今週の「九条の会」(8月14日まで)

インターネットで流れている各地の「九条の会」関係のニュースをピックアップしました。

戦争放棄の理念堅持を 「おわせ九条の会」発足/三重

 改憲の動きに反対し、憲法9条を守っていこうという「おわせ九条の会」設立のつどいが13日、尾鷲市中央公民館で開かれた。約200人が集まり、多くの人に賛同、加入を働き掛けていくことを確認した。 (松田 士郎)

 呼び掛け人を代表して元尾鷲中学校長の保平長三さんがあいさつした。保平さんは、20歳年上の兄に召集令状が来た時に兄嫁がはらはらと涙を流したことを紹介し「戦争で一番苦しい、悲しい、つらい思いをするのは私たち庶民。戦争放棄の理想を捨ててはいけない」と訴えた。
 つどいでは、九条の会の今後については、思想、信条の違いを越えた緩やかな組織にすることを確認。具体的な運営に関しては運営委員会を組織して決めることにした。
 音楽評論家、作詞家の湯川れい子さんの記念講演もあった。湯川さんは「力と力の対決は何も生まない。相手の違いを認め平和共存の道を模索する、新しいリーダーシップが求められている」と話した。[中日新聞 2005/08/14]

終戦記念日にちなんだ集会、講演会、15日に開催

 さまざまな認識から終戦を考える。
 60回目の終戦記念日となる15日、道内でも戦争と平和をテーマとする講演会や集会の開催が企画されている。
 まず、午前10時からは、札幌市中央区の「かでる2・7」(北2西7)で「靖国問題と現下の政局」と題した講演会が開かれる。
 保守系市民団体の「日本再生を志す北海道フォーラム」(TEL 011-864-3842)が主催。東京のシンクタンク「日本政策研究センター」の伊藤哲夫所長が、憲法や靖国問題、衆院選を控えた現在の政局を保守的な観点から解説する。午前9時半開場で入場は無料。
 その後、午後2時からは、北区の北大のクラーク会館(北9西7)で戦争と平和をテーマとした集会が開かれる。護憲運動に取り組む北大教職員の会「九条の会・北大」とNPO法人「人権・平和国際情報センター」の主催。
 旧日本軍が残した砲弾の爆発事故で死亡した中国人男性の家族を追ったドキュメンタリー映画「にがい涙の大地から」を上映するほか、落語家による話芸、後に自衛隊幹部となった陸軍士官学校の同期生を紹介する「近代日本の歩んだ道」を著した北大名誉教授の田中彰氏の講演会などを予定する。
 定員は500人で参加費は1,200円(前売り1,000円)。午後7時半の終了予定。
文: 児玉
[Brain News Network 08月13日 (土) 19時12分]

「九条の会」相次ぐ 地域から護憲の波/栃木

 戦争放棄と戦力不保持を掲げた憲法9条を守ろうと、作家や評論家など文化人ら9人が呼び掛けた「九条の会」の結成が、県内でも相次いでいる。全県規模の「九条の会・栃木」をはじめ、準備中を含む17団体が東京の同会事務局に登録した。戦後60年の節目の年に、自民党が自衛軍保持を明記した新憲法草案第1次案を発表するなど、憲法改正実現を求める動きがある中、地域から「憲法を守ろう」との声が強まりつつある。
 会は作家大江健三郎さん、沢地久枝さん、劇作家井上ひさしさん、評論家加藤周一さんら9人が昨年6月に設立。イラクへの自衛隊派遣などアメリカに追従する動きと、9条中心の改憲の動きに対し、平和的外交を求め、平和のために憲法を守ろうと訴えるアピール文を発表した。
 この趣旨に賛同した人たちが全国各地で地域や職業分野別に会を結成、約1年間で3000以上になった。
 県内では昨年11月以降、野木、足尾、那須、那須塩原、益子など地域ごとの有志や元教員など職種別のグループが会を結成。今月6日には県内全域の168人の会員でつくる「九条の会・栃木」が発足した。[下野新聞 2005/8/13]

「シリーズぎふ戦後60年 戦争を伝える」
先生の思い・中津川市の近藤愛子さん 平和、次世代に渡したい

 13年前からネパールで学校建設運動を展開する一方、地元でNPO法人「恵那山みどりの会」理事長も務める染色家の近藤愛子さん(79)=中津川市柳町=。「世界一の長寿国になったこの国で元気な百歳を新聞などで目にするたび、誰かの分まで、2人分を生きているのかもと思う」と話す。今年6月発刊のミニコミ誌「蒼生舎通信」(同市福岡町高山、太田光昭さん発行)に、敗戦前後の5年を国民学校教員として過ごした戦争体験を書いている。
 〈戦争で夫や子どもを亡くした方たち。その方たちにあたら若いいのちを散らせてしまった青年たちが、私の分まで生きて―と、あと50年のいのちの上乗せしているような気がする〉
 誰かの分まで生きる―、そんな思いが、近藤さんにとってもその後の人生を生きる基盤になったようだ。
 小学校に上がった1931年、満州事変。42年に中津高等女学校卒。補習科初等科訓導コースを修めて43年に同市南国民学校教員となり、3年を担任。持ち上がりで5年学級になった半ばに敗戦―。この間、戦況悪化で食料も物資も不足。名古屋などからの集団疎開児童も増えた。40人学級が60人ほどに膨らみ、教室の後ろまで机がびっしり。
 「親子で疎開して知り合いも無い人は、食料が分けてもらえず、栄養失調で亡くなる人もあった。着物を持っていって食料に換えるというようなことを最初はやっていても、それも底をついて。農家も人に分けるようなゆとりがない。田んぼがあった私の家もコメは全部供出して配給をもらう状態で、在庫なんて無い。重湯のようなおかゆに野草や芋の茎を刻んで入れ、カボチャは葉も種まで食べた」
 男先生はみんな戦争に駆りだされ、女か年寄りばかり。授業というより食料増産。手賀野に行って道端に豆をまき、間ノ根でサツマイモ作り。靴も無くなると、わら草履作りを教えた。
 「校庭にぱっと飛び込んで1人隠れるぐらいの“たこつぼ”を無数に作り、大人用の壕(ごう)もいくつか掘ったが、結局、空襲は受けずに済んだ。名古屋空襲の夜は中津川からも南西の空が真っ赤になり、高射砲が光るのが見えた。空襲の時、奉安殿のご真影(両陛下の写真)を守るために灯火管制で真っ暗闇の街の中を手探りで学校に走った。子どもを連れて出征兵士の見送りが激しくなる一方で、戦地の遺骨を駅で迎えるのが日常的になった」
 45年8月15日。「天皇のために死ねと皇国教育で教え、日本は神の国、絶対負けないと思い込まされていたので、本当に頭がぶち割られるような思いで、涙も出ずボーッとして、ものすごいショックだった」
 秋になると引き揚げてくる先生も多くなり、疎開児童も帰っていった。教科書は、子どもたちに理由を説明して墨塗りで使った。
 「学校は緊迫した状況だったが、子どもたちは結構明るくて朗らかだった」
 大人はそうはいかない。教師であればなおさらだ。
 「中津川ではないが、自殺した人もいると聞いて、もっともだと思った。たとえ国の命令にしても自分は間違った教育をしてしまったと。2度と間違いを起こしたくない、子どもたちを戦場に送るまいということを身にしみて思った。それで岐阜・九条の会の呼び掛け人にもなった。平和憲法を守ることが、戦争で犠牲になった人たちの供養にもなると。平和な世の中を次の世代に渡すことが私たちの使命。戦争体験者が少なくなったが、それでも体験者がもう少し頑張らねば」。(永井豪編集委員)
[岐阜新聞 2005/08/12]

「戦争と平和を考える集い」 長岡京市で開く

 「戦争と平和を考える?長7校区の集い」が7日、長岡京市柴の里の柴の里自治会館で開かれた。写真パネルやビデオ上映、戦争体験者との懇談などを通じて、「平和」についてあらためて考え合った。
 作家の大江健三郎氏らが作る「九条の会」の呼びかけにこたえ、今年5月に発足した「長7・九条の会」が、地域住民にも平和憲法を守る大切さを訴える機会に、と初めて開いた。
 会場には、原爆投下やイラク戦争の惨状を伝える象徴的な写真パネルや第二次世界大戦当時の軍服などを展示。戦中を過ごした高齢者らが、道路拡幅のための強制疎開や大阪大空襲、満州での憲兵の体験などを語った。
 同会は今後も勉強会などを予定しており、「再び戦争を繰り返さないよう、学区の住民と対話していきたい」としている。
[京都新聞 8月8日]

生に感謝 誓い新た/「原爆の日」各地の表情

 広島に原爆が投下されてから60年の6日、県内の被爆者や遺族らは各地で静かに犠牲者の冥福を祈り、核兵器廃絶と平和を願った。

●広 島

 ギラギラとした日差しが降り注いだ広島市中区の平和記念公園。原爆投下時間の午前8時15分、下松市の金清陽子さん(59)のまぶたの裏には多くの人たちが次々と現れた。母、父、何年もして苦しんで亡くなった人、障害を背負って生きる人……。金清さんはこの日、県内の被爆者代表として初めて平和記念式典に参列した。
 60年前は母の胎内にいた。被爆者と意識することはなかったが、何年か前、同じ胎内被爆者で重度の障害を持つ人がいることを知った。
 今は被爆者の会の活動を手伝い、時間をみつけては被爆体験記を読む。差別をおそれて今も被爆を隠している人、苦しむ人を助けられず負い目を抱えて生きる人がいることも知った。「広島と長崎はこれから改めて大きな役目を始める。一番若い私だから、わずかでも、力になっていきたい」。初めて広島で迎えた8月6日にそう誓った。

●山 口

 山口市宮野下の「原爆死没者の碑」前では、県内の被爆者や市民約20人が集まり、投下時刻に祈りをささげた。県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」の安部一成理事長があいさつで「被爆者が懸命に体験を語る中、被爆者でない人が語り継いでいく運動が必要ではないか」と提起した。
 語り部をしている下関市の日野一利さん(77)は17歳で被爆。「火の海となった街の光景は言葉で言い表せない。生きている限り核兵器廃絶を訴えたい」と話した。

●下 関

 下関市では「九条の会しものせき」の主催で「平和を考える8月6日の集い」が開かれ、約40人が出席した。
 東亜大の木村裕章助教授が講演し、学生たちに尋ねたアンケートや新聞の世論調査の結果を紹介。歴史認識などでそれぞれの国の意識が異なっていることを挙げ、「相互誤解を相互理解へと変えていくことが大事だ」と語った。
[朝日新聞:マイタウン山口 8/8]

九条の会:憲法を守ろう! 光で発足記念講演/山口
◇「九条の会・光」

 憲法9条を守ろうと、作家の井上ひさしさんらが昨年6月に結成した「九条の会」のアピールに応え、光市で6日、「九条の会・光」の設立総会と記念講演会があった。
 地元教育関係者や宗教家ら約50人が呼応。5月以降、3回の準備会を開催してきた。今後は学習会を開き、募金も募る。
 この日の総会には市民ら約100人が参加。代表世話人の一人で元新南陽高校長の林克尚さんが「日本を再び戦争ができる国にしようとする動きが出ている。平和憲法を守り、二度と若者を戦場に送らないようにしよう」と呼びかけた。講演では内山新吾・県弁護士会副会長が「憲法の権利を現実のものとするには、国民が声をあげることが重要だ」と話した。
[毎日新聞 2005年08月07日16時21分]

九条の大切さを認識 県内の映画・演劇・音楽愛好者が会結成

 徳島県内で活動する映画・演劇・音楽愛好者らでつくる「徳島『映画・演劇・音楽愛好者九条の会』」の結成総会が7日、徳島市シビックセンターであった。
 賛同者ら約100人が出席。代表世話人で徳島市民劇場の湯浅良幸会長が「憲法の尊さ、九条の大切さを認識し、戦争も核兵器もない世界をつくっていこう」とあいさつ。今後の活動方針として▽各団体のコンサートや鑑賞会を通じ、賛同者を募る▽憲法に関する講演会や学習会の開催?などが報告された。
[徳島新聞 08月07日 21時01分]

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  1. In & Out - trackback on 2005/08/20 at 13:51:40
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