在日米軍の再編成についての動きが、マスコミにもちらほら現れています。きっかけは6月8日の日米首脳会談で、ブッシュ米大統領が北東アジア米軍の再編問題を取り上げたことのようです。すでに米政府は、韓国政府にたいし、2005年末までに在韓米軍3万7000人のうち1万2500人を削減する案を公式に提示しています。
今日の東京新聞「こちら特報部」は、27日のNHK党首討論での小泉首相の「改憲で集団的自衛権を」という発言をとりあげ、「海外紛争も『ともに戦う』」「“自主憲法”で米の従属国 押しつけ『マッカーサー』から『アーミテージ』に」との見出しで、特集をくんでいます。その中で、で、政治評論家の森田実氏が次のような発言が紹介されています。
「米国のアーミテージ国務副長官が推進するのは、米国の言う通りに行動する日本だ。小泉首相はあいまいな言葉で、日米一体化の方向を出したいのだろう。集団的自衛権を行使するというのは、どこへ行っても米国と行動するということだ。憲法改正のねらいは米国の従属国になることだ。“マッカーサー憲法”から“アーミテージ憲法”への転換といえる」
アーミテージ氏は国務副長官就任前、日米関係に関する超党派の研究会の座長を務め2000年10月に、「アーミテージ報告」を発表した。16人のメンバーの中にはウルフォウィッツ国防副長官、ケリー国務次官補ら現在の政権幹部とともに前クリントン政権のスタッフらも名を連ねる。
同報告書は「日本側による集団的自衛権の禁止は、日米同盟協力の制約となっている。この禁止事項を撤回することで、より緊密で有効な安全保障協力が可能になるだろう」と、集団的自衛権“解禁”を迫る内容となっている。さらに「米英の間の特別な関係を米日同盟のモデルと考える」とも明記している。
今年2月2日に日本記者クラブで講演したアーミテージ副長官は「今日、報告で展望したことの多くが現実となった」と発言している。日本国内の改憲論議についても触れた。
「集団的自衛権をいかに扱うかを議論する上で、憲法改正論議が今日ほど真剣に行われたことはない、と言える。集団的自衛権は、国際社会の多くの人々にとっては常識的な考え方であり、明らかに日本でもそう考える人が増えている」
さらに続く質疑応答では「集団的自衛において、日本に対しどのような役割を期待しているのか」という質問に答える形で「もう少しの柔軟性」「もう少しの公平な関係」を挙げた。
森田氏は、小泉首相の強気な姿勢の背景に、そんな米国の後押しとともに「世論」の存在も見る。「憲法改正を言えば、支持が増えると考えている」
「東京新聞」6月30日付「こちら特報部」
同記事は、改憲や集団的自衛権をめぐる小泉首相の発言録も紹介しています。
- 2001年5月
- 「(憲法は)永久不変のものではない。世論の成熟を見定め、改正する際には慎重な配慮を要する」
「(集団的自衛権の行使を容認する方法は)望ましい形をいえば、誤解のない形で憲法改正をした方が好ましい」- 2003年5月
- 「自衛隊が我が国の平和と独立を守る軍隊であることが堂々といえるように将来、憲法改正が望ましいという気持ちを持っているがその機運には至っていない」
- 2003年8月
- 「2005年で自民党は結党50年だ。結党時の精神が自主憲法制定だったこともあり、自民党もそろそろ政党として憲法改正案を考えるのもいい」
- 2004年2月
- 「(集団的自衛権の行使をめぐり)憲法に対する見解が対立する問題があれば、便宜的な解釈の変更によるものではなく、正面から憲法改正を議論することにより解決を図るのが筋だろう」
「便宜的な解釈の変更」でなく「正面から憲法改正を議論する」のが筋だといいながら、その当の本人が、正面からの憲法改正どころか、国会審議もすっ飛ばして、イラク派兵自衛隊の多国籍軍参加を表明したことを忘れてはなりません。集団的自衛権を認めるための憲法改悪を、あたかも「筋」の通った憲法議論であるかのようにえがきだす“だましのテクニック”といえます。
佐世保の事件に関連して、精神科医の野田正彰氏(関西学院大学教授)が、おおよそ次のように発言されています。
――80年代以降、子どもたちは幼いころから他者との摩擦を恐れ、「同調的」に生きてきた。そのため、不快に感じることがあっても言葉に表現して、相手と対話するということが少なく、相手が自分と違う考えや感情を持っていることも理解できない。だから、不快な感覚を持ったまま、自分だけが我慢を重ねていると思い込んでしまえば、いつか「切れる」のは当たり前だ。(「しんぶん赤旗」6月29日付)
そして野田氏は、文部科学省のすすめる「心の教育」「心のノート」は、子どもの心の外枠を締め付け、「相手に合わせて自分を装う文化をますます加速させる」悪循環におちいってしまうと批判しています。
「同調的な生き方」「相手に合わせて自分を装う文化」・・・・現代の子どもたちの育ち方をみるとき、なかなか示唆に富む指摘です。
日本共産党の発行する『女性のひろば』という雑誌の8月号で、エッセイストの朴慶南(パク・キョンナム)さんが、おおよそ次のようなことを書いておられます。ああこういうふうに見てくれている人がいるのだなと、ありがたく思いました。
自衛隊のイラク派兵から始まって、有事法制が通り、国民の議論も承認もないまま自衛隊が多国籍軍に加わるという、憲法をふみにじってはばからない日本の極端な右傾化に非常な不安を覚えています。北東アジアの安定のためにも、日本はアメリカ言いなりではなくて、アジアの仲間と手をとりあってほしい。そのためにも日本の人たちは、きちんとした政権を選ぶという重い責任があります。憲法を守る立場に立ち、戦時中から一貫して戦争反対を貫いてきた誇りある歴史をもつ日本共産党がその力を発揮すべきときは、今をおいてほかにはないじゃありませんか。
私が日本共産党をとても好きなのは、なによりも人間なんですね。「こんなステキな日本人がいるよ」といわれて訪ねた人の多くは何らかの形で日本共産党とかかわりのある人だったんです。講演会などで心が通い合ったと思う人たちは必ずといっていいほど「赤旗」を読んでいたのです。私にとってそういう人々への信頼は揺るぎないものです。
小泉首相が、NHKの党首討論で、「日本を守るためにアメリカが日米安保条約で協力してくれる。日本を守るためにいっしょに戦っているのに、米軍と共同行動ができない、集団的自衛権を行使できないのはおかしい。その点は憲法ではっきりしていくことが大事だ」と発言したそうです。
これは、憲法「改正」によって日本も集団的自衛権を行使できるようにすべきだという重大な発言です。現在でも、政府は、「アメリカとの同盟が大事だから」という理由で、自衛隊をインド洋やイラクに派遣していますが、そのときでも憲法9条があるから、派遣した自衛隊が戦争をやるわけにはいかず、表立っては「自衛隊はイラクに戦争しに行く訳ではない、人道支援に行くんだ」と言わざるを得ません。ところが、もし小泉首相の発言どおりに憲法で集団的自衛権の行使を認めるようになったら、どうなるでしょうか? そうなれば、「戦争をしに行く訳じゃない。人道支援だ」という限定がまったくなくなってしまい、文字どおり自衛隊は米軍といっしょになって戦争をおこなうことになります。しかも、そのとき「同盟国だから」という理由が最初に来るかぎり、自衛隊を派遣するかどうかを日本の国益に立って独自に判断するという仕組みは働かない(現に、いまだってそういう枠組みは全然機能してません)。そうなると、米軍がどこで、どういう戦争を始めようと、「アメリカとの同盟が大事だから」といって、どこまでも、いつまでも米軍に付き従って、自衛隊も戦争に参加していくことになります。「アメリカは同盟国だ。しかし、・・・・・」という論理が現実の政治の動きとして働くようにならない限り、集団的自衛権を公然と認めようという憲法改正の先に見えるのは、果てしのない戦争への道でしかないと思います。これでは「集団的自衛権」ならぬ「集団的先制攻撃」です。
※自民党の「論点整理(案)」はインターネットで公開されていないため、データは憲法会議のものを利用。他の2党のものは、それぞれホームページで公開されているデータによる。
厚生労働省が、高齢者の高額医療費払い戻し制度で、払い戻しを受ける権利の時効延長を事実上認める「通知」を出していたことが明らかになったというニュースが流れています。高齢者の高額医療費払い戻し制度というのは、70歳以上の高齢者が、病院などの窓口で支払う自己負担額が、月の限度額を超えたときは、自分で市町村に申請して後日払い戻しを受けるという制度。限度額は住民税非課税の場合で個人・外来が8000円、世帯合算が24600円などとなっています。この制度は、2002年10月に高齢者の医療費の負担増がおこなわれたときにつくられたのですが、その最初の1カ月分の払い戻し請求の権利が今年9月30日で時効となり、それ以後は請求できなくなるということで、今回あらためて通知を送り、その通知の到達からさらに2年後まで事実上時効を延長したというものです。
で、驚くのは、その未払い分というのが、2002年10月分だけで21万8000件、約11億7000万円もあるということ。2003年3月までだと、約120万件、69億6000万円も払い戻されていないといいます。この払い戻し制度は、できた最初から、手続きが煩雑で巨額の払い戻しが生じる危険があると指摘されていました。また制度実施後も、仕組みそのものが知られておらず、実際に膨大な未払いを残してきました。国民に負担を求めておきながら、他方で、通知のために新たな間とコストをかけるというのは、まったく逆立ちした事態です。そもそも高齢者の高額医療費の自己負担をやめ、窓口負担を引き下げるべきです。
散髪しました・・・。(^^;) またまた髪を伸ばそうと思ってがんばっていたのですが、急に暑くなって長い髪が鬱陶しくなってしまい、久しぶりにばっさり短くしてしまいました。カラーリング(←チャパツの不良中年オヤジだ!)もそろそろ飽きてきたし、しばらくはほったらかしにして、元の黒髪に戻すことにします。
先月末に発覚した“金融危機”は、恩師の「偲ぶ会」があったりしながら、なんとか無事に6月の給料日を迎えることができました。(^^;) でも、ホッとしたとたん、財布のひもがゆるんで、またあれこれ本を買い込んでしまいました。しかし、無事に乗り切ったといっても、とりあえずぎりぎりトントンに押さえたと言うだけで、お金がない状態には変わりがありません。まだまだ気持ちを引き締めて、しばらく耐乏生活を楽しみながら、買い込んだまま読まずに溜まった本を片づけることにします。
雨です。久しぶりに梅雨らしいお天気です。急に暑くなって毎日エアコンを効かせすぎて、エアコン負けしたみたいです。眼の奥がずーーーんと疲労した感じで、首筋から左肩にかけてかなり凝っていて、頭が痛くてたまりません。僕はエアコンに弱いので、いつもできるだけ我慢しているのですが、今年は急に暑くなったので、そういう覚悟を固める前にエアコンを使い出したので、ついついそのまま使いすぎてしまったみたいです。意志薄弱ですみませ〜〜〜ん。(^^;)
置塩信雄先生の『蓄積論』を読んでいますが、これはなかなか相当な本ですね。これじゃあ意味不明(^^;)ですが、こんなすごい中身だったとは・・・、なんでいままでちゃんと読まなかったんだろうと後悔することしきりです。この本の中で置塩氏は次のようなことを明らかにしています。
で、なるほどと思ったのは、実質賃金率が低く、したがって搾取率が大きく、利潤率が高いときは、蓄積需要も大きくなり、ますます第1部門だけが成長し、第2部門が立ち遅れる分、労働者の実質賃金率はますます低下し、ますます搾取率が高まり、ますます高利潤率に、高蓄積に・・・となって、上方への不均衡拡大過程が急速に進んでいくという指摘です。これって、デフレからの回復過程に踏み出しつつある今日の日本経済のプロセスを見るのに非常にぴったりじゃないでしょうか? 世間では、成長率(=蓄積率)が高くなればなるほど、経済は順調で望ましいように言われています。しかし、成長率(蓄積率)が高ければ高いほど上方への不均衡も急速に進み、それだけ早く限界に達し、上方への不均衡の蓄積は逆転(=恐慌)されざるをえないのです。だから、もし何らかの方法によって実質賃金率を引き上げることができれば、搾取率が低められ、利潤率も低下し、高蓄積も押さえられる。すると“景気が悪くなるじゃないか”と言われそうですが、実はじそうではなく、第1部門に比べ相対的に低く抑えられていた第2部門の生産が拡大し、経済は均衡的な発展の軌道を進んでいきます。要するに、「国民の懐を温めることで、経済の新しい発展を実現できる」ということです。
いよいよ参議院選挙が公示されました。国民の7割が反対する年金改悪、そして年金財源を理由にした消費税増税に突き進むのか、さらにイラク派兵自衛隊の多国籍軍参加、さらには憲法9条改悪を許すのか、日本の進路が大きくと割れる大事な選挙です。みなさん、よく考え、よく選択して、投票日には必ず投票に行きましょう。
今日は、荷物を届けるために新大阪まで往復してきました。向こうで荷物を渡せば、それで任務完了なので、新幹線で新大阪へ行って、すぐにとんぼ返り。往復5時間、座り続けて疲れました・・・・。
ということで、大阪まで行ってきた証拠として、新大阪駅で買ってきた阪神タイガース公認のプチゴーフルです。(^^;)
今日の「東京新聞」におもしろい世論調査が出ていました。
1つは、憲法「改正」問題。全体として憲法「改正」をありうることとして容認する議論が増加する傾向にありますが、そのなかで注目されるのは9条改正反対が多数であること。「改正すべき点はあるが9条改正には反対」と「9条を含めて改正反対」を合わせると66%になります(これは「朝日」やTBSの世論調査と基本的に同じ)。
●憲法9条の改正をどう思いますか?
9条を含めて改正すべきだ | 改正すべき点はあるが9条改正には反対 | 9条を含めて改正反対 | わからない |
---|---|---|---|
29.1 | 48.7 | 17.1 | 5.1 |
9条改正に反対 | |||
65.8 |
2つ目は自衛隊の多国籍軍参加について。自衛隊のイラク派遣を容認する人も含め、77%の人が「多国籍軍には参加すべきでない」と回答していることは注目できます(これも、大枠で、この間発表された「毎日」「朝日」の世論調査結果と同じ)。
●自衛隊のイラク派遣と多国籍軍参加をどう思いますか?
自衛隊派遣は良かったし多国籍軍にも参加すべきだ | 自衛隊派遣は良かったが多国籍軍には参加すべきでない | 自衛隊は派遣しない方が良かったし多国籍軍にも参加すべきでない | 分らない |
---|---|---|---|
19.7 | 44.3 | 32.8 | 3.1 |
多国籍軍に参加すべきでない | |||
77.1 |
3つ目は、年金改悪法について、8割程度の人が「評価しない」と答えています。他の世論調査でも、法案成立後も7〜8割の人が「評価しない」「反対」を表明しています。年金問題での不信は相当根深いものがあると言えます。
●年金改革関連法についてどう思いますか?
かなり評価する | どちらかといえば評価する | どちらかといえば評価しない | 評価しない | 分らない |
---|---|---|---|---|
3.5 | 16.1 | 37.9 | 40.6 | 1.9 |
評価する | 評価しない | |||
19.6 | 78.5 |
最後は、小泉内閣の支持率。3年前の参院選のときは、小泉内閣成立直後ということもあって、共産党支持層でも半分以上が小泉内閣を支持するなど、異常な「小泉人気」にわいていました。しかし3年たってみて、与党の自民党、公明党支持層では80%以上の支持を集めていますが、民主党、共産党、社民党支持層では17〜27%に低下しました。無党派層のなかでも、支持率は83%から43%へとほぼ半減しています。要するに、小泉内閣は、国民の支持という面でも、「自公」政権に“純化”してしまったということです。
●支持政党別・小泉人気の変化
自民支持 | 公明支持 | 民主支持 | 共産支持 | 社民支持 | 支持政党なし | |
---|---|---|---|---|---|---|
前回参院選時調査 | 96.9 | 91.6 | 89.4 | 58.6 | 67.0 | 83.4 |
今回調査 | 83.1 | 80.7 | 27.1 | 17.4 | 18.0 | 42.7 |
それこそ忘れそうなので。「東京」6月19日付によると、公明党の選挙協力がゼロだと、昨年衆院選での自民党の獲得議席(237議席)は81議席も減ってしまうらしい。つまり、現在の自民党の議席の3分の1は公明党票によって支えられているということだ。
獲得議席 | 減少数 | ||
---|---|---|---|
昨年衆院選での獲得議席数 | 237 | ||
公明党の協力度が | 20%減 | 222 | −15 |
50%減 | 190 | −47 | |
80%減 | 161 | −76 | |
ゼロ | 156 | −81 |
この数字は、昨年の衆院選での自民党候補者の得票から公明党が比例代表で獲得した票を差し引いて、自民党の当落を試算してみたもの。
ようやく発表された「了解」の中身なる文書ですが、相変わらず、相手政府の誰との間で「了解」したのか不明です。しかも、2の(5)項は、自衛隊はイラク政府との間で直接駐留にかんする取り決めを結ばないということです。これは要するに、イラク政府から見ると、自衛隊は多国籍軍の一員として多国籍軍のコントロール下にあるからこそ、駐留を認められるということを意味しています。うがった見方をすれば、仮にこういう「了解」が本当に存在するとしたら、それは、日本政府が「下記の内容について公表」するけれども、それは日本国内向けのことだから気にしないでくれ、という「了解」ではないかと思えてくるのですが、どうでしょうか。
1、(1)自衛隊が多国籍軍の中で活動する場合の活動のあり方については、6月8日、わが方在英国大使館公使と英国外務省高官との間で、また、6月9日、わが方在米国大使館公使と米国国務省高官との間で、下記の内容について公表することを含めて了解に達している。
(2)この了解の内容は、事前にそれぞれの政府部内で正式な検討を経たものであり、この了解は、外交慣例にのっとり、政府間で確認された公式な了解である。
2、了解に達した内容
(1)人道復興支援が多国籍軍の任務に含まれることは、新たに採択された安保理決議1546及び同決議に添付されているパウエル米国務長官発安保理議長あて書簡において確認されている。
(2)イラクの完全な主権の回復後、イラクで活動する自衛隊は、多国籍軍の統合された司令部の下、これまでと同様に人道復興支援を中心に活動する。
(3)イラクにおける自衛隊は、あくまでも、イラク特措法に基づきわが国の指揮の下において活動を継続し、多国籍軍の指揮下で活動することはない。
(4)すなわち、自衛隊はイラク特措法に基づき活動し、さらにイラク特措法や基本計画に定める自衛隊の活動に係る要件が満たされなくなった場合や、わが国が政策的に適切と判断する場合には、イラクにおける自衛隊の活動をわが国の判断により中断あるいは自衛隊をイラクより撤収させることができる。
(5)自衛隊のイラクでの活動に対するイラク政府よりの同意及びその活動に関するしかるべき法的地位は、多国籍軍の一員として確保される。
台風が通り過ぎた後、今日は朝からめちゃくちゃ暑い! 天気はピーカン、夏至直後の太陽が真上から照りつける。なんとかしてくれ〜
「朝日新聞」の世論調査。小泉内閣の支持率が、前回の54%から40%に急落。「支持しない」は逆に30%から42%に上昇し、逆転しました。不支持の理由では、「政策面」が29%でトップです。イラク問題で、自衛隊の多国籍軍参加にたいし「賛成」31%にたいし「反対」が58%。小泉首相が国内で議論する前にブッシュ大統領に伝えたことについても「問題があった」が69%で「そうは思わない」21%を大きく上回っています。北朝鮮再訪問については、「評価する」23%、「どちらかといえば評価する」48%で、再訪朝直後の前回調査とほとんど変わっていないことも注目されます。
●自衛隊の多国籍軍参加について
賛成 | 反対 |
---|---|
31 | 58 |
●自衛隊の多国籍軍参加を国内で議論する前にブッシュ大統領に伝えたことについて
問題があった | そうは思わない |
---|---|
69 | 21 |
朝日は質問項目を設けていませんが、年金制度改悪を強行したことや、国会審議で都合の悪いことを質問されると、「人生いろいろ、会社もいろいろ」といった答弁で逃げる首相の態度が、「無責任」「きちんと答えていない」という印象を生んでいることは確実です。昨日の5政党党首討論会でも、この「会社もいろいろ」問題は、年金不正受給の可能性がある問題としてマスコミからかなり厳しい追及を受けていましたが、小泉首相は「はぐらかし」答弁を変えようとしませんでした。自衛隊の「多国籍軍」参加問題でも、「いままでと何も変わらない」と主張し、「個別に協定して駐留するのと、多国籍軍に参加するのとは違うではないか」と追及されると「いま引き上げたら恥をかく」という始末。国会審議は、こんなやり方でも数を頼んで強行できるかも知れませんが、選挙にむかってだんだんと政治的関心と自覚を高めつつある有権者にむかって、こんな態度はいつまでも通用するはずがありません。
小泉内閣の支持率については、20日付「東京」の共同通信社によるトレンド調査(6月17〜18日調査))でも、支持47.4%で前回(5月23〜24日調査)から7.5ポイント減にたいし、不支持45.4%で13.9ポイント増という結果が出ています。
桐野夏生のブーム再来。土曜日、外仕事へ行くので分厚い本は持って行けないということで、久しぶりに桐野夏生の文庫本『錆びる心』(文春文庫)を持って出かけました。短編集で、こういう空き時間にちょこちょこっと読むには便利です。解説(中条昌平氏)にも書かれていますが、1つ1つのストーリーにはもはや「事件」さえ起こりません。にもかかわらず、そこに「何か」が起こっているのは確かで、その「何か」がもたらす「まがまがしさ」が、独特の「桐野ワールド」を生み出しています。ついつい引き込まれ、1日で読んでしまいました。
で、それにつられて、こんどは、桐野夏生の新刊『残虐記』(新潮社、2月刊)を日曜日、世田谷美術館へのお出かけの“友”として読み始めました。ストーリーは、有名な小説家が突然失踪する。彼女は実は25年前、小学4年生のときに若い作業員に誘拐され、彼のアパートの一室で1年間監禁された被害者だった、というもの。これもかなり“怪しい”小説で、桐野夏生の筆(キーボードか?)は、彼はなぜ少女を誘拐したのか、その1年間に彼と彼女の間に何が起こったか、という“事件”よりも、“事件”が解決され、救出されたあとの彼女に向けられる世間の“好奇”の眼差しや、そういう眼差しにたいする少女の反応、そういうものへ向けられています。そういう点では、ある意味、『グロテスク』にも似ています。“事件”の魔力という“磁場”のなかでこそ現われ出る人間の本性――みたいなものをリアルに描く。そこに桐野夏生作品の醍醐味があるように思います。
ところで、『<帝国>を考える』(的場昭弘編、双風舎刊)という本を、たまたま本屋で見つけてぱらぱらめくっていたら、日本近代経済史の中村政則氏がこういうことを書いているのを見つけました。
……多分、冷戦崩壊後の1990年代になってからだと思いますが、わたしは古典的帝国主義の理論では、もはや世界は解けないと強く感じるようになりました。すなわち、独占資本主義=帝国主義だとすると、独占資本主義の国は他国・他民族を絶えず侵略し、植民地化していなければならないことになる。しかし、第二次大戦後の世界をみると、そうはなっていない。イギリス、フランス、ドイツ、そして日本など独占資本主義国を見ても、のべつまくなしに対外的軍事侵略、つまり帝国主義戦争をおこなっているわけではありません。やはり独占資本主義=帝国主義的侵略必然論は間違いではないかと考えるようになったのです。この隘路を突破するためには、帝国主義とは体制(構造〉ではなく、むしろ政策と考えたほうがいいのではないか。政策なら変えられます。……第二次大戦後は、アジア、アフリカ諸国が民族的独立を達成し、どんな強国といえども、他民族を侵略し、植民地化することはできなくなりました。いわば「植民地ぬきの帝国主義」が一般的となったのです。
このように帝国主義を体制ではなく、政策として捉えるならば経済的要因もさることながら、<帝国主義>をささえる軍事戦略思想、軍事技術・兵器体系、帝国意識の研究が決定的に重要になってきます。
(中村政則「プチ<帝国>としての日本」、157〜158ページ)
同書は、神奈川大学2003年度秋期公開講座の記録だということで、中村氏の論文は2003年10月23日の講義をもとにしたものだそうです。
今日は台風で大荒れの天気でした。台風6号は、四国・高知県室戸市付近に上陸して四国を縦断し、瀬戸内海を渡って兵庫県明石市に再上陸、午後日本海に抜けて、いまは北海道に向かって時速65kmという猛スピードでばく進中です。東京は、台風のコースからかなり離れていたので、雨と風といっても、直撃された地域とは比べ物になりません。それでも、3時ぐらいには、ざーざーと雨が降り、強風で窓に打ち付けられていました。「このまんまじゃあ、傘を差してもずぶ濡れだなあ・・・」と心配していたら、夕方、帰宅する頃には、風はまだ強かったですが、雨はすっかり小降りになり、それほど濡れずにすみました。
それにしても、台風接近中というのに、浜辺でバーベキューをしたり、サーフボードしたり、釣りに行ったり・・・・とあちこちで被害がありました。どうして、台風で高波、うねりが押し寄せてきているときに、そんなことするのかなあ・・・・。それこそ、「自己責任」問題ですねえ。
20日未明、イラク・ファルージャ近くで韓国人男性が武装勢力に拉致され、人質にされるという事件が発生しました。武装勢力は、韓国兵の撤退を要求。韓国政府が18日に3000人の軍隊追加支援を発表した直後であり、事件が軍隊派遣と直接結びついて発声したことは明白でしょう。人質にされた韓国人男性はキム・ソンイルさん(33)。「今月17日、イラク人とともに品物を配達に行く途中、ファルージャ地域で拉致された」とのことです(韓国・崔英鎮外交通商次官の記者会見)。違法な戦争と占領に荷担しないということをあらためて原則にすべきでしょう。人質の無事な解放を願います。
昨日パンクした自転車を駅前の自転車屋さんにもっていくと、バンクだけじゃなく、タイヤチューブごと交換しないとだめですね〜と言われ、結局、4500円に・・・。金がない!と言っているときにこの出費は辛いですが、毎日通勤に使っているだけに修理しないわけにゆかず、仕方ありません。修理でき上がってみると、前輪だけまっさらになり、後輪のタイヤがボロボロなのが目立ってしまいます。そのうち、後輪もチューブごと交換しないとダメなようです。
自転車の修理が終わったあと、今日は、世田谷美術館へ行って、宮本隆司写真展「壊れゆくもの・生まれいずるもの」(2004年5月22日〜7月4日)を見てきました。宮本隆司氏は1947年生まれの写真家。1996年のヴェネツィア・ビエンナーレ建築展で、建築家宮本佳明、石山修武氏らとのコラボレーションとして、阪神大震災で被災した神戸の街の写真を縦5メートル近くになる大きさに引き伸ばして展示し、この日本館の展示に最優秀賞が与えられました。今回の世田谷美術館の展示は、この写真の日本国内での初展示ということで、暑い中、出かけてきました。
ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展では、コラボレートした宮本佳明氏が、神戸の被災地のガレキを会場に埋め尽くし、その背景に宮本隆司氏の写真が展示され、会場には、当日朝の緊迫したニュースの様子が流されたということですが、今日の展示は宮本隆司氏の写真だけ。ちょっと寂しくもありますが、しかし、実物大に引き延ばされた写真の迫力は、やはり圧倒的でした。震災から9年がたち、しかも最初っから東京の人たちにはいま一つピンと来てなかった地震の凄まじさが、さらに忘れ去られようとしているときに、この写真によって、その何十分の一か何百分の一でも伝わればと思わずにいられませんでした。
その他の作品で、おもしろかったのは「ダンボールの家」と題して、東京、川崎などで撮影された路上生活者たちの段ボールハウス。作品は、実際の段ボールハウスのように、壁面のぎりぎり下の方にずらっと並べて展示されいます。最初見たときは、いまいち何が表現したいのか分からなかったのですが、あらためて、しゃがみ込んで、じっくり1枚1枚の写真を見ていくと、一件同じようにみえる段ボールハウスでも、一つとして同じものはなく、それぞれの個性?やら、いくばくかの“生活感”のようなものが確かに写し出されていて、なかなかおもしろかったです。しかし全体として、最初の神戸の写真の迫力に圧倒されて、あとの作品がちょっとぽわっとした感じにみえてしまいました。神戸の写真はもう少し後ろの方で展示した方がよかったのでは?と思いました。
一日、外での仕事ということになり、すっかり日焼けしてしまいました。腕なんて真っ赤! 腕時計のあとがくっきりついたほどです。汗だくになって家に帰り着いて、風呂にはいるとひりひりと痛い! 足は棒になるし・・・・疲労困憊です。
しかも、朝出かけようと駅に向かっている途中で、突然「パーン」と大きな音がして自転車がバンク・・・・。一瞬、アパートにとって返そうかと思いましたが、それじゃあ遅刻することになりしと思い、仕方なく近所の駐輪場に置いて、そのままとりあえず仕事へ直行。時間には間に合いましたが、夜、疲れて帰ってきたうえに、そのパンクした自転車を押して帰らなければならず、二重に疲れました・・・。
だんだん、日記というより備忘録めいてきました・・・。(^^;)
今日の朝日新聞「オピニオン」欄で、作家の高村薫氏が、投票率の低さの70〜80年代と90年代以降の質的な変化についてつぎのように述べられています。
バブル崩壊後に進行した経済のグローバル化は、「市場原理に基く自由競争」をこの国に広く浸透させた。小泉改革もこれにそったものだが、その結果、人々はこの社会で生きていくことにひどく疲れているように見える。
非常な競争が当然視され、老後の生活設計も含めた「未来」が自己責任とされ、経済格差の広がりも放置されるような状況に、人は耐えられない。選挙へ行って社会を変えようと言う能動的な発想が生まれにくくなった内面的な要因は、この疲労感だろう。
そして氏は、こうした低投票率の結果について、「民主的な多様性を失いつつある」「政治をする側から見れば、国民の意思なるものが存在しないことを意味している。1億の人間が1億のことを考えていたとしても、いまや政治的には『無視できる雑多』でしかないのだ」と指摘。さらに、「大衆が経済や社会のシステムに取り込まれたままに声を上げない社会は、結果的にのっぺりした画一的な社会になる」「新しい全体主義も予感させる」と、深刻な危機感を明らかにされています。しかし大事なことは、高村氏が、だからといって絶望するのでなく、つぎのような態度を表明されていることです。
混乱の中で、とりあえず明日を持ちこたえていくために今とれる唯一の手段が、投票へ行くことなのだと私は思っている。
氏が指摘されるように、グローバリズムによって「世界の枠組みが流動化」すればするほど、国による国際環境の調整や、社会保障の整備など「国家という枠組み」を私たちは必要とするのだと思います。国家によって痛めつけられ、疲れ果てさせられているからこそ、日本という国家のあり方を変えていかなければならないと思います。
志位和夫・日本共産党委員長 それでは、日米両政府の「了解」についてはどうだ。先ほどの問い(「いったい両国政府のだれとだれが、どういう形で、どういう内容の『了解』をしたのか」)に答えてほしい。
首相 ・・・
細田博之官房長官 米英の責任者による「了解」がある。
志位 文書か、口頭か。
官房長官 口頭での「了解」だ。
志位 一体だれが「了解」したのか。
官房長官 米英のしかるべき代表だ。
志位 「了解」の内容は何か。「了解」したという内容をここで述べてほしい。
首相 日本の支援は人道支援に限定するという「了解」だ。
志位 違うだろう。日本は指揮下に入らないという「了解」ではないのか。
首相 そうだったかも知れない。自衛隊は日本の指揮下に入る。
志位 それぞれの軍隊が自国の指揮下にはいるのは当たり前だ。それが、さらにその上位の指揮下にはいるのかどうかが問題とされている。自衛隊は米軍の指揮下にはいるのか。
首相 多国籍軍の指揮下に入る。
安部晋三・自民党幹事長 (あわてて割って入り)調整はするということだ。
「しんぶん赤旗」6月18日付から
あれだけ「了解」があると言っておきながら、誰が「了解」したのかも答えられない、内容はと聞かれると首相自身が「そうだったかも知れない」としか答えられない・・・・。なんとお粗末なことなんでしょう。結局、こんな「了解」は存在しないということが、言下に露わになったということです。
小泉首相が理解しているかどうか疑わしい問題の1つは、現在イラクに派遣されている自衛隊が暫定政権成立以後多国籍軍に参加しても事態は何も変わらないと思っているのではないかということです。毎日新聞16日付の山田孝男政治部長の論説は、現在の自衛隊は「米英占領当局と覚え書きを交わし、自立的に行動しているタテマエになっている」のにたいし、多国籍軍に参加した場合は「多国籍軍司令部の指揮の下、武力行使を伴う活動を支援する可能性が生じる」と指摘しています。タテマエであれ、個別に当事国(現状ではそれが占領当局になる訳ですが)と取り決めを結んで駐留するということと、統一された指揮系統をもつ組織に参加することとはまったく違うと言うことです。自衛隊が多国籍軍に参加しながら、「統一した指揮」に服さないとなれば、イラク側から見れば、イラク国内に自分たちと何の取り決めもなく他国の軍隊が居座り、活動するということで、いよいよもって異常な事態が出現することになります。しかし、小泉首相には、そういう取り決め(協定でも覚え書でも何でもいいのですが)をイラク暫定政権と直接取決めるつもりはまったくなさそうで、そのことが逆に自衛隊が多国籍軍の統一的な指揮下に置かれることを証明していると思います。
●連合軍は?
解放軍 | 平和維持軍 | 占領軍 | その他・分らない・無回答 |
---|---|---|---|
2 | 3 | 92 | 3 |
●連合軍の駐留期間について
即時撤退 | 恒久的政権が選出されて以後 | 安定のため連合軍が必要と考える限り |
---|---|---|
41 | 45 | 6 |
●連合軍なしにイラク警察・軍が治安を維持できる可能性は?
可能性は高い | ある程度できる |
---|---|
62 | 25 |
さらに、「連合軍が即時撤退した方がイラクは安全になる」が55%という結果も出ています。イラクを“占領”しているCPA自身の調査でも、イラク国民から連合軍の占領統治にノーが突きつけられたということです。
→CPA世論調査結果(英語、Microsoft PowerPoint HTML版)
もう1つ。9・11同時多発テロをめぐるアメリカの国家調査委員会の報告書が16日発表されましたが、同報告書は、アルカイダとフセイン政権との間にアメリカへのテロ攻撃にかんして「協力したことを示す証拠は一切ない」と結論づけています。
同報告書はイラクの旧フセイン政権とビンラディン氏との関係について「強力的な関係には至らなかった」とし、ビンラディン氏の側近2人も、両者の結びつきを完全に否定したという。同委員会は「イラクとアルカイダが米本土攻撃で協力したことを示す信頼できる証拠は一切ない」と結論づけ、イラク戦争をめぐるブッシュ政権の説明の正当性に疑問を呈した。(朝日新聞6月17日付夕刊)
ブッシュ政権がイラク攻撃をおこなったときの理由は、(1)フセイン政権は「大量破壊兵器を持っている」、(2)アルカイダのテロに関与した、というものでしたが、すでに(1)の可能性はほぼ否定され、こんど(2)も否定され、イラク攻撃が“大義なき戦争”だったことがますます明白になったと言うことです。なお、日本では、この点があまり大きく報道されず、アルカイダが日本などの攻撃も検討していたということだけがデカデカと取り上げられています。しかし、報道を見る限り、具体的に日本にたいしてテロ攻撃の準備をしたということではなく、“航空機をつかった世界同時多発テロをやってみたらどうだろう?”という案が出て、航空機の運航便の下見をやったということのようです。それなら、日本中の家は、どのうちも泥棒の対象として検討されたことになるわけで、そういう“危険”書きつのる報道姿勢には疑問を持たざるを得ません。アルカイダとフセイン政権とのつながりはなかったという結論の方が、現在の国際政治に置いてはるかに重要な意味をもっていることは明白すぎることだと思うのですが・・・。
さらにもう1つ。内閣府の「年齢・加齢に対する考え方に関する意識調査」の結果、「不安を感じている」が合わせて80.6%を占め、「感じていない」19.2%を大きく上回っていることが明らかになりました。この調査は、今年2月から3月にかけ全国の20〜50代各1000人、60歳以上2000人の計6000人を対象に実施されたもので、回答率65・7%。この不安に政治はどう答えるか、それが問われているのです。
大いに感じている | 多少感じている | あまり感じていない | まったく感じていない | |
---|---|---|---|---|
高齢期の生活に不安を? | 30.0 | 50.6 | 16.8 | 2.4 |
昨日に続き、仕事帰りに映画「4人の食卓」を見てきました。「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョンが主演の韓国製ホラー映画ですが、どうして・・・・?という謎がいっぱい残ってしまった作品です。
ようやっと映画「シルミド」を見てきました。う〜ん、とてもじゃないですが、感想を一言では書けません。かなり衝撃的な映画です。軍隊とか国家指令とかいうものの無情さというのもあるでしょう。南北分断の“現実”というものもあるかも知れません。それにたいして、男の友情とか、上官と部下との信頼とか、いろいろ考えることもできるでしょう。でも一番ずんと来るのは、やっぱり事件から30年以上たってこういう映画が作られたという事実だと思いました。韓国の文化は“恨(ハン)”の文化だといわれますが、それは日本語の「恨む」というというのとはだいぶニュアンスが違って、むしろ「嘆き、悼む」というようなものではないかと思いました。もう1つ、最後に、特殊部隊のメンバーが自分たちの名前を書くシーンが出てきます。「名前で呼ばれる」「名前を記憶する」ということがどれだけ大切なことなのか、そのことも印象に残りました。
といっても、別に今日韓国映画を見てきたというわけではありません。実を言うと、「シルミド」をみようと映画館に行ったのですが、レディース・デーで行列ができていたのでそのまま帰ってきました。(^^;)
今日の「毎日」夕刊の記事によれば、「冬のソナタ」のおかげでNHKは昨年度だけでDVD、ビデオ関連で25億円、その他の関連グッズなどで10億円、合わせて35億円の売り上げをあげたそうです。ファン10万人とすると、1人3万5000円のお買いあげ・・・・、ほんとにご苦労さまです。日本での「冬ソナ」人気のおかげで、いまや韓国でも「ヨン様」という言葉が市民権を得たとか。ただただ驚き入るばかりです。
ところで、昨日のNHK教育のハングル講座で、映画「シルミド」の主演であるアン・ソンギとホ・ジュノが、映画のもとになった「シルミド」事件(1971年)について語っていましたが、その内容が非常に印象的でした。1952年生まれのアン・ソンギは、当時ラジオで「正体不明の集団が・・・」というニュースを聞き、すぐ「ああ、これは内部の事件だな」と直感したと言います。もちろん当時彼もそれ以上は分からなかったと言いますが、わずかそれだけのニュースから政権内部で“何かが起こった”と直感する、いや直感せざるを得ない、そういう時代だったということです。他方、1964年生まれのソル・ギョングは、当時幼すぎて事件は知らないが、「裏山に落ちていた北のビラを警察に届ければ、鉛筆が1本もらえた。そんな時代だった」と話すとともに、10年前に事件について初めて知ったときに、「これは映画にしたい、しかし映画にはできないだろう」と思ったとも語っていました。
日本の韓国映画ブームに関連して、たんなる韓国ブームに終わらせるのではなく“日本と韓国の歴史についても知って欲しい”ということが言われます。僕は、それに反対するわけではありませんが、そのとき、1945年までの歴史だけでなく、1945年後の韓国の歴史もぜひ知って欲しいし、知るべきだと思います。日本と韓国の関係は、1945年で切れる訳ではなく、戦後の韓国の独裁政権と日本政府がどういう関係にあったのか、じつはそうした独裁政権が日本の植民地時代の親日勢力によってつくられたという問題もあります。韓国について、しばしば取り上げられる「反日」という問題でも、日本の歴代政権や保守政治家たちの発言という問題とともに、独裁政権の「正当化」調達のための道具とされたという側面もあったことを見なければなりません。また日本人には意外かもしれませんが、独裁政権に反対してたたかっていた人たちにとって日本は近い存在だったということもあります。学生運動で韓国に居づらくなって日本に留学してきたという人もいます。独裁政権下で禁止されていた左翼文献――たとえば『資本論』や『共産党宣言』など――も、ヨーロッパとともに、日本から持ち込まれたということもあります。そういう“身近さ”を、僕たち日本人自身がもっとよく知るべきでしょう。さらには、「シルミド」事件のような独裁政権下の事件を映画にできるほどに韓国社会が大きく変化していることにも、僕たちはもっと思いを届かせるべきだろうと思うのです。
そう思うと、以前買って、ぱらぱらとめくっただけで積ん読になっていた池明観(チ・ミョングァン)元翰林大学校日本学研究所長の『韓国と韓国人』(発行・アドニス書房、発売・河出書房新社)をもう一度引っ張り出して読み直してみました。池明観氏は、1972年に来日し、1973年から『世界』にT・K生の筆名で「韓国からの通信」(その後、岩波新書で逐次刊行)を執筆してきたことを、昨年7月、明らかにされました(「朝日」7月26日付、『世界』2003年9月号)。当時は、KCIA(韓国中央情報部)による金大中氏の拉致・殺害未遂事件(1973年8月)が起こるというような状況で、T・K生が池明観氏であることは厳重に秘匿されました。僕はまだ高校生でしたが、同書を通じて、維新革命(1972年)後の朴正熙独裁政権下の韓国の厳しい“現実”を思い浮かべていました。池明観氏の本については、あらためて書きたいと思いますが、日本が悪いとか韓国が悪いとかいう次元を超えて、どうやって日本、韓国・北朝鮮、中国の北東アジア共同体をつくるかという、深く、大きな思想の“生きた姿”を見るようで、思わず目頭が熱くなります。池明観氏には『韓国―民主化への道』(岩波新書、1995年)という本もあり、韓国を知るためには必読の書だと思います。
ところで、映画「シルミド」では、特殊部隊が抹殺されることになったのは、政権が南北融和に向かったからとされています。たしかに、当時そういう「融和」の動きがあったことは事実ですが、しかしそれは、朴正熙政権が本当に南北融和に向かったということではなく、それは北も同様でした。実際には、南北とも「南北融和」を掲げつつ、自らの政権の絶対化・独裁化を強めた時期だったのです(それが、1972年の維新革命につながる)。この映画を見るときには、ぜひそういう韓国の歴史についても認識を広げてほしいと思います。
今日、自民党、公明党が多国籍軍への自衛隊の参加を了承しました。 自衛隊は多国籍軍の指揮下に入るわけではないというのがその理由ですが、実は、6月15日にマクレラン米大統領報道官が記者会見して、自衛隊は「ポーランド、英国、イタリアの各軍隊と同様に」自国の指揮系統のもとにあると発言するとともに「多国籍軍全体は米司令部によって監督される」と指摘しました。つまり、米司令部によって監督される多国籍軍の統一された指揮の下にあるポーランド軍や英軍やイタリア軍と同じように、自衛隊も米司令部の監督の下に置かれるということです。英軍だって、ポーランド軍だって、もちろんイギリス本国、ポーランド本国が撤退を決めれば、いくら統一指揮下にあったとしても撤退できるし、撤退するというのは当然のことです。そういう意味で、各国軍隊はつねに各国政府の指揮下にあります。小泉首相や自民・公明政府が頼みの綱としている「自国の指揮権」はそういう“当たり前”のことでしかなく、他方で、多国籍軍が米司令部の監督下に置かれるというのも“当たり前”のことなのです。もちろん、自衛隊の「参加」にあたって、日本政府があれこれの条件をつけることはありえます。その結果として、日本政府の知らないところで自衛隊が突然別方面に出動させられたり、戦闘行動に動員されるということはないと思いますが、しかし、同じサマワで同じように活動している多国籍軍の他の部隊が「武装勢力」に襲撃されたときに、自衛隊だけ宿営地に戻って閉じこもっているということは「多国籍軍」の一員としては不可能だということです。
15日のマクレラン報道官の発言について、「朝日」16日付夕刊はつぎのように報道しています。
「派遣先が戦闘地域になった場合、自衛隊が徹底することを米政府は了解しているのか」という質問に対しては、「申し訳ないが、質問の意味が分らない」と答えた。
つまり、自衛隊が独自の判断で撤退することはありえない、そんな事態は考えたこともないというのがアメリカ側の認識だと言うことです。
今日の毎日新聞の「東京ワイド」面によれば、「日の丸」「君が代」の指導で都教委が教職員を懲戒処分していることにたいして、都教委のOB110人が連名で処分取り消しの要請文をまとめ、代表が都教委を訪問して署名簿を提出したそうです。参加したOBの意見として、「独立した行政委員会なのに、知事の意向がストレートに反映されるようになっている」という発言もあったということで、なるほど教育行政の専門家からみても、昨今の事態がいかに異常かということを示しています。
同じく毎日新聞の電話世論調査。自衛隊を多国籍軍に参加させると、小泉首相がサミットの場での日米首脳会談で突然発表したことについては、従来の政府見解を踏み越えるところもあって、与党内からも不満が出ていますが、しかし、その点だけで議論してみても、所詮、“アメリカ言いなり”の枠組みの中での“タイミング”をめぐる議論でしかありません。「多国籍軍への参加」に問題があるからこそ、“まず最初にアメリカに”ということが問題になるのです。
自衛隊の多国籍軍参加は? | 全体 | 男性 | 女性 |
---|---|---|---|
賛成 | 33 | 36 | 30 |
反対 | 54 | 53 | 56 |
それより、面白いのは年金改革法をめぐる世論調査の方です。国会議員の年金未納問題がわき起こったあたりから、こんどの年金改革法について、「今国会で成立させるべきではない」という意見が多数でした。それにもかかわらず、与党がサミットに合わせて採決を強行しましたが、結果として、成立した法律にも、強行採決というやり方にも、7割以上の国民がおかしいと思っていると言うことです。
成立した年金改革法を | 全体 | 男性 | 女性 |
---|---|---|---|
評価する | 17 | 15 | 18 |
評価しない | 70 | 73 | 68 |
与党が採決を強行したことは? | 全体 | 男性 | 女性 |
---|---|---|---|
やむを得ない | 24 | 23 | 25 |
納得できない | 67 | 69 | 66 |
ところで、同じ年金改革法についての世論調査でも、「読売」(本日付)の方は、“一体何のための質問なの?”という姑息なアンケートになっています。曰く、「1週間前、国会で年金改革関連法が成立しました。その審議の過程で、与党と野党が激しく対立しましたが、年金改革関連法の成立をめぐる一連の動きを見て、あなたが悪い印象を抱いた政党があれば、いくつでもあげて下さい」。何なんでしょうねえ、この質問。法律の中身についていいか悪いかを聞くわけでもなく、また、成立のさせ方がいいか悪いかを聞くわけでもなく、しかも「悪い印象」ということで何を問題にしているのかもさっぱり分りません。要するに、年金改革法の内容そのものに7割の国民が納得していないという事実を「読売」は恐れているのです。ただ、「読売」の調査で面白いのは、年金改革法についての各党の態度を参院選の投票の判断材料にすると言う人が61%もいると言うこと。ほんとうに、「この恨み晴らさでおくものか〜」です。
これも今日の新聞から。米国務省が、人身売買に関する年次報告を発表。女性や子どもを性産業に従事させるために強制的に売買したり、渡航させたりするなどの行為があると指摘された131カ国を、さらに4つにランク付け。日本は、その下から2番目の「第2分類 要監視リスト」に載せられたということです。前に、韓国映画「パイラン」に関連して浅田次郎「ラブ・レター」のことを少し書きましたが、ああいう小説が「泣ける」小説として許容されているというところに、客観的にあるいは国際的にみて――ということは、著者浅田次郎氏の意図とは関係なく――、管理売春やそのための人身売買、犠牲となる外国人女性にたいする私たちの“甘さ”が現れていると思います。
毎日新聞夕刊の記事によれば、第1類が「基準を満たす」で、西欧諸国のほかコロンビア、韓国、台湾、香港など計25カ国。第2類「基準を満たさないが努力中」は今回から上下に分けられ、上位は中国、アフガニスタンなど54カ国。日本は下位にあたる「第2類 監視リスト」に。そして、最下位が第3類「基準を満たさず努力も不十分」。アメリカ自身は、当然のように自国をリストの対象にはしていません。下のリストは、読売新聞の夕刊から。
第2分類 要監視リスト |
アゼルバイジャン、ベリーズ、ボリビア、コンゴ民主共和国、コートジボワール、クロアチア、キプロス、ドミニカ共和国、エストニア、エチオピア、ガボン、グルジア、ギリシャ、グアテマラ、ホンジュラス、インド、ジャマイカ、日本、カザフスタン、ケニア、ラオス、マダガスカル、マラウイ、モーリタニア、メキシコ、ナイジェリア、パキスタン、パラグアイ、ペルー、フィリピン、カタール、ロシア、セネガル、セルビア・モンテネグロ、スリナム、タジキスタン、タンザニア、タイ、トルコ、ベトナム、ザンビア、ジンバブエ |
---|---|
第3分類 | バングラデシュ、ミャンマー、キューバ、エクアドル、赤道ギニア、ガイアナ、北朝鮮、シエラレオネ、スーダン、ベネズエラ |
知り合いから“何かパレスチナ問題について適当な本を知らないか?”と聞かれ、本屋でパラパラ立ち読みして、「とりあえず・・・」と横田勇人著『パレスチナ紛争史』(集英社新書、5月刊)を紹介したのですが、紹介した責任上(?)、この本を読みました。著者は、日本経済新聞の記者で、カイロ支局長を務めたこともある中東担当の国際部記者です。で、結論からいうと、かなりしっかりしたお薦めの本です。サイクス・ピコ条約やバルフォア宣言から書き始めていますが、中心は80年代のインティファーダ以降の話で、オスロ合意にいたる過程や、シャロン政権誕生前後からごく最近までの動きまで、イスラエル、パレスチナ双方の政治的背景などを含め詳しく紹介しています。イスラエルが正しいのかパレスチナが正しいのかという“形而上学的”な議論をめぐらせるのではなく、現実的に、どうやってパレスチナ問題の“解決”を実現させるのか、そのためにイスラエル、パレスチナ、それにアメリカ、その他の国際社会はどうしようとしてきたのか、またどうしたらよいのかという態度で書かれています。僕自身、80年代にはいってからの動きはあんまりきちんと追っかけていなかったので、勉強になりました。
朝日新聞が労働者調査協議会の調査として報道したところによると、民間企業の若手男性社員の場合、仕事がある日の生活時間は、通勤1時間34分、勤務11時間16分、睡眠6時間37分だったそうです。女性の場合も、勤務時間は10時間3分といいます。民間大企業を中心とした34歳以下の労働組合員を対象にした調査で、この結果。1日の勤務時間が10〜11時間! 文字どおり『資本論』的世界が、日本ではいまだに当たり前。「1日8時間」の労働基準法の規定はどこへいってしまったのでしょう?
記事では、他にも「時間をかければよい仕上がりや成果が出る」と考えている人は4割、成果主義のもとで実際の仕事の評価に納得している人は4割弱、若者が人材として育てられていると実感できている人は3割台などという結果も紹介しています。さらに、「以前と比べて疲れやすい」7割、「イライラする」8割など、ストレスがかなり強まっていることを示すデータも。「雇用流動化で生活設計が立たない」53%、「自分の収入では生活を維持できない」57%、「人生のパートナーに出会えない」46%という数字は、かなり深刻な事態を表わしています。
同調査は、UIゼンセン同盟、電機連合、基幹労連、ゴム労連、JEC連合、化学総連、 私鉄総連、運輸労連都連、サービス・流通連合、NTT労組、国公総連、全逓、自治労、日教組の14単産・単組の34歳以下の組合員1万人を対象に、2003年11月〜2004年2月にかけて調査を実施。中間結果は、そのうち5165人を抽出してまとめられたもの。今秋に本報告が出される予定。
もう1つ、呆れる新聞記事。毎日新聞によれば、公立小中高校などの卒業式や入学式で「君が代」を斉唱する際に、児童・生徒が起立しているか否かを、11府県・政令市の教育委員会が調査しているといいます。東京都では、教職員自身が起立しなかった場合はもちろん、今春の都立高校の入学式では、起立しなかった生徒がいた場合にも、指導が不適切・不十分だったとして担任の教員67人を厳重注意処分していますが、それでも都教委は、生徒の規律状況の調査はしていないと回答しているそうです。同紙には「立たないと『危険思想の子』と言われてしまうかも」という父親の声を紹介していますが、文字どおり、公権力による「思想調査」の状況を呈しています。
今週は締め切りで超ハードな1週間でした。どうしても間に合わず、久しぶりに徹夜をしましたが、結局、ほとんど使えませんでした。そういうことを考える余裕もなかったということです。あ〜あ、疲れた・・・・。(^^;)
といいつつ、中谷武『価値、価格と利潤の経済学』を読み終えました。といっても、数式部分はさっぱり分からないので、実際にどこまで理解できたか分りません。しかし、価格現象から価値へ向かうという経済学の必要性など、いろいろおもしろく学べました。
オランダ政府が、イラクに派遣しているオランダ軍を来年3月で撤退させると表明しました。オランダ軍がサマワ市周辺の治安維持を担当しているというのが、自衛隊がサマワ現地で武力行使をしないでいられる前提になっています。そのオランダが撤退すれば、いったい誰が自衛隊の活動を保証してくれるのでしょうか? 自分でサマワ市の治安維持を図ろうとすれば、武力行使に及ぶ可能性はきわめて大きくなります。人道援助活動(と称して、基地に立てこもってやっている効率悪い「給水活動」)ができなくなるだけでなく、撤退することさえできなくなる可能性も・・・・。どうするんでしょうねえ。
小泉首相が、サミットで、イラクに派遣中の自衛隊を、来月以降「多国籍軍」に参加させると表明。現在でも、イラクに派遣された自衛隊の指揮権は曖昧なままですが、多国籍軍に参加したとき、自衛隊の指揮権をどうするつもりなのでしょうか? もしそれを多国籍軍にゆだねるのであれば、治安活動を担う多国籍軍への参加は、自衛隊の海外での武力行使を容認することになるし、自衛隊だけ治安活動に参加しないなら多国籍軍への参加とはいったい何なのか? 多国籍軍というのは、国連決議にもとづいて設立されるものであり、現在の自衛隊の「有志連合」への参加のように曖昧なやり方は許されないはず。いったい小泉さんはどうするつもりなんでしょう?
6月10日、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、鶴見俊輔の5氏が記者会見し、井上ひさし、梅原猛、澤地久枝、三木睦子さんらと合わせて9人で「9条の会」のアピールを発表。憲法改悪に反対する大きなネットワークをつくる決意を明らかにしました。
前夜、締め切りに間に合わないのでやむを得ず徹夜をしたにもかかわらず、今日は、大学時代の知り合いがオペラのミニコンサートを開くというので、さいたま市の「彩の国さいたま芸術劇場」まで行ってきました。といっても、仕事が押して、会場に着いたのは夜8時半。ラスト2曲しか聴けませんでした。申し訳ありませんでした。(^^;)
とてもじゃないが、日記をつけているような余裕がない・・・。ということで、とりあえず中谷武『価値、価格と利潤の経済学』(勁草書房、1994年)を読み始めたことだけ書いておきます。
今日は、大学院ゼミで指導していただいた恩師・佐々木潤之介先生の「偲ぶ会」が開かれました。会には、歴史研究者や大学関係者、ゼミ生など約300人が集まりました。
最初に、同じ大学の安丸良夫先生による故人の業績についての講演。「え! 講演?」などと思いながら聞いていると、安丸先生は、佐々木先生の研究を60年代の「軍役」論から、60年代後半の「豪農・半プロ」論と「世直し状況」論、さらに70年代末からの「『社会史』と社会史」論まで広く見渡して、これらを日本の戦後マルクス主義歴史学の「社会構造論」と「変革主体論」という2つの軸に位置づけ、「社会構造論」であった軍役論から出発し、「変革主体なき構造論だ」との批判に答え、「変革主体論」としての「豪農・半プロ」論、「世直し状況」論を展開した、しかしそのなかでも佐々木氏は一貫して「社会構造論」から「変革主体」を位置づけようとした、と指摘し、独自の人民闘争史観の成果として、岩波新書『世直し』や「『社会史』と社会史」論などを評価されておられました。そして、佐々木先生の論文にしばしば登場する「本来なら、あるべき歴史的役割を果たさなかった」云々という叙述がたんなる当為論や道徳的批判ではないことを強調されていたのが印象的でした。安丸先生は日本思想史が専門で、研究上の方法論的な立場なども異なっているにもかかわらず、大きな枠組みから佐々木先生の研究を位置づけられており、回りの方も頷きながら聞いておられました。
そうこうするうちに、ようやく40分にもなりなんとする安丸先生の話も終わり、山口啓二先生の発声で献杯したあとは、故人を「偲ぶ」というより、学会のあとのレセプション?とでもいう感じで、あっちこっちで先生の学説をめぐって盛り上がっていました。僕も大学院ゼミの先輩、同輩をはじめ、その頃研究会などで議論をした人たちと久しぶりに会い、昔を思い出しました。
しかしながら、佐々木先生は、ずいぶんと前から体調を崩されて入院され、近くに住んでいながらずっとお会いしていなかったということもあり、しかも1月に亡くなられたときは近親者での密葬ということでお葬式にも行かなかったため、いまだに先生が亡くなられたということがピンと来ません。『偲ぶ会」に出席して、ますます先生の“不在”にたいする非現実感のようなものが強くなってしまいました。
ところで、置塩信雄先生の『資本制経済の基礎理論』増訂版(1978年)を読み終えました。こんな学術書をさして「面白かった」などというと奇妙かも知れませんが、マルクス経済学というのがこういうリアリティを持っているのかと、ぐいぐい引き込まれます。
利潤率の傾向的低下の法則が成り立たないという置塩氏の議論は、なるほどこういう議論のうえに展開されていたのかと、いまさらながら感心します。
今日の「毎日」の「当世給料事情 あなたの値段」という記事のなかに、オーケストラ楽団員の平均年収が紹介されていました。一番高いのがN響で平均年収約1000万円、続くのが読響770万円、都響700万円で、日フィルは475万円、東フィルは465万円となっています。NHKからの交付金が約30億円の年間収入の約半分を占めるN響の安定ぶりはダントツといえます。同期時では、「残念ながら楽団の質と年収の水準は比例する」という某コンマスの発言も紹介されていますが、楽器自分持ちで働く演奏家の年収が400万円台というのは、あまりにかわいそう・・・・。しかし、個人的な感想をつけくわえれば、日フィルや東フィルの演奏水準がN響の半分以下だとは思いませんね。がんばれ! 日本のオーケストラ!
昨日の佐世保の事件について。女児は、学習ルームに被害者の女児を呼び出したあと、口論などせずにカッターナイフで切り付けたということです。一部新聞では「殺すつもりだった」と報じていますが、「殺す」ということを女児がどれだけ理解していたのか、その点は慎重に考えるべきだろうと思います。問題は、なぜ彼女がこんな事件にいたるようなところまで思い詰めてしまったのか。その点を明らかにすることです。“仲が良かった”ということですが、本当にそうだったのかどうか。その点も検証が必要でしょう。
それにしてもやり切れないのは、こういう事件の度に、学校では「命の大切さを教えなければならない」というようなことがくり返されること。「命の大切さ」を否定するつもりはありませんが、学校で教えられている「命の大切さ」とはいったい何なのでしょうか? 加害した女児が「命の大切さ」を理解していなかったとは思えません。また、教師から教室で「命は大切だ」と言われて、それに反論できる生徒がいるでしょうか? そうやって、否定しようのない「絶対的な価値規範」として押しつけられて、はたして本当に子どもたちは「命を大切にする」ようになるのでしょうか?
6月になってしまいました。早いですねえ〜 今日から衣替えということでしたが、昨日までの暑さはどこへやら、未明から雨が降って、外は寒い・・・・。そのくせジメジメしているから、電車に乗ると、じと〜〜っと汗をかいてきます。気持ち悪い〜、と思っていたら、午後には雨が上がり、夜駅に着いた頃には、お空にお月様が見えてます。う〜む、そろそろ梅雨入りだと言っていたのはどこへ行ってしまったんでしょう・・・・。(^^;)
今日、佐世保市の小学校で、昼休みの給食時間中に、小学校6年生の女の子が、学校の中で、同じ6年生の女の子にカッターナイフで切られて、死亡したという事件が起こりました。事件が起こったのは0時20分頃(これは目撃者がいないから、たぶん推定時刻)、学校が119番通報したのが0時45分頃、数分で救急車が到着したときには女の子は心肺停止状態だったそうです。30分頃に「いただきます」を言ったときには2人の女の子はおらず、しばらくして服に血がついたまま女の子が教室に戻ってきたといいます。その後、女の子は警察によって保護され、夕方になって児童相談所にひきわたされたと言います。また、クラスの子どもたちに警察の事情聴取がおこなわれたと言います。
14歳未満の小児による事犯ですので、このばあい、逮捕はおこなわれません。親や弁護士の立ち会いのないまま、警察が加害者と思われる女の子に事情聴取したことは、少年保護の手続きから考えると問題になりますが、しかしこのケースでは、女の子が傷害もしくは殺害に及んだことはほぼ間違いないので、警察が、不当な疑いをかけて強制的に捜査をおこなったというのは難しそうです。むしろ問題は、その子が、カッターナイフで切り付けたらどうなるか分かっていたのかどうか、あるいは殺意があったのかどうか、死亡した女の子が首を切られていたといいますが、初めから首をねらって切り付けたのか、それとも脅かすつもりだけだったのが、何かの事故で首を傷つけてしまったのか、そのあたりがどうだったのかでしょう。12歳の子どもに「殺人」ということが理解できていたのか、殺意があったといえるのか、そのあたりを慎重に調べていくことが必要だと思います。
いずれにせよ、亡くなられた女の子は本当に可哀想なことです。親御さんの気持ちを思うと、本当に残念な事件です。