置塩信雄氏の所有論について呟きました

2012年6月12日 (火) at 22:14:10 Posted in 経済学

置塩信雄氏の所有論についてつぶやきました。

置塩氏は、生産手段の社会的共有論について何度か書かれていますが、基本的に中身は同じです。発展させる余裕がなかったという面もあるかもしれませんが、最初に論じた時点(1980年)で、必要なこと、論じうることは基本的に全部論じたということなのかもしれません。

しかし、それから30年以上たち、「社会主義」を看板にしていたソ連・東欧の旧体制も崩壊したいま、それをどう受け止め、発展させるのかが求められているのではないでしょうか。

  • 置塩先生の議論をあれで代表させるのはいくらなんでも乱暴すぎる。 posted at 18:10:38
  • 「あるものXが、社会的共有であるということは、そのXに関する決定が社会の全構成員によって掌握されているということ」「社会の構成員の大部分が生産手段についての決定から排除されていたとしたら、そこには生産手段の社会的共有はない」置塩信雄『経済学はいま何を考えているか』7ページ posted at 18:11:04
  • 置塩先生が、生産手段の社会的共有の問題を提起されたのは、『現代資本主義分析1 現代資本主義分析の課題』(岩波書店、1980年)が最初ではないかと思う(完全記憶モード)。 posted at 18:17:22
  • 1980年の段階で、社会主義の問題として、生産手段の法律的な所有権をただ国家や集団に移すだけではダメだ、実際に社会全体が生産手段を所有していると言える社会関係を実現しないといけないと提起したのは、やはり慧眼というべきだろう。 posted at 18:21:21
  • @mnb_chiba そこが置塩氏の所有論の本意でないから。 posted at 18:31:55
  • 所有と占有という、深遠にして崇高なお話は、私にはよーわかりまへん。マルクスがEigentümとbesitzenと使い分けていたということも論証されてへんし。 posted at 18:40:21
  • 僕の理解では、資本主義を論じる場合には生産関係の中心は生産手段の所有関係だと言い、社会主義を論じる場合には法律的な所有権に限定せず社会的共同所有の実態を問題にする。それが置塩氏の議論の眼目。 posted at 18:45:25
  • @koheisaito0131 2章で使い分けたのなら、なぜそれ以外のところでは使い分けなかったのか? それはどうお考えで? posted at 18:55:01
  • @mnb_chiba 置塩氏の所有論を批判するのは自由です。しかし、それには置塩氏が何を論じていたかを正しく踏まえることが必要です。 posted at 18:56:33
  • 置塩氏の所有概念が昔の正統的理解であることを、今批判しても始まらない。 posted at 18:57:48
  • @mnb_chiba 置塩氏の所有論が古い正統的理解に基づいているのは当然のこと。そこを批判しても新しいものは生まれてこないのでは。むしろ正統的理解の中から置塩氏が、ソ連がまだ健在の時期に、新しい社会主義的所有論を展開されたところをどう発展させるかが大事だと思います。 posted at 19:22:08
  • @mnb_chiba 置塩理論を名乗る人は多いですが、置塩氏の社会主義的所有論を発展させようとしている人はいらっしゃるんでしょうか。経済学界でも置塩氏の提起が広く受け止められ共有されているとは思われません。だから、いまでもその提起は大事だと思います。 posted at 19:29:06
  • 論外。 posted at 19:30:58
  • 「◯◯学派」と言われる人や「私は◯◯理論に基づいて」という人がみんなそのお師匠様の議論をきちんと理解してその理論を踏まえた議論をしている訳ではない。学派の出来の悪さを、とくに、すでに鬼籍にはいられたお師匠様の責任にされたのでは浮かばれない。 posted at 19:38:35
  • 所有と占有問題でいえば、ドイツ語のEigentümとBesitzの関係と、フランス語のpossessionとpropriétéの関係とが、同じかどうかもよく分からない。僕は違うんじゃないかと思うんだけど、よく分からない。 posted at 19:44:35
  • 「生産手段の社会的共有を基礎として、生産に関する諸決定が社会的・公共的に行われる社会主義的生産関係」「社会構成員のすべての人々が生産に関する諸決定に関与できる状態」「そうでなければ、生産手段が社会的に共有されているという内実が存在しない」置塩『現代資本主義分析の課題』240頁 posted at 19:57:12
  • 置塩氏の場合、この議論の前提に生産力の問題があるが、それは人間の自然制御能力というスケールの大きな議論。人間の自然制御能力は、自然を我がものにする能力という意味で、所有論の基礎に据えられているのだろうと思う。 posted at 20:03:00
  • 置塩『現代資本主義と経済学』に収録された論文には、ほとんど同じような議論が展開されているが、社会主義的所有論は出てこない。 posted at 20:09:06
  • 置塩氏の社会主義的所有論は、置塩氏自身もあまり展開されなかった。それが何故かは分からないが、『現代資本主義分析の課題』が出た当時、置塩氏の議論に対して、生産手段の所有形態の変革の意義を薄めるものだという正統派的な批判があった。氏の問題提起が20年ほど早過ぎたということだろう。 posted at 20:13:44
  • @saypeace_soichi こちらこそ、初めまして。所有と占有は、法律論的な議論もあるのでややこしいです。自分の研究を棒に振ることのないようにやってくださいね。 ^^; posted at 20:23:08
  • ちなみに資本論には、Inhaberという単語もでてきたはず。所有者、保有者、占有者、訳はどうするか別にして、所有関係を表す言葉はEigentumとBesitzだけではない。 posted at 20:31:39
  • 大前提ですが、僕の専攻は日本近世史でした。もちろん数学などできません。置塩先生にお会いしたのも一度きりで、直接講義を受けたことなどは当然ありません。ひたすら自分一人で置塩氏の著作を読んできただけです。 posted at 20:45:49

Similar Articles:

Tags:

この記事を評価してください。☆いくついただけますでしょうか?

【日記・ブログランキング】に参加しています。よかったらクリックしてください。

Print This Post Print This Post

Trackback This Post

http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2012/06/12221410/trackback/

Leave a Reply