島田顕『ソ連・コミンテルンとスペイン内戦』にかんするつぶやき

島田顕『ソ連・コミンテルンとスペイン内戦』についてつぶやきました。

  • 島田顕「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦」。とりあえず粛清問題を除外する(p.24)というけど、粛清問題を除外して、この時期のコミンテルンが理解できるんだろうか? posted at 09:58:43
  • @GAKU_IZ スターリンは、1937年2-3月中央委員会総会で粛清の方向に向かう(p.55)というが、もっと前からでは? 粛清の方向に完全に舵を切り終わったのが2-3月総会では? posted at 10:01:19
  • 島田「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦」p.70の注9では、1937年ごろ「ソ連にとって戦争の脅威を感ずる時期ではなかった」と言うが、p.141では内戦勃発初期に「来るべき大戦に備えるために」ソ連指導部は兵力温存を考えていたのではと書かれている。どっちが本当なの? posted at 10:07:31
  • @GAKU_IZ p.43でも、ヒトラー政権の誕生で、ソ連は「国家利益を優先し、世界戦争勃発を阻止するための反ファシズム運動を支援推進するという外交政策へ転換した」と書かれている。ソ連が脅威を感じ始めたのは何時だというのだろう。 posted at 10:10:53
  • 島田「ソ連・コミンテルンと」p.82 スターリンはディミトロフを信頼していた。p.84では、スターリンはディミトロフに完全に「白紙委任」していたのではない、と。どっちなんだ? posted at 10:19:32
  • ディミトロフは「進歩的な人物」? 島田p.84 posted at 10:20:25
  • 島田顕「ソ連・コミンテルンと…」。不干渉委員会の問題は、これまでにも言及されているが、p.217で初めて同委員会にたいするソ連の対応問題が取り上げられる。しかも、これは1936年8月の話なのに、第6章のサブタイトルは「1937年から終戦まで」。時空がねじれていてついていけない。 posted at 13:39:01
  • 島田「ソ連・コミンテルンと…」p.226 すでに1936年10月にラルゴ・カバリェロに同様の書簡が送られていると書かれているが、注記もないし、この本でこれまでのところのどこで、この事実が指摘されているのだろう? 人名索引でラルゴ関係の個所を探してみたが見つからない。 posted at 15:15:17
  • 島田本。p.239で1936年12月に、スターリンがカバリェロに手紙を送ったと指摘されている。しかし、これは12月だ! 10月の書簡はどこ? posted at 15:17:06
  • 島田顕「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦」。終章p.300 こんどは「スターリンはディミトロフを全面的に信頼していたようだ」と述べられている。う?む… posted at 17:23:03
  • 島田顕「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦」。第6章p.272では「スターリン等ソ連指導部のスペイン内戦への対応はすばやかったといえる」といわれているが、終章p.312では、1936年7月の内戦勃発から9月末までは「消極的な時期」だとされている。う〜む posted at 22:23:35
  • 島田顕「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦」終章p.313「原則的にスペイン共和国の勝利はソ連指導部には望まれることがなかった」。これはその通りだと思うが、そのことを資料的に裏づける作業はどこかでやられていただろうか? posted at 22:28:07

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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