読んでいます 大谷禎之介編著『21世紀とマルクス』

大谷禎之介編著『21世紀とマルクス』(桜井書店)

発売になったばかりの大谷禎之介編著『21世紀とマルクス―資本システム批判の方法と理論』(桜井書店)を、読み始めています。

本書は、大谷禎之介氏の法政大学退職(2005年3月)記念の論文集ですが、『資本論』の理解にもかかわるいくつかの論文もあって、なかなか面白く読み始めています。

目次は、以下のとおり。

 はしがき―なぜ「21世紀とマルクス」か(大谷禎之介)
 序章 労働に即する社会把握の復権のために(有井行夫)
第1部 資本システムの理論を考える
 第1章 現代の産業循環・恐慌と信用(小西一雄)
 第2章 マルクスの生産価格論の形成―『1861-1863年草稿』を中心に―(尾崎裕太)
 第3章 利潤率の傾向的低下法則と恐慌―『資本論』第3部第15章の主題との関連で―(前畑憲子)
 第4章 近代株式会社の本質―「資本のアソシエーション」の意味―(小松善雄)
第2部 資本システムの理論を展開する
 第5章 資本のシステムと労働時間―労働契約の法と経済―(中野育男)
 第6章 いわゆる「技術の内的発展法則」について(松下和輝)
 第7章 預金通貨論批判―貨幣の二重化とそれぞれと異なる貨幣機能―(前畑雪彦)
 第8章 「比較生産費説」批判―調和的国際分業論の検討―(東 洋志)
 第9章 グローバル資本主義における労働とコミュニケーション的行為(佐々木康文)
第3部 資本システムのなかにアソシエーションを見る
 第10章 賃労働からアソシエートした労働へ―労働市場なき市場経済はフィクションである―(大谷禎之介)
 第11章 社会的分業の「ネットワーク」化と商品生産の揚棄(浅川雅巳)
 第12章 資本・市場・競争―新しい社会形成の契機を求めて―(宮田和保)
 第13章 私的所有の否定と個人的所有の再建(長谷川義和)
 第14章 世界史上と人間的解放―通過点としての「資本の傾向」―(神山義治)

ということで、まず読んだのは、編者でもある大谷禎之介氏が書いた「はしがき」と第10章。そのあと、序章から順番に読み始めましたが、有井行夫氏の論文は、あいかわらずちんぷんかんぷん。(^_^;) まあ、かつての「ズープスタンツがザイエンデして…」というのよりはよほど人語に近づいていますが、過度な方法論主義は、あまり変わらないようです。

面白かったのは、第1章の小西一雄氏の論文。マルクスの「利潤率傾向的低下の法則」にたいする置塩信雄氏の批判を念頭に置きつつ、利潤率の傾向的低下法則と恐慌との関係を検討したもの。そのなかで、面白いなと思ったのは、

  • 「不況は突然にやってくる」(61ページ)。
  • 1987年?1993年の企業の設備投資の対前年比伸び率と企業の経常利益額の同対前年比伸び率とをみると、1990年には、設備投資は前年比10.4%増と高水準を維持していたにもかかわらず、経常利益は-6.9%と急落している。そして、これを受けて翌年には設備投資水準も急落した(91年4.1%、92年-7.1%)。つまり、「投資をしても儲からないという局面、利潤率急落の局面が90年に突然にやってきて、これを受けて投資が減退し、不況に突入する」(62ページ)。
  • 問題は、どうして追加投資が利潤を生まないような局面が急性的に生じるのか、というところにある。マルクスは、この「現象」に注目し、「そこに産業循環と恐慌の理論の重要な位置を与えた」(65ページ)。
  • 好況も「自立的には訪れない」(65ページ)。
  • 恐慌によって過剰資本・過剰生産が整理され、一時的に低下した生産力水準が、前期の循環の水準にまで回復するだけでは、好況にはならない(そこで恐慌が起こったのだから、それだけだとまた恐慌が起こるだけ)。前期の水準を超えて新たな生産力の発展が実現されるような「新しい条件」が必要。それは何か。
  • 「過剰資本の整理や過剰生産力の破壊は、新たな好況の出現の前提。ここに新たな条件が加わってはじめて新たな好況が実現される。マルクスはそのような条件、要因が登場することを「最初の衝撃」と表現し、停滞(不況)を経てひとたびその衝撃が与えられるならば中位の活気、繁栄、過剰生産、恐慌という循環がくり返されるとしてきた」(67ページ、注、「レキシコン栞」No.9をみよ)。
  • 「最初の衝撃」の内容が各循環の個性をつくりだす。

小西氏は、景気の過熱局面から恐慌への転化を、次のように説明しています。

全般的な投資の拡大、再生産過程の弾力性の極限的な利用のなかで、原材料価格は上昇し、賃金も上昇し、全般的に物価も上昇する。信用を利用した投機が活躍する場面でもある。……だが、景気過熱はいつまでも続くわけではない。原材料価格や賃金の上昇を吸収し販売価格に転嫁する余力がいつまでもあるわけではないからである。すでに損益分岐点が高くなっているこのような局面では、わずかな販売の停滞がたちまち利潤率の低落につながることになる。こうして追加投資が利潤をもたらさない利潤率低落の局面が急速にやってきて、投資はストップする。恐慌あるいは不況の到来であり、利潤率はいっそう低下する。(72ページ)

はたして、景気の過熱局面で、賃金の上昇が利潤率を低下させるような状況が生まれるのかどうか。ここは、置塩さんと理解が対立するところです。

さらに「最初の衝撃」にかんする話の続き。(73ページ?)

  • 現代の資本主義の「最初の衝撃」に影響を与えるのは、第1に、財政・国家。財政支出にともなう国債消化に信用が関与する点を除くと、不換制のもとで、信用は「間接的」に「最初の衝撃」に寄与する。第2に「最初の衝撃」の役割を果たすのは、対米輸出市場の拡大。これは、1971年の金ドル停止以降顕著になった。
  • 繁栄期の末期に、資本蓄積の立ち遅れを諸資本が制限と感じ、それを突破しようとする際に、信用の利用が容易であることが重要な条件となる。これを、マルクスは、「プレトラ」(貨幣資本 monied capitalの過充)という概念をもちいて説明した。
  • 兌換制のもとでは、信用は恐慌を「促進」し、「激化」させた。(74ページ)
  • 現代でも、信用が恐慌を「促進」し「激化」させるというのは、ひきつづき重要。信用による恐慌の「促進」に決定的な変化を与えてきたのは、財政金融政策、とくに過熱局面での金融引き締め政策が問題。引き締め政策の発動によって、民間での信用による恐慌の「促進」にたいする抑制作用が働く。結果として、あとに続く恐慌を軽微にする。
  • ケインズ以降の政策態度は、不換制の本来的な成果ではなく、「学習の成果」である。(75ページ)
  • 不換制になることによって、兌換制下の限度をどのように超えたか。その限界はどこにあるか。不換制のもとでは、金の制約を離れた信用膨張が可能になる。
  • しかし、この場合でも3つの限界がある。
    1. インフレーション。
    2. 不換制といえども、信用は債権債務関係であり、債務者から見れば、将来の貨幣の先取り。したがって、貨幣の裏付けを欠くような信用膨張は、信用の強力的な収縮、崩壊をもたらす。
    3. 対外支払手段の壁。兌換制下では、信用膨張を伴う景気拡大は、対外赤字を拡大、為替相場の低落、兌換請求の拡大、金流出という形で制約が現われた。支払い準備の不足が明らかになると、引き締めをやらざるをえなかった。

ということで、注に上がっていた小西一雄氏の論文や、「資本の絶対的過剰」概念について研究した前畑憲子氏の論文(「『利潤率の傾向的低下法則』と『資本の絶対的過剰生産』、『立教経済学研究』55-1)を入手するようにしました。

「プレトラ」や「資本の絶対的過剰」は、不破さんの『マルクスと「資本論」』でも注目されていた問題。もう少し詳しくきちんと読んでみることにしたいと思います。

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  1. 私も読みたいと思っていた本です。久留間さん→大谷さんがやっている研究は、前から面白いと思っていましたし、「〈労働を基礎とする社会把握〉を共通認識」に、資本主義分析と未来社会論をみるというキャッチコピーも大切だなと思っていました。

    でも、GAKUさんの紹介を読むと、難しそうですね・・・
    ただ、恐慌論についてのさまざまな論点は、興味もあるので挑戦してみたいと思います。

    春の陣前半戦、が終らないと無理ですけどね。GAKUさんと同じ建物で仕事している方が2人も来てくれています。昨日まで一緒に活動してました。

  2. 元学部生。

    はじめまして。
    当方、H大経済学部にて「社会経済学」やマルクスなどをほぼ独学?で学んだ落ちこぼれです(笑)
    基本的には、理論?政策系ながら、それを活かせる職場なぞある訳ないので(獏)、仕方なくツマラナイ低賃金労働を他律的にやっております。

    ああ、出されたんですね桜井書店から。大谷「正統派」プロパー全員集合!ってところですかね!?有井大先生は、またしてもヘーゲル的構成でマルクス労働論を展開しているんですね(笑)それはそれで、難解なヘーゲル=マルクス同一性論を快感にしながら読まなければなりませねな(←意味不明)
    ともあれ、アソシエーション論や大いに反発や冷笑を買ったソ連=国家資本主義論などは、傾聴に値するものかと思っておりますが、高いですねー!専門書扱いですかね?
    マルクス学派の「復興」なんて、果たして在り得るのでしょうか?

  3. 元学部生さん、初めまして。

    有井さんは、これでも最近はずいぶんと分かりやすくなったと思います。(^_^;)

    しかし、勉強するときは、あまり学派でくくらない方がいいですよ。理論上の論争は、学派vs.学派ではなく、あくまで何が理論的に正しいか、という問題ですから。

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