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置塩信雄『蓄積論』(6)

第1章 資本制経済の基礎構造

4、実質賃金率と資本蓄積

b、実質賃金率の一時的決定

ii)商品にたいする需要(82ページ?)

諸商品にたいする需要は、諸部門における生産活動に基本的には依存する。

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置塩信雄『蓄積論』(2)

第2章 資本制的拡大再生産

4、「均衡」蓄積軌道

d、均衡蓄積軌道――技術変化のある場合

  • 生産技術が毎期一定率で変化する場合、実質賃金率が一定だとすれば、生産財部門の比重 λ は毎期上昇してゆく。つまり、このばあいには消費財1単位を生産するために直接・間接に必要な労働量が減少しているのに、実質賃金率が一定であるから、搾取率が上昇し、それが生産財の追加生産に回されるということ。
  • これにたいし、実質賃金率が労働生産性の上昇と同じ率で上昇してゆくとすれば、搾取率は不変にとどまり、生産財部門の比重は変化しない。ただしこれは、両部門における a1、a2(それぞれ1単位生産するのに必要な生産財の量)が変化しないというタイプの技術変化を想定したから。マルクスが想定したような、生産の有機的構成の高度化を伴うような生産技術の変化があった場合は、実質賃金率と労働生産性の上昇率と同一率で上昇し、搾取率が不変であっても、a1、a2が増加するから、生産財部門の比重は毎期増大してゆく。
  • 実質賃金率が一定であれば、生産財部門の比重 λ 、生産財生産の増加率 g は毎期上昇してゆかなければならず、もし実質賃金率が労働生産性と同一率で上昇すれば、λ と g は毎期不変となる。
  • このとき、消費財生産の増加率はどうなるか。もし、λ 一定なら、消費財生産部門の増加率は生産財生産部門の増加率と等しくなければならない。
  • それにたいし、実質賃金率がすえおかれて生産財生産部門の比重が毎期増大していく場合には、消費財生産部門の増加率は、生産財生産部門の増加率より小にならざるをえない。労働生産性の上昇率が充分に大きい場合には、消費財部門の生産量の変化はゼロまたは負になることもありうる。

(180〜181ページ)

日記をつける余裕がない…

とてもじゃないが、日記をつけているような余裕がない…。

ということで、とりあえず中谷武『価値、価格と利潤の経済学』(勁草書房、1994年)を読み始めたことだけ書いておきます。

偲ぶ会

今日は、大学院ゼミで指導していただいた恩師・佐々木潤之介先生の「偲ぶ会」が開かれました。会には、歴史研究者や大学関係者、ゼミ生など約300人が集まりました。

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置塩信雄『資本制経済の基礎理論』

置塩信雄先生『資本制経済の基礎理論』増訂版(1978年)を読み終えました。こんな学術書をさして「面白かった」などというと奇妙かも知れませんが、マルクス経済学というのがこういうリアリティを持っているのかと、ぐいぐい引き込まれます。

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置塩信雄『近代経済学批判』

置塩信雄先生の『近代経済学批判』(有斐閣双書、1976年)を読み終えました。

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アルチュセール『国家とイデオロギー』再読

今日は、神奈川県立近代美術館・葉山館の「ヴィルヘルム・レームブルック展」を見てきましたが、その行き帰りで、アルチュセール[1]『国家とイデオロギー』を再読。かつて読んだときには気づかなかったことにいろいろ気がつきました(だから、読書は面白いのですが)。

以前は、アルチュセールのいう「国家イデオロギー装置」というのを、機能というより、実体として捉えていて、国家機構を「国家抑圧装置」と「国家イデオロギー装置」とに二分して捉えたものというふうに理解していましたが、あらためて読んでみると、確かにそういうふうに実体的に二分する議論がなされていることは事実ですが、むしろアルチュセールの議論として注目されるのは、そもそもイデオロギーとは何か、イデオロギーというのはどうやって機能するのか、こういうことについての彼の分析です。

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  1. フランスの「構造主義」マルクス主義の哲学者。1918年生まれ、1980年に妻を殺害。1990年没 []

アルチュセールのイデオロギー論

アルチュセール『不確定な唯物論のために』(イタリアの哲学者フェルナンダ・ナバロ女史によるインタビュー、原著1988年刊、邦訳=大村書店、1993年刊)を初めて読みましたが、彼のイデオロギー論についての非常に分かりやすい解説になっていると思いました。

1つは、彼の議論が、実はスターリン主義流の哲学――いわゆるヘーゲル主義にたいする批判をねらったものだということが非常によく分かったこと。

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