昨夜、自民党・公明党が自衛隊イラク派兵承認案の委員会採決を強行。野党の抗議を無視して、自民党・公明党だけで衆院本会議を開き、本日未明に本会議で与党だけの出席で採決を強行しました。そこで、夕方、新宿東口で抗議の街頭宣伝行動に参加してきました。週末の夕方ということで、無関心に通り過ぎる人も多いけれど、ビラを配っていると、わざわざ受け取りに近寄ってくる人が結構いたし、自衛隊派兵撤回を求める署名にも駆け寄ってくる人もいます。
小泉首相は「サマワ市評議会の存在で治安は安定」と言っていましたが、市評議会が解散していたことが明らかになると、発言を撤回。自衛隊先遣隊の現地報告でも、「サマワ市評議会は・・・実質的に機能している」と書かれていますが、共産党の赤嶺議員が暴露した内部資料によって、この報告書が、実は、先遣隊が深夜サマワに到着しました翌朝にはもう作られていたことが明らかにされています。先遣隊の報告書というのは、現地の情勢を実際に調べたものではなかったということです。ここまで、「治安は比較的安定している」という政府の「判断」のデタラメぶりが暴露されたにもかかわらず、イラク派兵は何も再検討しないというのには呆れてしまいます。
前にも書いたように、自衛隊は、アメリカのイラク占領当局によって占領軍と同等の法的地位が認められています。イラク人を攻撃し殺しても、責任は一切問われない、こんな「人道支援」があるでしょうか?
ところで、宣伝行動をしているときから、首筋にちょっとしました痛みを感じていましたが、家に帰ってから鏡を見たら赤くふくれた湿疹のようなものが2つできていました。ひょっとしましたら、ヘルペス(帯状発疹)か? う〜む、困った・・・・。
本棚の間に詰め込まれたINTEC-185。上がCDプレーヤー、下がMDレコーダー。 |
昨年末、ニコンポのMDレコーダーが壊れた(録音ができなくなった)のが、修理できてきました。ミニコンポはONKYOのINTEC−185シリーズ。何年前に買ったか忘れてしまいましたが、AV売り場の人に「聞き比べてみれば、すぐ分かりますよ」と言われたとおりで、素人でも他よりいい音がすると思いました。いまはもう185シリーズはなくなっていますが、INTECシリーズ自体は健在です。すでに1回、CDプレーヤーのピックアップを交換していて、今回はMDのピックアップ交換。だいぶボロが来ているようですが、まだもう少しのあいだは大切に使っていきたいですね。(^^;)
引き続き福井直樹『自然科学としての言語学』を読んでいます。第4章「極小モデルの展開」は非常に分かりやすいです。第2章もそうですが、とくに第3章は何の説明もなく生成文法論のテクニカルタームがぽんぽん飛び出してきて、素人にはまったく歯が立ちません。しかし第4章では、そういう基本的なタームもていねいに説明されていて、先にこちらを読んでからの方が第2章、第3章も分かりやすいと思います。最新の到達である「極小モデル」(Minimalist Proguram、一般には「極小主義プログラム」と訳されている)にたって基本タームが説明されているので、ぐちゃぐちゃしました変換規則にまつわる議論に煩わされずにすみます。
毎日新聞によると、民主党が、今年末をめどに党独自の憲法改正案をまとめる方針を決めたそうです(同党憲法調査会、会長・仙谷由人衆院議員)。7月の参院選前に中間報告を作成してアピールするつもりでしょうが、自民・民主の「改憲」競争は絶対に許されません。
北朝鮮への単独経済制裁を可能にする外為法改正案が衆院を通過。6カ国協議では、相互に敵対的な行為はおこなわないことで合意されていたはず。いくら相手が無法なことを繰り返してきたとはいえ、外交交渉の場での“約束”を反故にすれば、日本政府が責められることになるだけです。
政府の総合科学技術会議(議長・小泉純一郎首相)が、宇宙開発の基本方針の見直しを決めました。有人宇宙飛行をめざすらしいのですが、なぜ有人飛行なのか? 国際宇宙ステーション開発との関係はどうするつもり? など疑問だらけ。“中国に負けてはいられない。我が国も”ということなのでしょうが、あまりに場当たり的方針決定です。人工衛星さえまともに上げられないような状態では、有人飛行に挑戦する宇宙飛行士は文字通り“命がけ”になります。
史上最年少での芥川賞受賞ということで話題になっている綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)を買ってきましたが、たった1日、それも通勤の行き帰りで読み終えてしまいました。感想という前に、こんなふうにするすると抵抗なく読めてしまうということ自体に驚きました。
今日の日経新聞夕刊によると、中学生が英語の文法を習得する際に活発になる脳領域を、東大の酒井邦嘉助教授が突き止めたそうです。特定された領域は、大脳前頭葉のブローカ野と呼ばれる領域で、日本語の文法が正しいかどうかを判断する「文法中枢」と同じ場所なのだそうです。ただし、これは日本人の中学生を調査した場合の話で、アメリカ人が英語の文法が正しいかどうかを判断する領域がやはり同じ場所なのかどうかは分からない。それにしても、生物種としての人間には固有の生得的な文法能力があるとする生成文法理論の立場からは、大変興味深い研究です。
風呂に入る前と後で体重を比べたら、0.5kg の軽くなっていました。汗? カロリー? それにしてもこんなに減るとは・・・・。(^^;)
これまで使っていたプロバイダのサーバーは、自分のところのAPからのアクセスでないと、ホームページの更新作業などができなかったので、サーバーを借りてホームページの移転を開始しました。新しいサーバーでは、CGI も SSI も自由なので、掲示板も設置しましました。
大学・大学院でお世話になったゼミの先生が、昨日、亡くなられました。プロフィールのところに、「大学院で専攻しました日本近世史の本は最近読まなくなった」と書いていますが、先生は、膨大な史料を読み込んで、史料に裏づけられた実証と実証にもとづいた理論化と、この両者をすすめることのできる数少ない研究者でした。そのもとで、僕は、日本史専攻でありながら、経済学や哲学、方法論などに興味を持ち続けることができました。まともに論文を書かずに、そういう文献ばかり読んでいたのに文句も言わず、挙げ句の果てに研究者とは異なる道にすすみたいと言い出しましたときも、怒りもせず、我がままを許していましただき、本当に感謝にたえません。
そのあとも、僕が始めて雑誌に書いた論文を読んで、「もっと労働者が読んでも分かるように書かないとだめだよ」と言われました。これが今でも僕の励みになっています。本当にありがとうございましました。心からご冥福をお祈りします。
トリフォニーホールの入り口にて |
今日は、新日本フィルハーモニーの定期演奏会を聴いてきました(指揮=クリスティアン・アルミンク/ピアノ=コルネリア・ヘルマン、すみだトリフォニー・ホール)。プログラムは、以下のとおり。
しかし不思議なのが、このプログラム。1曲目は1990年に作曲された現代音楽。3曲目も1905年初演の曲。こういう曲の間に、なぜかモーツァルトが・・・・・。オケの編成でも、2曲目は約半分の小編成になり、舞台のうえはガラガラ。どうして、こういうプログラムを組んだのか、いま一つ理解できませんでした。
で、結論からいうと、3曲の中でとりあえず良かったのは1曲目のみ。2曲目は、ピアニストは上手かったが、だからといってそれ以上のものが伝わってきません。オケの編成を小さくしたのに、それでも、もっとピアノの音に力強さがほしいと思ったのは3階席だったからでしょうか。3曲目のツェムリンスキーは、マーラーとシェーンベルクの中間に位置づけられる作曲家で、この曲は、1905年に初演されたあとオリジナル譜が行方不明になり、1970年代に再発見されたという曰く付きのもので、再発見後は評価著しいらしいのですが、僕にはあまり特徴あるものには聞こえませんでした。
さらに閉口しましたのは、まわりのお客さん。1つおいた隣の男性客は、ともかくごそごそよく動くし、しかも鞄を抱えて座っているものだから、体を動かすたびに鞄の金具がカチャカチャ音を立てる始末(休憩時間に注意しようと思ったら、後半はいなくなってしまいました)。隣の別の男性客は、演奏が始まるやいなや人差し指で小さく指揮を取り始める。反対側の女性客は、鼻をグスグスいわせ続けています。さらに、演奏中に時計のアラームは鳴るわ、コインを床に落とす奴はいるわ・・・・・。もう散々でした。
置塩信雄先生の『経済学はいま何を考えているか』(大月書店、1993年)を読み終えました。置塩先生の最後の著書ということですが、先生の問題意識がよく分かります。数式的な話が出てきますが、中心は、『資本論』や資本主義、社会主義をどう考えるかという“考え方の問題”。本書を読むと、置塩先生の真髄は、数式的・計量的な検討にあるだけでなく、そうした数式的・計量的な検討に支えられた深い理論的な検討・分析にあるということがよく分かります。
今日は、旧正月らしい。旧暦で暮らしている世界のみなさん、新年おめでとうございます! (^_^;)
帰りにジーンズを買ってきました。いつものEDWIN 504シリーズです。REGULAE STRAIGHT、サイズ31inch、色Usedwash Black。もうずっとEDWINです。昔はブルージーンズでしたが、数年前から黒になりました。Jeans Mate で 8,900円。しかし、裾を2000円分ぐらい切られたかなあ・・・(涙)
ところで、先週お腹を壊してから少食状態が続いているおかげか、今日、体重を計ったら 62.9kg でした。(^^)v
今日買ったもの。・・・・ちょっと調子に乗って買いすぎ。(^^;)
追伸。福井直樹『自然科学としての言語学 生成文法とは何か』は、全然初心者向けじゃないっす。難しい・・・・ (^^;)
今日は、アンサンブル・ノマドという室内楽グループの演奏会に行ってきました。プログラムは下のとおりで、いわゆる現代音楽ばかりです。
なかなか面白そうなプログラムだと思いましたが、音楽として聞けたのは最後の2曲のみ。最初の2曲は、80年代のいわゆる無調・無音階の曲で、サックスを音を出さずに、息だけでスカスカいわせてみたり、ピアノの弦を木琴のバチのようなもので直接叩いてみたり、挙げ句の果てには、腕でバーーーンと鍵盤をいっぺんに押さえつけたりと、なかなか大変な演奏でした。しかし、こういう音楽は、80年代に、文字通り実験的な楽曲、演奏としてやられたときには多少の意味もあったのでしょうが、それもすでに20年ほど前のこと。今あらためてそれを演奏する意味がよく分からりませんでした。3曲目は、3人でテーブルのようなものを叩いたり撫でたりこすったりしてリズムを刻むものです。“音楽の根底に眠る身体性をあらわにして・・・”などというと、ポストモダン的ですが、今となっては、これもありがちなパターン。お客さんには分かりやすかったみたいですが、もはや月並みです。
それらに比べると、最後の2曲は、無調的な音階やら、拍子を無視した演奏とか、“現代音楽”的な要素が、音楽的・作品的にも内容を構成していたように思え、それなりに聞いて楽しめました。現代音楽としても、こういう方向に流れているのでしょうか?
僕の部屋の本棚・・・崩れそうで怖い |
昨日届いたもの・今日買ったもの
ということで、本当に読み切れるか、不安。
デジカメを持って出勤し、職場でパチパチ撮ってきました。写した写真を詳しく見ると、ピントがちょっと甘い感じです(ファインダーや液晶画面での細かなピント確認は不可能、オートフォーカスまかせ)。周辺では収差がやや目立ち、画像が流れる。感度が低い(室内ではかなりブレる)。シャッターが深くて、思ったタイミングより少し遅れてシャッターが切れるなど、いろいろ気づいてきました。
しかし、さすが400万画素、A5判ぐらいまでなら普通紙にプリントしても、けっこういける感じです。
今日は代休をもらい、正午前に起きて、午後から映画「飛ぶ教室」を見に行ってきました(感想は「最近見た映画」のページに)。
帰りに、デジカメを衝動買い。(^^;) 買ったのはPENTAXのOptio 4S。400万画素ながら重さ98gの最軽量サイズ。というか、小さすぎて操作しづらい・・・。昔、重い一眼レフを担いでいた人間には、これはなかなか手強い相手かも知れません。
出張中、体調を崩し、2日間、ほとんど絶食状態になりました。いまはもう回復しましたが、それでもあまり食べれない状態が続いています。そのおかげか、体重が64.0kgに減りました。出張中、食べ過ぎで1kgぐらい太りかけていましたので、差し引き2kgほどの減量ということになります。しかし、あまり食べれない状態でも腹は減るから困ったものです・・・・。(^^;)
昨日から今日にかけて、いろいろ届いたもの。
置塩先生の本は、ほとんどが絶版で、古書店にも出回りものが少なく、入手困難になっています。しかし、『マルクス経済学 2』は、少し前に『マルクス経済学』を購入した古書店にメールで他にも置塩先生の本を探していますと知らせたところ、入荷しましたが必要ですか?と教えてくれたもの。出張先までノートパソコンを持ち込んでメールチェックしていて良かった〜。(^^;) 置塩先生の本をお持ちの方、ぜひお譲りください。謝礼は相場でお支払いします。(→メールをお待ちしています)。
メンデルスゾーンのオラトリオ「エリアス」は、旧約聖書の預言者エリヤを題材としたオラトリオ。2月に東京シティフィルの公演の演目になっているので、ちょっと予習をしておこうと思って買ってきました。でも、輸入盤で歌詞対訳がないので筋がわからない・・・・(^^;) 聞いた印象はなかなか劇的(文字通りドラマチックと言う意味)で、僕好みかも。
阪神大震災から9年立ちました。あの日の朝のことは、いまでもよく覚えています。僕はいつもラジオを目覚まし代わりにしています。朝7時に、いつものようにNHKのニュースが流れ、寝ぼけた頭に、淡路島の北端近くを震源として大きな地震が起こった・・・・のニュース。びっくりして、テレビをつけると、まだこの時間では、神戸の情報はなく、大阪放送局からの放送が流れていました。僕が鮮明に覚えているのは、そのとき、NHKのアナウンサーが「阪神高速道路が倒れている」というニュースの第一報を、“そんなことあるのか?”というような表情で読み上げていたことです。ニュースの終わりに「これは、倒れた高速道路から落ちたタクシーの運転手から電話があった、ということです」と読み上げ、本当に“高速道路から落ちて、なんで生きてるんだ? うそじゃないのか”という表情をしていました。しかし、やがて西宮、神戸東・・・・と被災地の映像が流れ始めると、本当に高速道路は倒れ、家屋が全壊し、震度7の街がそこにありました。映し出される映像の中には、「あ、あそこ」とすぐ分かる場所もたくさんあり、神戸の地理に疎い東京のテレビの解説のまどろっこしさに無性に腹が立ったりもしました。
それまでも、いろんなところで大きな地震があると、テレビで被災地の映像を見ましたが、自分が毎日通っていた街の被災しました映像は、そんな「被災地」の映像とはまったく違って見えました。映像を見ながら「ひどいねえ」と言っている声に、――本当は心から同情し、心配してくれているのだろうけれども――、そのときは腹が立って仕方ありませんでした。しばらくして、「そうか、自分も前はそんなふうにテレビを見ていましたんだなあ」と思い当たり、あらためて「被災する」ということの意味が少し分かったような気もしました。
震災後、1週間たって、神戸に帰り、10日間ほど手伝いをしてきました。大阪まで新幹線で戻りました。京都までは、いわゆる旅行客ふうの乗客もいましたが、新大阪で降りたのは、みなリュックを担ぎ、足下も運動靴やズックで固めた人たちばかりでした。梅田に向かうと、1週間後で、すでに梅田の地下街はミニスカのお姉ちゃんが闊歩していて、すごく不思議な感じがしました。梅田から阪神電車で尼崎に向かい、尼崎で中古自転車を手に入れて、自転車で2号線に沿って神戸に向かいました(このころは、西宮当たりまでしか電車は通じてなかった)。西宮、芦屋、東灘と西へ向かうにつれて、周りの風景はどんどんひどくなっていきました。救急車がサイレンを鳴らして、ひっきりなしに通っていくが、道路は渋滞していて、車はなかなか進んでいきませんでした。しかし他方で、すでに1週間たっていたからか、街の人は、給水を受け取りに行ったり、壊れずに残った家を片づけたりして、奇妙な“日常”生活がそこにはありました。
それから10日間は、毎日、実家から、その当時、西からJRが通じていた須磨駅まで電車で行き、そこからは自転車で神戸に通い、夜はその逆のコースで家に帰る生活を続けました。実家に帰れば、電気も通じているし、暖かい風呂にも入れたのが、実に奇妙でした。毎朝、JR須磨駅からは、歩く人、自転車で行く人、バイクの人・・・・ほんとうにたくさんの人が国道2号線いっぱいに広がって、水を背負ったり食料を背負ったりして、神戸の街を目指して行きました。被災地のなかに入ると、神戸から三宮まで行くだけのことに半日を費したり(普段なら5分か10分ですむ距離)、夜須磨駅まで戻る途中で、あたり一面火事で焼けてしまった真っ暗な長田の街を通ったときに、近くで被災した人から「炊き出しがあるで。食べていかへんか?」と声をかけられたり、不思議な空間と時間を体験しました。被災から2週間ほどしてJRが西から神戸駅まで開通したら、それだけで街の雰囲気がずいぶん和らぎました。それでも、いちばんみんなの表情が和らいだのは、トイレが使えるようになったときでした。元町は三宮ほどには被害が大きくありませんでしたが、その元町商店街で「本高砂屋」が営業していて、たくさんのお客さん(みんなリュックにズック姿)が「きんつば」を買っているのは、不思議な、でもちょっと感動する光景でした。東京へ戻ってきてからでも、電車が普通に動いていることがしばらく不思議でならなかったことも覚えています。こうしたことは、いまでも忘れられません。
僕は、神戸に帰るとき、カメラをもって帰るかどうか迷いました。でも、震災の街の様子は絶対に忘れないだろうと思って、結局、カメラはもって帰りませんでした。しかし、やっぱり記憶は薄れていくもので、街が再建されていくと、震災のときここはどうなっていましたか思い出せなくなっていきます。それでも、やっぱり、震災のただなかに置かれた神戸の街にレンズを向けることなど僕にはできなかっただろうと、いまでも思います。
震災で亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。合掌。
チョムスキーの『生成文法の企て』を読み終えました。訳者による解説は、なかなかコンパクトに生成文法論の現在を紹介してくれていますが、本文のチョムスキーのインタビューは、きわめて難解でした。(^^;) 生成文法論のなかで生まれたさまざまな「理論」が矢継ぎ早に登場し、何が問題だったのか、何が言いたかったのかなどを、チョムスキー自身が縦横に語っているのですが、議論の詳細を知らない人間にはまったく歯が立ちません。ただ、人間という種に固有の言語能力を支えている生得的な機構がきっとあるはずだ(それを「普遍文法」と呼ぶ)、それが存在するとしましたらこういうものでなければならないはずだ、という着想の大胆さと的確さは、何となく伝わってきます。
陸上自衛隊の先遣隊がイラクに向けて出発。「国を守るため」という口実をふみにじって、初めての戦闘地域への武装兵力の派遣。自衛隊は、米英占領軍と同じ地位を与えられます。したがって、たとえばテロリストと判断して攻撃したあとで、実はテロリストでなかったということが明らかになったとしても、自衛隊の過失は追及されないし、イラク人への補償も必要ありません。しかし、もし実際にイラクで戦闘行為に巻き込まれ、テロリストと誤認してイラク市民を攻撃したとき、自衛隊や日本の政治は本当に耐えられるでしょうか?
民主党大会で、菅直人代表が「官僚主導を本当の国民主権にするため、市民革命に代わる幅広い憲法制定運動が必要」と述べ、2006年までに「民主党として新たな憲法の在り方を国民に示しましたい」とあいさつ。これにたいして、小泉首相が「(憲法改正が)現実的課題になってきた。与党と野党第一党が協力できる形が望ましい。協力して憲法改正問題を現実のものにしたい」、とくに「憲法改正論議では、集団的自衛権の問題は当然、焦点になる」と素早い反応を見せたそうです。民主党は、自衛隊の海外派兵に代わる「国連待機部隊の創設」も打ち出していますが、小泉首相は、「かつて自民党も国連待機軍、別動隊を議論したが、自衛隊と変わらない、各国も軍隊扱いするのではないかということで駄目になった」と語り、早くも民主党を集団的自衛権合憲化、自衛隊海外派兵合憲化へひきずりこむ意欲を見せています。
今日は、寒かったので、結局、どこにも出かけず、昨日に続いて一日何にもしませんでした。ひたすら CDを聞きまくり、本を読み、あとは洗濯したり、ごろごろしたり・・・・。充実してるなあ。(^^;)
今日は、昼前に目を覚まし、そのあとはずーーーーーっと、な〜〜〜〜んにもしませんでした。やっぱ疲れてるなあ〜。
ということで、今日は、My Desktop を公開。なんかいろいろ乗せてるなあ〜
海洋学者のジャック・モイヤーさんが自殺したとのニュースが流れています。三宅島の自然を愛しNLP基地建設に反対を表明していたモイヤーさんのご冥福をお祈りします。
今日は、さすがにほぼいつもどおりに目が覚めたし、まあまあなんとか小遅刻程度ですみました。(^^;) しかし、だらだらと片づけ仕事などが続いて、仕事の効率は上がらないし、だるいし、疲れるし・・・。で、ようやく夕方片づけが終わると、終業時刻までの間に、コンピュータに向かったまま思いっきり爆睡してしまいました。(^^;) 仕事が終わったら映画を見に行こうと思っていましたが(「真実のデートリヒ」が今日まででした・・・)、“体力なし”であきらめました。う〜む、残念。
今日のお買い物。(こんなに買って読めるのか?)
ノーム・チョムスキー氏は、9・11以来、ブッシュの一方的武力行使にたいする世界的な批判の急先鋒で、日本でも翻訳が次々出版されていますが、本職は言語学者(Ph.D. マサチューセッツ工科大学教授)で、「生成文法」の提唱者として有名です。
「生成文法」というのは、人間には生得的に自分の母語の文法構造を獲得する能力をもっているとするもので、その各国語文法を理解する基礎的な言語能力(というか、そこから母語の文法構造を構成する能力)を「普遍文法」と呼びます。従来の言語学では、人間の言語能力とか文法とかは、生まれたあと学習を通じて獲得されると考えられています。しかし、だとしたら、必ずしも完全でない(というか、むしろ不完全な)文章しか聞いていないにもかかわらず、しかも、ある年齢になったときに急速に、人間が言語能力を獲得し、正しい文法でどんどんしゃべるようになるという現象は説明できないとして、チョムスキーは、人間という生物種に固有の能力として、文章から文法構造を取り出し、文法規則を理解する能力を持って生まれてくると主張しました。こうした議論を「生成文法」といいます。
で、チョムスキーが最初に提唱したころは、各国語の文法構造を普遍文法に還元し直す手続き(「Xバー理論」)が分かりにくく、英語など印欧語族ならなりたつかも知れないが、日本語など膠着語には当てはまらないのでは? などの強く疑問が出され、「生成文法論は、英語中心主義だ」などという陰口を叩く人もいました。しかし、最近、各国語文法の違いを、わずかな“パラメーター”の違いによって説明できることが明らかになり、より説得力を持つようになったと思います(だから、いま生成文法を勉強するには、少なくとも、このパラメーター理論をふまえておくことが必要)。チョムスキーは、こうした言語能力はモジュール構造をなしていると主張していますが、これも、最近の脳神経科学の発展と適合的な考え方だと思います。
ということで、僕は、今のところ、生成文法が人間の言語能力を科学的に説明する唯一の理論だと考えています。
「生成文法」については、とりあえず、以下の文献を参考に。
体調はようやく回復傾向に。しかし、朝はやはり寝過ごしました。目覚まし時計で7時にいったん目が覚めたのですが、気がつくと8時を過ぎていました・・・・。 (^^;) やっぱり神経が弛緩しているせい? いい加減、遅刻続きで、真面目に出勤しないといけないのに・・・・。(^^;)
ところで、夜(今日は早めに終了)家に帰ってきたら、またまたいろいろなものが届いていました。その中に、Amazon.co.jp で注文しました CD がありましました。しかし実は、昨年12月に注文して Amazon.co.jpのホームページでは、「配達完了」となっているのに僕のところには届いてなかったもの。Amazon.co.jp に連絡したとろこ、すぐに同じ商品が再発送され、とっくに届いている品物です(このときの対応の迅速さは驚き!)。要するに、注文不達の商品は運送屋さんのところで1カ月ほど眠っていたらしい。そう思ってみると、心なしか包装が砂まみれです。 (^^;)
さて、小泉首相が、産廃不法投棄が問題となっていた香川県豊島を訪問。「国会が始まる前に現場を見ておきたい」というのが本人の弁ですが、そもそも豊島の不法投棄は、すでに決着がついて、昨年から、香川県によるゴミの撤去と、隣の島での処理事業が始まっているもの。そこへいまごろ総理大臣がやってきても、ほとんど意味がありません。全国各地には、いま、不法投棄産廃で住民が困っているところがいっぱいあります。「現場を見ておきたかった」というなら、そういうところへこそ出かけるべきでしょう。首相が豊島に滞在しましたのはわずか25分。被害島民と直接あうこともなく、帰ってしまいまったそうです。
さらに、帰りに四国大橋を渡った感想を求められ、「橋を造って良かった。もっとみんなが通行してくれれば」などと答えたらしいです。無駄な公共投資による財政赤字の問題には「我関せず」の脳天気なお答え。 (`ヘ´)プンプン
何とか頭痛は治まりつつありますが、何をやっても猛烈に眠いのは、徹夜による寝不足というより、とりあえず原稿が出来上がって、神経が弛緩しはじめたからでしょう。こうなると、今度は仕事の効率が上がりません・・・。(^^;)
夜帰宅したら、ゲルギエフ指揮「ヴェルディ/レクイエム」のCDと、グラムシの『獄中ノート』(古本)が届いていましました。昨年、NHKホールでゲルギエフ&キーロフオペラ管弦楽団の演奏を聴いたこともあって、最近、ゲルギエフに興味がわいています。今更・・という声も聞こますが、演奏の中身はかなり充実した感じで、聴き応えがあります。
数日前から、パラパラと松田博著『グラムシ研究の新展開』(御茶の水書房、2003年)を読み始めました。著者は、ジェラルターナー版『獄中ノート』によるグラムシ像の「刷新」を主張しています。従来のグラムシ研究は旧全集版に規定された「限界」をもっているとの指摘は分かりますが、では著者は新しいグラムシ像として何を主張しているのかというと、それが、今一つよく分かりません。いろいろ読んでいっても、「陣地戦」だの、「国家=市民社会+政治社会」だの、旧全集版にもとづいた古いグラムシ像とあまり変わらない話ばかりのような・・・。最近公表された資料で、コミンテルン=スターリン流の「教科書的マルクス・レーニン主義」からのグラムシの離反が明らかになったという指摘には興味がありますが、これも具体的な中身が見えてきません。日本の科学的社会主義の研究は、すでに、コミンテルン=スターリン的な「マルクス・レーニン主義」から遠く隔たって久しいので、それこそ“今更”の感がするのですが、グラムシがどういう点でスターリン流「マルクス・レーニン主義」を克服しようとしましたのかは興味ある問題です。
今日のお買い物。(というか、届いたものだな、これは・・・)
比喩ではなく、文字通り頭が痛い・・・・。間違いなく、4-5日の徹夜のせい。昨日は、ちゃんと寝ましましたが(そのうえ、朝寝過ごしました!)、その程度では収まってくれません。やっぱり、この歳になって徹夜すると、翌日、翌々日と後を引いて、トータルだとロスの方が多くなります。困ったもんです。
昨年末から抱え込んでいた原稿が書けず、昨日からとうとう徹夜してしまいました。眠い・・・・・。\(〜o〜)/ 去年の正月も、原稿を抱えて年越しをしました。これで2年連続・・・・。僕の正月はいったいどうなるんでしょう?
本日のお買い物。
結局、昨日(今日?)は朝まで原稿書きをしてしまったので、目が覚めたら正午。ちょっと気分転換にホームページリニューアル作業を続け、掲示板まで組み込む・・・・。(^^;) でも、こんなことをやっていたのでは原稿が仕上がらん! と、夕方から、真面目に原稿書きに戻り、だんだん興が乗ってきて書き進みだしたときに、突然、パソコンの電源が落ちてしまいました! 一瞬何が起こったか分からず、すわパソコンの不調か、はたまた電源が壊れたかと焦りましたが、何のことはない、パソコン本体を机の下に入れてあるため、原稿を書きながら足を動かしました拍子に、つま先でパソコンのリセットボタンを押してしまっただけでした(苦笑)。
まあ、エディタでこまめに保存しながら書いていたので、実害は少なかったのですが、危険なので、パソコンには90度向きを変えていただきました。みなさん、データはこまめにセーブしましょうね。(^^;)
夕方、NHKで「未来の学校」という番組をやっていました(再放送)。指揮者のチョン・ミョンフンが、目黒区の小学校のオーケストラ部(公立小学校でオーケストラ部があるのはここだけらしい)にやってきて、ベートーベンの交響曲第五番「運命」の練習をするというもの。小学生に「運命」というのは、かなり手に余る感じで、さすがに音程などは心許なかったのですが、たった3日の練習と東フィルのリハーサルを見学しただけなのに、僕が聞いても分かるぐらいに小学生たちの演奏がよくなったのは驚きでした。音楽がけっして技術だけでないという証拠です。それから、小学生相手に、あるいは東フィルを前にして、チョン・ミョンフンが指揮しながら音づくりをしている様子もなかなか面白かったです。それにしても、小学生たちがうらやましい・・・・。
昼頃起き出す(休みが続くと、生活時間帯がすっかりずれてしまって、あとが大変・・・・)。そのあとずっと作業を続け、夕方、何とか不破哲三著『「資本論」全三部を読む』の第一冊から第三冊までのノートを取り終えました。しかし、さあ印刷しようと思ったら、プリンタのインク切れ・・・。仕方なく、隣の街のビックカメラまで買い出しに行ってきました。
で着いてみると、駅も駅前も、わしゃわしゃと大混雑。(^^;) 着物を着た人こそ少なかったですが、家族連れとか、それなりにオシャレしたカップルとか、華やいだ雰囲気。僕は正月休みというと、たいていインドアな過ごし方をするので、あらためて、世間は正月じゃんという当たり前のことを発見した気分です。(^^;)
昨日の小泉首相の靖国参拝にたいして、韓国が、日本の高野大使を呼んで、「今後は二度と参拝がないよう強く希望する」と厳しい抗議。外国政府が、こういうストレートな形で抗議するというのは、とてもめずらしいことだと思います。“仏の顔も三度”という諺になぞらえれば、今度の参拝は四度目。仏様でも怒るのが当たり前、ということです。
ホームページをリニューアル。と言っても、単にフレームを使ってメニューをつねに表示するようにしただけですが・・・。フレームにしてみると、それぞれのページの色の違いが気になります。しかし、どうやったらうまくいくのかよく分かりません。(^^;)
あとは、ひたすら不破哲三著『「資本論」全三部を読む』のノートづくりに費やしました。疲れた・・・・。
午前中に小泉首相が靖国神社を参拝。首相になってから、これで4回目。去年には、「今度は8月15日に参拝するつもりらしい」という話も伝わっていました。彼としては、中国や韓国に配慮して、これまで8月15日を避けてきたつもりだったが、そうやってみても中国や韓国から抗議されるばかり、それなら8月15日に参拝してもいいじゃないか、というの理由らしいという、もっともな説明もついていましたが、結局、そういう「話」も一種の“煙幕”だったのでしょうか? 自衛隊がイラクに派遣され、いよいよ“戦死者”が生まれるかも知れす、支配勢力にとっても、“戦没者”の国家的祭祀が喫緊の課題となりつつあります。