変化を規定する諸要因を指摘し、本質論における労働力の価値の基本的規定をより具体化することにとどまる。労働力の価値の変化の総体的分析は、賃金論の各論全体を通じて明らかにされる。
II、賃金の運動
(1)賃金の運動における一般的特徴
・労働力の場合も、一般商品と同じく、市場における購買者と販売者との諸競争によって、その賃金は価値から離れて運動する。
・しかし、労働力にあっては、総体的過剰人口の圧力のもとで、賃金が価値以下に低落する傾向が働いているうえに、一般商品のように商品の生産・供給の増減をつうじて価格が価値に一致していくメカニズムがないので、賃金は労働力固有の独自な運動を示す。(58ページ)
(2)諸労働市場における諸競争と賃金の運動
・資本制生産の確立・発展は、労働者の自由な移動・競争を拡大する傾向をもっているが、それと同時に、資本制生産の発展それ自体のなかから自由な競争を制約してゆく傾向を生み出す。
・そのため、総体的過剰人口の圧力も、賃金の運動も、各種の労働市場において一様ではなくなる。
・したがって、各労働市場の構造分析にもとづいて、各種の労働市場における労働者間の競争、資本家間の競争、労働者の団結・闘争による競争の制限、を規定する諸事情をそれぞれ検討し、賃金の「現実の運動」を明らかにする必要がある。
・それは、いわゆる賃金格差の分析、資本による労働者支配における差別支配の分析にたいする基本視角を提供する。
III、賃金形態の分析
・労働市場における諸競争をつうじて規定された賃金は、そのまま支払われる訳ではない。ある賃金水準にもとづいて、各企業は賃金の支払い形態(時間賃金か、出来高賃金か、あるいはそれらのより複雑な形態か)と一定の基準額(1労働時間・1労働日あたりの賃金、あるいは生産物1個あるいは標準生産量にたいする賃金)および割増率を決定し、それにもとづいて個々の労働者に支払う。
・賃金形態は、生産過程の技術的特徴やそれに対応する労務管理上の要請によって種々の形態をとるが、共通して、個々人の賃金を労働時間や生産結果の差に対応させることによって一人あたり労働支出の増大を刺激するとともに不良品の生産を防止し、労務管理的効果を上げることを目的にしている。
・これらは、労働者に支払われるのが労働力の価値ではなく、労働そのものの価値であるという外観、全労働量にたいして支払われるという外観を確固たるものにする。
IV、賃金と利潤
(1)個別資本における賃金と利潤
・労働者の「社会的な関係」「階級相互の地位」を明らかにするためには、賃金を剰余価値=利潤との関係において分析しなければならない。
・資本蓄積の発展にともなう生産力の発展、労働日や労働強度の変化、女性・子供・未成年労働者の増大などのもとで、あるいは各種の賃金形態やその変化のもとで、賃金と剰余価値=利潤との関係がいかに変化するか。(59ページ)
・産業循環にともなう商品市場の変動のもとで、利潤率の変化と賃金の変化はいかなる関係にあるか。
・独占資本主義においては、賃金の変動が独占価格におよぼす影響、あるいは逆に独占価格の変化が賃金におよぼす影響。
・資本の生産過程に従事する生産的労働者については、『資本論』でかなり詳細に分析されているが、流通過程に従事する労働者については、『資本論』第3部第4篇の説明は不十分。さらに、いわゆるサービス部門や国家機関における労働者についても、雇主と労働者との関係とその変化を明らかにする。
・それらの分析をつうじて、「産業的管理者」「商業的管理者」の「監督賃金」「管理賃金」の問題や、それと賃労働者の賃金との相違を明確にする。
(2)社会全体における賃金と利潤
・社会の総生産物がどのように労働者階級と資本家階級とに分割されるかを、社会全体にわたって総括的に明らかにする。
・租税の賦課の役割も、社会全体の生産・分配機構のなかで明らかにすべき。
・独占資本主義では、独占価格による流通過程をつうじての収奪の問題。
・管理通貨制度のもとでは、インフレーションが労働者階級と資本家階級の所得にいかなる影響を及ぼすか。(60ページ)
第3節 各論(I)――労働市場と労働力の価値規定
問題の限定。
1. 競争の支配する資本主義に対象を限定。
2. 資本のもとで生産を行う労働者に分析を限定。
資本制生産の発展にともない、あらゆるサービスが賃労働化し、サービスにたいする支払いも「賃労働の価格を規制する諸法則に従うようになる」(『直接的生産過程の諸結果』岡崎訳、114?115ページ)。しかし、各種のサービス固有の特徴も合わせて考える必要がある。
(1)労働市場の構造と各種の労働力の価値
(i)社会の総労働市場は、各種の労働過程が必要とする熟練・強度の違いなどに対応して、種々の労働市場に分割される。(61ページ)
・特定の熟練や特殊な強度をまったく必要としない労働過程においては、労働の有用的形態の違いにかかわらず、すべて同じ種類の労働力=単純労働力が使用される。したがって、この場合には、すべての労働力は同種であって、単一の労働市場を形成する。
・それにたいして、労働過程が特定の熟練や強度を必要とする場合には、異なる種類の労働過程に従事する労働力はすべて種類が異なり、異なる労働市場を形成する。
・同一生産部門の内部においても、複雑労働力を必要とする労働過程の種類に応じて、異なる労働市場を形成する種々の労働力が存在する。
・逆に、旋盤、鍍金などのように同一種類の労働過程が多数の異なる生産諸部門に共通する場合や、単純労働の場合には、同一の労働市場が多数の生産諸部門にわたって存在する。
・生産力の発展による生産過程の技術的変化や、あるいは生産部門自体の消滅・更新などに対応して、労働市場の種類と規模は変化し、総労働市場の構造も編成替えされる。
・この労働市場は、さらに区分され等級化される。
・各種の労働市場においては、それぞれの労働力の価値は、必要とされる熟練・強度を習得するための費用の差と、労働過程における肉体的・精神的消耗を回復するための費用の差に応じて、異なることになる。
・この場合、それぞれの労働力の価値を規定するのは、それぞれの市場で必要とされる労働力の社会的平均的な再生産費用である。
・ある労働市場に、当該労働過程に必要とされない熟練・強度をもった労働力が供給されても、それらの熟練・強度は不要になったのであって、旧来の熟練・強度を修得するために要した費用は社会的にはムダに支出されたものとみなされ、労働力の価値規定には入らない。
(ii)性、成熟・未成熟という「自然的相違」、人種などの相違について。
・女性、移民などは、社会的地位の低さによって熟練修得の機械を制限されているほか、一部の劣悪な労働環境のもとでの重労働に適さないことから、一般に単純労働の分野に従事する傾向をもつ。工場体制は、それを単純労働の分野に緊縛する役割を果たす。
・そのため、これらの労働力の価値は相対的に低いことになるが、その限りでは、この価値の低さは、それらの労働力が単純労働に従事することによるもの。
・したがって、これらの労働力を単純労働に緊縛していることは資本主義的矛盾として重視すべきものであるが、その限りでは、これらの労働力の価値の低さは、各種労働市場における労働力の価値規定の問題に含まれている。
・しかしそのほかに、女性や移民労働者にとっては、扶養家族がいない(あるいは扶養義務がない)ことや生活要求自体が低いことなどによって、労働力の再生産費用が低く、その結果、労働力の価値が相対的に低いという問題がある。
(2)労働力の価値の変化
・労働力の価値の大きさを規定する要因のうち、「必要生活手段の平均範囲」自体の変化によるもの(a)(b)(c)と、この「必要生活手段」を生産する労働の生産力の変化によるもの(d)とでは、内容はきわめて異なる。
・前者では、労働者の消費する商品の使用価値の量そのものが変化するのだから、いわゆる実質賃金の変化を意味する。
・後者は、労働者の消費する使用価値の量は同一のまま、その価値が変化している。
(i)資本制生産の発展過程において労働力の価値のこうむる重要な変化は、生産力の発展による労働力の価値の減少、それにともなう相対的剰余価値の増大である。
・この労働力の価値の減少をもたらすものは、労働者の「必要生活手段」の生産部門における生産力の発展に限られるので、そのテンポは社会的生産力の発展のテンポとは同じではない。
・他方で、資本制生産の発展は、旧熟練の破壊=労働の単純化を促進する。これは労働市場の構造を大きく変化させるだけでなく、一般的傾向として、労働力の価値を低落させる方向に作用する。(ただしこれは一般的傾向としていえるだけで、生産力の発展によって科学的基礎知識の習得などが必要となる場合もある)
・それにたいして、労働日の延長や労働強度の増大が長期的に生じる場合には、労働力の消耗の増大によって労働力の再生産のための「必要生活手段」が増大するので、労働力の価値が増大する。
・とくに労働日の延長や労働強度の増大による労働力の消耗は、ある水準以上においては加速度的になるので、労働力の価値は「機能の維持の増加よりももっと速い割合で増大する」(K.I,569)。
・資本制生産の発展過程において労働力の価値のこうむるいま1つの変化は、女性・子ども・未成年の労働力化によってひき起こされる。女性・子ども・未成年労働力の進出が一般化するのに応じて、従来、成年男性労働者の価値に含まれていた労働者家族の維持のための生活手段の価値部分は、その家族に分割してゆき、成年男性労働力の価値は低下してゆく。
・労働者家族の労働力の価値の総額は、成年男性労働力だけだったときの労働力の価値よりは高額になるだろうが、しかし、いまでは労働者家族の維持のために複数の労働者が働かなければならなくなる。家族の労働力化にともなって「必要生活手段」も増加する。
(ii)もう1つ考えるべきものは、労働力の価値規定に含まれる「歴史的・精神的な要素」の変化によるもの。
・資本蓄積の進展・生産力の発展をつうじて膨大な富の生産・消費手段の多様化が進み、資本家階級がより多様な高級消費手段をますます大量に享受するようになると、労働者階級の欲望も増大・多様化する。これらの欲望を充足するための労働者の団結・闘争を基軸として、長期的には、「歴史的・精神的な要素」を含む慣習的な「必要生活手段の平均範囲」はわずかずつではあるが漸増傾向にある。
・しかし、こうした傾向はすべての労働力について言えることではなく、一部の労働力ではかえってこの面から労働力の価値が低下することもある。
第4節 各論(II)――賃金の運動
(1)賃金の運動における一般的特徴
・労働力商品の需要供給関係における労働力商品固有の特徴。
・資本は、生産力の発展による資本の有機的構成の高度化をつうじて、労働力需要の相対的減少・相対的過剰人口の創出を促進する。
・他方、労働力供給の側では、労働者は賃金のいかんにかかわらず、生きるためには労働力を継続的に販売するしかなく、したがって、労働力商品にあっては価格の変動に対応して供給量が変化し価格の変動が調整されるというメカニズムは存在しない。(67ページ)
・労働者が団結・闘争をつうじて賃金にたいして一定の作用を及ぼすという労働力商品固有の関係。
(i)相対的過剰人口は、就業労働者の賃金を労働力の価値以下に低落させる強力な作用を果たす。
・賃金の低下の程度は、相対的過剰人口の就業労働者人口にたいする比率と、「習慣や生活要求」を満たす「必要生活手段の平均範囲」を確保しようとする労働者の団結・闘争の力の強さとによって決定される。
・相対的過剰人口の圧力が強く、労働者の力が著しく弱化しているところでは、賃金はその「最低限」である「肉体的に欠くことのできない生活手段の価値」水準にまで切り下げられ、一時的には「最低限」以下にさえなる。
・他方で、ある商品市場の突然の膨張や新生産部門の出現によって労働力がいっきょに吸引される場合、あるいは産業循環の好況局面で全般的な労働力吸引が続く場合には、賃金を上昇させる作用が出てくる。
・もちろん、労働力需要が急速に増大した場合でも、相対的過剰人口を容易に吸引できる限り、資本は従来の賃金でもって雇用を拡大しようとし、みずから賃金を引き上げようとはしない。
・資本の側から賃金を引き上げる動きが出てくるのは、相対的過剰人口がかなり少なくなったもとでなお労働力需要が拡大し、個別資本家による労働者獲得の競争と、労働条件のよりよい企業を求める労働者の移動が活発化する場合。この場合、従来の労働者を確保するためにも、資本家は賃金の引き上げをせざるを得ない。
・このような好況局面では、労働時間の延長もはかられるので、割増賃金率の引き上げも生じ、労働者の賃金は、労働時間の延長と賃金率の上昇とによって増大する。実際には、労働者の要求・闘争による賃金上昇が生じる傾向が強い。好況局面での利潤率の上昇と生産の拡大は、資本の側に譲歩を促す作用をする。(68?69ページ)
・このような労働力獲得をめぐる資本家間競争が続くもとでは、賃金は労働力の価値以上に上昇し、労働者は一時的に奢侈品の消費や資本家階級だけの「必要」消費手段となっているような種類の必要消費手段の分け前も受けとるようになる(K.II,409)。
・しかしこのような賃金上昇は一時的である。
・労働力需要の拡大のもとで労働者の力の増大と労働力をめぐる資本家間競争によって賃金が上昇し労働力の価値以上となることがあっても、それは一時的で、つねに恐慌の前触れとしてしか(K.II,410)あり得ない。
・賃金上昇は、労働節約的な機械の開発・導入を促し、それをつうじて労働力需要の拡大に反作用をおよぼす。産業循環との関連では、好況局面での賃金上昇が、資本家にたいして、次の循環の不況下での労働節約的な新生産方法の導入を促す。
・このような好況局面での賃金上昇は、他の局面での賃金の労働力の価値以下への下落をいくらか相殺する。
(ii)以上のように賃金の一般的運動は、市場の変動にともなう生産の増減、特に産業循環の周期的変動のもとでの相対的過剰人口の運動によって規制される。
そのさい、このような運動のもとで、労働者の貧弱な慣習的「必要生活手段の平均範囲」、労働力の価値の低位性が維持・再生産され、低い生活水準のもとでの労働力の維持・再生産が保障されてゆくことに注意すべきである。(70ページ)
・好況局面に続く恐慌・不況下では、大量の相対的過剰人口は賃金を得る機会さえ奪われるし、就業労働者も慣習的「必要生活手段」を充足できない賃金を余儀なくされる。好況期での一時的な賃金上昇は、恐慌・不況期の失業や低賃金を埋め合わせるもの、あるいはその予備でしかない。むしろ好況局面での一時的な賃金上昇によって、慣習的な「必要生活手段の平均範囲」はようやく確保され、労働力の維持・再生産がかろうじて可能になっていると考えるべき。(71ページ)
・新しい循環においては、いくつかの産業部門で新生産方法の導入、資本の有機的構成の高度化がすすみ、相対的過剰人口の形成がすすむ。新投資開始以降も、新投資による労働力充用率が低下する。したがって、新しい循環の好況局面がより大規模になったとしても、労働力の需給関係が労働者に有利になるとは限らない。
・このように、生産力の発展・資本の有機的構成の高度化、産業循環のもとでの周期的変動のもとで相対的過剰人口の創出、吸引、再創出が繰り返されていくなかで、慣習的な「必要生活手段」を平均的に確保してゆくためにも労働者の団結・闘争が必要であるという関係が維持・再生産される。
(iii)以上のように、労働力商品においては、資本の生み出す相対的過剰人口の圧力によって、賃金が労働力の価値以下に低下させられる傾向がある。その点で一般商品と異なる。しかし、その場合でも、価値と価格の複雑な運動のなかで労働力の価値が労働力の再生産のための「必要生活手段の平均範囲」によって規制されるという法則はつらぬかれる。(71ページ)
・「習慣や生活要求」を満たすための「必要生活手段の平均範囲」を確保しようとする労働者の団結・闘争の力が、客観的・結果的には、賃金と労働力の価値とを近づけるための、労働力商品に固有の役割を果たす。
・もちろん、労働者の団結・闘争は、労働力の価値どおりの賃金の獲得を目的としたものではないし、それを目的とすべきでもない。(72ページ)
・もし、大量の相対的過剰人口の圧力のもとで、賃金が労働力の価値以下に長期にわたって切り下げられている状況が続くならば、そこでは、労働者の習慣の変更、生活要求の萎縮が余儀なくされることで、慣習的な「必要生活手段の平均範囲」自体が縮小し、労働力がより乏しい再生産費用で維持・再生産されるようになったのである。ここでは、労働力の価値自体の低下によって、価値が価格に近づく。(72ページ)
(iv)もっと長期的にみれば、労働者の団結・闘争をテコとして、「歴史的・精神的要素」を含む慣習的「必要生活手段の平均範囲」は漸増傾向にある。
・労働者の要求・闘争によって、しだいに新しい生活手段、より良質の生活手段が労働者の大半の慣習的な生活様式・生活要求のなかにはいり込み、それが労働力の維持・再生産に不可欠のものになっていくならば、「必要生活手段の平均範囲」が拡大してゆく。これは、生産力発展にともなう労働力の価値の低下傾向にたいして、その限りで反作用する。
・資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗の増大。
・しかし、この団結・闘争の作用は過大視できない。それは、新生産方法導入が労働者1人あたりの労働を軽減することなしに労働者の一部を駆逐し相対的過剰人口としてゆくことそれ自体は制御できない。また、資本制的蓄積が産業循環というかたちをとって周期的に恐慌・不況におちいること自体はいかんともしがたい。
(2)諸労働市場における諸競争と賃金の運動
(i)労働者間の競争
・労働者間の競争を制約し、諸労働市場における労働者間の競争の程度を一様でなくする根源は、工場体制にある。(75ページ)
・監督労働を頂点として、種々様々な労働の分割・等級化・格付けがおこなわれ、労働者は機械のある部分労働に緊縛される。
・この場合、熟練・強度の程度のほぼ同じ労働についても、単純労働についても、労働の分割・等級化・格付けがおこなわれ、女性・子ども、未成年、移民などはもっとも低級とみなされる労働分野に緊縛される。ここから、「労働手段の一様な動きへの労働者の技術的従属と、男女の両性および非常にさまざまな年齢層の個人からなる労働体の独特の構成」ができあがり、ここから「兵営的規律」が生み出される(K.I, 446-447)。
・このような事情のもとでは、よりよい職種への移動が制約され、その結果、労働者の競争は、単純労働、低級労働ほど激しくなる。
・工場体制のもとでの、新旧労働者の急速な交替と、それにもとづく労働者の転落。労働力需要の変化と旧熟練の破壊の過程で、駆逐された労働者の移動は転落的移動に限られる。それがさらに単純労働・低級労働の分野での競争を激化する。
・以上のような相対的過剰人口は、労働者、とくに低級な労働分野の労働者の労働条件の改善要求や生活要求を抑えていくことによって、労働力の価値と賃金全体に影響を与える。
・さらに、そうした労働者の子弟が、熟練修得の機会を奪われ、ふたたび単純労働分野における労働者間競争を激化させる。
・こうしたなかでも、競争の作用によって、同一市場における賃金を均等化する傾向、異なる労働市場における賃金の差を労働力の価値の差に対応させるような傾向がなくなるわけではない。長期的には、労働者階級全体のうちには、生産力の発展過程で、慣習的生活水準の向上によって労働力の価値の増加を見る層と、反対に慣習的生活水準の低落によって労働力の価値の低落を見る層とがあるため、労働力の価値の変化を媒介にして、賃金の差は労働力の価値の差に対応する傾向が見られることもある。(77ページ)
(ii)資本家間の競争
・資本の本性からいって、たとえ利潤率が平均以上であっても、ただちにその一部を労働者に与えようとすることはない。利潤率の相違は、それぞれの資本の購入する労働力の賃金を直接左右することはない。
・しかし、労働者の団結・闘争にたいする譲歩、あるいは団結・逃走を防止するための譲歩において、利潤率の高い資本の方がその経済的可能性が大きい。
・有機的構成が高い場合には、賃金の増加が利潤率におよぼす影響は相対的に小さくなるが、逆にストライキによって固定設備が有給した場合の損失が大きくなるため、この点からも闘争にたいする譲歩の可能性が大きい。逆に、精算書条件が平均以下である劣弱な資本では、労働諸条件を平均以下に切り下げることが資本の存続にとって絶対条件となるので、賃金切り下げの衝動もそれだけ強い。
・以上のような意味で、利潤率の相違は賃金にたいして間接的な影響を与える。
(iii)労働者の団結・闘争による競争の制限
・産業別組合や職業別組合が同一市場を形成する賃金を同一とするよう努力するならば、大・小資本間においても、同種の労働力にたいする賃金差は解消する傾向を示す。
・労働者の団結・闘争が企業別におこなわれる場合には、一般に、多人数の労働者を擁する大企業の方が団結・闘争力も大きいうえ、大企業の方が譲歩の可能性が大きいため、大・小資本間で同種の労働力における賃金の差は拡大・固定化することになる。
・単純労働の分野における賃金の水準は、労働組合が熟練工中心の職業別組合の伝統をどの程度もっているか、不熟練工の組合との関係などによって、大きく影響される。
どのような最低賃金制度が施行されているかによっても左右される。
・工場内における恣意的な格付けにたいする反対、性や人種などによる職種制限の反対、職業教育の要求、技術変革にともなう解雇の反対や新技術の習得機械の要求など、どれだけたたかいとっていくか。
注(8)で、井村氏は、熟練・不熟練労働の区別について、マルクスは、複雑労働・単純労働と同義で用いている場合もあるが、「しかし、実際には、熟練労働(力)・不熟練労働(力)という区別はきわめて曖昧に用いられている」と指摘している。
このほかに、ある労働過程が必要とする標準的な熟練・強度を十分に習得したものと、それらをまだ修得していない「いわば見習工」について用いたり、あるいは同一の労働過程に従事する労働者の個人的な技能差について用いられたりしているが、これらは理論的に区別すべき問題である。(81ページ)
まだまだ続く…