井村喜代子氏の『「資本論」の理論的展開』の続きです。
まず、第8章「『商品過剰論』と『資本過剰論』との区分の誤りについて」から。これは、論争史的には面白いところですが、こんにちではすでに過去の問題になってしまっているので、井村さんがいくつか指摘している面白いところだけを抜き出しておきます。
第8章 「商品過剰論」と「資本過剰論」との区分の誤りについて
第1節 『資本論』第3部第3篇第15章について
○第15章第3節に登場する有名な「資本の過剰生産」についての規定。マルクスはここで、資本蓄積の進展→労働力不足→賃金(率)の上昇→利潤率下落によって「資本の絶対的な過剰生産」を説明している。それについて、井村氏は次のように述べている。
・これをもって、現実の「資本の過剰生産」の説明であると理解し、これを恐慌論の基本視角とみなす見解が生じているわけであるが、しかし第3節全体、さらには第15章全体を検討すると、かかる『資本論』解釈はとうてい容認できないことが明らかである。(241ページ)
・マルクスが注目しているのは、労働力不足→賃金(率)上昇によって利潤率が下落するということではない。マルクスが強調しているのは、「ここでもうけた極端な前提のもとでさえ、資本の絶対的な過剰生産は、けっして絶対的な過剰生産一般ではなく、けっして生産手段の絶対的な過剰生産ではないのである。それが生産手段の過剰生産であるのは、ただ生産手段が資本として機能しなければならないというかぎりのことである」(K. III., S.265-266)ということである。(242ページ)
・マルクスは、全般的に生じる賃金(率)の上昇から利潤率の全般的下落を仮定したのであろうが、しかしマルクスには、労働力不足→賃金(率)上昇に、現実の「資本の過剰生産」の原因を求める視角はなかった。(243ページ)
第3節 理論的検討
○251?252ページの補論から
・恐慌論体系において、「利潤率のある高さが、生産の拡張や制限を決定する」という規定に即して、投資決定・投資行動にかんする分析を導入すべきである。
・投資決定・投資行動の分析においては、固定資本の問題が重視されなければならない。投資決定・投資行動について安易な一般的仮説をたててはならない。
・投資決定・投資行動については、(A)新生産方法導入の場合、(B)生産方法不変の場合、とを明確に区別する。その上で、(B)にについても、(a)耐久的労働手段投下を含む追加投資の場合と、(b)すでに投下された固定資本の基礎上での生産拡大の場合とを峻別しなければならない。
・利潤率が下落された場合、(B)(a)と(B)(b)であまったく異なった行動が見られる。(b)の場合は、深夜業など操業率を引き上げることによって利潤率の下落を利潤量の増大でカバーしようとするので、むしろ生産が拡大される傾向が強い。
・(a)の場合は、資本家は固定資本がその長い耐久期間のあいだに遊休による損失や「無形の損耗」をうけないよう、利潤率の動向に注目して投資決定を行うので、利潤率の下落のもとで、なお追加投資をおこなう可能性は小さい。
・注(8)から。一般的利潤率の傾向的低下は、直接現実の個別資本の投資行動に作用を及ぼすものではない。したがって、産業循環の運動、恐慌発現にたいしても作用を及ぼさない。
第8章は以上で終わり。
第9章と第10章は、貨幣・紙幣、価格変動、インフレーションにかんする問題を扱った章です。論点はいくつかありますが、大事だと思うのは次の2点。
- 『資本論』で前提にされているのは金本位制のもとでの金貨幣であり、兌換紙幣であるということを正確に理解すること。
- 産業循環における全般的な価格変動は、総価格と総価値が乖離しているもとで生じるもので、総価格と総価値が一致しているもとでの部分的な価格変動、循環的な価格変動とは区別しなければならないということ。
第1の点については、第10章「『資本論』における紙幣分析」で詳しく検討されているので、第9章は第2の点を中心に。
第9章 価格変動の諸類型
はじめに
・競争の支配する資本主義が、その貨幣制度として金本位制をとることについては、競争の支配する資本主義と金本位制との相互規定・相互依存の関係を理論的に解明しなければならない。(258ページ)
第1節 価格変動の諸類型
・競争が支配する金本位成果の資本主義における一般商品の価格変動
(A)商品それ自体の価値の変化によるもの。
(B)貨幣商品・金(きん)の価値の変化によるもの。
(C)一般商品の価値も貨幣商品の価値も同一不変であるが、商品の需給関係の変化によって、市場価格が価値・生産価格から乖離して変化するもの。
(a)総価格と総価値(=総生産価格)とが一致しているもとでの部分的な価格変動
(b)総価格と総価値とが乖離しているもとでの全般的な価格変動、すなわち産業循環における全般的な価格変動。
・(C)は、理論的に次の2つに分類される。
(C)-(a) 社会全体としては総需要と総供給とは一致。したがって総価格と総価値も一致。生産諸部門における生産の配分比率が社会の需要の配分比率と合っていなくて、諸商品において市場価格が生産価格から乖離して変動する場合。この場合は、一方の商品での上方乖離は他の商品での下方乖離と対応する。
(C)-(b) 社会全体として総需要と総供給が乖離し、総価格と総価値とが乖離している。全般的に、市場価格の生産価格からの上方乖離もしくは下方乖離が生じている場合。産業循環の変動のもとで生じる価格の全般的な上昇あるいは下落のケース。
・できるだけ高い利潤率を求める個別資本の競争があらゆる生産部門で市場利潤率を均等化させる作用をはたす。この作用が同時に、あらゆる生産部門における市場価格を生産価格に一致させる作用でもあるのは、社会全体の総需要が総供給に一致し、総価格が総価値に一致する(C)-(a)の場合に限られる。
・総需要と総供給が乖離している場合でも、資本と労働の部門間移動は部門間市場利潤率を均等化させる作用をはたすが、それによって各部門の市場価格が生産価格に一致する訳ではない。(263ページ)
・総需要が総供給を大幅に上回り、市場価格・市場利潤率が全般的に上昇傾向を示す場合には、追加投資が当該部門の生産=供給を拡大することによって、超過需要に反作用を与える。しかし同時に、この追加投資は、他方でI部門での需要拡大を生み出し、I部門の市場価格・市場利潤率の不均等的上昇→I部門の不均等な拡大→I部門における追加投資の相互誘発、を引き起こすように作用する。したがって、こういう場合、市場価格・市場利潤率を媒介とした個別資本の対応は、総需要と総供給の乖離、総価格と総価値の乖離を解消する方向に自動的に作用する訳ではない。
・総需要が総供給を下回る場合も、I部門の総需要をさらに縮小させることになり、追加投資の減少が直接に総需要と総供給の一致をもたらす訳ではない。
・既存の固定資本の上での生産を縮小するケースはどうか。市場価格・市場利潤率の下落にたいして、容易に生産・供給の縮小はおこなわれない。個別資本は、すでに投下した固定資本についてはできるだけ早く回収したいので、簡単に生産の縮小には結びつかない。また、多数の個別資本が競争する市場では、個別資本の生産量の変化は、市場全体の生産量・市場価格にほとんど影響を与えないので、たとえ過剰供給が明らかでも、個別資本が自らすすんで固定設備の稼働率を下げて生産を縮小しようと思うことはない。
・市場価格・市場利潤率を媒介とした需給の調整をもって「価格メカニズム」とし、この「価格メカニズム」が受給の一致、価格と価値・生産価格の一致をもたらすとみなされていたが、これは(C)-(a)の場合のみ。
第2節 『資本論』における価値・価格分析
・『資本論』では、基本的には、価格は価値に一致し、価格の変化は価値の変化をそのまま反映するものととらえられている。つまり、(A)(B)の場合。
・『資本論』第3部第1篇第6章「価格変動の影響」でも、マルクスは「われわれはこの研究ではどこでも価格の騰落は価値変動の表現だという前庭から出発する」と述べて、(A)(B)のような価格変動を対象とすることを自ら明らかにしている。(267ページ)
・マルクスは、「不断の過程によって均衡化される」ような「不均衡」と、しばしば暴力的にしか均衡化されない「不均衡」とを明確に区別している。
・マルクスは、商品の市場価値は、一生産部門において相異なる生産諸条件で生産される諸商品の、加重平均的に見た社会的必要労働量で規定されるものだと考えていると思われる。(272ページ)
・したがって、需給の状態そのものによって、直接、市場価値規定が変化するように考えるのは間違い。供給過剰の局面では、上位の生産条件の商品の個別的価値が市場価値を規定する場合がある。需給状況によって、上位の生産条件の商品の個別的価値が市場価値を規定する(供給過剰)か、あるいは下位の生産条件の商品の個別的価値が市場価値を来てするようになる(需要過剰)というのは、要するに、需要供給の関係の変化に対応して市場価値そのものが変化する、というもの。これでは、市場価格と市場価値との区別がなくなる。
第3節 循環的な価格変動
・ひとたび総需要がかなりの程度で総供給を上回って拡大し、追加投資が引き起こされていくと、市場価格・市場利潤率を媒介とした需給の調節作用は、総需要と総供給との一致、総価格と総価値の一致をもたらす上では無力である。
・好況局面での供給増加を上回る需要増加傾向、市場価格の上昇傾向は、ただ過剰生産恐慌の爆発によってのみ終わる。
・したがって、循環的な価格変動の解明のためには、需要と供給との乖離をもたらす諸要因を羅列するだけでなく、総需要>総供給による価格上昇が、急速な追加投資による供給拡大にもかかわらず、なぜ一定期間持続しうるのか、そして一定期間ののちに、急激に総需要<総供給による「破壊的な価格」が全般化するのか。これらを解明しなければならない。
・問題解明のカギは次の点にある。
――資本制的再生産には、特別な回転を示す固定資本の補填と固定資本の一括投資をめぐって、総供給と総需要のあいだには大きな乖離が生じる可能性と、その可能性を現実化していく力が内在していること。
――需要が供給を上回り追加投資が生じてくると、I部門の内部転態の特殊性によって、I部門の生産が消費から「独立」して拡大していく基盤があること。
・この急速な「I部門の不均等的拡大」こそが、過剰生産の全般化・「破滅的な価格」への価格暴落をもたらす基盤を生み出す。(277ページ)
・産業循環上の各種の価格変動の現象に目を奪われるのでなく、好況的価格上昇とその反転を、好況的発展を持続させてゆく基本構造と、急激な過剰生産の全般化を生み出す基盤との関連で把握することが肝要。
・産業循環の周期的な変動のもとでの市場価格の周期的変動の結果、それらのだいたいの平均として生産価格が存在する。(278ページ)
以上で第9章は終わり。第10章はまた次の機会に…。